無能の鬼姫〜温かな絆、忍び寄る鬼の因縁〜

「クラス別対抗・実力テスト」で見せたあの快進撃から、早いもので数日が過ぎた。
今日のCクラスの教室は、朝からどこか浮足立った空気に包まれていた。                                       談笑する声はいつもより一段と高く、弾むような熱気が充満していた。
クラスメイトたちの胸を高鳴らせているもの。それは、目前に迫ったエトワール学園最大の祭典「星華祭(せいかさい)」の足音だ。
一年に一度、文化祭の華やかさと体育祭の情熱が一つに溶け合う、エトワール学園で最も熱い一大イベント。                その幕開けを予感して、誰もが昂心を隠しきれずにいた。
校内は今、星華祭に向けた準備期間の真っ只中にある。                                                      あちこちで企画案を練る活気ある声が響き、誰もが祭典への期待を膨らませていた。
今はちょうど「総合」の時間。私たちのクラスでも文化祭の出し物について話し合おうとしていた、その時だった。
私は突然の呼び出しを受け、ひとり学園長室へと急いでいた。廊下を渡る足音が、妙に静まり返った校舎に響く。
重厚な扉を開け、中へ足を踏み入れる。するとそこには、デスクの向こうで険しい表情を浮かべる学園長の姿があった。        その傍らには、私の担任だけでなく、AクラスとBクラスの担任までもが顔を揃えている。
室内に漂うただならぬ緊張感に、私は思わず息を呑んだ。
「あの……何かありましたでしょうか?」
不穏な顔ぶれを前に、私は「何か粗相をしてしまったのでは」という不安に駆られ、おずおずと問いかけた。
しかし、返ってきたのは予想外の反応だった。学園長はそれまでの険しさを消し、柔らかな微笑を私に向けて言葉を紡ぐ。
「玲花様。先日の実力テスト、実に見事でした。万年最下位とまで言われたCクラスを、鮮やかな逆転劇で首位へと導いた貴女の手腕……。もはや学園の至宝と呼んでも過言ではありません」
「……そのように仰っていただけて、光栄です」
どうやら、呼び出しの理由は先日のテストの結果についてだったらしい。                               身に覚えのない叱責を覚悟していた私は、胸をなで下ろし、静かに安堵の息をついた。
「お話というのは、その件でしょうか?」
私が確認するように尋ねると、学園長は「いや、本題はこれからだ」と表情を引き締め、私に空いている席へ座るよう促した。
その言葉に従い、私が腰を下ろしたのを見届けてから、学園長は静かに、そして重々しく口を開いた。
「そこで提案なんだがね。君ほどの才覚がCクラスに留まっているのは、学園にとって大きな損失だ。そこで、君の『Aクラス』への編入を正式に許可しよう。最高峰の設備、そして君に見合う優秀な学友たちが待っている。……どうかな?」
Aクラスへの編入。それはこの学園に集う生徒たちにとって、喉から手が出るほど欲しがる特権だ。                   Cクラスの生徒であれば、二つ返事で飛びつくような破格の提案に違いない。
けれど、私の答えは最初から決まっていた。
「お言葉ですが、学園長。私はCクラスのままで構いません」
「なっ……だ、だが、環境も待遇もAクラスの方が遥かに良いのだよ?」
思いもよらぬ拒絶に、学園長は困惑を隠せない様子で狼狽えた。彼だけではない。                                その場にいた教師たちも、信じられないものを見るかのように目を見開き、固まっている。
誰もが、私が歓喜して頷くものだと確信していたのだろう。確かにAクラスへの切符を手にできるのは、この上なく輝かしい名誉。   普通なら、断る理由などどこにもないのだから。
けれど、私にはどうしてもCクラスに留まりたい理由があった。
「確かに、Aクラスへの編入は素晴らしい名誉かもしれません。でも、私は今のクラスが、今の仲間たちが大好きなんです。共に泥にまみれ、歯を食いしばって這い上がってきたあの子たちがいます。……私は『Aクラスの玲花』ではなく、『Cクラスの玲花』として、この学園で学びたいのです」
迷いのない、きっぱりとした拒絶。                                               学園長は驚いたように目を見開いたが、やがて「……君らしいな」と、どこか潔さを感じさせる小さな笑みを漏らした。
そうして私は、背中を押されるようにして学園長室を後にした。
教室に戻ると、冬美たちが真っ先に駆け寄ってくる。                                         「何の呼び出しだったの?」と心配そうに顔を覗き込まれ、私は少しだけ躊躇ったものの、ありのままの経緯を打ち明けた。
