放課後の襲撃事件以降、神城の過保護ぶりは、もはや「溺愛」の域を超えていた。
登下校の車内では常に指を絡め、授業の合間の休み時間には必ず私の教室に現れるようになった。
彼が姿を見せない時間は、常に複数の強力な式神が私の影に潜んでいた。
しかし、それだけでは神城さんの守護は済まなかった。それは、ある日の授業中のことだった。
私が神城さんから貰った指輪を少しだけ外していたときのことだった。
「玲花。その指輪を今すぐに付けてくれ」
机に置いてたスマホに神城さんからそんなメッセージを受け取った。
別の階に居るはずなのに神城さんは私の動きを把握していた。
その時、ようやく神城さんが渡した指輪は私の動きを見るために送ったものだと知った。 しかも、指輪に嵌められた大粒の魔石は、私の居場所を秒単位で彼に伝えるだけでなく、私の魔力の波長――つまり、私の感情の揺れまでも彼に報告していた。
それを知った瞬間、私は少しだけ恐怖心を抱いた。
そして、彼の行動からも彼の守備が分かりやすく表れていた。
授業が終わってからの休み時間のたびに神城さんは教室へ現れるようになった。
数日前までは一緒に笑い合ったクラスメイトたちは、神城さんと彼の背後に控える屈強な警備員たちの威圧感に押され、今では昔のように遠巻きに私を見るだけになってしまった。
それに胸が苦しく、寂しい思いを抱き続けていた。
(折角、クラスメイトのみんなと仲良くできたのに...また、一人ぼっちになっちゃう!) そう思い、神城さんに伝える。
「神城さん……みんなが怖がっています。それに、そんなに警戒しなくても……」そこまで言いかける私の言葉を遮るように神城さんは呟く。
「いいや、足りないくらいだ。あの日の男の背後には、もっと巨大な組織がいるはずだ。玲花。君を『神子』として利用しようとする輩が」
そう言い神城さんは私の手を取り、指の節々に至るまで愛おしげに、それでいて逃走を許さない強さで絡める。 そんな神城さんの姿に私は言葉を失った。
(神城さんは...こんな人じゃないっ。もっと優しくて私を大事にしてくれてたのに!) でも、それと同時にあの時の今にも消え入りそうな声で震える弱々しい神城さんの姿が頭に浮かんだ。 (神城さんをここまで苦しめているのは...私。なら、耐えなくちゃ。神城さんのほうが苦しんでいるんだから) そもそも、私が事態の大きさを考えずに一人になったのが悪いのだ。
それにこんな生活も今だけできっとまた、昔の幸せが戻ってくるはず。
そう思い、神城さんにも言えずに心の中に気持ちを留めておいた。
あの事件以降、昼食は、常に窓のない生徒会特別室で食べることになった。
差し込む陽光さえ遮断されたその空間で、私は彼と二人きりで過ごす。
彼は自分の食事にはほとんど手を付けず、ただ私が食事を口に運ぶ様子を、異常なほどの熱を帯びた瞳で見つめ続けていた。
「玲花、君は何も考えなくていい。学園の連中も、外の喧騒も、君を傷つけるだけだ。俺の腕の中にだけいれば、君は永遠に純粋なままでいられる」
そう言う神城さんは正気を失ったかのような様子で、私は心配になる。
「神城さん、私……この力を使って、貴方を助けたいです。襲撃者の正体も、この力なら探れるかもしれないです」 実はあの事件以降、私の神子としての力は強まるばかりで歩くだけで枯れていたお花が元気に咲き誇り、その莫大な力に学園の生徒たちからも指摘される程だった。そんな今の自分なら神城さんの役に立てるかもしれないと思い私が勇気を振り絞ってそう告げた。
しかし、その瞬間。彼の瞳から温度が消えた。
「その力こそが、君を不幸にする元凶だ。玲花、君がその力を使おうとするたびに、敵は君の居場所を特定しやすくなる。……まだ、分かっていないのか。俺が求めているのは、神子じゃない。俺の側で静かに微笑む、ただの玲花なんだ」
彼は私の額に優しく唇を寄せた。その感触は冷たく、そして絶望的だった。
「でも、神城さんっ。私は.....」
そう言いかけた時に神城さんは私に冷たく告げた。
「玲花。暫くは学園を休ませる」
