呪いは傍に在るもので

 深い眠りについていた気がする。
 目が覚めると看護師たちが慌ただしく動いていた。
 視界の端には二人の男女。
 以前見た影の二人とは違う。
「春正、秋山」
 彼は、目を覚ましたらしい。
「いや、弟の顔覚えてないことあるかよ」
 違ったらしい。
 感動を返してほしい。
「弟くんの名前忘れちゃうことある?」
 と、ケラケラ笑う彼女。秋山は合っていたそうだ。
 良かった、間違えていたら怒られるところだった。
「一時はどうなることかと」
「どういうこと?」
「あの後ね、あなたが目を覚まさなくなったの。一週間くらい意識のない状態が続いたんだって」
 もしかすると、あの神社で子供たちに押し潰されたせいなのか。
 夢だと思っていたが、現実にも影響を与え死にかけたということか。
 あの時、死んだ後の世界を見せてくれなかったのは、死なないことを理解していたから?
 『光里村』に行った時、本来あの川に入った時点で死んでいたというのなら、命を救ったのは父親。
 奥歯を噛んだ。
 あの頃のことが無かったことになるなんてことは絶対にないというのに。
「……それより、朝陽、治ったのか」
「…………あ、頭打っただけだから」
 変な間が気色悪い。
「何かあった?」
「『人狩村』って、何?目が覚める前に夢に出てきたんだ」
 『光里村』の旧村名。
「……『人狩村』」
 秋山の表情が曇る。
 当たり前だ。友人が生贄にされているのだから。
「気にしなくていいんじゃない?」
「いや、調べたんだ。実際にあるって。それに」
 僕のカバンの中身から『人狩村』の資料を取り出した。
 どうして、カバンにあるって知っているんだ。
「ごめん、チラッて見えたから。兄さんも調べてるんだよね?なら、教えて欲しい」
「それは……」
「彼女さんもいるみたいだし、後でもいいんだけど」
 ……ん、彼女さん?
 秋山さんはいるけれど、彼女さんではないぞ。
 と、弁明を図っているとガラッと病室の扉が開いた。
 角田と柴田、そして、父親が来ていた。
 どうして父親まで。
 まさか、同じ職場だったのか?
「朝陽くん、だよね。ちょっとお話いいかな」
 柴田が弟を呼び出す。
「あ、あぁ」
 視界の端で、彼女が涙を浮かべている。
「日向さん……」
 父親の名前。
「……美苗ちゃん?」
「うん、やっと会えた……」
「久しぶりだね。そうか、息子と仲良くしてくれていたのは、君だったのか。以前は、日が暮れていて顔がよく見えなかったから」
 知り合いだったのか。
「苗字にピンときて、いつか会えるんじゃないかって思ってたの」
「珍しい苗字だから、そうかもしれないね」
 そんなこと言ったら、全員珍しい苗字だが。
「思い出話の途中、申し訳ないんだけど、今回は、君ら兄弟に用がある。お嬢ちゃん、席を外せるかな」
「あ、はい」
 父親が、おいでと彼女を連れていく。
 角田と二人きり。
 何度もこのシチュエーションになるが、いまだに事件扱いなのだろうか。
「弟の事故を聞きたいなら、僕は関係ないでしょ」
「いや、大いにあるよ」
 と、取り出した資料を手渡される。
 そこには『光里村』についての内容が書かれている。
「君は、最近この村について調べているようだね。君のお父さんもこの村出身だ。ここの地域は、『光里村』から引っ越してきた者たちが多くてね、敏感なんだ、その村に行こうとする人たちに」
「それが、なんだっていうんですか」
「君は、『光里村』に行ったね?」
「え、はい」
「『あの河原』に行ったそうだね」
「何か、見たかい?」
「いや、何も。川に入ったら流されて。上がってくることもできなくて。誰かに、助けられました」
「……そうか。君の周りで事件が起きてるからね。実は、君のクラスメイトの菅沼君わかるかい?事故で死んだんだ」
「菅沼」
 それは、いじめっ子のリーダーで僕や秋山をいじめていた人の一人。
「最近は学校に来ていないみたいだったけれど、話を聞く限り君をいじめていたみたいだね」
「父親にそのこと」
「伝えてない。個人の情報には守秘義務があるからね」
「……」
「このままだといじめっ子たちが全員死ぬんじゃないかって思ってる」
 それは。
「君が思っているよりも事態は深刻なんだ」
「……でも、僕は何もしてない」
「そうなんだ。君はここ一週間以上寝ていたね。事件に関与はない。だけど、不自然な事故という共通点はある」
 そして。
「『光里村』は、呪いだけじゃない。君は、眠っている間に何か夢を見ていないかい?」
 影が二分して幼い男女が泣いていた。
