姉の代わりに離縁させていただきます!


「失礼いたします」

 ひと言、そう言葉を添えて、サッと障子を開けた二葉が見たのは信じられない光景だった。

「あら一華さん、ようやくいらっしゃったの? もう食事は終わるのだけれど……」

 困ったように頬に手をやるのは一華の義母にあたる美智代だった。
 今日は夫の総悟は仕事なのかいないようで彼女、一人の席だ。

(「ようやくいらっしゃったの?」ですって? 声をかける気なんてなかったくせに) 

 全く悪びれた様子のない美智代に二葉ははらわたが煮えくりかえる思いに駆られていた――。


 自室で今後のことを一人考え込んでいた二葉は、いつの間にかかなり時が経っていたことに気づく。

 日もすっかり暮れており、二葉は慌てて文机の上に置かれている小さな行灯の明かりをつけた。

(それにしてもおかしいわね……。もう夕餉の時間でしょうけれど、誰も呼びにこないなんて……)

 野木の家では遅くても十八時には使用人が部屋まで夕餉ができたことを告げに来ていたのに。

 その後もしばらく待ってみたが、結局誰も二葉を呼びに来るものはいなかった。

 そして、現在。
 とうとうしびれを切らした二葉自らが母屋に赴き、今に至る――。


「お義母様、私、自室で声がかかるのを待ってましたの。でも、誰も呼びにこないものですから……」

「あらあら、いつもみたいに来ないのかと思っていたのよねぇ。あなたたちもそう思って呼ばなかったのでしょう?」

 おほほと、上品な所作で口元に手をやり、微笑む美智代は使用人たちを見回した。

「はい。若奥様はお一人で食べるのがいつもでしたから……。もう少ししたら離れへ食事を運ぼうかと思っていたところです」

 あっけらかんとそう答えたのは、先ほど二葉が玄関先で出会った使用人の女性だ。

 口角を上げてほほ笑んではいるものの、言葉の節々から二葉を小馬鹿にしているのは明白で、二葉は思わずギュッと拳を握りしめる。

「あらあら、佐江は我が家の嫁をいつも気遣ってくれていたのねぇ。ありがたいことだわ」

 美智代に佐江と呼ばれた使用人は「おそれいります」と深々とお辞儀をする。

「でも、せっかくいらしたんだもの。佐江、一華さんの分も用意をお願いできるかしら? 一華さん、どうぞお座りになって?」

「……はい、お義母様」

 いろいろ言いたいことが喉まで出かかりつつも、二葉は美智代に従い、笑顔で卓についた。

 そんな二葉の様子に美智代は、一瞬驚いたような表情を浮かべる。

 きっと人一倍空気を読む一華お姉様のことだ。似たような状況であれば、今までは席につかず、部屋に戻っていたのだろう。

「私は部屋で結構ですから……」と、気まずそうにほほ笑む一華の姿が容易に想像でき、二葉はズキッと胸が痛くなる。

 正直、二葉自身、こんな意地悪な義理母と食事を共にするのは遠慮したいところだ。

 でも、まだ一華がこの家で他にどんなひどい仕打ちを受けていたのか探る必要が二葉にはあった。

**

「それにしても、急に姿が見えなくなって私も総悟も本当に心配していたのよ」

「お義母様、申し訳ありません。久しぶりに実家の妹たちの顔が見たくなりまして……」

「まぁまぁ、気持ちはわかるけれど、あなたはもう蓮月家の嫁なのよ? 一華さんに勝手なことをされたら困ってしまうわ」

 口調は穏やかだが、一華を追い詰めるような美智代の言い方に、二葉は我慢の限界にきていた。

(勝手なことですって? お姉様を居づらくさせているのはあなたたちでしょう? こうなったら私も少し言い返させてもらうわ!)