その言葉に私は固まる。
「えっ、学園を...どうしてですか!!」
今の私にとって学園は唯一の私の心の安らぎであった。
冬美が私の相談に乗ってくれて、少しの間、普通の女の子でいられる時間。
そんな私の時間を奪われる。それが嫌だった。
でも、神城さんは私の意見を聞かずに部屋を出ていった。
それから、私は学園を無期限で休まされることになった。
私は数日間、悲しみで部屋に籠もって泣き続けた。
そんな私を心配そうに凛さん達が見つめ、励ましてくれた。
そんな中、神城さんに連れて行かれたのは、神城家の広大な敷地の最奥にある、古びた、けれど堅牢な離れ。
そこには幾重にも重なる「聖域の結界」が張られ、外の世界の音一つも届かなかった。
「あの、神城さん...?」
私は恐怖で震えながら神城さんの様子を見守る。
神城さんはいつも通りの甘い笑みを浮かべるがそれは逆に怖さを感じた。
「ここなら安心だ。誰にも玲花を渡さない。……たとえ玲花が望んでも」
そう言って部屋を出ていく彼の背中を見送りながら、私は自分の心が、恐怖で満たされるのを感じた。
離れの生活も一週間が経ち、部屋の匂いにも慣れてしまった。神城さんが訪ねてくる時間だけが、私にとっての唯一の「外」だ。 それ以外の時間は、古い本の背表紙を眺めるか、冬美とのやり取りでスマホを震わせるだけ。
窓の外に広がる世界が遠のいていく感覚を、私は必死に読書と通信で繋ぎ止めていた。
静まり返ったある夜のことだ。神城さんが仕事で離れを空け、監視の目がふっと緩んだその隙を突くように、シーツの上で何かが震えた。持ち込みを禁じられ、ベッドの隙間に深く隠していたはずの古いスマートフォンだ。
冬美からの返信だろうか。期待を込めて画面を覗き込んだ私は、息を呑んだ。
液晶に浮かび上がっていたのは、妹の「薫」の名だった。
実家の鬼龍院家で、私を「無能」と蔑み、冷酷な言葉を浴びせ続けてきた妹。
恐怖と困惑に指を震わせながらも通話ボタンを押すと、鼓膜を貫いたのは、聞き間違いようのない切迫した悲鳴だった。
「……お姉ちゃん、助けて! 私、このままじゃ殺される……!」
耳をつんざくような悲鳴に、私の思考は白く染まった。
「薫!? どうしたの、何があったの!?」
受話器を握りしめ、必死に問い返す。
「お父様たちが、私を……玲花に負けた無能だって……。今、旧校舎の裏に隠れてるの。でも、もうすぐ、見つかっちゃう……」
掠れた声から、彼女の震えが伝わってくるようだった。心臓が早鐘を打ち鳴らす。心配で胸が苦しくなった。
どれほど蔑まれてきたとはいえ、薫は血を分けた唯一の妹なのだ。
「待ってて、今すぐ神城さんに連絡して助けてもらうから!」
一筋の希望に縋るように叫んだ私を、薫の鋭い声が遮った。
「ダメ!! 神城様にだけは言わないで!」
それは悲鳴というより、魂を削り出すような絶叫だった。
「……神城様に知られたら、きっと私は殺されるわ!お姉ちゃんを虐めてきた私を、彼は絶対に許さないって……! お願い、一人で来て。お姉ちゃんにしか、頼めないのっ……!」
「神城さんが、薫を殺す……?」
その言葉が、冷たい雫となって背筋を駆け抜けた。
近頃の神城さんの、常軌を逸した守護欲。
私を外界から隔離し、掌の中に閉じ込めようとするあの執着を思えば、それは決して絵空事ではない。
もし薫が私の居場所を暴こうとしたのなら、彼は慈悲もなくその芽を摘むだろう。
神城さんを信じるべきか、妹を救うべきか。
答えを出すより先に、私の指先が熱を帯びた。私は指先に意識を集中させる。
神城さんがこの離れに施した強固な結界――そのわずかな「隙」が、私の中に眠る神子の力に共鳴した。
彼は私を無力な存在として愛でようとした。
けれど、私をその過保護な鳥籠から解き放ったのは、彼が否定し続けた私自身の神子の力だった。
夜の闇が沈殿する旧校舎。
指定された場所に辿り着いたその瞬間、背筋を凍らせるような冷たい気配が立ち込めた。
「薫! どこにいるの――」
しかし、私の叫びは、最後まで形を成さなかった。振り返る間もなく、後頭部に凄まじい衝撃が走る。