「いえ、見てないです」
 あの出来事が事件に関係しているとはとても思えなかった。
「君にはこれから協力してもらいたい。旧村名である『人狩村』の神社の逸話を教える交換条件でどうだ?」
「僕には、関係ないですよね」
「そうかな」
 スマホを取り出した角田。
 画面には柴田と書かれている。電話をしていた。
 さっき弟が、柴田に連れて行かれている。
「君の弟は素直に全部喋ってるよ」
『夢で見たんです。というか、ずっと夢を見ていたんです。『人狩村』ってなんですか?僕は生贄にされるみたいで、叫んで、そしたら目が覚めて。ネットで調べても出てこない。なのに、兄さんが調べてた。資料があった。兄さんにも何かあったんじゃないかって聞こうと思ったんですけど、ダメでした』
 やっぱ。
『父親のように上手くいきません。父親は、優しい人でした。あの雰囲気で話せれば、話してくれるんじゃないかって』
 でも
『僕は、兄さんに嫌われていても仕方ない。だけど、だったらなんで『人狩村』について調べてたのか。なんのためなのか、僕は知りたい』
「君は、家族間でうまくいっていないみたいだね。孤立しているようにも見える。悪い、これはこれまでの経験による勘だよ。気にしないで」
 角田は、スピーカーをオフにして話を続ける。
 ミュートにしているため、こちらの声は弟たちには届かない。
「そろそろ決めてほしい。こちらとしては、死人を増やしたくないのでね。君のクラスメイトが死ぬのは、嫌だろう?」
 そうでもないと言えなかった。
 普通、人には死んでほしくないと思う。僕が、春正に思っているように。
 だけど、いじめてきたあいつらを許すつもりは毛頭ない。
 仲良くなりたいとも思っていないのだから勝手に死んでくれとさえ思う。
 ……いつかの自分とは考えがまるで変わっていた。
 自暴自棄とも言えるほど、周りのことなんかどうでもよくなっている。
「まぁ、いじめられていたらそう思うことはないか」
 以前は勘繰っていた彼だが、確信したと言えるほどのため息をつく。
「何が望みですか?協力してほしいとかいう割に、本当は協力なんて求めてないでしょ?」
「求めているよ。個人的には、君がこれ以上独りにならないで欲しいと」
「……は?」
 協力もクソもないじゃないか。
「君も春正君も独りだよね。事件が起きたら身元を調べないといけないからね、色々わかってきたんだよ」
「春正の身元」
「彼もね、『光里村』出身なんだよ」
 個人の情報は守秘義務があると言っておきながら、喋るらしい。
 知りたいことだったため、水を刺すようなことは言わなかった。
「彼は生贄候補の一人だった。だが、代わりに友達が生贄にされて、それからは心を閉ざしているんだってね」
「……」
「君は、知らなかったみたいだね」
「そういうこと普通喋るべきじゃないだろ」
 ほんの少し苛立った。
 秋山といい、春正も村の被害者だったのか。
 あの村の風習は無から生まれた。多数の不安を拭うために作り上げられた神を祀る哀れな崇拝者のせい。
 子供の悲しい残穢があの神社にはある。
 あれによって得られたのはなんだ。
 子供にとって大切な神社がとり壊されて、それでもなおウイルス感染の終息のためと生贄を奉った。
 犠牲が増えるだけで、何も変化はない。
 人の不安を取り除くことさえできなかった風習に何ができようか。
「高校生には荷が重かったか」
「子供の悲鳴が聞こえる。泣いている声が聞こえる。誰かが拭ってくれるのなら、生きていける。きっと秋山が生きていけているのは僕の父親がいたから。春正は、父親とは良好な関係らしいが、そんな相手いなかった」
 だから。
「あんたには、孤独に見えたんだろ。周りが見えていて、何もしない傍観者。大人はみんな見て見ぬふりが得意だ」
 父親は、勇敢だろうか。
 他人の子供は救えて、息子である僕を救うどころか殺したがった。
 男に優しくするのは甘えだと本気で思っているのか。
 心に穴がぽっかりと空いて仕舞えば、治ることなんてないのに。
 何度も穴を埋めようとすればするほど、傷は広がっていくというのに。
 傷つけてくるやつなんかみんな死んでしまえばいいのに。
 ふと脳裏にあの神社の子供達がよぎった。
 わかったよと、言われたみたいで子供達が神社の階段を降りていく。
 この映像はなんだ。妄想か?頭を振るが消えない。
 頭を手で抑えて、必死に首を横に振る。違う、そういうつもりじゃない。
 なんで、どういうこと?まさか、この子達は現実に干渉している?
「おい、どうした?大丈夫か?」
 首を横に振った。

