第十二話 揺れの正体
金曜日の朝は、少し空気が重かった。
理由は分からない。
ただ、胸の奥に小さなざわつきが残っている。
靴箱で上履きに履き替えながら、七斗は昨日のことを思い出す。
屋上の風。
袖をつまむ指先。
触れなかった距離。
あれから一晩経ったのに、まだ感触が残っている気がした。
教室のドアを開ける。
朝の光が差し込む。
クラスメイトの笑い声。
その中心に、葉英がいた。
机に腰かけるようにして、男子数人と話している。
「それ絶対ファウルだって」
「いやいや正当だろ」
バスケの話らしい。
葉英が笑う。
声が少し弾んでいる。
楽しそうだ。
七斗は無意識に足を止めた。
(……何だよ)
別に珍しくない。
葉英は誰とでも普通に話す。
それを知っている。
頭では分かっている。
でも、胸の奥に小さな違和感が広がる。
じわじわと。
面白くない、という感覚。
それに気づいた瞬間、自分で戸惑う。
嫉妬?
そんなはずない。
まだ何も決めていないのに。
葉英がふと視線を上げる。
七斗と目が合う。
一瞬、驚いたように瞬きをして、それから小さく笑う。
そして自然に会話を切り上げてこちらへ来る。
「おはよ」
いつもの声。
何も変わらない。
「……おはよ」
七斗は視線を逸らす。
「どうしたの?」
「何が」
「ちょっと機嫌悪い顔」
葉英は首をかしげる。
少し近い。
いつもより距離が近い気がするのは、自分の意識のせいだろうか。
「嫉妬?」
冗談みたいに言う。
でも、目はじっとこちらを見ている。
「は?」
否定しようとして、言葉が詰まる。
完全に否定できない自分がいる。
葉英はそれ以上追及しない。
「まあ、いいや」
柔らかく笑って、自分の席へ戻る。
その背中を目で追ってしまう。
自覚した瞬間、鼓動が少し速くなる。
昼休み。
購買から戻る途中、廊下の角で足が止まる。
瑠奈が、クラスの男子と話している。
文化祭の出し物の話らしい。
楽しそうに笑っている。
男子が冗談を言い、瑠奈が軽く肩を叩く。
距離が近い。
自然だ。
当たり前だ。
それなのに。
さっきと同じ感覚が胸を締める。
喉の奥が少し熱い。
(何だよこれ)
自分でも情けないと思う。
まだ何も始まっていないのに。
瑠奈がこちらに気づく。
「あ、七斗」
ぱっと表情が明るくなる。
男子に軽く手を振って別れ、こちらへ来る。
「どうしたの?」
「いや」
「顔変だよ?」
覗き込まれる。
距離が近い。
瞳が揺れる。
「……楽しそうだったな」
思わずこぼれる。
瑠奈は一瞬、目を丸くする。
それから、ゆっくりと笑う。
「なにそれ」
少し嬉しそうに。
「嫉妬?」
またその言葉。
七斗は否定しない。
できなかった。
瑠奈は一歩だけ近づく。
「悪くないね」
小さく囁く。
心臓が強く鳴る。
それ以上は何も言わない。
ただ並んで歩くだけ。
でも、空気は少しだけ甘い。
夜。
布団に入る。
天井を見つめる。
今日一日、何も特別なことは起きていない。
告白もない。
事件もない。
ただ、少しの視線と、少しの違和感。
(俺、こんなに狭いのか)
誰かが誰かと笑っているだけで、胸がざわつく。
それはもう、友達の感情じゃない。
目を閉じる。
意識がゆっくり沈む。
夢を見る。
体育館。
夕方の光が差し込んでいる。
静かだ。
ボールが一つ転がっている。
「七斗」
振り向く。
葉英が立っている。
いつものジャージ姿。
でも、どこか柔らかい。
ゆっくり近づいてくる。
「今日、ちょっとだけ嬉しかった」
「何が」
「嫉妬してた顔」
夢の中なのに、胸が跳ねる。
「ちゃんと見てくれてるって分かったから」
距離が近づく。
手が伸びる。
触れそうになる。
そこで場面が変わる。
今度は公園。
夕暮れ。
ベンチに瑠奈が座っている。
「七斗」
名前を呼ぶ声が優しい。
「私ね」
隣に座ると、距離が近い。
「奪われるの、嫌だよ」
素直な声。
強がらない。
指先がそっと触れる。
離れない。
二人の視線が重なる。
どちらも、同じくらい近い。
どちらも、同じくらい温かい。
七斗は夢の中で迷う。
足が、ほんの少しだけ動く。
無意識に。
ほんの少しだけ――葉英のほうへ。
目が覚める。
朝の光。
鼓動が速い。
(……今の)
夢だ。
でも、心は正直だ。
ほんのわずか。
本当にわずか。
傾きがある。
まだ確信じゃない。
でも、確かに。
七斗は天井を見つめたまま、長く息を吐く。
焦らなくていい。
まだ時間はある。
でも。
もう、自分の心をごまかせなくなり始めている。
金曜日の朝は、少し空気が重かった。
理由は分からない。
ただ、胸の奥に小さなざわつきが残っている。
靴箱で上履きに履き替えながら、七斗は昨日のことを思い出す。
屋上の風。
袖をつまむ指先。
触れなかった距離。
あれから一晩経ったのに、まだ感触が残っている気がした。
教室のドアを開ける。
朝の光が差し込む。
クラスメイトの笑い声。
その中心に、葉英がいた。
机に腰かけるようにして、男子数人と話している。
「それ絶対ファウルだって」
「いやいや正当だろ」
バスケの話らしい。
葉英が笑う。
声が少し弾んでいる。
楽しそうだ。
七斗は無意識に足を止めた。
(……何だよ)
別に珍しくない。
葉英は誰とでも普通に話す。
それを知っている。
頭では分かっている。
でも、胸の奥に小さな違和感が広がる。
じわじわと。
面白くない、という感覚。
それに気づいた瞬間、自分で戸惑う。
嫉妬?
