親の再婚で気になってた同級生が妹になったけど、初恋の許嫁も同じ高校にいた件について

第三話 数学の問題で問題に
 夜七時。
 七斗は机に突っ伏していた。
「……無理だろこれ」
 数学Ⅰ、二次関数。
 数字が敵に見える。
 放課後は葉英と練習して帰宅。体は疲れているのに、明日の小テストのことを思い出して絶望していた。
(葉英に聞くのもな……さすがに毎回は)
 スマホを見て、少し考える。
 そして立ち上がった。
 二階の廊下を進み、向かいの部屋の前へ。
 瑠奈の部屋。
(あいつ、成績よかったよな……)
 軽くコンコン、とノック。
「瑠奈ー? ちょっといいか?」
 返事がない。
「入るぞー」
 ドアノブを回す。
 ――開いた。
「え」
「……え?」
 部屋の真ん中。
 制服から部屋着に着替えている最中の瑠奈。
 背中越しに振り向いた瞬間、目が合う。
 時間停止。
「ちょ、待っ――」
「うわああああああ!!」
 七斗は反射的にドアを閉める。
 心臓が爆音。
 顔が一瞬で熱くなる。
「ノックしただろ!?」
「したけど返事聞いて!?」
 中から慌てた声。
「今着替えてるって言おうとしたのに!」
「聞こえなかった!」
 ドア越しに沈黙。
 七斗は壁に背を預ける。
(見てない。たぶん見てない。いやちょっと見た? いや見てない!)
 ガチャ。
 少しして、ドアが開く。
 部屋着姿の瑠奈が、頬を赤くしながら立っていた。
「……で?」
「で、って」
「何の用?」
 じっと見上げてくる。
 さっきの動揺が嘘みたいに、少しだけ意地悪な目。
「数学……教えてほしくて」
「は?」
 きょとん。
「七斗が? 私に?」
「悪いかよ」
「悪くないけど……」
 ふっと笑う。
「葉英ちゃんじゃなくて?」
 その名前に、七斗は一瞬言葉を詰まらせる。
「毎回頼るわけにいかねえだろ」
「ふーん」
 瑠奈は少しだけ嬉しそうに目を細めた。
「じゃあ入って」
「さっきみたいなのやめろよ」
「今はちゃんと着てる!」

 机に並んで座る二人。
 距離が近い。
 同じノートを覗き込む。
「ここ、なんでこうなるかわかる?」
「わからん」
「はあ……」
 瑠奈はシャーペンで式を書きながら説明する。
 意外とわかりやすい。
「なるほど……」
「ちゃんと聞けばできるんだから」
 顔が近い。
 髪からシャンプーの匂いがする。
 七斗は集中しようと必死だ。
「ねえ七斗」
「なんだよ」
「さっき、どこまで見た?」
「見てねえ!!」
 即答。
 瑠奈はくすっと笑う。
「赤くなってる」
「うるせえ」
 少しの沈黙。
 瑠奈はふと真面目な顔になる。
「頼ってくれて嬉しかった」
 小さな声。
「家族だから、じゃなくてさ。ちゃんと私を選んでくれた感じして」
 胸がドクンと鳴る。
「別に、深い意味は――」
「わかってる。でもさ」
 七斗をまっすぐ見る。
「これからは、もっと頼って」
 その視線は、冗談じゃない。
 七斗は目を逸らす。
「……ありがとな」
 それが精一杯。
 そのとき、七斗のスマホが震える。
『小テスト大丈夫? わからなかったら今からでも教えるよ』
 葉英。
 タイミングが悪すぎる。
 瑠奈は画面をちらっと見る。
「優しいね」
 でも、少しだけ寂しそう。
「でも今は、私が先生だから」
 ノートを軽く叩く。
「ほら、続きやるよ」
 距離はまだ近い。
 でもさっきより少しだけ、空気が変わっていた。
 一時間後。
「七斗ー、瑠奈ー。ご飯できたわよー!」
 一階から母の声が響く。
「はーい!」
 瑠奈が先に立ち上がる。
 七斗もノートを閉じ、軽く伸びをした。
「……結構進んだな」
「でしょ? 明日の小テスト、赤点はないね」
「最初から赤点前提にするな」
 軽口を叩きながら部屋を出る。
 階段を並んで降りるその距離が、ほんの少し自然になっていることに七斗は気づかない。
 リビングに入ると、テーブルには温かい湯気の立つ料理。
 向かいには母と、瑠奈の父。
「どう? 二人とも仲良くやってる?」
「まあ、それなりに」
「ちゃんと教えてあげたよ。ね?」
 瑠奈が得意げに言う。
「ほう、家庭教師か」
 からかうような視線に、七斗は視線を逸らした。
「家族なんだから、支え合うのはいいことよ」
 “家族”。
 その言葉が、まだ少しだけくすぐったい。
 食事が始まる。
 箸の音、テレビの小さなニュース音。
 どこにでもある夕飯の風景。
 でも七斗にとっては、初めての景色だった。
「そういえば七斗くん、部活どうだったの?」
 瑠奈の父が聞く。
「まあ、手応えはあります」
「すごかったんだよ。今日の七斗、めちゃくちゃかっこよかった」
 瑠奈が即座に口を挟む。
「おい」
「本当だもん」
 その横で、七斗のスマホが震えた。
 テーブルの上に置いてあった画面が光る。
『今日のテスト対策、間に合った? 明日、早めに学校行く?』
 ――葉英。
 一瞬だけ、空気が止まった気がした。
 瑠奈も気づく。
 でも何も言わない。
 七斗は短く返信する。
『なんとかなる。ありがとな』
 送信。
 その動作を、瑠奈は横目で見ていた。
「……優しいね、葉英ちゃん」
 ぽつり。
「昔からああだよ」
「ふーん」
 それ以上は何も言わない。
 夕食が終わり、食器を片付ける。
 キッチンで並んで皿を洗う七斗と瑠奈。
「明日、葉英ちゃんと朝練?」
「たぶんな」
「そっか」
 水の音が続く。
「でもさ」
 瑠奈が手を止める。
「朝練の前に、五分だけ時間ちょうだい」
「は?」
「小テストの最終確認。私の生徒でしょ?」
 挑戦的な笑み。
 七斗は少しだけ笑う。
「わかったよ、先生」
「よろしい」
 ほんの少しだけ、距離が縮まった気がした。
 その夜。
 ベッドに寝転びながら、七斗は天井を見る。
 幼い頃から隣にいた葉英。
 今、同じ屋根の下にいる瑠奈。
 バスケの約束。
 家族という関係。
 どちらも簡単には割り切れない。
 スマホがもう一度震える。
『明日、久しぶりに一対一しよ』
 葉英から。
 七斗は短く返信する。
『望むところだ』
 画面を閉じる。
 明日の朝。
 朝練。
 小テスト。
 そして――
 静かに、確実に。
 三人の距離は、少しずつ変わっていく。
 春はまだ、始まったばかりだった。