『あの日、お兄ちゃんが助けてくれたから。今度は僕たちが絶対に助ける』

 何重にも子供の声が聞こえる。
 これはきっと生贄にされてきた子供達の声。
 違う。やめろ。声は届かない。
 子供達はどんどん階段を降りていく。
 最悪の場合を想定するならば、現実に干渉し殺しにいくというのか?

『みんな殺して欲しいんでしょ?あなたを大切にしてくれない全てものを』

 だめだ。やめろ。そんなつもりじゃなくて。

『助けてくれたから。助けたい。それの何が悪いの?初めて必要とされた気がしたの。偽善とか世間体とか関係ない』

 殺す必要なんてなくて。

『なんで?おかしいよ。矛盾してるよ。救われたくないの?あなたのおかげで救われたのに』

 大丈夫。一人で、どうにかする。

『そんなのできないよ。だって君も子供だよ。一人でどうにかできることなんてこれっぽっちもない。大人に粛清されるだけ』

 待て、それ以上動くな。もう、大人だから、僕は。

『大人?そんなわけないよ。だって君もあの時、泣いていたでしょう?』

 パッと子供達が消えていく。
 顔に汗が浮かんでいた。
 悪寒が走る。
 息が乱れていく。
「おい!おい!大丈夫か!?」
 目の前には角田がいる。
「とりあえず、水でも飲め」
 渡されたペットボトルの蓋を開けて、水をグビグビ飲む。
「角田さん、交換条件は?呪い以外に何かあるっていうんですか?」
「それは」
 彼の言葉を遮るかのように扉が開いた。
 柴田が立っている。
「春正君、目が覚めたそうです」
「本当か!?」
 角田が立ち上がる。
 僕も行こうと体を動かすと角田が制した。
「君はまだ検査が終わってない。それが終わったらきなさい」
 彼は病室を後にした。
 取り残されたこの病室で一体何ができるというのか。
 窓の外を見やる。
 外は相変わらず景色がいい。
 窓の反射に気づく。
 自分の顔が見えると伏せたくなる。
 じっと見つめてみると僕の顔が映るべき場所に知らない子供が映った。
「……誰」
「君の助けになるから。絶対に」
 窓に映る子供が喋る。
「まさか、あの神社の」
「うん、助けてくれたんだもん。あなたの大切な人を助ける。あなたの嫌いな人は殺す」
 ゾッとした。
 こんなにも悪意を持たぬ善意があるということに。
 昔からそうだったはずだ。
 人の正義や善意は、悪意を知らない。
 悪意に感じるのは受け取り手の問題。
 どうして今、目の前の子供の言葉をすぐに断れないのだろう。
 僕が、望んでいるからか。
「君は、殺して後悔しない?」
「しないよ、だって、僕は殺された」
「『人狩村』の風習だよね」
「うん。結局、何も得られてない。誰かの不安の解消材料にされただけ。今も続いているって異常だよ」
