「仮に、姫宮様が帝の御子だとして――……」
「尚侍。すでに帝がお認めになっているというのに……不敬ではなくて?」
これ見よがしに叱咤すると、帝の御前であっても臆することなく、尚侍は私を睨んできた。こればかりは私も大概だと思う。帝が現れるまで、絶体絶命だったのに、形勢が逆転した途端、強気な態度を取っているのだから。
けれど鈴を守るためなら、私は帝の寵愛する女御を演じられる。負けてなど、いられなかった。
「弘徽殿女御、よい。私が不在にしている間、尚侍には随分と世話になったのだからな」
「帝がそうおっしゃるのなら……」
私が身を引くと、帝が優しく微笑む。けれど私は不安が拭えなかった。なぜなら私達は、嘘を塗り固めた上に立っているのだ。話を長引かせれば、ボロが出やすくなる。
それは帝も分かっているからか、尚侍へと顔を向けた時は、再び厳しい表情に戻っていた。
「して、何が疑問なのだ?」
「帝が左大臣家に行くことができたのならば、なぜ後宮にいる我らに知らせてくれなかったのでしょうか。左大臣様も戻るようにと、なぜ説得してくださらなかったのか、と思ったまでのことです」
ほら見たことか。常盤院に行くくらいなら、後宮に立ち寄ることなど可能だ、と尚侍は言っているのだ。けれど帝の表情は、何一つ崩れることはなかった。
「そうだな。確かにそなた達への配慮が足りなかった。しかしこれは、桐壺女御が関係していたからできなかったのだ」
「桐壺女御様が!?」
尚侍の声と、私の心の声が重なった。
「彼女が亡き白梅中納言の娘ということは知っておるな。八の宮は白梅中納言の遺言で桐壺女御を入内させたわけだが、その遺言も今となっては本当のことなのか、怪しいところなのだ」
「それは、どういうことでしょうか」
私の問いに、帝は寂しそうな顔で答えてくれた。
「桐壺女御は入内する前に、好きな、いや心を通わせた者がいた。それは父親である白梅中納言も知っていたはずだ。桐壺女御が失踪した後ではあるが、軽く調べさせただけでも、簡単に知ることができた。つまり、そんな桐壺女御を入内させてほしい、という遺言を書くとは思えないのだ」
「……乗り気ではなかった、という話は聞いておりましたが、まさか桐壺女御様にそんな事情があったとは、知りもしませんでした」
「無理もない。だが、尚侍ならば、私と同時期にその情報を受け取っていたはずだ。違うか?」
「おっしゃる通り、桐壺女御様付きの女房達から、そのように伺いました……八の宮様が力を得るために入内させたのだ、と。あくまで憶測の域ですが、女房達にはそう見えたのでしょう」
「っ!」
なんて酷いことを、という言葉が出そうになり、咄嗟に袖で口元を隠した。
私もまた、桐壺女御様と同じ立場で入内したからだ。けれどお父様はそこまで非道なことをしたわけではない。私と惟久様との関係を引き裂きたかったのであれば、宿下がりをした時、常盤院に受け入れることも、懐妊のことも容認などしなかったはずだからだ。
それを思えば、私はなんて恵まれていたのだろう、と思ってしまう。
私を好きだとおっしゃった帝。入内させたいと願っていたお父様に命じれば、いくらでも強引な手が使えたはずなのに、そうしなかった。
「千景。聞きたくないのなら、下がっていてよい」
帝が顔を寄せ、小さく促す。けれど私は首を横に振った。
「私が辿ったかもしれない道です。だから最後までこの場にいさせてください」
そして、桐壺女御様が辿れなかった道に、私はいる。その証が、鈴なのだ。不安そうな顔をしている鈴の手を、そっと握った。それを合図に、再び尚侍へと顔を向ける。
「……桐壺女御付きの女房達の判断は間違っていない。お陰で桐壺女御の失踪は、まだ八の宮には知られずに済んでいる。だから私は、このまま桐壺女御が逃げやすい環境を作ったのだ」
「まさか、八の宮様の目を帝に向けるために、あえて都を離れたのですか?」
「幸い、私の不在は随分と噂になっていたようだからな。都合が良かったのだ。まさかその間に、弘徽殿女御が噂を払拭させるために入内してくれたのは、寝耳に水だったが」
これは尚侍も承知の事実である。反論する余地はない。
「その裏で私は、左大臣と惟久の協力の元、桐壺女御を秘密裏に故郷へ帰したのだ。しかし、無事に帰った知らせを受けるまでは、やはり心配でな。橘家の別荘である瑞霞院に身を寄せていた、というわけなのだ。尚侍。これで後宮に連絡を入れることも、左大臣が戻るように説得できなかった理由も、分かってくれるな」
