【短編】冷遇されていた正妻ですが、武家当主様からの独占愛が止まりません

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「奥方様、本日は控えの間へ向かう時間を遅らせていただけないでしょうか?」

 部屋に運ばれてきた朝餉を済ませ、帳面に向き合っていた私の元へ女中の一人が暗い顔でやってくる。
 今日は早朝から慌ただしい気配が部屋の外から伝わってきていた。

「何かありましたか?」
「それは……」

 言い淀んだ後、女中は言葉を選んで続ける。

「搬入の者が、外で少し揉め事に巻き込まれたようでして」
「お怪我は?」
「大事には至っていないと聞いております」

 それを聞いて、少しだけ安堵できた。
 屋敷以外の者だとしても関係者の痛ましい話は胸が痛む。

「脅しを受けたとのことで……」
「脅し?」
「宮前の名前を出され、どこの屋敷宛の荷なのか、刃を向けられ、しつこく問いだたされ進められなかったと」

 ここまで来ると、物騒だという言葉だけでは済まされない事態だ。
 戦乱の世が静まっている今、領地争いでも起きているのだろうか?
 昼過ぎにようやく控えの間へ向かえたが、いつもより護衛の男たちは私との距離が近かった。
 外壁近くに立つ警備の者も増えていて、皆が険しい表情を造っている。
 前を歩いている女中から一枚の紙がひらりと飛ぶように廊下へと落下した。

「――落とされましたよ」

 膝を曲げて紙を拾う。
 女中は振り返って、私を視界に入れると、

「失礼いたしました! 奥方様!」

 ひどく慌てた様子で紙を受け取りに来た。
 見るつもりはないのに、その用紙に書かれていた文字が目に入る。
 “正妻“
 わかったのは、その二文字だけ。
 今の文書が何だったのかわからない。
 屋敷内には様々な書状が行き交っている。
 そのうちの一枚に過ぎない。
 それでも胸の奥にとげが刺さったような感覚が尾を引いていた。
 部屋へ戻っても帳面を開く気になかなかなれない。
 無意識のうちに何度も重い息をついている。
 さっき見た“正妻“の文字の形だけが、くっきりと脳裏に焼き付いていた。
 考えても仕方ないことは切り替えるしかない。
 そう頭ではわかっているのに、なかなか今日に限ってできなかった。
 相変わらず部屋の外からは様々な物音が聞こえてくる。
 警護の者たちが低い声で話し合っていた。

「奥方様の部屋の前を誰も通すな」
「景継様からの指示だ」

 ――景継様……。
 その響きが胸を震わせる。
 急ぎ足で行き交う複数の足音は止む気配がない。
 少しだけ外の様子を確認してみようかしら?
 立ち上がり、襖の前まで移動する。
 指先をかけた時だった。
 規則正しい足音が聞こえ、身体の動きを停める。
 誰のものなのか、すぐにわかった。
 部屋の前で止まった足音。
 私は今、襖越しに景継様と向かい合っている。
 気配でそれが伝わってきた。
 家臣が景継様に何かを報告している。
 内容までは聞き取れない。

「このままにしておけ。決して目を離すな」

 やはり景継様の低く艶やかな、お声だった。
 すぐに足音が遠ざかっていく。
 私にでさえ、いろいろと不穏な様子が伝わってきている。
 景継様はお忙しくされていらっしゃるのだろう。
 襖は開かれない。
 一目たりとも会えない。
 それでも、何らかの理由で景継様がここまで足を運んでくれた。
 胸に去来する気持ちに名前の付け方はわからない。
 でも、不思議と心には凪が訪れていた。