 子供達はとっくに気づいていた。
 『人狩村』の風習が間違っているということ。
 そして、その間違いを正す機会を待ち侘びているということ。
 現実は、その事実を抹消しようと口を噤む者ばかり。
 だから。
「動機が欲しかった?」
「……まさか。僕は、君を助けたい」
「違うよ。そんな話なら、僕は君らに助けを求めてない」
「なんで?助けを待ってるじゃん。ずっと、君を苦しめている人たちがいる。その人たちが消えれば、君はこの世界を少しはマシな者だと思えるはずだよ」
「求めてないんだよ!!そんなこと!!」
 ベッドを拳でぶん殴る。
 怒声を他人に浴びせるだなんて初めてだった。
「君たちがやろうとしているのは虐殺でしょ?いや、『人狩村』の風習だって殺人だ。全部おかしい。わかってる!!でも、求めてないんだ……。いじめっ子が死ぬことも弟が死ぬことも父親が死ぬことも」
「……なんで」
「なぁ、ほんとに助けて欲しいって顔、僕はしてる?」
 窓に映る顔が子供の顔のせいで、僕の顔はわからない。
 君にしかわからない。
「それは……」
「一度でも助けて、って言った?」
「……」
「誰も、殺すなよ」
 首を横に振る彼。
 おかしいおかしいとうめく。
 窓にだんだんと子供の顔が増えていく。
「そんなのおかしいよ!!なんで!?一方的に殺された僕らを、君が助けてくれた。君の環境を見ているととても苦しいものに思える。なんで、その環境を許せるの?意味わかんないよ」
「……」
 許しているのだろうか。
 弟に罵声を浴びせられ、父親からの暴力は消えたのに、会えば変わらず怯えている。学校でのいじめもいつ終わるのか、終わったところで次の的ができてしまうだけではないのか。実際に秋山が的にされた。
 怖いという感情は、他人からくるものだ。
 そう思っていたはずなのに、彼らの言葉で揺らいでしまう。
 許せない。
 許すつもりは毛頭もない。
 だけど、死んで欲しいとは思ってない。
 いつか死ぬ。
 この人生はいつか終わる。他人も同様に。
 それが早いか遅いかの違い。
 今、ここでいじめっ子たちが死んでもすぐに僕も死ぬかもしれない。
 未来は予想できても、予想通りに生きることはできない。
 僕が今ここで死ぬかもしれない。
 それを僕は許せるだろうか。
 春正と話すまでは死ねない。
 彼を死なせたくない。
 廊下からいじめっ子の天野が死んだと柴田の声が聞こえた。
 子供達は本気だ。
 ため息をつく。
「…… 意味、わかんないよな。僕もそう思う。だけど、少しだけでいい。少しだけ、見ていてほしい」
 僕は、スマホを取り出して春正に電話をかけた。