熱い痛みに耐えきれず、私は足元から崩れ落ちる。
そして、私の意識は急速に濁った闇へと引きずり込まれていった。
「……本当にお人好しで、馬鹿ね。気持ち悪い」
薄れゆく視界の端で、バットを手に私を冷たく見下ろす薫の影が揺れた。
次に目を開けると、そこは実家・鬼龍院家の地下室だった。
カビ臭い空気と重苦しい沈黙。目の前には、電話であれほど怯えていたはずの薫が立っていた。
傷一つない完璧な姿で、嘲るような笑みを浮かべて。
薫の瞳には、姉を案じる色など微塵もなかった。そこに宿っているのは、底冷えするような軽蔑だけだった。
「薫……無事だったのね。よかった……」
激痛に視界を滲ませながらも、私は這いつくばったまま彼女へ手を伸ばそうとする。
しかし、返ってきたのは温もりではなく、肋骨に響く激しい衝撃だった。
「馬鹿なの?お姉ちゃん。電話の悲鳴を本気で信じたの?あれは全部、 アンタを神城様から引き離すためのただの演技なのに」
嘲笑う薫の後ろから、冷笑を浮かべたお父さんと継母が歩み寄る。
「よくやった、薫。……玲花、神子の力に目覚めたそうだな。戻ってきてくれて助かるよ」
お父さんの口角が歪に上がる。その手には、古の禁忌を象徴する呪具が握られていた。
禍々しい紋様が脈打つように光り、地下室の空気をどろりと濁らせていく。
「さあ、その力を一滴残らず我が鬼龍院家の栄光のために捧げてもらうぞ」
お父さんのその言葉に私は絶望し、目の前が暗くなった。
お父さんの声は、私を人間としてではなく、ただの「資産」として値踏みしていた。
「神城に渡すには、その力は惜しすぎる。玲花。お前の記憶を掃き溜めに捨ててやる。二度とあいつを思い出せぬようにな」
「そんな……嫌っ……!」
震える足で背を向け、暗がりの出口へとしがみつく。
けれど、逃げようともがく体は、薫と継母の冷たい手に無慈悲に押さえつけられた。
早く逃げなきゃ。そう思うのに、体は薫たちに押さえつけられ、冷たい鎖が自由を奪う。
神子の力を必死にかき集めても、鎖がそれを片端から吸い取って、ただの虚脱感だけが残った。
額に冷たい呪具の感触が走ったとき、私の世界は崩壊を始めた。
パチッ、パチッ。
大切な思い出が、燃える紙端のように崩れていく。
神城さんの優しい声。私を射抜いたあの美しい瞳。私のために流してくれた、あの血。
二人で過ごした、あの息苦しく窮屈な鳥籠の中の記憶も。
それらすべてが、どろどろとした泥水に塗りつぶされ、二度と手の届かない暗闇の底へと堕ちていった。
「やめて……お願い……」
記憶の断片が剥離し、真っ白な虚無へと塗りつぶされていく。
(ごめんなさい……神城さん)
心の中で最後の一片を抱きしめるように呟き、私は一筋の涙と共に深い闇へと沈んでいった。
どのくらいの時間が経っただろうか。
重い瞼を持ち上げると、そこには心配そうに私を覗き込む薫と両親の姿があった。
「あれ……私、何を……」
唇を震わせ問いかける。けれど、言葉を発した瞬間に胸を突いたのは、形容しがたい巨大な喪失感だった。
心の一部を強引に引き剥がされたような、埋めようのない空白。
そんな私の困惑を、薫が冷たく計算された微笑みで塗りつぶそうとする。
「お姉ちゃん。実はね……」
その時だった。
「――玲花!!」
鼓膜を震わせる怒号と共に、地下室の重厚な扉が凄まじい爆圧で粉砕された。
吹き荒れる煤煙と石礫の中、地獄から這い出した修羅の如き形相で現れたのは、神城竜馬だった。
彼の周囲には、もはや隠しきれない圧倒的な霊力が狂ったように渦巻き、大気を震わせている。
その瞳に宿る烈火のような怒りは、ここにあるすべてを焼き尽くさんばかりに猛っていた。
「玲花を……返せ!!」
一閃。父と薫が壁まで吹き飛ぶ。
煤煙を切り裂いて現れた神城竜馬は、ひざまずき、私をその腕に収めた。
私を抱きしめる彼の手は、見たこともないほど激しく震えていて、彼がどれほどの恐怖と焦燥の中にいたかを物語っていた。
だが、私には、その震えの意味が分からなかった。