そんなはずない。
まだ何も決めていないのに。
葉英がふと視線を上げる。
七斗と目が合う。
一瞬、驚いたように瞬きをして、それから小さく笑う。
そして自然に会話を切り上げてこちらへ来る。
「おはよ」
いつもの声。
何も変わらない。
「……おはよ」
七斗は視線を逸らす。
「どうしたの?」
「何が」
「ちょっと機嫌悪い顔」
葉英は首をかしげる。
少し近い。
いつもより距離が近い気がするのは、自分の意識のせいだろうか。
「嫉妬?」
冗談みたいに言う。
でも、目はじっとこちらを見ている。
「は?」
否定しようとして、言葉が詰まる。
完全に否定できない自分がいる。
葉英はそれ以上追及しない。
「まあ、いいや」
柔らかく笑って、自分の席へ戻る。
その背中を目で追ってしまう。
自覚した瞬間、鼓動が少し速くなる。
昼休み。
購買から戻る途中、廊下の角で足が止まる。
瑠奈が、クラスの男子と話している。
文化祭の出し物の話らしい。
楽しそうに笑っている。
男子が冗談を言い、瑠奈が軽く肩を叩く。
距離が近い。
自然だ。
当たり前だ。
それなのに。
さっきと同じ感覚が胸を締める。
喉の奥が少し熱い。
(何だよこれ)
自分でも情けないと思う。
まだ何も始まっていないのに。
瑠奈がこちらに気づく。
「あ、七斗」
ぱっと表情が明るくなる。
男子に軽く手を振って別れ、こちらへ来る。
「どうしたの?」
「いや」
「顔変だよ?」
覗き込まれる。
距離が近い。
瞳が揺れる。
「……楽しそうだったな」
思わずこぼれる。
瑠奈は一瞬、目を丸くする。
それから、ゆっくりと笑う。
「なにそれ」
少し嬉しそうに。
「嫉妬?」
またその言葉。
七斗は否定しない。
できなかった。
瑠奈は一歩だけ近づく。
「悪くないね」
小さく囁く。
心臓が強く鳴る。
それ以上は何も言わない。
ただ並んで歩くだけ。
でも、空気は少しだけ甘い。
夜。
布団に入る。
天井を見つめる。
今日一日、何も特別なことは起きていない。
告白もない。
事件もない。
ただ、少しの視線と、少しの違和感。
(俺、こんなに狭いのか)
誰かが誰かと笑っているだけで、胸がざわつく。
それはもう、友達の感情じゃない。
目を閉じる。
意識がゆっくり沈む。
夢を見る。
体育館。
夕方の光が差し込んでいる。
静かだ。
ボールが一つ転がっている。
「七斗」
振り向く。
葉英が立っている。
いつものジャージ姿。
でも、どこか柔らかい。
ゆっくり近づいてくる。
「今日、ちょっとだけ嬉しかった」
「何が」
「嫉妬してた顔」
夢の中なのに、胸が跳ねる。
「ちゃんと見てくれてるって分かったから」
距離が近づく。
手が伸びる。
触れそうになる。
そこで場面が変わる。
今度は公園。
夕暮れ。
ベンチに瑠奈が座っている。
「七斗」
名前を呼ぶ声が優しい。
「私ね」
隣に座ると、距離が近い。
「奪われるの、嫌だよ」
素直な声。
強がらない。
指先がそっと触れる。
離れない。
二人の視線が重なる。
どちらも、同じくらい近い。
どちらも、同じくらい温かい。
七斗は夢の中で迷う。
足が、ほんの少しだけ動く。
無意識に。
ほんの少しだけ――葉英のほうへ。
目が覚める。
朝の光。
鼓動が速い。
(……今の)
夢だ。
でも、心は正直だ。
ほんのわずか。
本当にわずか。
傾きがある。
まだ確信じゃない。
でも、確かに。
七斗は天井を見つめたまま、長く息を吐く。
焦らなくていい。
まだ時間はある。
でも。
もう、自分の心をごまかせなくなり始めている。