 命には上限がある。
 その人によって違うことも含めて、何もかもを理不尽だと言うべきか。
 みんなが長寿ならば、この世界に早死という概念はない。
 ましてや、自殺なんて言葉もないのだろう。
 だけど、この世界には自殺も早死も存在する。
 僕らのように。
「久しぶりだね。どんだけ寝るんだよ、春正」
 いつかの『あの河原』に来ていた。
「変な経験ばっかしたよ、春正が寝てる間に」
「なんで生きてんだ、俺は」
「生かしたんだよ、僕が」
「……は?生かした?」
 神社で子供を助けて、子供が僕を助けたいと言った。
 あれはきっと春正の目を醒させた。
 弟もまた目を覚ましていた。
 代わりにいじめっ子二人が死んだ。
「お前、俺が眠っている間に」
「あの森の奥に行ったよ」
「……なんてこと」
「現実世界にもあるって知った時は、びっくりした。なぁ、なんで全部隠してたの?」
 死にたい理由が友達にあるというのなら、どうして僕に言ってくれなかったのか。
「『人狩村』の風習を知っているんだろう?なんで、そんな危険なことをするんだ。飲み込まれたらどうする?」
「飲み込まれる?よくわかんないけど、春正は、過去に友達を失ってるんだよね?」
「……っ」
「それが理由で死にたくなった?違う?」
「…………誰から聞いた」
「それは、答えられない」
「だいたい予想はつくけど」
 さすが優等生、察しがいい。
「僕も、まさかそんな危険な村が存在するなんて知らなかった」
 ちょっと散歩しようかと歩を進める。
 彼もゆっくりを歩を進めた。
 河原沿いをゆっくり進んでいく。
「父親がまさか『光里村』出身だったなんてね」
「君のお父さんは、とても優しい警察官だった」
「知ってるよ、みんな言うから」
 でも、現実は家族に暴力を振るう悪魔。
「村の風習に歯止めを刺したのは君のお父さんだ。あれ以降、生贄はいなくなった……。あともう少し早ければ、こんなことにはならなかった」
「こんなこと?」
「僕らの代は、犠牲者が多い。あの感染症のせいだ」
「……」
 歩を止めていることに気づき、僕も止めた。
「最初は、村に被害が出ないようにと長らく行われていなかった生贄を一人祀った。十一だった僕らは、まだその現実を理解してなかった。小学生の誰かが犠牲になる。その時は、まだ僕らの周りで生贄が出ることはなかった」
 しかし。
「感染症は猛威を振るった。村に感染症にかかった人が出てきた頃だ。もう一人生贄を祀ることになった。小さな小学校だから生贄一人でれば、すぐに誰なのかわかる。その時、犠牲になったのは、秋山の友達だ」
「……」
「テレビでは、ずっと感染者数を報じた。マスクをしろと外出するなとメディアは煽った。マスクしない者にインタビューして悪者に仕立て上げた。世間の風当たりを強くさせた。なのに、この村の風習は一切報じない」
 これは。
「間違ってないのか?君のお父さんが疑問に思ってた。俺もそうだ。秋山だって本気で村の風習に憤ってた」
 だから、あの頃父親は外出が多かったのか。
 休日出勤だと聞いていたが、違ったのか。
 ……いや、最初から気づいてた。
「でも、村はまだ生贄を出すつもりだった。三人の生贄を祀り感染症の拡大を抑え、終息を望んだ。選ばれた候補に含まれていたのは、俺の親友だった」
「……」
「いつか俺たちも生贄になるんじゃないかって、両親は不安になった。小学校を卒業するタイミングで今の村に引っ越すことを決めた」
 でも。
「春正の憤りは、僕にあるんだろう?」
 彼の言葉を遮る。
 本当は全部、知っていた。僕が悪いってこと。
 父親に殴られるようになった原因も全てそれに起因する。
 悪魔を産んだのは他の誰でもない息子である僕自身だった。