話を聞き終えた瞬間、冬美たちの瞳から大粒の涙が溢れ出した。
「玲花ちゃん……! 私たちのためにAクラスの誘いを断るなんて。そんなの、嬉しすぎるよ……! でも、本当に、本当にそれで良かったの?」
震える声で問いかける冬美。その不安を打ち消すように、私は少しの迷いもなく、力強く答えた。
「もちろん! だってここには冬美もいて、みんなもいる。私はみんなと一緒に勉強したいの。それに、みんなといる時間が何より楽しいから」
一点の曇りもない私の言葉に、教室は一瞬の静寂のあと、温かな熱狂に包まれた。
「玲花ちゃん……ありがとう! よし、みんな! 私たちも玲花ちゃんに負けないくらい頑張るぞーっ!!」
冬美の弾んだ呼びかけに、クラスメイトたちが「おーっ!!」と地響きのような快哉で応える。                                  その光景はあまりに微笑ましく、私は溢れる笑みを堪えきれずに、指揮を執るべく声を張り上げた。
「じゃあ、みんな! 星華祭の準備、始めましょう」
私の言葉に力強く頷き、皆がそれぞれの席へと戻っていく。高揚感はそのままに、議題はいよいよ文化祭の「出し物」へと移った。
私は教壇の前に立ち、チョークを手に一人ひとりの意見に耳を傾けていく。
活発に意見が飛び交う中、冬美が勢いよく手を挙げ、瞳を輝かせながら語り始めた。
「ねぇ、みんな。今年は思い切って、どこよりもお洒落な『コンセプト・ボタニカルカフェ』にしない?」
冬美が手元のタブレットを掲げ、海外のテラスカフェの写真をスライドさせた。                          画面に映し出されたのは、溢れんばかりの緑と洗練された調度品が調和する、静謐で美しい空間。
その圧倒的なセンスに、私だけでなくクラスメイト全員が心を射抜かれた。
「……これだ!」「絶対にお洒落だよ!」
教室中から感嘆の声が上がり、出し物は満場一致で決定した。
自分の提案が受け入れられたことが誇らしいのか、冬美はどこか自慢げに胸を張っている。                     そんな彼女の得意げな表情を「かわいいな」と微笑ましく眺めながら、私は手元のプリントにあるメモ欄へ、力強く書き込んだ。
『出し物:コンセプト・ボタニカルカフェ』
「よし! みなさん、星華祭にふさわしい、最高に洗練された場所を作り上げましょう!」
私の宣言に、教室は地響きのような気勢に包まれた。
「おぉーー!!」
その瑞々しい歓声は、輝かしい祭典の幕開けを告げるファンファーレのように響き渡った。
「そうか、玲花のクラスはカフェに決まったのか。しかもただのカフェではなく、『コンセプト・ボタニカルカフェ』とは」
「はい! 冬美が提案してくれて……。絶対に素敵な空間にしようって、みんなで張り切っているんです!」
帰宅後、私は神城さんに今日決まったばかりの企画を報告していた。
エトワール学園最大のイベントを前に、抑えきれない高揚感が言葉の端々にまで溢れ出す。                    私は目を輝かせ、身振り手振りを交えながら、自分たちのクラスがいかに素晴らしいものを作り上げようとしているかを熱心に語り続けた。
「そうか。玲花がそんなに楽しそうなら、何よりだ。俺も自分の係が一段落したら、玲花のクラスの店へ足を運ぶよ」
「えっ! 本当ですか!?」
「ああ。玲花が働く姿も、見てみたいからな」
相変わらず、そんな気恥ずかしい台詞をさらりと言ってのける神城さん。                            私は一気に顔を赤く染めながらも、彼が来てくれるという喜びに胸を高鳴らせた。
「そういえば、神城さんのクラスは何をするんですか?」
「謎解き脱出ゲームだとか言っていたが……正直、詳しいことは把握していないんだ」
「そうなんですか。でも、すごく楽しそうですね!」
「そうか? 謎を解いて外に出るだけだが……まあ、玲花がそう言うのなら楽しいものなんだろうな」
神城さんはどこか他人事のように首を傾げたけれど、私は身を乗り出して続けた。
「私も、もし時間があったら神城さんと一緒に、その謎解き脱出ゲームに挑戦したいです!」
私の言葉に、神城さんは「えっ」と虚を突かれたような顔をした。
何か、おかしなことでも言ってしまっただろうか。意外なほど素直に驚く彼を前に、私は不思議に思って小首を傾げた。
「本当に、俺と一緒に行ってくれるのか?」
「はい。もちろん、時間に余裕があればの話ですけれど……」
「よし、分かった。ならば俺も、脱出ゲーム作りを本気で頑張るとしよう」
先ほどまでの淡白な態度が嘘のように、神城さんの瞳に熱い意欲が宿る。
(……これで、良かったのかな?)