「……あの、どちら様ですか……?」
困惑と共に発した言葉。彼はその私の言葉に目を見開いた。
(知らない。この顔も、この温もりも。)
ただ、家族に牙を剥くこの男から溢れる「暴力的なまでの力」が、震えるほどに恐ろしい。
「怖い……離してください。お父様、お母様、薫、助けて……っ」
私の唇から溢れた拒絶に、彼の動きが凍りついた。
その顔からあらゆる感情が抜け落ち、代わりに現れたのは、世界そのものを虚無へ叩き落とすような、暗く深い絶望の淵だった。
[side 神城]
離れに残してきたはずの、愛しい人の気配が消えた。
その事実に気づいた瞬間、私の視界は真っ赤に染まった。
あり得ない。俺と両親が施した結界を、玲花が自ら破れるはずがない。
――いや、分かっていたはずだ。彼女の中に眠る「神子」の力。
俺が愛し、そして彼女を縛り付けるために忌み嫌ったその力が、俺の指の間から彼女を連れ去ったのだ。
「……鬼龍院」
低く漏れた声は、自分でも驚くほど冷え切っていた。
行き先など、探るまでもない。あの腐り果てた実家が、甘言を弄して彼女を誘い出したに決まっている。
俺の「宝物」に触れた報いは、その命で支払わせる。
猛る衝動のままに鬼龍院の屋敷へ踏み込むと、地下からどす黒い呪詛の気配が漂ってきた。
玲花に、何をした。
その疑念が、俺の理性を完全に焼き切った。
「――玲花!!」
結界も、重厚な扉も、私の怒りの前では紙細工に等しい。爆圧と共に道を抉じ開け、煤煙の中に彼女の姿を探す。
そこには、煤けた床に這いつくばり、震える玲花がいた。
その背後で、下卑た笑みを浮かべる鬼龍院の面々。
「玲花を……返せ!!」
視界の端で動く有象無象を、手加減なしに弾き飛ばした。骨の砕ける痛々しい音がしたが、どうでもいい。
私は吸い寄せられるように彼女の元へ膝をつき、その細い肩を抱き寄せた。
「玲花、無事か……。すまない、すぐに見つけてやれなくて……」
腕の中の彼女は、あまりに細く、ひどく震えていた。
その体温を感じた瞬間、俺の胸を占めたのは安堵だった。
だが、それはあまりに独りよがりな救いだったのだと、直後の言葉に思い知らされることになる。
「……あの、どちら様ですか……?」
鼓膜に届いたのは、鈴の音のように清らかだった。しかし、その一言は、俺の心臓を凍りつかせ、粉々に打ち砕く言葉だった。
腕の中の玲花が、見たこともないほど怯えた瞳で俺を見上げている。
その瞳に、俺を愛した記憶の光は、欠片も残っていなかった。
「……え?」
声にならない吐息が漏れる。
「怖い……離してください。お父様、お母様、薫、助けて……っ」
彼女が助けを求めた先は、俺ではなく、彼女を傷つけたはずの「家族」だった。
俺の動きが止まる。
頭の芯が、じりじりと焼けるように熱い。
(……ああ、そうか。全部……俺のせいだ)
突きつけられた現実に、目の前が真っ暗になる。
俺が彼女を「守る」という名目で離れに閉じ込め、彼女の自由を奪い、選択を許さなかった。
俺の歪な愛が彼女を追い詰め、結果として、彼女は自分を救ってくれるはずの記憶さえも、防衛本能のように切り離してしまったのではないか。
(玲花……済まない。君の気持ちを聞いてやれなくて……)
心の中で、血を吐くような謝罪が繰り返される。
閉じ込めて、怖がらせて、君が本当に望んでいた「外の世界」や「家族との繋がり」を、俺は力ずくで遮断してしまった。
(お願いだ。次からは玲花の意見を聞く。ちゃんと玲花の言う通りにするから……だから、思い出してくれ。済まない。済まない……玲花)
俺を呼ぶあの優しく可愛らしい声。
俺を見つめる、熱を帯びたあの眼差し。
それらを奪ったのは、鬼龍院の呪具だけではない。俺の、行き過ぎた守護欲そのものだったのだ。
腕の中の玲花は、今もなお俺を拒絶し、震えている。
かつて「温かな檻」だと思っていた場所は、彼女にとってただの「息苦しい監獄」でしかなかったのかもしれない。
彼女を抱きしめる腕に力が入らない。
修羅の如き怒りはどこかへ消え失せ、あとに残ったのは、最愛の人を自らの手で壊してしまったという、救いようのない後悔だけだった。