 ある日の昼。マスクをして外出する父親の車のトランクに隠れ跡を追った。
 父親が普段何しているかを見に行こうと思ったのだ。
 休日出勤と言っていたから、交番にでもいくのかと思っていたのだが、現実は違った。
 知らない村の知らない家。
 同じ年くらいの子供が三人。
 トランクにあった子供のぬいぐるみを抱き抱えて茂みに隠れる。
 好奇心もあったんだろう。
 このぬいぐるみが何に使われるかもわからないまま、父親の仕事の様子を見ていたかった。
 この頃までは父親と仲が良かった。
 四人で何かを話している。
 遠くて聞き取れないが、真剣な顔つきだったので邪魔しないでおく。
 チラッと遠巻きに数人のおじさんたちがやってくる。
 それに気づいた父親が男子一人を家の奥へと隠れるようジェスチャーし、急いで、車のトランクを開ける。
 焦る父親の姿で気づく。
 このぬいぐるみが欲しいのかと。
 初めてきた村で不安に思っていたが、使う必要があるのなら、渡すべきだ。
「父さーん!」
 無邪気さがいけなかったのだろう。
 父親は初めて僕の頬をぶった。
 衝撃的な出来事に思考が停止する。
「なんでここにいる!?」
「え、なんでって、ここ最近毎日出勤してるから気になって」
「お前は、ここに来ちゃいけない!早く車の中に入って。それとこれは没収だ」
 僕が抱き抱えていたぬいぐるみを奪い取る。
「なんで!これ、あの子供達にあげるの!?嫌だ、欲しい!」
「欲しいとかじゃないんだ!これは大事なんだ」
「大事って?僕より大事なものがあるの?」
「それは……。大事だけど、他にも守らないといけないものがある」
「警察だから?」
「あぁ、警察官だから。村民の安全も守らないといけない」
 父親は、隠れるように告げる。
 居た堪れなかった。
 僕よりも大事なものがある。
 それは、このぬいぐるみを犠牲にできるものらしい。
 こんなにかわいいぬいぐるみに何ができるのか。
「村の人のことは村でどうにかするべきだよ」
「どうにもできないことだってある。歯止めの効かないことがある。でも、回避はできるかもしれない。とりあえず、今は逃げて。人命が大事だ」
「人命って……」
 どうにもできないことなんてあるのだろうか。
 この村の仕組みを知らない僕は、父親を止めることに必死になっていた。
 ぬいぐるみ一つで一人の命を守れるだなんて思ってもいなかったのだから。
「この件が片付いたら教える。覚悟はあるんだろう?」
 父親がいう。
 覚悟の伴う話だなんて思いもしない。
 そのくせ。
「わかったよ」
 と、何もわからないくせして、口だけだ。
 背中を向けて、子供達の元へ戻る父親。
 村人たちが家のインターホンを鳴らしている。
 父親は、そそくさと窓から家に入り、台車の上に段ボールを置いて村民に見せている。
「この中に生贄が入ってる。眠ってるから起こさないであげてほしい」
 父親の声がひどく冷徹なものに聞こえる。
 生贄とは、この時代に何を言っているのか。
「そうか。よくやってくれましたね。これでこの村も世界も平和にできるかもしれない」
 平和。それは何かを犠牲にして成り立つものなのか、子供の僕にはわからない。
「警察がこちらの味方で良かった」
 犠牲のために子供が連れていかれる?そんな突飛由もない発想に汗が滲む。
 まさか父親がそんな大罪を犯すだなんて思えない。
「えぇ、このあとは任せました。私は警察である以上、これ以上は踏み込めない」
「わかってますよ。頑張ってくれてありがとう」
 その台車ごと受け渡す父親。
 こんなところに隠れていられるわけがなかった。
 命を守ると言っておきながら、守るつもりはなかったのか。
 子供の命を犠牲にするだなんて最低だ。
 気がつけば、歩は二歩三歩と進んでいた。
「あの」
 僕に気づいた村人と父親。
「なんで、ここに」
「彼は?」
「ここの子ではなさそうですね」と、もう一人の村人。
「それ、何が入ってるんですか」
 さっきまで父親と話していた子供の誰かが眠らされ生贄になるのだとしたら、許せない。
「みたいか?」
 村人が腰を下げて、ダンボールを開けた。
「やめろ!」
 父親の言葉は時すでに遅く。
「なんだ、これは」
 段ボールに入っていたのは、さっき父親から奪い取られたぬいぐるみだった。
 まさか。
 気づいた時には、遅かった。
 村人は、父親を強引に引き剥がして他人の家に入っていく。
 後になって父親は、子供を守るためにぬいぐるみを犠牲にしたと知った。
「日向さん、言いましたよね!?子供がいないと村は救えないと!」
 あの三人の子供を守るためにぬいぐるみを利用した。
 村のことは村でどうにかするべきだと僕は言った。
 だけど、まさか人の命の関わり方がこんなものだったなんて思いもしなかった。
「見つけた!まだ候補の子が一人がいる!」
 そこにいたのは、男の子一人。外にいる僕からは見えない。
 他の二人は身を隠しているのか。
「さっきこの子が上手くいったの!?と口にしてた。日向さん、あんたは裏切るつもりだったんですか?」
「そんなつもりは」
「とにかく、見つけたんだ。あとはこっちでやる」
「……」
 車で連れていかれる子供を見やることしかできない。
 悲鳴をあげて、泣きじゃくる彼はいまだに鮮明に覚えている。
「夕陽、家に帰ろう」
 父親は、それ以来僕を目の敵にしたように殴るようになった。