急なやる気の沸騰に少しだけ戸惑いながらも、私は「神城さんと一緒に遊べるかもしれない」という楽しみを胸に、明日から考えるカフェのメニュー案に思いを馳せるのだった。
翌日。
教室では、各自が持ち寄ったメニュー案を広げ、選定会議が始まった。
名門校ゆえの潤沢な予算は、私たちの想像力をどこまでも後押ししてくれる。                          コストの心配をすることなく、趣向を凝らした料理や色鮮やかなデザート、香り高い飲み物たちが次々と採用されていった。
大まかなお品書きが決まると、準備は一気に加速する。
カフェの顔となる看板のデザイン、空間を彩る植物の配置、細かな装飾の工面……。                       クラスメイトたちはそれぞれの役割に没頭し、黙々と、けれど楽しげに作業を進めていった。
数日が経ち、教室は劇的な変貌を遂げていた。
運び込まれたアンティーク調の家具が重厚な空気を醸し出し、温室から借り受けた瑞々しい観葉植物たちが、教室内を深い緑の静寂で満たしていく。
メニュー開発を担当した私は、エディブルフラワーを浮かべた宝石のようなハーブティーや、彩り豊かなオープンサンドを考案した。
理想のカフェが形を成していくたび、私たちはその美しさに心を打たれ、手応えを感じていた。
けれど、高揚感に包まれた私たちの様子を、苦々しく、忌々しげに遠巻きに眺める視線があることに、この時の私たちはまだ気づく由もなかった。

[side: 薫]
お姉ちゃんが「神子」として覚醒してからというもの、私の居場所は日に日に狭くなっている。
これまでは名実ともに「無能」の烙印を押されていたお姉様。                                 けれど、その力に目覚めた瞬間から、彼女を取り巻く人々の流れは一変した。
追い打ちをかけるように、あの定期テスト。万年最下位のCクラスであるお姉ちゃんが、事もあろうに学年一位の座を奪い取ったことで、鬼龍院の本家は色めき立った。あれほどお姉ちゃんを蔑んでいた者たちが、手のひらを返したように「鬼龍院の至宝」として彼女を呼び戻そうと躍起になっている。
それだけでも虫唾が走るというのに、事態はさらに最悪な方向へと転がった。
お姉ちゃんの指導によって、落ちこぼれの溜まり場だったCクラスが「クラス別対抗・実力テスト」で異常なまでの躍進を見せたのだ。万年最優秀を誇る私たちAクラスに大差をつけての勝利。その衝撃は学園内だけに留まらず、すぐさま鬼龍院の家中にまで知れ渡った。
今までお姉ちゃんの存在など歯牙にもかけなかった者たちが、一斉に媚びへつらい、賞賛の眼差しを向け始めている。                その光景を見るたび、私の内側でどろりとした黒い感情が渦を巻くのだった。
今や、お姉ちゃんはエトワール学園きっての秀才であり、稀代の有能者であるとまで持て囃されている。
対照的に、私の評価は失墜した。「あの無能に負けた妹」として囁かれ、影では「立場が逆転したのではないか」という無責任な言葉まで投げつけられる始末。鬼龍院家の大人たちでさえ、私には目もくれず「一刻も早く玲花を連れ戻せ」と急き立てるばかり。
お姉ちゃんの下に甘んじるなど、あってはならない。そんなこと、口が裂けても認めたくない。
けれど、このままでは私はただの敗北者として、この屈辱に耐え続けることになってしまう。
そんな泥濘のような思考の中で、ふと一つの案が頭をもたげた。
「……そうだわ。あのCクラスの出し物を、めちゃくちゃに壊してしまいましょう」
私は即座に行動に移した。Cクラスの躍進に煮え湯を飲まされ、彼らを恨んでいるAクラスとBクラスの生徒数名を呼び集める。    そして、あの無能共が教室を空けている隙を見計らい、丹精込めて作り上げられた空間を蹂躙し始めた。
無残に崩れ去っていく装飾や植物。                                                               その光景を眺めながら、私はお姉ちゃんが浮かべるであろう悲痛な絶望顔を想像し、歪んだ悦びに胸を昂ぶらせるのだった。


いよいよ準備期間も最終日を迎え、私は期待を抑えきれずに、いつもより数段早い足取りで登校した。
朝日を浴びて輝く、あのみんなで作り上げた最高のカフェ。                                  その完成をこの目に焼き付けようと、高鳴る胸を押さえて教室の扉を開ける。
しかし、目に飛び込んできたのは、昨日までの輝きを無残に失った地獄のような光景だった。
そこには、泣き崩れるクラスメイトたちと、変わり果てたカフェの姿があった。
丹精込めて育てた花々は無慈悲に引きちぎられて床に散らばり、純白だったレースのテーブルクロスには、禍々しい墨汁が容赦なくぶちまけられている。そして壁には、見る者の心を抉るような冷酷な言葉が書き殴られていた。
『無能は、一生泥をすすっていろ』
「えっ……嘘、どうして、こんなことに……」
絶望のあまり、絞り出したような声が漏れる。目の前の惨状が信じられず、視界がぐにゃりと歪んだ。
私の震える声に気づいたのか、俯いていた冬美がゆっくりと顔を上げ、涙に濡れた瞳でポツリポツリと語り始めた。
「私も、今さっき教室に着いて……でも、開けたら、カフェが……あんなに皆で頑張ったのに……っ」
