帝不在の平安後宮〜それでも私が入内する理由〜

 我が左大臣家の屋敷は広く、それに似合った財力と権力を有していた。それは前々帝(さきのさきのみかど)が、妹であるお祖母様を嫁がせても大丈夫だと思わせるほどである。

 しかしお祖母様は現在、この屋敷に住んでいるわけではない。お祖父様が亡くなられた後、しばらくしてから落飾し、今は宝泉寺(ほうせんじ)に身を寄せていた。

 そのため私は芹を伴い、宝泉寺へと向かうことになったわけだが、ここで問題が発生してしまう。牛車(ぎっしゃ)である。
 徒歩で行ける距離ならば問題はなかった。芹の他に、数名の護衛を付ければ問題はない。けれど都から少し離れた宝泉寺に向かうには、どうしても牛車が必要だった。

 お陰でこっそり抜け出す予定が大所帯になってしまい、結果、お父様やお母様の耳に入ってしまった、というわけである。けれど今はそんなことに構っている暇はなかった。
 私は惟久様との情事を隠すため、「お祖母様に呼ばれたので」という免罪符を使い、堂々と屋敷を後にしたのだ。

 その途端、心地よい風が吹き抜けていく。夏が終わりを告げたかのように、最近はこのような風が御簾をよく揺らしていた。牛車が走り出すと、それをより実感する。

 けれど一番は宝泉寺に着いてからだろうか。まだ青々としているが、たくさんの紅葉たちが、まるで私たちを出迎えてくれたかのように、大きく揺れていたからだ。

 実際に出迎えてくれたのは、お祖母様と共に落飾した元女房の小式部尼(こしきぶに)である。私たちが来るのを宝泉寺の門の前で待っていてくれていたお陰で、少しばかり周りを見る余裕ができたのだ。
 この温かい出迎えがなければ、緊張で景色など眺めてなどいられなかったことだろう。少しでもお祖母様の心境が垣間見えるかいないかで、私の心境もまた大きく変わっていたからだ。

「今年もきっと綺麗に色づきましょう。その時にまた、いらしてください。千景様と毎年、紅葉を見られることを、大宮様はたいそう楽しみにされていますから」

 庭先に向かって柔らかく微笑む小式部尼を見る限り、どうやら悪い話ではないように思えた。

「私もここ、宝泉寺の紅葉をお祖母様と見られたら、どんなに嬉しいことでしょうか」
「まぁ、まるで無理かもしれない、といった口振りね」
「お、お祖母様っ!」

 自分の局で待っていられなかったのか、尼僧姿のお祖母様が顔を出した。お年を召されても、元来の美しさが損なわれていないそのお姿に、思わず頭を垂れたくなった。勿論それだけではなく、威厳も兼ね備えている。

 私の憧れでもあるが、今日は遊びに来たのではない。気を引き締めなくては……やられてしまうことだろう。そう思っただけで、背筋が伸びたような気がした。

「ふふふっ、驚かせてしまったようね。けれど、千景がどのような立場になったとしても、祖母を訪ねてはいけない、ということはないのよ」
「……そうでしょうか」
「えぇ。罪人にならない限りは、ね」

 お祖母様の言葉に一瞬、胸に突き刺さるほどの衝撃を受けた。けれどここに来た目的を思い出し、私は意を決して尋ねた。

「お祖母様……それが私を呼び出した理由ですか?」

 昨夜のことについて話がしたい、と文に書いてあったのだから、間違ってはいないだろう。とりあえず、誰に聞いたのか、なぜ知っているのか。知った上でどうしたいのか、など聞きたいことは山ほどあった。

 けれどお祖母様は袖で口元を隠し、微笑むだけで、ほしい答えは得られなかった。代わりに別の答えを示してくれたのは、小式部尼である。

「千景様。ここは人の目が少ないとはいえ、そのようなお話は不用心過ぎませんか?」
「あっ……申し訳ありません。私が軽率でした」
「お気をつけなさい。あなたはいずれ入内して、女御になるのだから」
「えっ、でもそれは……」

 白紙になるのでは? と言いかけた瞬間、ハッとなった。また同じ過ちを犯すところだったと。

「まったく、あなたって子は。素直なのはいいことだけど、これでは先が思いやられるわね。さぁ、話は中に入ってからにしましょう」
「はい……」

 返す言葉も見当たらず、私は局へ入っていくお祖母様の後についていった。お祖母様が褒めてくださった、「素直」な態度と心で。