呪いは傍に在るもので

 お前から連絡が来るとは思わなかったと父親はいう。
 予定を合わせて、夜のカフェで待ち合わせることになった。
 先に到着していたらしい父親から連絡が入る。
 足早に向かうけれど、だんだんと重くなってきた足は歩を止めた。
 どうして、今更怖くなっているのだろう。
 どうして、今になって父親に会おうだなんて考えてしまったのだろう。
 気持ちが先行しすぎた結果がこの様か。
 春正や弟が『人狩村』の呪い関連だと決めるための決定打になり得るのが父親。
 そんなこと思わなければ、こんなにも息が上がることはなかったというのに。
 角田から弟の事故の時の内容を聞かされた。
 なんでも自転車が宙に浮いてバランスを崩し自転車から離れてしまい地面に頭を強打してしまったのだという。
 にしても、父親に会うのは間違いだ。会いたいはずがない。
 もっと他の誰かに聞く選択肢だってあっただろう。
 しかし、カフェを選んだのは父親だ。
 二人きりで会うこともできただろうにそれをしなかった。
 何かあれば、他人が介入してくれるかもしれない。
 そんな希望もあってこのカフェまで来たわけだが、やはりあの頃の思い出してしまう。
 初めて殴られた日のことなんて思い出したくない。
 それに、なぜ殴られていたのかもあまり考えたくない。
 だが、忘れる方がよっぽど難しい。
 これ以上思い出すとめまいがしそうだ。息を思いっきり吸う。
 思いっきり吐いて、意を決してカフェに入る。
 辺りを見渡すと奥の席に父親が座っていた。
 コーヒーを頼んでそれを持って父親の向かいに座る。
「久しぶりだな、夕陽」
 父親の姿は何一つ変わっていなかった。
 以前と変わらない風貌に驚くこともない。
 ただ、怖いという感情だけが脳を埋め尽くす。
「久しぶり」
「学校はどうだ」
「普通だよ」
「……会いたいなんていうから、びっくりした。何かあったか?」
 想像以上に親切だ。どうして優しいのか、わからない。
 憎んでいて当然のはずなのに。
 あの頃ならこんな態度一切許さなかったはずなのに。
 笑顔でいなければいけない環境にいたはずなのに。
 今、僕は無意識に笑顔でいられているのだろうか。
「ちょっと、調べ学習の一環で」
 カバンから秋山が探してきてくれた資料を机に置く。
「父さん、『光里村』出身だったよね。どんな村だったの?」
「……」
「学校の友人が、この村の呪いにかかったかもしれない」
「……っ!?」
「やっぱり、何か知ってるんだ」
 父親の顔が曇っていく。
 離婚する前、出生の話になった。それも調べ学習の一環。
 高校でも調べ学習がある体にして話を広げる。
 僕は、この町出身で『この町は安全だ、のびのびと生きていけるんだぞ』と父親はいった。
 のびのびと生きるとは反対に、窮屈に生きてきた。
 父親は今、僕を見て何を思うだろう。
 のびのびと生きていると思うだろうか。
「この村では、神社があるはずなんだ。だけど、地図アプリでは見当たらない」
 資料の地図とアプリを照らし合わせる。
 どう見てもそこに神社はない。
 そして、あの河原で見た神社は、壊されていなかった。
 廃神社だと聞いているが、壊れているにしても壊れていないにしてもどちらにせよ見つからなかった。
「父さん、答えてほしい」
「無理だ」
「僕は今日このために呼んだ」
「調べてどうする。もう呪いは終わった」
「終わった……?みんなそんなこと言うよ。秋山さんも図書館にいたおばさんも」
 図書館で会ったおばさんもそんなことを言っていた。
 感染症が終息し始めた頃が二年前。
 家庭が崩壊した頃より少し先。
「『光里村』の呪いは本物なんだ。これ以上、関与しない方がいい。関与してほしくないから、『光里村』から引っ越したんだ」
 それなのに、自分が家族を壊した。
 やっと安住の地を手にしたというのに、自分の手で潰した。
「自分の住みたかった町で離婚した母と子供がいるってどっちの方が呪いなの?」
 嫌な質問をしてしまったと思った。
 怖いはずの相手が怯えているからか、物怖じすることもない。