冬美は溢れ出す涙を拭うこともできず、途切れ途切れの声で惨状を伝えてくれた。
呆然と立ち尽くすクラスメイトたちの元へ歩み寄ると、誰もが魂を抜かれたような顔で、ただ一点を見つめて立ち尽くしている。   やり場のない悲しみが教室中に伝染し、静かなすすり泣きが虚しく響き渡っていた。
無理もない。私たちは何日も前から、寝食を忘れるほどの情熱を注ぎ、この場所を作り上げてきたのだ。               本当なら今日、完成したカフェの姿を皆で称え合い、最高の笑顔で喜びを分かち合っているはずだった。
私たちの努力の結晶を、これほどまでに無残に踏みにじり、嘲笑うような真似をする。
「……許せない」
どろりとした黒い感情が、私の心の奥底を支配しようとする。けれど、私は奥歯を噛み締め、その衝動を力ずくで抑え込んだ。   今、最優先すべきは犯人探しでも、ましてや報復でもない。この絶望の淵から、どうやって立ち上がるかだ。
私は膝をつき、床に無惨に散らばった、可哀想な花弁をそっと掌で拾い上げた。
「みんな、顔を上げてください。泣くのはまだ早いです。壊されてしまったのなら、この惨状すらも演出に変えてしまいましょう」
「えっ……えんしゅつ、に……?」
涙に濡れた瞳で困惑するクラスメイトたちへ、私は力強く、新たな提案を打ち出した。
「そうです! この墨汁の汚れは、上から金色の塗料で丁寧に縁取りましょう。そうすれば、アートなモダン柄に見えるはずです。引きちぎられた花は、押し花にしてメニュー表に添えましょう。『傷ついてもなお、美しく咲き誇る』――そんな、力強くも気高いコンセプトに切り替えるんです!」
私の言葉は、静まり返った教室に波紋のように広がった。                                   絶望に打ちひしがれ、光を失っていたクラスメイトたちの瞳に、再び情熱の火が灯っていくのが分かった。
「ああ、そうだ! まだ、何も終わってなんかいない!」
「私たちの精一杯を、見せつけてやりましょう!」
一人、また一人と力強く立ち上がる。クラスメイトたちの心に、絶望を焼き払うほどの熱い火が灯った。              確信を得た私は、不敵な笑みを浮かべて告げる。
「さあ、始めましょう。私たちの、華麗なる復讐を」
その言葉に、皆が頼もしい笑みを返し、一斉に作業へと取り掛かった。
私は冬美に的確な指示を出し、不足している資材の買い出しへと走る。必要な材料を揃え、息を切らして教室へと舞い戻った。
扉を開けると、そこには黙々と、けれど確かな熱量を持って作業に没頭するクラスメイトたちの背中があった。           かつての惨状を飲み込み、より力強く、より美しく生まれ変わろうとしているカフェの胎動が聞こえる。
私はその光景を誇らしく見つめながら、鋭く指示を飛ばし、崩れ落ちた夢を一から、より高みへと組み上げていった。
そこからは、時計の針を忘れるほどの過酷な徹夜作業が始まった。
深夜の静まり返った校舎に、修復の音だけが力強く響き渡る。                                 様子を見に来た神城さんも「人手が足りないのなら、俺も……」と手を貸そうとしてくれたが、私たちはそれを丁重に断った。
「自分たちの力で、最後までやり遂げたいんです」
私たちの静かな、けれど譲れない意地を察した彼は、それ以上は何も言わず、「応援している」とだけ告げて、最高級のハーブティーの茶葉を差し入れてくれた。その芳醇な香りが、疲弊しきった私たちの心に、もう一度だけ立ち上がる活力を注ぎ込んでくれた。
そして、ついにその時が訪れた。
朝の光が窓から差し込み、新しく生まれ変わったカフェを照らし出す。                             墨汁の跡は金継ぎのような気高い紋様へと昇華し、傷ついた花々は押し花として、儚くも美しい命の証をメニューに宿していた。
完成したその神々しいまでの光景を前に、私たちは言葉を失った。誰からともなく、堪えきれない涙が溢れ出す。          肩を寄せ合い、震える声で互いを称え合いながら、私たちは再生を果たした自分たちの店を、いつまでも静かに見守り続けていた。

ついに迎えた当日。
待ちわびた星華祭の幕が、華々しく切って落とされた。
初日は文化祭。生徒たちはそれぞれの出し物へと散り、学園全体が祭典の熱狂に包まれる。
私たちのCクラスが贈るカフェ『ヴィ・ルナール(不屈の月)』は、開店の合図とともに、またたく間に行列が膨れ上がった。
一歩足を踏み入れれば、そこには別世界が広がっている。かつて絶望の象徴だった墨の汚れは、繊細な「金継ぎ」を思わせる黄金のラインへと昇華され、鈍い光を放っていた。照明を落とした静謐な室内で、傷を負いながらも気高く咲く花々がキャンドルの揺らめきに照らされ、妖艶なまでの美しさを湛えている。
「……すごい。なんて独創的な世界観なの」
訪れた客たちは一様に言葉を失い、その圧倒的な空間美にただただ息を呑んでいた。                       他のクラスの生徒たちからも、「信じられない」「Cクラスがこれほどまでのものを……」と、驚嘆と称賛の嵐が鳴り止むことはなかった。
