選ばれなかった冷遇妻は手紙一つ残して消えることにした

 夜遅く、二人が屋敷へ戻った頃には雨はすっかり弱まっていた。門をくぐると、灯された外灯の光が濡れた石畳に淡く映っている。

 突然姿を消していた当主が戻ったと知り、屋敷の中は慌ただしく人が集まり始めていた。玄関には執事をはじめ数人の使用人が並び、困惑した顔で頭を下げる。

 その中央に、朔弥は澪を伴って立った。

 今までとは違い、澪は彼の半歩後ろではなく、はっきりと隣にいた。
 濡れた外套を脱いだ朔弥は、ゆっくりと周囲を見渡す。

 広間の空気が張り詰めた。

 九条家の当主が、このように使用人全員を集めるのは珍しい。誰もが何か重大なことが起きたのだと察していた。

 やがて朔弥は、低くよく通る声で口を開いた。

「全員、よく聞け」

 それだけで場の空気が一層引き締まる。
 朔弥は隣に立つ澪へ一度だけ視線を向け、そして再び正面を見据えた。

「今までこの屋敷では、澪を離れに住まわせていた。屋敷の行事にもほとんど関わらせず、表にも出していない」

 使用人たちの視線が一斉に澪へ向く。
 朔弥は続けた。

「だが今日をもって、澪に対するこのような扱いは終わりだ

 広間がわずかにざわめく。
 朔弥は構わず言葉を続けた。

「この者は――澪は九条家の正当な伯爵夫人であり、俺の妻だ。今後は本邸に移り、屋敷のすべての場において当主夫人として扱う。俺が隣に立つのはこの人だけだ。社交の場も、公式の席も、すべてだ」

 使用人たちの表情が大きく変わる。
 中には驚きを隠せない者もいた。
 朔弥はさらに一歩踏み出した。

「そしてもう一つ言っておく」

 声がわずかに低くなる。

「澪を軽んじる言動は、九条家当主への侮辱と同じだとみなす。陰口も、軽視も、二度と許さないら、もし今後そのようなことがあれば、その者はこの屋敷から去ってもらう」

 朔弥はゆっくり澪の方へ顔を向ける。
 そのまま優しく手を取った。
 朔弥は再び全員を見渡し、静かに締めくくった。

「繰り返す。澪は九条家の伯爵夫人だ。今後は俺の隣に立つ。全員、そのつもりで仕えろ」