「……いいえ、分かりません。先ほど帝は、弘徽殿女御様が入内したことを、寝耳に水だとおっしゃいました。それなのになぜ……御子を? わざわざ左大臣家に行かれたのですか?」
「文でやり取りができるのに、どうして行ったのか、と言いたいのは分かる。だがな、折角私のために入内してくれた弘徽殿女御が、宿下がりをするほどに体調を崩している、というのであれば行くのは当たり前ではないのか? これでも弘徽殿女御とは幼なじみなのだ。心配せずにはいられない」
「筒井筒の仲であることは承知しております。惟久様よりお伺いしておりましたので」
尚侍が、これ見よがしと私の方に視線を送る。
「惟久もまた、私の幼なじみだ。左大臣家で落ち合うのもまた、不自然ではない。それに惟久は、ちゃんと立場を分かっている」
「だから姫宮様は帝の御子である、とおっしゃるのですか?」
「そうだ。まだ疑問に感じることはあるだろう。だが、私が言えるのはここまでだ」
「……桐壺女御様のためだから、ですよね、帝」
本当は私のことだったが、これ以上、尚侍に踏み込ませないためには、桐壺女御様に置き換える必要があったのだ。それは帝も分かってくれたらしく、頷き返してくれた。
けれど次の瞬間、顔を近づけられ、再び小さな声で話しかけられた時は、何を言っているのか、分からなかった。
「千景、許せ。これからすることは、鈴だけでなく、千景も守ることなのだ。恨むのなら惟久……いや、そなたたちの行いに対してだな」
「何を、おっしゃっているのですか?」
けれど帝は何も答えてはくれなかった。代わりに私の手を鈴から外し、距離を取る。
「尚侍が分かってくれたということは、後宮にいる女房達も同じだと思っている。だから今、ここで宣言しよう。この姫宮は我が御子であり、本日をもって鈴子内親王とする」
「っ!」
帝の宣言と共に、その場にいた女房達が頭を垂れた。私もまた、驚きつつも、床にひれ伏すしかない。
本来ならば、自身が産んだ御子の内親王宣言は、母として喜ぶ場面なのだ。けれど姫宮は……鈴は帝の御子ではない。内親王宣言などあってはならないのだ。
許せとは、そういうことだったのですね、帝。
「尚侍。すでに帝がお認めになっているというのに……不敬ではなくて?」
これ見よがしに叱咤すると、帝の御前であっても臆することなく、尚侍は私を睨んできた。こればかりは私も大概だと思う。帝が現れるまで、絶体絶命だったのに、形勢が逆転した途端、強気な態度を取っているのだから。
けれど鈴を守るためなら、私は帝の寵愛する女御を演じられる。負けてなど、いられなかった。
「弘徽殿女御、よい。私が不在にしている間、尚侍には随分と世話になったのだからな」
「帝がそうおっしゃるのなら……」
私が身を引くと、帝が優しく微笑む。けれど私は不安が拭えなかった。なぜなら私達は、嘘を塗り固めた上に立っているのだ。話を長引かせれば、ボロが出やすくなる。
それは帝も分かっているからか、尚侍へと顔を向けた時は、再び厳しい表情に戻っていた。
「して、何が疑問なのだ?」
「帝が左大臣家に行くことができたのならば、なぜ後宮にいる我らに知らせてくれなかったのでしょうか。左大臣様も戻るようにと、なぜ説得してくださらなかったのか、と思ったまでのことです」
ほら見たことか。常盤院に行くくらいなら、後宮に立ち寄ることなど可能だ、と尚侍は言っているのだ。けれど帝の表情は、何一つ崩れることはなかった。
「そうだな。確かにそなた達への配慮が足りなかった。しかしこれは、桐壺女御が関係していたからできなかったのだ」
「桐壺女御様が!?」
尚侍の声と、私の心の声が重なった。
「彼女が亡き白梅中納言の娘ということは知っておるな。八の宮は白梅中納言の遺言で桐壺女御を入内させたわけだが、その遺言も今となっては本当のことなのか、怪しいところなのだ」
「それは、どういうことでしょうか」
私の問いに、帝は寂しそうな顔で答えてくれた。
「桐壺女御は入内する前に、好きな、いや心を通わせた者がいた。それは父親である白梅中納言も知っていたはずだ。桐壺女御が失踪した後ではあるが、軽く調べさせただけでも、簡単に知ることができた。つまり、そんな桐壺女御を入内させてほしい、という遺言を書くとは思えないのだ」
「……乗り気ではなかった、という話は聞いておりましたが、まさか桐壺女御様にそんな事情があったとは、知りもしませんでした」