一方、様子を窺いに来た薫と他クラスの実行犯たちは、言葉を失って立ち尽くしていた。自分たちのぶつけた醜い悪意が、皮肉にもCクラスの独創性を高め、至高の芸術へと昇華させる手助けをしてしまったのだ。彼らは屈辱に顔を歪め、吐き捨てるようにその場を逃げ出していった。
けれど、玲花をはじめとするCクラスの面々は、そんな影の動揺など露ほども気づかなかった。
あまりの盛況ぶりに、カフェの噂はまたたく間に学園中を駆け巡り、廊下には途切れることのない長蛇の列が築かれていたからだ。
ひっきりなしに訪れる客への対応に追われ、身体は悲鳴を上げそうだったが、皆の瞳には達成感に満ちた輝きが宿っていた。
「玲花ちゃん、見て! すごいよ、大成功だね!」
隣に立つ冬美が、弾けるような満面の笑みで右手を差し出す。                                 私も同じくらいの熱量で応え、乾いた音を響かせて力強いハイタッチを交わした。                             その手のひらの熱さが、苦難を乗り越えて掴み取った勝利の証だった。
押し寄せる波のような忙しさの中で立ち働いていると、不意に、私の心を静める愛おしい声が耳に届いた。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
「……一名だ」
冬美とのやり取りに引き寄せられるように視線を向けると、そこには神城さんが静かに立っていた。
喧騒の中でも彼だけは凛とした空気を纏い、私と目が合うと、唇の動きだけで「頑張れ」と静かにエールを贈ってくれた。      そのさりげない優しさに、疲れも吹き飛ぶような幸福感が胸いっぱいに満ちていく。
神城さんは案内された店内の隅、木漏れ日のような灯りが落ちる特等席に腰を下ろした。
私が心を込めて淹れたハーブティーを一口含み、働く私の姿をじっと見守っている。                        やがて、彼は誇らしげな微笑を浮かべ、誰に聞かせるともなく小さく呟いた。
「やはり……君の居場所は、ここだったようだな」
その言葉に、私は心の中で深く、強く頷いた。
選ばれた者だけが住まう高貴なAクラスではなく、泥臭くも温かな絆で結ばれた、このCクラスこそが私の城だ。
かけがえのない仲間たちと共に、絶望という名の戦場を潜り抜け、私たちは最高に鮮やかな勝利を掴み取ったのだった。

文化祭の喧騒が最高潮に達した午後。                                            シフトを交代した私は、約束通り神城さんのクラスが主催する『古城からの脱出』の受付に立っていた。
「本当にお待たせしました、神城さん!」
「気にするな。君のクラスの盛況ぶりを見れば、抜け出すのが大変だったことくらい想像がつく」
神城さんは少しだけ目元を和ませ、私を案内してくれた。                                                   教室の入り口は石造りの城門のように装飾され、一歩足を踏み入れると、そこは魔法にかけられたかのような薄暗い空間が広がっている。
「ルールは簡単だ。この部屋に隠された三つの謎を解き、最後の一枚の鍵を見つけ出せばクリアだ。……さあ、行こうか」
彼にエスコートされるようにして、私たちは最初の部屋へと進む。壁には古びた肖像画と、意味深な数字が刻まれたパネルがあった。
「うーん……この数字、何かの暗号でしょうか?」
私が首を傾げていると、神城さんはスッと私の隣に立ち、パネルを指差した。
「玲花、肖像画の視線を追ってみろ。彼らが見ている先の文字を、この数字の順番に組み替えるんだ」
「あっ、本当だ! ええと……『L・O・V・E』……? 待ってください、これって……」
思わず口に出して、心臓が跳ねた。神城さんは至って冷静な顔をしているけれど、心なしか耳たぶが少し赤い気がする。
「……次だ。次は図形のパズルだな」
彼は少し早足で次の仕掛けへと向かった。その後ろ姿を追いかけながら、私は可笑しくなって小さく笑った。            クールに謎を解き進める彼だけれど、その手つきはどこか緊張しているようにも見える。
最後の謎は、二人の息が合わなければ開かない二重の宝箱だった。
「せーの、で引くぞ。準備はいいか?」
「はい!」
二人の手が重なり、合図とともにレバーを引く。カチリ、と心地よい音が響き、中から一本の黄金の鍵が現れた。
「……脱出成功、だな」
神城さんが鍵を手に取り、出口の扉を開く。外の眩しい光が差し込む中、彼は私の方を振り返った。
「玲花。クラスの連中には内緒だが……この最後の謎の答え、実は『信頼』という意味が込められていたらしい」
「信頼、ですか」
「ああ。君となら、どんな難問でも解ける気がしたよ」
照れくさそうに視線を逸らす神城さんの横顔を見て、私の胸はカフェの熱気とはまた違う、甘く温かな熱に包まれた。
「私もです。神城さんと一緒なら、どこからでも脱出できそうです!」
賑やかな廊下に出た私たちは、どちらからともなく手を繋ぎ、祭典の続きを楽しむために歩き出した。               Cクラスの仲間たちと勝ち取った勝利も格別だけれど、彼と過ごすこの静かな時間も、私にとってはかけがえのない宝物だった。

【sid 神城:静かなる独占欲】
自分のクラスの当番を終え、ようやく玲花を連れ出すことができた。
