雨があがっても、君のとなりで

大量にゴミが散らばって足の踏み場も限られた部屋。
底が見えなくなるほど洗い物が溜まったシンク。


生まれたときには、すでに父親はいなかった。
そして残された母親には、息子に愛を注げるほどの余裕などなかった————


「お前さえ、お前さえ産まなければ…」


ぐっと胸が苦しくなって、はっと目が覚めた。
バクバクと激しく鼓動が響いている。


しばらく動けずに、ぼんやりと天井を眺めていると、不意に通知音が鳴った。


我に返った蓮《れん》は、スマホを手に取りゆっくりと身を起こす。


【蓮、起きてる?今日雨だし迎えに行くよ】


悠真《ゆうま》からのメールだ。


「余計なお世話」と言いつつも、ほっと肩の力が抜けた。


顔を上げて窓の外を見る。


鉛色の空から落ちてきた槍のような雨が、隣の家の瓦屋根を打ちつけていた。


ざわめく胸を抑え、ゆっくりとベッドを降りる。


「雨か…」ぼそりと呟いた声を、どんよりとした重たい空が吸い込んだ。


身支度を済ませた蓮は、自室を出て廊下を渡り、そっとリビングを覗き込む。


薄暗い部屋の奥、ダイニングテーブルの椅子に、いつものように母が座っていた。


食べ終えたコンビニ弁当の容器や、空き缶が散らばったテーブルの前で、缶を小刻みに揺らし、何かボソボソと呟いている。


どんなに大きな物音を立てても、その目が蓮を捉えることはない。


「行ってきます」と心の中で呟き、静かに玄関のドアを開けた。


壁の黒ずんだアパートの二階。ところどころサビの浮いた階段を、ぎしぎしと軋ませながら降りていく。


湿ったアスファルトから立ち上るそれは、あの日と同じにおいだった。


蓮がぎゅっと傘の柄を握りしめ、指先が震え出しそうになった、そのとき———


「蓮、おはよ」


馴染みのある声にはっとして顔をあげる。


深い空色の傘が、ぱちぱちと雨をはじいていた。
その下で悠真が、いつものように微笑んでいる。


茶色いふわっとした髪の毛と、すらっと伸びた手足。
明るくて人当たりも良い悠真は、女子たちの間では「王子様」なんて呼ばれたりしている。


蓮の幼馴染で、今は恋人だ。
悠真と過ごす時間だけが、蓮の世界を優しく色づけてくれる。


「おはよ。いつも言ってるけど、わざわざ迎えに来なくてもいいんじゃないか?雨でも学校くらい一人で行けるぞ」


二人は同じ高校に通っていて、悠真は普段自転車で通学しているが、蓮は家計の事情で自転車を持っていないので学校まで歩いている。


蓮の家は悠真の家より学校から遠いから、遠回りして迎えに来るのは非効率だ。
蓮が何度そう言っても、雨の日には必ずやってくる。


「俺が来たくて来てるんだから、いいんだよ。ほら、早く傘さしな。濡れちゃうよ」


蓮の家から学校までは、歩くと40分はかかる。


それでも二人で歩く日は、その時間がまるで一瞬のように感じられるのだった。


やがて、降りしきっていた雨があがった。
傘を閉じた悠真が、そっと蓮の手をとる。


「人前でこんなの、恥ずかしいだろ」と、蓮は不満そうな顔を見せたが、その手は振りほどかれることなく、学校に着くまでしっかりと繋がれたままだった。