登下校の車内では常に指を絡め、授業の合間の休み時間には必ず私の教室に現れるようになった。
彼が姿を見せない時間は、常に複数の強力な式神が私の影に潜んでいた。
しかし、それだけでは神城さんの守護は済まなかった。それは、ある日の授業中のことだった。
私が神城さんから貰った指輪を少しだけ外していたときのことだった。
「玲花。その指輪を今すぐに付けてくれ」
机に置いてたスマホに神城さんからそんなメッセージを受け取った。
別の階に居るはずなのに神城さんは私の動きを把握していた。
その時、ようやく神城さんが渡した指輪は私の動きを見るために送ったものだと知った。 しかも、指輪に嵌められた大粒の魔石は、私の居場所を秒単位で彼に伝えるだけでなく、私の魔力の波長――つまり、私の感情の揺れまでも彼に報告していた。
それを知った瞬間、私は少しだけ恐怖心を抱いた。
そして、彼の行動からも彼の守備が分かりやすく表れていた。
授業が終わってからの休み時間のたびに神城さんは教室へ現れるようになった。
数日前までは一緒に笑い合ったクラスメイトたちは、神城さんと彼の背後に控える屈強な警備員たちの威圧感に押され、今では昔のように遠巻きに私を見るだけになってしまった。
それに胸が苦しく、寂しい思いを抱き続けていた。
(折角、クラスメイトのみんなと仲良くできたのに...また、一人ぼっちになっちゃう!) そう思い、神城さんに伝える。
「神城さん……みんなが怖がっています。それに、そんなに警戒しなくても……」そこまで言いかける私の言葉を遮るように神城さんは呟く。
「いいや、足りないくらいだ。あの日の男の背後には、もっと巨大な組織がいるはずだ。玲花。君を『神子』として利用しようとする輩が」
そう言い神城さんは私の手を取り、指の節々に至るまで愛おしげに、それでいて逃走を許さない強さで絡める。 そんな神城さんの姿に私は言葉を失った。
(神城さんは...こんな人じゃないっ。もっと優しくて私を大事にしてくれてたのに!) でも、それと同時にあの時の今にも消え入りそうな声で震える弱々しい神城さんの姿が頭に浮かんだ。 (神城さんをここまで苦しめているのは...私。なら、耐えなくちゃ。神城さんのほうが苦しんでいるんだから) そもそも、私が事態の大きさを考えずに一人になったのが悪いのだ。
それにこんな生活も今だけできっとまた、昔の幸せが戻ってくるはず。
そう思い、神城さんにも言えずに心の中に気持ちを留めておいた。
あの事件以降、昼食は、常に窓のない生徒会特別室で食べることになった。
差し込む陽光さえ遮断されたその空間で、私は彼と二人きりで過ごす。
彼は自分の食事にはほとんど手を付けず、ただ私が食事を口に運ぶ様子を、異常なほどの熱を帯びた瞳で見つめ続けていた。
「玲花、君は何も考えなくていい。学園の連中も、外の喧騒も、君を傷つけるだけだ。俺の腕の中にだけいれば、君は永遠に純粋なままでいられる」
そう言う神城さんは正気を失ったかのような様子で、私は心配になる。
「神城さん、私……この力を使って、貴方を助けたいです。襲撃者の正体も、この力なら探れるかもしれないです」 実はあの事件以降、私の神子としての力は強まるばかりで歩くだけで枯れていたお花が元気に咲き誇り、その莫大な力に学園の生徒たちからも指摘される程だった。そんな今の自分なら神城さんの役に立てるかもしれないと思い私が勇気を振り絞ってそう告げた。
しかし、その瞬間。彼の瞳から温度が消えた。
「その力こそが、君を不幸にする元凶だ。玲花、君がその力を使おうとするたびに、敵は君の居場所を特定しやすくなる。……まだ、分かっていないのか。俺が求めているのは、神子じゃない。俺の側で静かに微笑む、ただの玲花なんだ」
彼は私の額に優しく唇を寄せた。その感触は冷たく、そして絶望的だった。
「でも、神城さんっ。私は.....」
そう言いかけた時に神城さんは私に冷たく告げた。
「玲花。暫くは学園を休ませる」
その言葉に私は固まる。