本当は、彼女が淹れたハーブティーを飲んでいる時から、苛立ちと悦びが混ざり合った複雑な気分だったのだ。
甲斐甲斐しく働く彼女の姿は、誰の目から見ても眩しく、美しかった。
他の男たちが彼女に送る心酔の眼差し。それに気づくたび、俺の中の独占欲が鎌首をもたげる。
(……玲花、君は自覚がなさすぎる)
脱出ゲームの最中、わざとらしく「LOVE」なんていうパスワードを設定したクラスの連中には後でお灸を据えてやるつもりだったが、赤らんだ彼女の顔を見た瞬間、その計画は霧散した。
繋いだ手の温もり。彼女が向けてくれる、偽りのない信頼の笑顔。
「神城さんと一緒なら」という言葉だけで、俺の心は簡単に支配されてしまう。
この輝かしい祭典が終わっても、彼女の隣にいるのは自分だけでありたい。
そう強く願いながら、俺は繋いだ手に少しだけ力を込めた。




昨日の逆転劇から一夜明けた今も、肌を焼くような熱狂の残滓が消えていない。
学園祭二日目、体育祭当日。
文化祭で圧倒的な勝利を掴み取った私たちCクラスにとって、この体育祭は「総合優勝」という栄冠を決定づける最後の戦場だった。
「大丈夫。あれだけ練習したんだもの、私たちならいける」
クラスメイトたちの引き締まった表情、結び直されるハチマキ、そして高鳴る鼓動。                         確かな自信を胸に、私たちは祭典の幕開けを今か今かと待ちわびていた。
だが、歓声が渦巻くグラウンドの喧騒から遠く離れた校舎の陰で、冷たい毒が滴っていた。
「お姉ちゃんのせいで文化祭はあんなことになっちゃったけど……体育祭まで思い通りにさせるとでも思った?」
唇を歪め、低く湿った声で呟いたのは薫だ。
称賛を浴び、Cクラスを率いて輝く姉の姿。それが薫には、何よりも耐え難い屈辱だった。彼女はすでに他クラスの不満分子を扇動し、Cクラスを奈落の底へ突き落とすための卑劣な罠を張り巡らせている。
「ふふ……いつまで『落ちこぼれ』の主役でいられるかしらね、お姉ちゃん」
その瞳に宿る昏い悦びに、玲花も、そしてCクラスの誰も気づくことはない。
華やかなファンファーレが鳴り響き、残酷なまでの悪意を孕んだまま、運命の体育祭が幕を開けた。
いざ火蓋が切って落とされると、Cクラスを待ち受けていたのは「異変」という名の猛烈な逆風だった。
「……っ、またなの!? ねえ、見てよ!」
クラスメイトの悲鳴に近い声が、熱狂するグラウンドに突き刺さる。
最初の種目、一年生による二人三脚。土を蹴り、全力で駆け抜けようとするCクラスの走路上には、あざ笑うかのように大量の画鋲が撒き散らされていた。
卑劣な手口はそれだけに留まらない。
続く玉入れでは、私たちが投げ入れた玉が、次から次へと虚空に吸い込まれていく。見れば、Cクラスの籠だけが何者かの手によって底を抜かれ、拾い集めた努力を無慈悲に地面へとこぼし続けていた。
「あんまりだわ……! これ、明らかに私たちだけが狙われてる!」
冬美が拳を握りしめ、悔しさに声を震わせる。
刻一刻と更新される得点掲示板。そこには、独走態勢を固めるAクラスとは対照的に、どん底まで突き落とされたCクラスの無残な数字が並んでいた。
到底、簡単には埋められない絶望的な点差。
「もう、無理だよ……」「どうして、私たちがこんな目に……」
クラスの士気は目に見えて崩れ去り、誰もが膝を突き、諦めの色に染まっていく。
けれど。
「……いいえ、まだ終わってない」
冷たい悪意に晒され、足元を掬われても。
私の瞳の奥に灯った火までは、誰も消せはしなかった。
そして迎えた、最終種目「学級対抗リレー」。
得点配分は他種目の比ではなく、ここで一等賞を掴み取れば、どん底からの大逆転も夢ではない。
――そう、私はこの瞬間にすべてを懸けていた。
次々に走り出していく各クラスの走者を視界の端に捉えながら、私は入念に柔軟を繰り返す。                           筋肉の強張りを解き、爆発的な一歩を踏み出す準備を整えていた、その時だった。
「うわあああっ!」
悲鳴が鼓膜を震わせる。
第一走者の男子生徒が次へとバトンを繋ごうとした瞬間、並走していたBクラスの選手が、あからさまに鋭い肘打ちを彼の脇腹に見舞ったのだ。
バランスを崩し、無残に地面へ叩きつけられる彼。手放されたバトンが砂埃の中に転がり、乾いた音を立てる。
致命的という言葉すら生ぬるい、絶望的なタイムロス。観客席からは、Cクラスの敗北を確信したような悲鳴が上がった。
「……ここまでね、お姉ちゃん」
観客席の片隅、薫が唇の端を吊り上げ、冷淡な嘲笑を浮かべている。
もはや追い縋ることすら不可能。誰もがそう思い、諦めの影がトラックを覆おうとした、その瞬間。
「みんな、顔を上げて! まだ終わってなんていないわ!」
凛烈な声が、凍りついた空気を切り裂いた。
バトンがまだ繋がっていない? ならば、私が迎えに行くだけ。
最終走者である私は、砂を蹴り、弾かれたように走り出した。
地面に転がったバトンを、剥き出しの闘志でひったくる。                                                       指先に伝わるバトンの熱は、これまで耐え忍んできた仲間たちの悔しさそのものだった。
(みんなが繋いでくれた想いを、こんな卑劣な手段で汚させない……!)
