帝不在の平安後宮〜それでも私が入内する理由〜

 その後、帝が「二人で話し合え」と言って鈴子を抱いたまま、局を出ようとした。

 清涼殿が帝の住まいであっても、女御である私が、御簾越しではない状態で、惟久様と二人きりというのは憚られる。特に先ほど、尚侍に疑われたばかりなのだ。

 それは帝も感じたのか、少し間を置いてから「着いて参れ」と私を促した。けれど惟久様には、別の言葉を投げかける。

「先に藤壺へ行き、母上に弘徽殿で起こった経緯を報告しろ。おそらく女房達からすでに聞いていると思うが、ことの詳細までは知らぬだろう。私が後からここでの処罰の話をする故、千景と惟久のために、局を一つ、お借りしたいと伝えてもらえるか?」

 弘徽殿と皇太后様の居られる藤壺は近い。けれど皇太后様がいらっしゃらなかったのは、帝が騒ぎを収めるために来たからだ。つまり……。

「皇太后様は、帝のお戻りをご存知なのですか?」
「実は承香殿女御と尚侍が密談しているのを聞いて、帝に助けを求めたんだ。だけど尚侍がいつ仕掛けるのか、までは分からなかった」
「それでまず母上の元へ行き、協力を賜ろうとしていたところに、弘徽殿から騒ぎが聞こえてきたのだ。後手には回ってしまったが、肝心なところは間に合ってよかった」
「……ありがとうございます。尚侍がまさか、承香殿女御と裏で、なんて思いもよらず。これからは鈴子のためにも、警戒を怠らないようにしたいと思います」

 敵の敵は味方をいうけれど、多くを味方につけた私を失脚させるためには、敵同士が手を組む必要があったということだ。念のために用意していたことが、逆に仇になるなんて、思ってもみなかった。

「よい。そのために、先ほど惟久に護衛を頼んだのだ。これからはさらに表にいられなくなるからな」
「表に? どういうことでしょうか」
「あれだけの騒ぎを起こし、且つ女房達も動員させたのだ。そこで尚侍に疑われたことは、この後宮全体に疑惑をもたらしたのと同じこと。惟久が内裏や後宮でうろつけば、千景だけでなく、鈴子の名誉にも傷つく可能性があるのだ」
「……護衛とは身辺の警護だけでなく、その身、すべてということ。罰の意味と重さを理解いたしました」

 惟久様は頭を垂れた後、帝の命に従い、局から出て行った。

「さて、私達は惟久とは違い、皆に分かるように藤壺へ参ろう。此度のことを内々で処理すれば、また尚侍が新たな手を打つかもしれぬからな」

 そのための護衛であり、必然性を教えられた気分だった。


 ***


 藤壺に着くと、私と帝は別々の局に案内された。その折に、鈴子を引き取ろうとしたが、帝に拒否された。

「私は二人で話し合え、と言ったのだぞ。いくら鈴子が赤ん坊でも、聞いてよい話でもないと思うが?」

 そう言われてしまえば、伸ばした腕を引っ込めるしかない。

「千景。そんな寂しそうな顔をするな。母上も、鈴子に会いたがっているだろうから連れて行くだけだ。それに……惟久とは、しばらく会えなくなるのだ。鈴子がいては、逆に邪魔であろう?」

 先ほどの帝の言葉を思い出した。『さらに表にいられなくなる』というのは、私が後宮にいる間を指している。鈴子が成長し、斎宮に選ばれ、伊勢に発つ頃には、誰も疑問を抱く者がいなくなるからだ。
 その頃になれば、都には新たな帝が即位する。後宮の中も様変わりをし、私と鈴子にかまけている者がいなくなるからだ。その時になって、ようやく惟久様は表の世界に戻れる。

 分かっていても、私にはそれを残酷だと非難できる立場にはいなかった。非難されても構わない、と鈴子を産み、後宮に持って来たのだから。そして、惟久様も反対しなかった。

 親子三人でいられる機会すら与えない。おそらくそれが、罰とは関係のない、細やかな復讐なのかもしれなかった。私というより、惟久様への。

「私の知らない、何かがお二人にあるのは分かりました。けれど鈴子は――……」
「分かっている。それに私達はいとこだ。血の繋がりはある。勿論、鈴子ともな。だから心配せずに、惟久と会って参れ」
「……ありがとうございます」

 私は帝の腕の中で、キョトンとした顔で私達の顔を交互に見る鈴子へと手を伸ばした。

「いい子にしているのよ」

 頭を撫でると、嬉しそうな声を出す。手を離せば、名残惜しいとばかりに小さな手が私の指を探すように彷徨う仕草までする。

 確かに赤ん坊だけど、すでに鈴子には意思がある。将来、覚えていなくても、聞かせられない。いや、聞かせたくない話をこれからしに行くのだ。

 そう、先ほど惟久様が帝の言葉を遮った、桐壺女御様の話を。おそらく、帝が惟久様に対して厳しい処罰を下した理由が、そこにあるのかもしれない。
 なにせ惟久様は、帝の間諜であり、裏で動く影の存在。悪い予感しかしなかった。