「えっ、学園を...どうしてですか!!」
今の私にとって学園は唯一の私の心の安らぎであった。
冬美が私の相談に乗ってくれて、少しの間、普通の女の子でいられる時間。
そんな私の時間を奪われる。それが嫌だった。
でも、神城さんは私の意見を聞かずに部屋を出ていった。
それから、私は学園を無期限で休まされることになった。
私は数日間、悲しみで部屋に籠もって泣き続けた。
そんな私を心配そうに凛さん達が見つめ、励ましてくれた。
そんな中、神城さんに連れて行かれたのは、神城家の広大な敷地の最奥にある、古びた、けれど堅牢な離れ。
そこには幾重にも重なる「聖域の結界」が張られ、外の世界の音一つも届かなかった。
「あの、神城さん...?」
私は恐怖で震えながら神城さんの様子を見守る。
神城さんはいつも通りの甘い笑みを浮かべるがそれは逆に怖さを感じた。
「ここなら安心だ。誰にも玲花を渡さない。……たとえ玲花が望んでも」
そう言って部屋を出ていく彼の背中を見送りながら、私は自分の心が、恐怖で満たされるのを感じた。
離れの生活も一週間が経ち、部屋の匂いにも慣れてしまった。神城さんが訪ねてくる時間だけが、私にとっての唯一の「外」だ。 それ以外の時間は、古い本の背表紙を眺めるか、冬美とのやり取りでスマホを震わせるだけ。
窓の外に広がる世界が遠のいていく感覚を、私は必死に読書と通信で繋ぎ止めていた。
静まり返ったある夜のことだ。神城さんが仕事で離れを空け、監視の目がふっと緩んだその隙を突くように、シーツの上で何かが震えた。持ち込みを禁じられ、ベッドの隙間に深く隠していたはずの古いスマートフォンだ。
冬美からの返信だろうか。期待を込めて画面を覗き込んだ私は、息を呑んだ。
液晶に浮かび上がっていたのは、妹の「薫」の名だった。
実家の鬼龍院家で、私を「無能」と蔑み、冷酷な言葉を浴びせ続けてきた妹。
恐怖と困惑に指を震わせながらも通話ボタンを押すと、鼓膜を貫いたのは、聞き間違いようのない切迫した悲鳴だった。
「……お姉ちゃん、助けて! 私、このままじゃ殺される……!」
耳をつんざくような悲鳴に、私の思考は白く染まった。
「薫!? どうしたの、何があったの!?」
受話器を握りしめ、必死に問い返す。
「お父様たちが、私を……玲花に負けた無能だって……。今、旧校舎の裏に隠れてるの。でも、もうすぐ、見つかっちゃう……」
掠れた声から、彼女の震えが伝わってくるようだった。心臓が早鐘を打ち鳴らす。心配で胸が苦しくなった。
どれほど蔑まれてきたとはいえ、薫は血を分けた唯一の妹なのだ。
「待ってて、今すぐ神城さんに連絡して助けてもらうから!」
一筋の希望に縋るように叫んだ私を、薫の鋭い声が遮った。
「ダメ!! 神城様にだけは言わないで!」
それは悲鳴というより、魂を削り出すような絶叫だった。
「……神城様に知られたら、きっと私は殺されるわ!お姉ちゃんを虐めてきた私を、彼は絶対に許さないって……! お願い、一人で来て。お姉ちゃんにしか、頼めないのっ……!」
「神城さんが、薫を殺す……?」
その言葉が、冷たい雫となって背筋を駆け抜けた。
近頃の神城さんの、常軌を逸した守護欲。
私を外界から隔離し、掌の中に閉じ込めようとするあの執着を思えば、それは決して絵空事ではない。
もし薫が私の居場所を暴こうとしたのなら、彼は慈悲もなくその芽を摘むだろう。
神城さんを信じるべきか、妹を救うべきか。
答えを出すより先に、私の指先が熱を帯びた。私は指先に意識を集中させる。
神城さんがこの離れに施した強固な結界――そのわずかな「隙」が、私の中に眠る神子の力に共鳴した。
彼は私を無力な存在として愛でようとした。
けれど、私をその過保護な鳥籠から解き放ったのは、彼が否定し続けた私自身の神子の力だった。
夜の闇が沈殿する旧校舎。
指定された場所に辿り着いたその瞬間、背筋を凍らせるような冷たい気配が立ち込めた。
「薫! どこにいるの――」
しかし、私の叫びは、最後まで形を成さなかった。振り返る間もなく、後頭部に凄まじい衝撃が走る。