全速力。一歩ごとに土を爆ぜさせ、私は加速する。
脳裏には、神城さんと夜通し語り合った合理的な走法の理論が、そしてCクラスの仲間たちと泥にまみれて繰り返した朝練のリズムが、完璧な歯車となって噛み合っていた。
一人、また一人。
物理法則を無視するかのような猛追に、静まり返っていた会場が震え、やがて総立ちになる。
「いけぇぇ! 玲花ちゃん!!」
冬美の、そしてクラスメイトたちの喉を枯らさんばかりの叫びが、私の背に翼を授けた。
いよいよ最後の一周。
逃げ切ろうと必死に腕を振る、Aクラスのアンカーである薫の背中を私は射貫くように見据えた。
「な、なんで……っ、なんで追いついてくるのよ!?」
絶望に顔を歪める薫。
その焦りをあざ笑うかのように、私はコーナーの最短距離を突く鮮やかなフットワークで、彼女の横を一気に駆け抜けた。
突き抜ける風。
白く細いゴールテープが胸に触れた瞬間、Cクラスの応援席からは、空を割るような地鳴りのごとき歓声が沸き起こった。


祭典の終わりを告げる夕暮れ。茜色に染まったグラウンドに、全校生徒の静かな熱気が満ちていた。
いよいよ、学園祭のすべてを決する最終結果が言い渡される時が来た。
私たちCクラスは、祈るように互いの手を握りしめ、固唾を呑んで巨大な掲示板を見つめた。                         心臓の鼓動が耳の奥でうるさいほどに響く。
そして、ついにその瞬間が訪れた。
『学園祭・総合優勝——Cクラス!』
光り輝く文字が視界に飛び込んできた瞬間、静寂は地響きのような歓声へと変わった。
「やったぁぁぁ!」
「玲花、信じてたよ!」
駆け寄ってきたクラスメイトたちにもみくちゃにされながら、私は溢れ出しそうな涙をこらえて、最高の笑顔を返した。
「……それでは、表彰式を行います。Cクラス代表、鬼龍院玲花さん、前へ」
学園長の厳かな声に呼ばれ、私は一歩一歩、その重みを噛みしめるように表彰台へと登った。
夕日に照らされ、眩い光を放つ金色の巨大なトロフィー。そして「最優秀クラス」と刻まれたペナント。                      それを両手で受け取ったとき、ずっしりとした重みが胸に響いた。
「玲花さん、君たちは学園の歴史を塗り替えた。……見事だった。おめでとう」
学園長の言葉に、私は深く、深く一礼した。
ふと視線を上げれば、表彰台の袖で神城さんが、誰よりも力強く、温かな拍手を送ってくれているのが見えた。                        その隣で、薫が屈辱に震え、唇を噛んで俯いていることなど、今の私の目には映らなかった。
表彰を終えてクラスの輪へと戻る。そこには、共に泥にまみれ、笑い、戦い抜いたかけがえのない仲間たちの姿があった。
黄金色の光に包まれながら、私たちは心からの勝利を分かち合っていた。
「玲花ちゃん、最高にかっこよかったよ……っ!」
冬美たちは私の手を取り、まるで自分のことのように大粒の涙を流して喜んでくれた。                      その温もりが、戦い抜いた心にじんわりと染み渡っていく。
実力テスト、そして学園祭。
二つの頂を制したCクラスは、もはや誰も「落ちこぼれ」などと呼ぶことのできない、名実ともに「学園最強」の集団へと進化を遂げていた。
高く掲げられた、金色のトロフィー。
夕日に照らされ眩く輝くその象徴以上に、今、私の目の前で胸を張る仲間たちの誇らしげな笑顔が、何よりも眩しく感じられた。


学園祭での劇的な逆転優勝から数日が経ち、エトワール学園を包んでいた祭りの余韻がようやく静かな熱を帯び始めた。
金曜日の夜。私たちは神城家の全面協力のもと、学園近くにそびえる高級ホテルの一室を貸し切り、「Cクラス二冠達成・大祝勝会」を執り行うことになった。
会場の重厚な扉が開かれた瞬間、そこには学園祭のボタニカルカフェを彷彿とさせる、瑞々しくも洗練された空間が広がっていた。  テーブルを彩るのは、宝石のように並べられた最高級の料理の数々。                                     クラスメイトたちは思い思いの正装に身を包み、見慣れないドレスやスーツに少し照れながらも、誇らしげな、晴れやかな表情で互いの健闘を称え合っている。
「……それでは! 実力テスト、そして学園祭。二つの頂点に立った私たちの、最高のリーダー、玲花ちゃんに――乾杯!」
冬美が弾んだ声でグラスを高く掲げると、会場は割れんばかりの歓声に包まれた。
「「乾杯!!」」
幾重にも重なる唱和がシャンデリアの光に溶け込み、至福の祝宴が華やかに幕を開けた。
「玲花ちゃん、本当にありがとう。あのリレーの逆転、最高にかっこよかった! 私、一生忘れないよ」
「俺たちのことを見捨てないでいてくれて、本当に感謝してるんだ。ありがとうな」
次々と駆け寄ってくる仲間たち。かつては私を「無能」と蔑み、冷ややかな視線を送っていた彼らの瞳には、今や一片の曇りもない尊敬と親愛の情が宿っている。胸の奥が熱く込み上げ、溢れそうになる涙をこらえながら、私は一人ひとりと丁寧にグラスを合わせた。
「私の方こそ、ありがとうございます。皆さんが自分を信じて戦ってくれたからこそ、今日のこの景色があるんです」