「……えぇ、たしかにお義母様になにも言わずに出かけたのは私の落ち度ですわ。……でも、使用人に言づけを頼もうとしても、誰も近くにいないものですから……」

 ため息をついた二葉がそう言い放つと、近くで待機していた佐江の表情がくもる。

 どうやら今までの様子をみると、佐江は一応、一華付きの使用人のようだった。

 しかし、二葉をこの家に案内したのを最後に佐江はずっと離れの方には姿を見せていない。

 つまり、普段からそうなのだろう。一華お姉様が用事を頼みたくてもすぐに頼めないような状況を作っている。

 世間一般から言えば、専属の使用人として職務怠慢と言われてもしょうがない事態だ。

「わ、私はその時、たまたま他の使用人に仕事を頼まれて、母屋にいましたので……」

 まさか一華からそんな指摘をされるなんて思ってもみなかったのだろう。

 しどろもどろに言い訳をする佐江に「やっぱり普段からそうしていたのか」と二葉は改めて理解する。

「……まぁまぁ、そういうこともありますよ。佐江には私が仕事を頼む時もありますから。佐江も今後は気をつけるのよ」

「はい、大奥様。……若奥様も申し訳ありません」

 取って付け加えたような謝罪だったが、佐江がきちんと謝罪をしたのは良い傾向だ。

 二葉はようやく少しだけ胸のつかえがとれた気がした。

**

「それじゃ、食事もきたみたいだし、私は先に休ませてもらうわ。一華さんはゆっくり食事を楽しんでね」

 ようやく食事が運ばれてきた頃、美智代はそそくさと立ち上がり、部屋を出ようとする。

(なるほど、そういう感じなのね)

 きっとこの行動は、美智代が一華と一緒に食事とる気はないという嫌がらせの一環なのだ。

 そう察した二葉は、「はい、お義母様、おやすみなさいませ」と気にせず笑顔で対応してやる。

 その態度が気にくわなかったのか美智代の形のいい眉がピクリと動いた。

 しかし、次の瞬間には「えぇ、一華さんも」と、優雅な立ち振る舞いで部屋から出て行く。

 ようやく美智代が部屋から出て行き、二葉は肩の荷がおりたような気持になった。

 二葉からしたら、食事中も美智代がいたら美味しい料理も食べた気になれなさそうで出て行ってくれた方がありがたい。

 そんなことを考えながら、目の前に並んだ料理を二葉が口に運んだ時だった。

(っ、なにこれ)

 思わず二葉は絶句する。

 料理はご飯も吸い物もすべてがひどく冷めていて、小鉢に入った酢の物にいたっては酢の量が多すぎるのか食べれたものではなかった。

(これはひどすぎるわ。もしかして一華お姉様にも毎回こんな食事を?)

「……佐江」

「はい、一華様。なんでしょうか?」

 二葉に声をかけられた佐江は素知らぬ顔で近づいてくる。

「これを準備したのはあなた?」

「……運んできたのは私ですけど、料理を作っているのは別の者ですわ」

 悪びれた様子のない佐江を二葉はじっと見つめた。

(そういう態度なら、お姉様のためにもやっぱりここで白黒はっきりつけないといけないみたいね)

「……そう。わかりました。では作った者をここに呼んでちょうだい」

「えっ? で、ですが……」

 ギョッとした様子で言い返してくる佐江に向かって、「いいから。早くなさい」と、二葉はぴしゃりと言ってのける。

「わ、わかりました……」

 強い口調に驚いたのか、しぶしぶ立ち上がった佐江はその場をあとにする。
 何か言いた気なその背中に、あえて二葉は声をかけなかった。


「奥様、何か御用でしょうか? 料理を作ったのは私ですが……」

 しばらくして佐江とともに部屋に現れたのは、白衣に身を包んだ五十代くらいの長谷という男だった。

 不思議そうに、なぜ突然呼び出されたのか理由がわからない様子からもどうやら、長谷自体はこの件に絡んでいないようだと二葉は察する。

「あなたが作ってくれたのね。この料理はしっかり味見をしてあるのかしら?」

「あ、当たり前です! 皆様に出す料理は特に気を使っておりますので」

「……そう。そしたら、これ食べてみて?」

 二葉に促され、怪訝そうな表情を浮かべた長谷は自分が作った食事に手をのばす。
 そして、小鉢を食べた瞬間、長谷の顔は真っ青になった。

「これは……わ、私が味見をした時にはこんな風には……。それになんでこんなに料理が冷めて……。佐江に渡した時にはたしかに……」

 そこまで呟いて、長谷はハッとした様子で佐江を見つめる。

「えっと、一華様は酸っぱいものが好きなので少しだけ酢を足したりはしましたが、それだけしか……」

 ぶんぶんと大きく首を横にふる佐江。

「ちょっとだと!? お前、これ食ってから言ってみろ!!」

 真っ赤な顔の長谷に怒鳴られて、顔面蒼白になる佐江にはすでに私と玄関で会った時のような威勢はすっかり身を潜めている。

(でも、料理人までお姉様を冷遇していたわけではなさそうね……。大方、義母、美智代を中心に彼女の息がかかった使用人たちってところかしら? それにまだ会っていない義兄の総悟のことも気になるし、もう少し探ってみる必要がありそう)

 一人考え込む二葉に向かって長谷は深々と頭を下げた。

「若奥様、本当に申し訳ありません。すぐに新しいのを持ってまいります」

「えぇ、お願いするわ」

 長谷は言葉通り、すぐに新しい料理を運んできてくれる。

 ここにきてようやく二葉は、あたたかく美味しい料理にありつけたのだった。