熱い痛みに耐えきれず、私は足元から崩れ落ちる。
そして、私の意識は急速に濁った闇へと引きずり込まれていった。
「……本当にお人好しで、馬鹿ね。気持ち悪い」
薄れゆく視界の端で、バットを手に私を冷たく見下ろす薫の影が揺れた。
次に目を開けると、そこは実家・鬼龍院家の地下室だった。
カビ臭い空気と重苦しい沈黙。目の前には、電話であれほど怯えていたはずの薫が立っていた。
傷一つない完璧な姿で、嘲るような笑みを浮かべて。
薫の瞳には、姉を案じる色など微塵もなかった。そこに宿っているのは、底冷えするような軽蔑だけだった。
「薫……無事だったのね。よかった……」
激痛に視界を滲ませながらも、私は這いつくばったまま彼女へ手を伸ばそうとする。
しかし、返ってきたのは温もりではなく、肋骨に響く激しい衝撃だった。
「馬鹿なの?お姉ちゃん。電話の悲鳴を本気で信じたの?あれは全部、 アンタを神城様から引き離すためのただの演技なのに」
嘲笑う薫の後ろから、冷笑を浮かべたお父さんと継母が歩み寄る。
「よくやった、薫。……玲花、神子の力に目覚めたそうだな。戻ってきてくれて助かるよ」
お父さんの口角が歪に上がる。その手には、古の禁忌を象徴する呪具が握られていた。
禍々しい紋様が脈打つように光り、地下室の空気をどろりと濁らせていく。
「さあ、その力を一滴残らず我が鬼龍院家の栄光のために捧げてもらうぞ」
お父さんのその言葉に私は絶望し、目の前が暗くなった。
お父さんの声は、私を人間としてではなく、ただの「資産」として値踏みしていた。
「神城に渡すには、その力は惜しすぎる。玲花。お前の記憶を掃き溜めに捨ててやる。二度とあいつを思い出せぬようにな」
「そんな……嫌っ……!」
震える足で背を向け、暗がりの出口へとしがみつく。
けれど、逃げようともがく体は、薫と継母の冷たい手に無慈悲に押さえつけられた。
早く逃げなきゃ。そう思うのに、体は薫たちに押さえつけられ、冷たい鎖が自由を奪う。
神子の力を必死にかき集めても、鎖がそれを片端から吸い取って、ただの虚脱感だけが残った。
額に冷たい呪具の感触が走ったとき、私の世界は崩壊を始めた。
パチッ、パチッ。
大切な思い出が、燃える紙端のように崩れていく。
神城さんの優しい声。私を射抜いたあの美しい瞳。私のために流してくれた、あの血。
二人で過ごした、あの息苦しく窮屈な鳥籠の中の記憶も。
それらすべてが、どろどろとした泥水に塗りつぶされ、二度と手の届かない暗闇の底へと堕ちていった。
「やめて……お願い……」
記憶の断片が剥離し、真っ白な虚無へと塗りつぶされていく。
(ごめんなさい……神城さん)
心の中で最後の一片を抱きしめるように呟き、私は一筋の涙と共に深い闇へと沈んでいった。
どのくらいの時間が経っただろうか。
重い瞼を持ち上げると、そこには心配そうに私を覗き込む薫と両親の姿があった。
「あれ……私、何を……」
唇を震わせ問いかける。けれど、言葉を発した瞬間に胸を突いたのは、形容しがたい巨大な喪失感だった。
心の一部を強引に引き剥がされたような、埋めようのない空白。
そんな私の困惑を、薫が冷たく計算された微笑みで塗りつぶそうとする。
「お姉ちゃん。実はね……」
その時だった。
「――玲花!!」
鼓膜を震わせる怒号と共に、地下室の重厚な扉が凄まじい爆圧で粉砕された。
吹き荒れる煤煙と石礫の中、地獄から這い出した修羅の如き形相で現れたのは、神城竜馬だった。
彼の周囲には、もはや隠しきれない圧倒的な霊力が狂ったように渦巻き、大気を震わせている。
その瞳に宿る烈火のような怒りは、ここにあるすべてを焼き尽くさんばかりに猛っていた。
「玲花を……返せ!!」
一閃。父と薫が壁まで吹き飛ぶ。
煤煙を切り裂いて現れた神城竜馬は、ひざまずき、私をその腕に収めた。
私を抱きしめる彼の手は、見たこともないほど激しく震えていて、彼がどれほどの恐怖と焦燥の中にいたかを物語っていた。
だが、私には、その震えの意味が分からなかった。
「……あの、どちら様ですか……?」