宴が最高潮を迎え、華やかな喧騒が会場を満たす中。私は少しだけ火照った顔を冷まそうとテラスへ出た。                  心地よい夜風に当たっていると、背後から聞き慣れた、けれど誰よりも特別な足音が近づいてくる。
「見事な祝杯だな、玲花」
振り返ると、そこには夜の静寂を纏ったかのような、完璧なタキシード姿の神城さんが立っていた。                          月光に照らされた彼の端正な佇まいに、思わず胸の鼓動が跳ねる。
彼は静かな足取りで私の隣に並び、遠くに浮かび上がる学園の時計塔を、慈しむような眼差しで見つめた。
「学園祭での優勝、本当におめでとう。玲花がCクラスへ行くと決めた時、正直に言えば少しばかり案じてもいたのだが……今の彼らの顔を見れば、俺の危惧など無意味だったと痛感させられるよ。君は、彼らの心の奥底に眠っていた『誇り』を呼び覚ましたんだ」
「神城さん……。いいえ、神城さんの支えがあったからこそ、私はここまで強くなれたんです」
素直な想いを告げると、彼はふっと優しく目を細め、私の手を慈しむようにそっと取った。                        指先から伝わる体温に、胸の鼓動がいっそう高鳴る。
「これからも、君が信じる道を突き進むといい。俺はいつまでも、君の一番近くでその輝きを見守っているよ」
テラスの下からは、冬美たちの賑やかな笑い声が、夜風に乗って届いてくる。
執拗に仕掛けられた妨害も、他クラスから浴びせられた冷ややかな視線も。                           今となっては、私たちの絆をより強固なものへと昇華させるためのスパイスでしかなかったのだ。
「玲花ちゃーん! 神城さーん! どこ行っちゃったのー?」
冬美の明るい呼ぶ声に誘われ、私と神城さんはどちらからともなく微笑み合うと、温かな光が溢れ出す会場へと足を進めた。
Cクラス――。
かつては「最下位」というレッテルを貼られ、誰からも見向きもされず、ただ蔑まれていた場所。
けれど、今の私たちは違う。幾多の困難を乗り越え、泥を跳ね飛ばして掴み取ったこの勝利を経て、私たちは誰にも負けない黄金の輝きを放つ集団へと生まれ変わった。
私にとって、ここはもう単なる「クラス」ではない。
何物にも代えがたい、世界で一番愛おしい「家族」という名の居場所になっていた。

祝勝会の華やかな喧騒が嘘のように遠く、静まり返ったAクラスの教室。
薫はたった一人、拳を白くなるまで握りしめ、今は消灯した得点掲示板の残像を憎々しげに睨みつけていた。
「どうして……どうしてあのゴミ溜めのCクラスが。万年最下位の、掃き溜めの連中が……っ!」
周到に張り巡らせたはずの罠。画鋲、籠の細工、そして他クラスへの扇動。                           そのすべてを、姉である玲花は「実力」という圧倒的な暴力でなぎ倒していった。
薫のプライドは、あの日、トラックで玲花に抜き去られた瞬間の砂埃とともに、無残に砕け散っていた。
だが、地獄はそれだけでは終わらなかった。
実家である鬼龍院家の屋敷では、すでに冷酷な審判が下されていた。
「薫。お前はAクラスという最高級の環境を与えられながら、Cクラスに……それも、かつて我らが『無能』と断じた玲花に、不覚を取ったのか」
父の低く冷徹な声が、広間に重く響き渡る。
弱肉強食を是とする鬼龍院家にとって、敗北の二字は「無能」の証明に他ならなかった。
「違うんです、お父様! あれは、あのお姉様が卑怯な真似を……っ」
「言い訳は見苦しい。……良いか、一刻も早く玲花を鬼龍院家に連れ戻せ。もはやお前に自由など許さん。家庭教師を増員し、次回の試験では必ず首位を奪還するんだ。分かったな」
縋るような叫びも、冷徹な父の言葉に撥ね退けられた。                                    隣に座る継母もまた、凍りつくような視線を向けるだけで、助け舟を出そうとはしない。
かつて玲花を家から放逐した時と同じ、絶対的な「実力至上主義」という名の刃。                                         それが今、かつて寵愛を一身に受けていたはずの薫自身へと、容赦なく突き立てられていた。
そんな殺伐とした実家の空気など露知らず、祝勝会の終わった静かな夜。
滑るように走る神城さんの車の後部座席で、私は彼と二人、並んで座っていた。
「……本当にお疲れ様、玲花。今日は一段と輝いていたな」
神城さんの低く甘い声が、狭い車内に心地よく響く。
彼は私の手を取り、その指先にそっと唇を寄せた。落とされた熱に、心臓が跳ねる。
「神城さん……。皆さんのおかげです。私一人じゃ、あんな奇跡は起こせませんでした」
「謙遜しなくていい。君のひたむきさが、あの凍りついていたCクラスの心を溶かしたんだ。……だが」
言葉を切り、彼は私の瞳をじっと見つめた。
「今日だけは『みんなの玲花』ではなく、私の隣にいる一人の少女に戻ってくれないか」
抗いようのない力で、彼は私を優しく引き寄せ、その広い胸の中に閉じ込めた。
伝わってくる力強い体温と、鼻腔をくすぐる、かすかなシトラスの香り。
私はその温もりの中で、ようやく張り詰めていた緊張を解き、静かに瞳を閉じた。