第十一話 触れない距離
木曜日。
七斗は少しだけ早く教室に入った。
理由はない。
……ない、はずだった。
窓際の席。
葉英はまだ来ていない。
少しだけ、残念に思う自分に気づく。
(何考えてんだ、俺)
鞄を置いたとき。
「おはよ」
背後から声。
振り向くと瑠奈。
眠そうに目をこすりながら笑っている。
「早いね」
「なんとなく」
「ふーん?」
探るような目。
でも追及しない。
そのまま隣の席に座る。
近い。
朝の静かな教室。
まだ人が少ない。
瑠奈の髪からシャンプーの匂いがふわっと漂う。
「ねえ」
「ん?」
「昨日、誰と帰ったの」
さらっと。
「葉英」
「そっか」
声は変わらない。
でもほんの少し、間が空いた。
「いいよ」
そう言って、机に頬をつける。
「焦らないから」
その言葉が、逆に焦らせる。
一時間目。
授業中。
七斗は前を向いている。
でも、無意識に視線が横に流れる。
葉英が真剣な顔でノートを取っている。
シャーペンを持つ指先。
伏せたまつ毛。
ふと目が合う。
すぐ逸らされる。
でもほんのり、耳が赤い。
昨日より、距離が少しだけ柔らかい。
昼休み。
七斗は屋上へ向かう。
人の少ない場所。
少し風に当たりたかった。
ドアを開けると、先客がいた。
葉英。
「あ」
「偶然」
短いやり取り。
でも逃げない。
二人並んでフェンスにもたれる。
風が強い。
「最近さ」
葉英が空を見たまま言う。
「七斗のこと、よく考える」
静かな声。
「バスケのこと考えてるときより多いかも」
「それは言い過ぎだろ」
「かも、って言った」
少しだけ笑う。
沈黙。
でも重くない。
ただ、落ち着かない。
手が触れそうな距離。
触れない。
どちらも動かない。
「今はさ」
葉英が小さく言う。
「この距離でいい」
視線を向ける。
「無理に近づかなくても、ちゃんと好きだから」
優しい。
押さない。
でも引かない。
その余裕が、余計に胸を締めつける。
放課後。
部活終わり。
校門前に瑠奈がいる。
スマホをいじりながら、七斗に気づくと手を振る。
「お疲れ」
「ああ」
並んで歩く。
沈黙が続く。
でも、嫌じゃない。
「ねえ」
「ん?」
「私さ」
少し前を歩く。
「七斗がどっち選んでも、泣かない自信ある」
振り向く。
笑っている。
でもその目の奥は、少しだけ揺れている。
「でもね」
一歩近づく。
「本気で取りに行くから」
強くない。
優しい宣言。
指先が、七斗の袖を軽くつまむ。
一瞬。
それだけで離す。
心臓がやけにうるさい。
夜。
ベッドの上。
今日を思い返す。
屋上の風。
帰り道の袖。
どちらも、触れなかった。
でも確かに、近かった。
(この時間、ずるいな)
甘くて、苦しい。
どちらも優しい。
どちらも待ってくれている。
だからこそ、逃げられない。
スマホが震える。
葉英:『明日、シュート勝負しよ』
少し遅れて。
瑠奈:『明日も一緒に帰ろ』
画面を見つめる。
笑ってしまう。
まだ決まらない。
でも――
確実に、心は少しずつ傾いている。
自分でも気づかないくらい、ゆっくりと。
木曜日。
七斗は少しだけ早く教室に入った。
理由はない。
……ない、はずだった。
窓際の席。
葉英はまだ来ていない。
少しだけ、残念に思う自分に気づく。
(何考えてんだ、俺)
鞄を置いたとき。
「おはよ」
背後から声。
振り向くと瑠奈。
眠そうに目をこすりながら笑っている。
「早いね」
「なんとなく」
「ふーん?」
探るような目。
でも追及しない。
そのまま隣の席に座る。
近い。
朝の静かな教室。
まだ人が少ない。
瑠奈の髪からシャンプーの匂いがふわっと漂う。
「ねえ」
「ん?」
「昨日、誰と帰ったの」
さらっと。
「葉英」
「そっか」
声は変わらない。
でもほんの少し、間が空いた。
「いいよ」
そう言って、机に頬をつける。
「焦らないから」
その言葉が、逆に焦らせる。
一時間目。
授業中。
七斗は前を向いている。
でも、無意識に視線が横に流れる。
葉英が真剣な顔でノートを取っている。
シャーペンを持つ指先。
伏せたまつ毛。
ふと目が合う。
すぐ逸らされる。
でもほんのり、耳が赤い。
昨日より、距離が少しだけ柔らかい。
昼休み。
七斗は屋上へ向かう。
人の少ない場所。
少し風に当たりたかった。
ドアを開けると、先客がいた。
葉英。
「あ」
「偶然」
短いやり取り。
でも逃げない。
二人並んでフェンスにもたれる。
風が強い。
「最近さ」
葉英が空を見たまま言う。
「七斗のこと、よく考える」
静かな声。
「バスケのこと考えてるときより多いかも」
「それは言い過ぎだろ」
「かも、って言った」
少しだけ笑う。
沈黙。
でも重くない。
ただ、落ち着かない。
手が触れそうな距離。
触れない。
どちらも動かない。
「今はさ」
葉英が小さく言う。
「この距離でいい」
視線を向ける。
「無理に近づかなくても、ちゃんと好きだから」
優しい。
押さない。
でも引かない。
その余裕が、余計に胸を締めつける。
放課後。
部活終わり。
校門前に瑠奈がいる。
スマホをいじりながら、七斗に気づくと手を振る。
「お疲れ」
「ああ」
並んで歩く。
沈黙が続く。
でも、嫌じゃない。
「ねえ」
「ん?」
「私さ」
少し前を歩く。
「七斗がどっち選んでも、泣かない自信ある」
振り向く。
笑っている。
でもその目の奥は、少しだけ揺れている。
「でもね」
一歩近づく。
「本気で取りに行くから」
強くない。
優しい宣言。
指先が、七斗の袖を軽くつまむ。
一瞬。
それだけで離す。
心臓がやけにうるさい。
夜。
ベッドの上。
今日を思い返す。
屋上の風。
帰り道の袖。
どちらも、触れなかった。
でも確かに、近かった。
(この時間、ずるいな)
甘くて、苦しい。
どちらも優しい。
どちらも待ってくれている。
だからこそ、逃げられない。
スマホが震える。
葉英:『明日、シュート勝負しよ』
少し遅れて。
瑠奈:『明日も一緒に帰ろ』
画面を見つめる。
笑ってしまう。
まだ決まらない。
でも――
確実に、心は少しずつ傾いている。
自分でも気づかないくらい、ゆっくりと。

