***
光が澄んだ朝を連れてくる。
どこか普段と違った昨日までと比べて、今日の朝は穏やかだった。
新しい帳面を持って奥の控えの間へ向かう。
もちろん昨日と同じ護衛が二人、私の背後に控えていた。
廊下の曲がり角の奥から女中たちのものと思われる会話が聞こえてくる。
「今朝も門で一悶着あったらしいわ」
「恐ろしいわね。最近、屋敷内の警護の人数も増えて……」
「しっ、奥方様よ」
女中たちは私の姿を認めると、気まずそうな顔をした後に腰を折った。
聞こえていなかった振りをして、会釈だけ返して通り過ぎる。
控えの間へ入って、係の女中の一人と渡した帳面を確認し合う。
「米の在庫は帳簿上と一致しておりました。さすが奥方様でいらっしゃいます」
「それは良かったです。何かお困りごとはありますか?」
「ここ数日、街道で検問が増えているそうで、搬入に遅れが出ております」
「検問……?」
「余計なことを口走りました。奥方様、お忘れくださいませ」
女中はこれ以上、口を開く気はないようで私は元きた道へと踵を返した。
「――止まれ!!」
門の外から鋭い声が聞こえたかと思うと、甲高い金属同士がぶつかり合う不穏な音が聞こえてきた。
「奥方様、こちらへ……」
私が反応するより前に護衛が前に進み出て、促されるまま歩き出す。
歩調がだいぶ速かった。
転ばないように気をつけながら、素直に従う。
門からは揉めているような怒声。
護衛は私から門が見えないよう身体で隠している。
自室へと戻ってくると女中の一人が慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「奥方様、本日は決してお外に出られませんようお願いいたします」
「……ええ、わかったわ」
理由を聞いても困らせるだけだろう。
わかっていたから、そのまま受け入れる。
襖が閉じられて、私は部屋に一人になった。
室外ではまだまだ騒々しい物音がしている。
気持ちを落ち着けるために、景継様からいただいた筆を胸の前で握り締めた。
昼過ぎに部屋の外から女中の声がかかった。
「奥方様、弥生様がお見えになっています」
意外な訪問者だった。
「どうぞ」
私の声を合図に弥生様が静かに入室してくる。
用件だけ伝えにきたことはあるものの自室の中にまで、弥生様がいらっしゃったのは初めてのことだ。
普段の弥生様と変わらず雰囲気は落ち着いているものの、どこか表情に翳りがさしていた。
奥向きで弥生様の話題はよく耳に入る。
筆頭家臣の大宮殿が弥生様の側室案を進めていて、弥生様への期待が家中で高まっていると。
もちろん私に直接言ってくるわけもなく、廊下を通りかかった時に気まずそうに話を止められた。
「突然、失礼いたしました」
「いえ」
弥生様と向き合って座る。
私を真っ直ぐに見つめて、しばらく弥生様は黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「奥方様は外出を控えるように言われましたでしょう?」
「ええ」
私が返答すると、弥生様は小さく息を吐いた。
言葉にはしなかったけれど「やはり」と呟きそうな表情。
「奥方様は最近、屋敷内が物々しいとは感じませんか?」
曖昧な聞き方だとは思ったけれど、否定するのもおかしいほど、違和感はいたるところにあった。
「人の動きが激しいように思います」
「ええ。先のことを考えてのことでしょう」
先のこと……。
それが何を意味しているのかわからなかった。
弥生様は言葉を選んでいるのか、無音の時が続く。
「奥方様はご不安になりませんか?」
「不安……ですか?」
「立場というものは不変ではありません。急に変わることもありますから」
それは景継様の正妻としての立場ということだろうか?
