【短編】冷遇されていた正妻ですが、武家当主様からの独占愛が止まりません

 ***
 
 襖を開けて自室へと戻る。
 ほっとするのと同時に出かけた時に閉じていたはずの文箱の蓋が開けられ、机の上に置かれていた。
 真新しい和紙と筆が文箱の中に収まっている。

「これは……」
「ご当主様からでございます」
「景継様から? 私に?」
「はい。奥方様へ帳面の予備にと……」
 
 女中が私のそばまでやってきて隣で膝をついた。
 筆を持ち上げてみると、質の良いものだとすぐにわかる。
 指で触れた和紙も、今まで使っていたものより遥かに……。
 しばらく景継様からのいただきものを見つめたまま、言葉が出せずにいた。

「ご当主様が直々に奥方様へお選びになっていらっしゃったとのことでした」
 
 景継様がお忙しいなか、これを私に?
 景継様が私の筆を気に留めていてくださったなんて知らなかった。
 指に馴染む新しい筆。
 私が長く遣うことを景継様が考えてくださったかのように上質だった。
 早く、新しい筆と紙で文字をつづりたいわ……。
 胸の辺りに、じんわりと暖かいものが広がって、しばらくその感覚に浸る。

「――失礼いたしました。もう下がってよいですよ」

 筆を箱へと戻し、女中に声をかける。
 女中は一礼して退室していった。
 景継様から贈り物をいただける理由など思い当たらなかったが、久我山家の帳面を扱う者として気遣っていただけたのだろう。
 ちょうど使っていた帳面を控えへと置いてきて実地棚卸を任せたところだ。
 景継様からいただいた紙を新たに利用しよう。

「書きやすいわ……」

 滑らかな筆運びは紙と筆、両方が作用している。
 感想とお礼を景継様にお伝えしたいけれど……。
 きっと、その機会が巡ってこないことはわかっていた。

 先ほどから複数の足音がひっきりなしに部屋の外で動いている。
 私の護衛人員が増やされたりと、屋敷内の動きが慌ただしいことは勘づいていた。
 私の動線も制限をかけられている。
 ――考えても仕方のないことだわ。
 帳面の一つに向き直る。
 薪と油の消費が例年になく早い。
 特別、寒いわけではないのになぜかしら?
 冷える夜間の警備の人数を増やしているから?
 理由を探そうとして、また打ち止めた。
 帳面を閉じると、外はすっかり暗くなっていた。
 灯りを足そうとして、ふと気づく。
 油皿が空に近い状態だった。
 昼のうちに補充するのが女中の仕事の一つではあるものの、忙しくて手が回らなかったのだろう。
 ――自分で取りにいきましょう。
 台所に予備があるはずだ。
 私は立ち上がり、襖を開ける。
 夜風は想像以上に冷えていた。
 ――いつもより廊下が明るい?
 普段よりも灯同士の感覚が狭い気がした。
 足音をたてないよう静かに廊下を踏み出す。
 曲がり角へ差し掛かった時、背後に気配を感じた。

「奥方様、どちらへいらっしゃるのですか?」

 低い声の持ち主は控えの間にもついてきた護衛の一人の男だった。
 
「台所に油を取りにいくところです。すぐに戻りますので、お気になさらないで結構です」
「……」

 護衛の男は沈黙して、答えに窮するかのように瞼を伏せた。

「我々がまいります。奥方様は自室にお戻りください」
「いえ、もうすぐそばですので」
「では、お供いたします」

 少し台所へ向かうだけなのに、ここまで見張られているのは落ち着かなかった。
 かと言って押し問答し続けるのも良くはない。
 台所へ続く渡り廊下を護衛二人を従えて進む。
 外壁にも庭にも程近い場所に台所は位置している。
 今日は風が強かった。
 戸板の軋む音が、まるで人の悲鳴のように聞こえて心地悪い。
 ――その時、明らかに風の音とは違う何かを感じた。

「奥方様、お下がりください」
「――きゃっ……」

 私の腕を引かれ、護衛の男の背後に隠された。
 前へと進み出た護衛の二人は庭を睨みつけるように視線を尖らせている。
 けれど、次の瞬間には私へと向き直った。

「風の音でございました。奥方様への非礼をお詫びいたします」
「いえ、問題ございません」

 風の音にすら過敏になるほど護衛の男たちは警戒していると気がついてしまった。
 台所で油壺を受け取り、自室まで戻ってくる。
 その間、護衛の男たちは一定の距離を置いて、ずっとついてきていた。
 灯へ火をともす。
 揺れる炎が一人になった部屋を淡く照らしている。
 何だか私も落ち着けないわ……。
 けれど、今夜は早く休んだほうがいいと直感が教えてくれていた。
 今日しておくべき帳面の整理だけを終わらせる。
 文箱へ戻す前に景継様からいただいた筆をぎゅっと胸の前で握り締めた。
 灯を落として寝床に入る。
 外の音を無意識に拾おうとしている自分に気づく。
 ――探ろうとしているみたいで、はしたない……。
 眠ることに集中していたら、どのくらい経っていたのだろう。

「奥方様は眠られたようです」

 障子の向こうから低く抑えた声がした。

「異常はあるか?」
「ありません」
「交代までこのままで」
「はい」

 家臣たちが低い囁きでやりとりしている。
 何が起きているのかはわからない。
 でも、この部屋が警護の対象であることはわかっている。
 ――景継様に贈り物のお礼を伝えたい。
 欲が出ている自分に気がついて、気恥ずかしくなる。
 襖を隔てた外側では夜明けまで人の気配がなくなることはなかった。