「あの時にいたのは、春正なんだろう?」
 外から見えなかったが、今思えば、彼だった。
 自分が何もしなければ上手くいった作戦を僕が全部壊した。
 目の前の彼が死を望んでいるのは、きっと大切な友達を理不尽に奪われたから。
 小学生から『あの河原』で会っているというのに何も知らなかった。
「……」
「苗字で気付いたはずだよ。あの時にいた子供だって」
『こいつは、誰?』
『僕の息子だ。君たちはもうこの村から出て行ったほうがいい。また犠牲者になる』
 あの時彼らの目は忘れられない。
「な、どうして、僕に話しかけてくれたりなんかしたんだ」
 『あの河原』で出会ったにしても、もっと気づくタイミングはあったはずだし、距離を置くタイミングもあったはず。
 高校生になるまで苗字を知らなかったにしてもどうして、憎むべき相手と友達なんかになろうとするんだ。
「……友達が欲しかったからかな」
「僕じゃなくても」
「『光里村』の噂を知ってる人は多い。逃げ出した俺たちから距離を置く人も多かった。中学に入る頃に引っ越したから知らない人も多かったけど、それでも居場所はなかったよ」
「……」
 川に体を向けて話す彼は遠い目をしていた。
 その横顔を見やる勇気を僕は持ち合わせていない。
「日向さんの苗字が、南風なのは知ってた。珍しいし、君があの時いた子供だってことも高校生になって知った」
「だったら」
「日向さんと同じで、南風が優しい人だって言うのも知ってた。昔から会ってんだからわかるよ」
「……そんなこと」
「あるよ。だから、高校生で同じクラスになっても話しかけた。日向さんの言う通りだった」
 でも。
「あの時のことは忘れてない。忘れてないし、南風が話を聞いてて、飛び出したのなら、立派なヒーローだ。日向さんと同じ」
 立場は全く違って、僕は村の信仰の手助けをしたヒーロー……。
「……」
 体を僕に向ける彼。
 許されていいはずがない。
「あの日から、壊れたんだよね。君たちの家族仲は」
「……っ」
「俺も秋山も知ってた。一向に日向さんの名前が上がらないこと、苗字は一緒なのに、家族の話をしたがらないこと。バイトをしていること」
 うちの学校は、事情がない限りはバイト禁止だ。
 何か理由があって申請が通ったということは家族内で何かあったということと同義。
 訝しむのも当たり前だ。
「秋山と話したんだ。日向さんに会って何があったのか聞きたいと」
 だが。
「日向さんは、俺たちにも会いたくない、休職してる、家は引っ越したと聞いた」
「僕が、壊したんだ」
「違う」
「違うわけない」
「違うんだよ」
「違うよ、だって!」
「お前が壊したわけないんだよ!俺たちが日向さんに相談しなければ、南風の家族が壊れることなんてなかった!俺たちがあの村に生まれて、あの村で育って、当たり前に生贄文化が根付いていた。他の誰かが生贄になっても何も追わなかったくせに、自分たちの番ってなったら、構わず助けてもらおうとした俺たちが間違ってたんだ!!」
 半狂乱に叫ぶ彼は、膝をついた。
「ごめん、俺たちのせいだ」
 首を垂れて涙声になる彼。
「俺たちのせいで……、ごめん……っ」
 まさか。
「死にたがってたのは、僕の家族が離婚しているのを知ってたから?」
「ごめん」
 贖罪のつもりでいつも一緒にいた?
 友達とか関係ない。
 せめてもの償いだった。
 だから、いじめられている時も一緒にいた?
 誰かがそばにいてくれると生きていけるとわかってるから。
 なんだよそれ。
 全部、僕のせいじゃんか……。
 それなら、憎んでくれたほうがマシだった。
 殴ってくれたほうがマシだった。
 僕は、許されちゃいけない。
 なんで、僕じゃなくて、春正が謝ってるんだ……。
 彼に言ってやれる言葉なんて思いつかなかった。
 これまでの春正とのやりとりは全部、嘘だったのか……?