「私は今の務めを全うするだけだと心得ております」
三年もの長い歳月、景継様に顧みられていなくても、今の私は正妻である。
例え明日それが変わろうとも、今の私は紛れもなく景継様の妻であることに変わりはない。
「奥方様はお強いですね……」
「強いというほどでは」
「いいえ。全てを受け入れるというのは強さを伴います。それに奥方様が取り乱したり、表情を崩すところを私は未だかつて一度も拝見したことはありません」
弥生様の言葉の意味するところがわからず、私は黙っていた。
弥生様もこれ以上、この話を続ける気はないのか、部屋の中へと視線を走らせている。
「その筆は景継様がお選びになったのでしょう?」
机の上の文箱に目線を向けながら、弥生様に質問を受ける。
「ええ、そう聞いております」
「景継様は昔から律儀な方でいらっしゃいますので」
弥生様は私に向かって微笑みかけてきた。
探るような視線を向けられ、景継様と弥生様の歴史の深さを言外に語られる。
私は静かに弥生様に微笑み返した。
「長居してしまい、失礼いたしました」
弥生様が退室すると静けさが戻ってきた。
光が澄んだ朝を連れてくる。
どこか普段と違った昨日までと比べて、今日の朝は穏やかだった。
新しい帳面を持って奥の控えの間へ向かう。
もちろん昨日と同じ護衛が二人、私の背後に控えていた。
廊下の曲がり角の奥から女中たちのものと思われる会話が聞こえてくる。
「今朝も門で一悶着あったらしいわ」
「恐ろしいわね。最近、屋敷内の警護の人数も増えて……」
「しっ、奥方様よ」
女中たちは私の姿を認めると、気まずそうな顔をした後に腰を折った。
聞こえていなかった振りをして、会釈だけ返して通り過ぎる。
控えの間へ入って、係の女中の一人と渡した帳面を確認し合う。
「米の在庫は帳簿上と一致しておりました。さすが奥方様でいらっしゃいます」
「それは良かったです。何かお困りごとはありますか?」
「ここ数日、街道で検問が増えているそうで、搬入に遅れが出ております」
「検問……?」
「余計なことを口走りました。奥方様、お忘れくださいませ」
女中はこれ以上、口を開く気はないようで私は元きた道へと踵を返した。
「――止まれ!!」
門の外から鋭い声が聞こえたかと思うと、甲高い金属同士がぶつかり合う不穏な音が聞こえてきた。
「奥方様、こちらへ……」
私が反応するより前に護衛が前に進み出て、促されるまま歩き出す。
歩調がだいぶ速かった。
転ばないように気をつけながら、素直に従う。
門からは揉めているような怒声。
護衛は私から門が見えないよう身体で隠している。
自室へと戻ってくると女中の一人が慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「奥方様、本日は決してお外に出られませんようお願いいたします」
「……ええ、わかったわ」
理由を聞いても困らせるだけだろう。
わかっていたから、そのまま受け入れる。
襖が閉じられて、私は部屋に一人になった。
室外ではまだまだ騒々しい物音がしている。
気持ちを落ち着けるために、景継様からいただいた筆を胸の前で握り締めた。
昼過ぎに部屋の外から女中の声がかかった。
「奥方様、弥生様がお見えになっています」
意外な訪問者だった。
「どうぞ」
私の声を合図に弥生様が静かに入室してくる。
用件だけ伝えにきたことはあるものの自室の中にまで、弥生様がいらっしゃったのは初めてのことだ。
普段の弥生様と変わらず雰囲気は落ち着いているものの、どこか表情に翳りがさしていた。
奥向きで弥生様の話題はよく耳に入る。
筆頭家臣の大宮殿が弥生様の側室案を進めていて、弥生様への期待が家中で高まっていると。
もちろん私に直接言ってくるわけもなく、廊下を通りかかった時に気まずそうに話を止められた。
「突然、失礼いたしました」
「いえ」
弥生様と向き合って座る。
私を真っ直ぐに見つめて、しばらく弥生様は黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「奥方様は外出を控えるように言われましたでしょう?」
「ええ」
私が返答すると、弥生様は小さく息を吐いた。
言葉にはしなかったけれど「やはり」と呟きそうな表情。
「奥方様は最近、屋敷内が物々しいとは感じませんか?」
曖昧な聞き方だとは思ったけれど、否定するのもおかしいほど、違和感はいたるところにあった。
「人の動きが激しいように思います」
「ええ。先のことを考えてのことでしょう」
先のこと……。
それが何を意味しているのかわからなかった。
弥生様は言葉を選んでいるのか、無音の時が続く。
「奥方様はご不安になりませんか?」
「不安……ですか?」
「立場というものは不変ではありません。急に変わることもありますから」
それは景継様の正妻としての立場ということだろうか?
「私は今の務めを全うするだけだと心得ております」
三年もの長い歳月、景継様に顧みられていなくても、今の私は正妻である。
例え明日それが変わろうとも、今の私は紛れもなく景継様の妻であることに変わりはない。
「奥方様はお強いですね……」
「強いというほどでは」
「いいえ。全てを受け入れるというのは強さを伴います。それに奥方様が取り乱したり、表情を崩すところを私は未だかつて一度も拝見したことはありません」
弥生様の言葉の意味するところがわからず、私は黙っていた。
弥生様もこれ以上、この話を続ける気はないのか、部屋の中へと視線を走らせている。
「その筆は景継様がお選びになったのでしょう?」
机の上の文箱に目線を向けながら、弥生様に質問を受ける。
「ええ、そう聞いております」
「景継様は昔から律儀な方でいらっしゃいますので」
弥生様は私に向かって微笑みかけてきた。
探るような視線を向けられ、景継様と弥生様の歴史の深さを言外に語られる。
私は静かに弥生様に微笑み返した。
「長居してしまい、失礼いたしました」
弥生様が退室すると静けさが戻ってきた。



