帝不在の平安後宮〜それでも私が入内する理由〜

「千景」

 藤壺の女房の案内で通された局に入ると、すでに惟久様が待っていた。それも重苦しい空気を纏って。
 これが罰を与えられた者の表情であることが、痛いほど分かる。けれど、重さは違うが私も罰を与えられた身であるからか、別の意味に見えてならなかった。

 だから私は惟久様の前に座った直後、本題を切り出した。知りたい、という欲よりも、早く惟久様を解放してあげたい気持ちが勝ったからだ。

「桐壺女御様について、一体、何があったのですか? いいえ、何をなさったのですか?」

 その質問がしっくりくると思って告げたのだが、惟久様にとってはかなりの衝撃だったらしい。まるで息を呑んだような表情をした。

「八の宮様に、桐壺女御様の入内をお薦めした」
「……桐壺女御様のお父上である白梅中納言様と、八の宮様の仲がよろしかったから?」
「それもある」
「では、本当に遺言がなかったというのですか?」

 あの時は、帝が自身の不在の理由を隠すために、尚侍に嘘を告げたのだと思っていた。
 真実と嘘を混ぜれば、その嘘に真実味が増すからだ。矛盾を矛盾だと捉える認識も薄れ、それが次第に真実へとすり替わる。

 私も尚侍も、何が真実で、何が嘘かを知らなかったから余計にだ。けれど私が尚侍よりも踏み越えられたのは、惟久様が帝を連れ戻したこと。帝が私を好いてくれたこと。惟久様が帝の間諜であったこと。そして……帝が桐壺女御様のことを告げようとした時、惟久様が止めたこと。
 その事実が、点と点になって、一つの答えを導き出したのだ。

『千景と御子のためだったら、帝の影武者にだってなるよ』

 懐妊を告げられ、宿下がりをしたその日に、惟久様が私に発せられた言葉。桐壺女御様が入内された時は、まだ鈴子を身籠っていなかったけれど、私の入内を阻止したがっていた。

 私と同じ立場の桐壺女御様。もしも、裏で惟久様が動いていたのだとしたら、帝が重い罰を与えるのも、無理もないと思ったのだ。

 だから心では惟久様に否定してほしかった。けれど脳は、その点と点を結ぼうとする。蜘蛛の糸ほどのか弱いものではなく、縄の如く強くて切れないものでしっかりと。

「帝のおっしゃる通り、桐壺女御様を入内させてほしい、という遺言はなかった。あったのは、八の宮様への詫び状だ」
「遺言ではなく、詫び状?」
「八の宮様と帝は、年の離れた兄弟だが、入内させられる姫宮は幼すぎた。しかし権力欲の強い方であったため、諦めきれなかったのだろう。白梅中納言様に、桐壺女御様を自身の養女として入内したい旨を語っていらしたのだ」
「それで白梅中納言様が亡くなったの機に、遺言をでっち上げて、入内させたのですか。しかも、それを薦めたのが惟久様だと?」

 なんということを。父親を亡くしたばかりでお辛いのに。さらに愛する殿方と引き裂くなんて。

「皆、悲しみに暮れていたから、遺言の有無になど、誰も不思議に思わない。八の宮様に進言することも容易かった」
「なぜ、そんな非道なことをしたのですか?」
「帝に千景を諦めてもらうためだ!」

 やっぱり……私のためであり、ご自分のためだったのね。

「だからといって、これでは誰も幸せにはなれません」
「何もしなければ、千景だけが辛い想いをする」
「惟久様も、ではありませんか?」
「……私は。これを言っても信じてもらえないだろうが、千景さえ幸せなら、私の想いが成就しなくても、構わないと思っている」
「つまり、私が惟久様ではなく、帝に想いを寄せていれば、このようなことはしなかった、と?」

 私が惟久様のことが好きだから、お父様に入内しろ、といわれても拒否していたから。それで惟久様が、このようなことをしたのだ。

 すべて、私の我が儘が招いたこと。承香殿女御と何も変わらない。

「どうかな。結局のところは、自己満足でしかないと思っている。あの時は、どうしたら帝が千景を諦めてくれるのか、それだけを考えていたから」
「後先を考えずに動かれるなんて、惟久様らしくありませんわ」
「それくらい、入内させたくなかったんだ。だけど後悔はしていない。父と名乗れずとも、夫になれなくても、鈴子の父は私であり、千景の夫は私だ。それだけは変わらない」
「……公にできなくても?」
「周りに認められたくて、動いたわけではないからね」

 帝の間諜をしていた惟久様らしい言葉だった。だからあえて、聞いてみたくなったのだ。

「では、なんのために?」
「奪われないためさ。自分の大事なものを奪われてまで、仕えたくはない。罪でもなんでも、譲れないものがあったんだ」
「……そんなことを言われたら、私は惟久様を責めることができません」

 私はこれから惟久様に会えなくても、守ってもらっている、と実感ができるし、なにより鈴子という心の拠り所がある。

 それさえもなく、入内していたらどうなっていただろうか。桐壺女御様のように、失踪したくなっていたかもしれない。もしくは、惟久様にお願いをして駆け落ちする未来だってあったのだ。

「惟久様。これは帝にお聞きすることができなかったのですが、桐壺女御様は……本当はどうなったのですか?」
「無事に逃げ果せた。好いた者のところにね」
「本当ですか?」
「これ以上、嘘を言っても仕方がないだろう?」
「けれど……」

 ずっと秘密にされていたのだ。おそらく小侍従も知っていたことだろう。私が鈴子の出産で大変だったから、何も言わなかったのかもしれないが。

「本当だ。千景とこうして話すことも、今後はままならぬというのに、どうして嘘をつくことができるんだ? 私は千景に嫌われたまま、鈴子の成長を待ちたくはない」
「惟久様……」

 私は思わず惟久様に抱きついた。先ほど帝に言われた時よりも、惟久様の口から告げられると、より胸が絞めつけられたからだ。

 これは永遠の別れではない。傍にだっていてくれる。たとえ姿が見えなくても。

 それでも今生の別れとばかりに、私は惟久様の腕の中で泣いた。