困惑と共に発した言葉。彼はその私の言葉に目を見開いた。
(知らない。この顔も、この温もりも。)
ただ、家族に牙を剥くこの男から溢れる「暴力的なまでの力」が、震えるほどに恐ろしい。
「怖い……離してください。お父様、お母様、薫、助けて……っ」
私の唇から溢れた拒絶に、彼の動きが凍りついた。
その顔からあらゆる感情が抜け落ち、代わりに現れたのは、世界そのものを虚無へ叩き落とすような、暗く深い絶望の淵だった。
[side 神城]
離れに残してきたはずの、愛しい人の気配が消えた。
その事実に気づいた瞬間、私の視界は真っ赤に染まった。
あり得ない。俺と両親が施した結界を、玲花が自ら破れるはずがない。
――いや、分かっていたはずだ。彼女の中に眠る「神子」の力。
俺が愛し、そして彼女を縛り付けるために忌み嫌ったその力が、俺の指の間から彼女を連れ去ったのだ。
「……鬼龍院」
低く漏れた声は、自分でも驚くほど冷え切っていた。
行き先など、探るまでもない。あの腐り果てた実家が、甘言を弄して彼女を誘い出したに決まっている。
俺の「宝物」に触れた報いは、その命で支払わせる。
猛る衝動のままに鬼龍院の屋敷へ踏み込むと、地下からどす黒い呪詛の気配が漂ってきた。
玲花に、何をした。
その疑念が、俺の理性を完全に焼き切った。
「――玲花!!」
結界も、重厚な扉も、私の怒りの前では紙細工に等しい。爆圧と共に道を抉じ開け、煤煙の中に彼女の姿を探す。
そこには、煤けた床に這いつくばり、震える玲花がいた。
その背後で、下卑た笑みを浮かべる鬼龍院の面々。
「玲花を……返せ!!」
視界の端で動く有象無象を、手加減なしに弾き飛ばした。骨の砕ける痛々しい音がしたが、どうでもいい。
私は吸い寄せられるように彼女の元へ膝をつき、その細い肩を抱き寄せた。
「玲花、無事か……。すまない、すぐに見つけてやれなくて……」
腕の中の彼女は、あまりに細く、ひどく震えていた。
その体温を感じた瞬間、俺の胸を占めたのは安堵だった。
だが、それはあまりに独りよがりな救いだったのだと、直後の言葉に思い知らされることになる。
「……あの、どちら様ですか……?」
鼓膜に届いたのは、鈴の音のように清らかだった。しかし、その一言は、俺の心臓を凍りつかせ、粉々に打ち砕く言葉だった。
腕の中の玲花が、見たこともないほど怯えた瞳で俺を見上げている。
その瞳に、俺を愛した記憶の光は、欠片も残っていなかった。
「……え?」
声にならない吐息が漏れる。
「怖い……離してください。お父様、お母様、薫、助けて……っ」
彼女が助けを求めた先は、俺ではなく、彼女を傷つけたはずの「家族」だった。
俺の動きが止まる。
頭の芯が、じりじりと焼けるように熱い。
(……ああ、そうか。全部……俺のせいだ)
突きつけられた現実に、目の前が真っ暗になる。
俺が彼女を「守る」という名目で離れに閉じ込め、彼女の自由を奪い、選択を許さなかった。
俺の歪な愛が彼女を追い詰め、結果として、彼女は自分を救ってくれるはずの記憶さえも、防衛本能のように切り離してしまったのではないか。
(玲花……済まない。君の気持ちを聞いてやれなくて……)
心の中で、血を吐くような謝罪が繰り返される。
閉じ込めて、怖がらせて、君が本当に望んでいた「外の世界」や「家族との繋がり」を、俺は力ずくで遮断してしまった。
(お願いだ。次からは玲花の意見を聞く。ちゃんと玲花の言う通りにするから……だから、思い出してくれ。済まない。済まない……玲花)
俺を呼ぶあの優しく可愛らしい声。
俺を見つめる、熱を帯びたあの眼差し。
それらを奪ったのは、鬼龍院の呪具だけではない。俺の、行き過ぎた守護欲そのものだったのだ。
腕の中の玲花は、今もなお俺を拒絶し、震えている。
かつて「温かな檻」だと思っていた場所は、彼女にとってただの「息苦しい監獄」でしかなかったのかもしれない。
彼女を抱きしめる腕に力が入らない。
修羅の如き怒りはどこかへ消え失せ、あとに残ったのは、最愛の人を自らの手で壊してしまったという、救いようのない後悔だけだった。