「無理もない。だが、尚侍ならば、私と同時期にその情報を受け取っていたはずだ。違うか?」
「おっしゃる通り、桐壺女御様付きの女房達から、そのように伺いました……八の宮様が力を得るために入内させたのだ、と。あくまで憶測の域ですが、女房達にはそう見えたのでしょう」
「っ!」
なんて酷いことを、という言葉が出そうになり、咄嗟に袖で口元を隠した。
私もまた、桐壺女御様と同じ立場で入内したからだ。けれどお父様はそこまで非道なことをしたわけではない。私と惟久様との関係を引き裂きたかったのであれば、宿下がりをした時、常盤院に受け入れることも、懐妊のことも容認などしなかったはずだからだ。
それを思えば、私はなんて恵まれていたのだろう、と思ってしまう。
私を好きだとおっしゃった帝。入内させたいと願っていたお父様に命じれば、いくらでも強引な手が使えたはずなのに、そうしなかった。
「千景。聞きたくないのなら、下がっていてよい」
帝が顔を寄せ、小さく促す。けれど私は首を横に振った。
「私が辿ったかもしれない道です。だから最後までこの場にいさせてください」
そして、桐壺女御様が辿れなかった道に、私はいる。その証が、鈴なのだ。不安そうな顔をしている鈴の手を、そっと握った。それを合図に、再び尚侍へと顔を向ける。
「……桐壺女御付きの女房達の判断は間違っていない。お陰で桐壺女御の失踪は、まだ八の宮には知られずに済んでいる。だから私は、このまま桐壺女御が逃げやすい環境を作ったのだ」
「まさか、八の宮様の目を帝に向けるために、あえて都を離れたのですか?」
「幸い、私の不在は随分と噂になっていたようだからな。都合が良かったのだ。まさかその間に、弘徽殿女御が噂を払拭させるために入内してくれたのは、寝耳に水だったが」
これは尚侍も承知の事実である。反論する余地はない。
「その裏で私は、左大臣と惟久の協力の元、桐壺女御を秘密裏に故郷へ帰したのだ。しかし、無事に帰った知らせを受けるまでは、やはり心配でな。橘家の別荘である瑞霞院に身を寄せていた、というわけなのだ。尚侍。これで後宮に連絡を入れることも、左大臣が戻るように説得できなかった理由も、分かってくれるな」
「……いいえ、分かりません。先ほど帝は、弘徽殿女御様が入内したことを、寝耳に水だとおっしゃいました。それなのになぜ……御子を? わざわざ左大臣家に行かれたのですか?」
「文でやり取りができるのに、どうして行ったのか、と言いたいのは分かる。だがな、折角私のために入内してくれた弘徽殿女御が、宿下がりをするほどに体調を崩している、というのであれば行くのは当たり前ではないのか? これでも弘徽殿女御とは幼なじみなのだ。心配せずにはいられない」
「筒井筒の仲であることは承知しております。惟久様よりお伺いしておりましたので」
尚侍が、これ見よがしと私の方に視線を送る。
「惟久もまた、私の幼なじみだ。左大臣家で落ち合うのもまた、不自然ではない。それに惟久は、ちゃんと立場を分かっている」
「だから姫宮様は帝の御子である、とおっしゃるのですか?」
「そうだ。まだ疑問に感じることはあるだろう。だが、私が言えるのはここまでだ」
「……桐壺女御様のためだから、ですよね、帝」
本当は私のことだったが、これ以上、尚侍に踏み込ませないためには、桐壺女御様に置き換える必要があったのだ。それは帝も分かってくれたらしく、頷き返してくれた。
けれど次の瞬間、顔を近づけられ、再び小さな声で話しかけられた時は、何を言っているのか、分からなかった。
「千景、許せ。これからすることは、鈴だけでなく、千景も守ることなのだ。恨むのなら惟久……いや、そなたたちの行いに対してだな」
「何を、おっしゃっているのですか?」
けれど帝は何も答えてはくれなかった。代わりに私の手を鈴から外し、距離を取る。
「尚侍が分かってくれたということは、後宮にいる女房達も同じだと思っている。だから今、ここで宣言しよう。この姫宮は我が御子であり、本日をもって鈴子内親王とする」
「っ!」
帝の宣言と共に、その場にいた女房達が頭を垂れた。私もまた、驚きつつも、床にひれ伏すしかない。
本来ならば、自身が産んだ御子の内親王宣言は、母として喜ぶ場面なのだ。けれど姫宮は……鈴は帝の御子ではない。内親王宣言などあってはならないのだ。
許せとは、そういうことだったのですね、帝。



