【短編】冷遇されていた正妻ですが、武家当主様からの独占愛が止まりません

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 書院から自室へと戻ってきた。
 文箱に行儀よく収まる筆と帳面。
 いつもと変わりのない私の部屋。
 それでも、目に映る全てのものが淡く輝いて見える。

「――入っていいか?」
「は……はい……」

 景継様に声をかけられ、私は頷く。
 この部屋に景継様が入室してくるのは初めてのことだった。
 身体が強張ってくる。
 恐怖ではなく、胸の高まりが静められなくて。
 景継様は私と向き合うように腰を落とした。

「――小鞠には長い歳月、つらい想いをさせてきた。すまない」
「……いえ、そんな……」

 顔と顔を合わせて、夫婦で会話をする。
 そんな当たり前なことが三年もの間できずにいた……。

「景継様に離縁されぬという事実こそが、景継様のご意志であると信じておりました……」

 景継様の目を真っ直ぐ見つめて答えた。
 景継様と視線を交差させるというのは、こんなにも幸せなことなんだと。
 三年を経て、私の心を満たしていく。

「小鞠の、その目を見ないようにしてきた」
「……え?」
「――見れば必ず演じきれなくなる」

 景継様は私の頬の感触を確かめるように指で触れてきた。
 ――私に一度も触れたことがなかったのに……。
 触れられた場所から頬に熱が(とも)る。

「曇らぬ色をしている。光を宿したまま、少しも揺れぬ綺麗な瞳だ」
「……さようで、ございますか……」
「ああ。初めて小鞠と顔を合わせた時から、すでに惹かれていた」
「……」
「夜ごと、あの瞳を思い出してきた」

 ――夜ごと……。
 景継様が私を想ってくれていた時間の長さがどうしても伝わってしまう。
 
「もう演じる必要も、我慢も必要ない」
「……なら……私の名を呼んでほしいです」
「名を?」
「私に向けて、私だけに……」

 部屋の外からは夕風が木々を揺らす音が聞こえてくる。

「――小鞠」

 景継様から呼ばれるだけで、私の名前は特別な響きへと変わる。

「はい……」
「小鞠――小鞠……」

 景継様は私を力強い腕で優しく引き寄せると、名前を呼びながら、私のひたいへと何度も口づけを落としてきた。

「――景継様……」
「愛しき、我が妻。ずっと、こうしたかった……」

 景継様に抱き締められて、胸が震えているのを自覚する。
 私がここにいるのを確かめるように景継様の腕の力が強い。
 でも、それが不快ではなくて、むしろ……。
 私も景継様に答えるように、広く逞しい背中へと手を回した。

「夕餉のご用意が整いました」

 襖の外から控えめに女中の声がかかる。
 いつものように「こちらへお願いします」と反射的に答えそうになって唇を閉じる。
 
「――表へ」

 景継様は私を見下ろすと、私だけに聞こえるように低い小声で言った。
 意味を測りかねて、首を傾げると、

「今夜はともに」

 と、景継様は自分が立ち上がった後に、私の腕を引く。

「――今夜ではなかった。今後はともに取る」

 腕を引かれた勢いで景継様の胸の中へおさまった私に景継様は微かな笑みを刻んで告げる。
 端的だけど、揺るぎのない声色。

「……はい」

 そう頷くのに、少し時間を要してしまう。
 表書院奥の小座敷には、すでに二膳が用意されていた。
 最初から景継様は今日から私と夕餉を囲むつもりでいてくれたんだと、また胸の辺りが温かくなる。
 正座をすると、向かい合う位置に景継様。
 久我山家に嫁いで以来、夕餉を誰かと囲んだことはなかった。
 三年間、私は自室で誰とも向かい合わず、一人で黙々と食べるのが日常で。
 でも、今は……。

「――冷めぬうちに」

 景継様に促され、汁椀の蓋を開けると、湯気がゆらりと上昇した。
 箸を両手で持ち上げる。
 同じ膳であるはずなのに景継様とご一緒だと、いつもと味さえも違うように思えた。
 二人だけの静かな食事。
 ふと、景継様に見られているのに気がついて、頬を緩めた。
 私に返答するように景継様はわずかに目を細める。
 これが景継様なりの笑みなんだと、察してきた。

「――小鞠。……今夜、奥へ入ってもいいか?」
 
 食べ終えた後、景継様から尋ねられる。
 ――奥というのは私の部屋のことで……。

「夫として、参りたい」

 景継様が夜に私の部屋を訪れる意味は承知している。
 三年間、一度も越えなかった距離。
 
「……お待ちしておりました……」
 
 ――今日も一人で過ごし、一人で眠る。
 久我山家に嫁いでから、それが当たり前だと受け入れてきた。
 そんな日々は、もう終わり……。
 三年越しに、ようやく私は景継様に遠くから守られているだけの存在ではなくなるのだと……。
 景継様と、ともに歩みを進められる夫婦になるのだと、静かに理解した。


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