 冷静だと思っていたけれど、案外僕は、感情的になっている。
「夕陽……」
「僕は、家族の方が呪いだと思ってる。やっと父さんから解放されたと思った。でも、弟は、僕を憎んでる。家族を壊した本人だと思っているから。でもそれは事実だよ。僕は呪いの子だ。呪いが呪いを殺す。相殺するみたいで面白いじゃない」
 と、空っぽな笑みを浮かべた。
 どんな結果になろうとそれによって自分が死んでしまってもそれでいい。
 必要とされる人間じゃない。
 学校に行けばいじめられて、家にいれば暴言を吐かれる。
 どこに行っても居場所はない。
 そんな奴がどこに行こうが勝手だろう。
「やめろ、それだけはダメだ」
「じゃあ、今、本当に呪いが終わったって思う?弟も今、自転車が宙に浮いてバランス崩して頭を打って入院してる。なぜか警察の角田さんも来た。これは、『光里村』の呪いが起因しているんじゃないの?」
「……」
「そんなに言いたくないなら、神社に連れてって。連れて行かなくてもいい。道を教えて。一人でも僕はいく」
 父親は、口を開いては閉ざしてを何度も繰り返し。
「……どうして、そこまで」
 尻すぼみする父親。
 出せる言葉はそれだけだった。
「大切な人の意識がいまだに戻らないから」
 春正を思い出す。
 いまだに寝たままの彼は意識不明のまま。
「ダメだ」
「じゃあ、手探りで探すよ」
 資料をカバンにしまい、席を立つ。
 僕の背後から父親の声がした。
「もう終わったんだ。あとは任せてくれないか?」
「……僕は、父親を、警察を信じない」
「……」
 チラッと父親の顔を見やるが止めようと必死だった。
 初めてそんな顔を見て、苛立ちが募る。
 あれだけ暴力を振るって自分のストレスを発散してきたやつがこんな惨めな顔をするのか。
 いつか僕もそんな顔をするのか。
 春正に腹割って話すことになれば、惨めな姿を晒すのか。考えるのは止そう。
 奥歯を噛み殺して、歩を進めた。
 なるべく早く、今まで以上に早く。
 気がつけば、走っていて、息が切れるまで無心で足を動かす。
 近くの公園が見えて、休憩がてらベンチまで向かう。
『なんでテストで百点も取れない!?』
 小学生の頃か。頬に伝うじんわりとした痛み。
 叩かれてもないのに、痛みが広がった。
 左頬を触れる。
 思い出すだけでも痛みを感じる。
 なんであんな顔するんだ。
 あの顔は、母親だけが見せていたものだろう。
 心配させまいと笑顔を作り続けた僕は、いつかそんな顔を作ることもできなくなって、泣くことさえなくなった。
 なんで、あいつが、あんな奴が弱りきってんだ。
 警察は町の治安を守るためにあるんじゃないのか。
 できないなら、治安なんて守れない。
 僕は、父親に警察らしさを求めたことなんてあっただろうか。
 カバンを地面に叩きつける。何一つ求めたことなんてなかった。
 地面にあるカバンを足で何度も踏みつけた。ずっと僕だけをみていて欲しかった。
 父親に見立てたカバンを何度も何度も蹴り付ける。ずっと笑顔でいる代わりに見返りを求めた。
「なんで、なんで……っ。どうして……、みんなして……っ!そんな顔できるんだ……っ!!」
 被害者は、そんな顔さえ許されないのに、加害者の方が感情的になりやがって。
 だったら今、僕はどんな顔をしたらいい。
 どんな気持ちを抱けばいい。
 どうしたら、普通に生きられた……。
 どうしたら、家族が壊れずに済んだ……。
 どうしたら、みんなと仲良くできた……。
 暴力や暴言のない空間にいられた……。
 なんで、僕だけ……、間違ったレールに足を踏み入れてしまう。
 ……でも、もう失いたくない。
 春正だけでも戻ってきてほしい。
 あいつがいないと、ダメなんだ。
 僕の味方はあいつだけなんだ。
 なぁ、春正。僕が、絶対助けるから。
「『光里村』に行くよ」
 気持ちは落ち着かないが、カバンを拾う。
 砂を払い落として肩にかける。
 一人なら誰にも迷惑をかけないはずだから大丈夫。
 どうせ今なら、誰も傷つかない。
 誰も悲しまないのだから。
 僕には、歴史を知るチャンスがある。


 家に帰り、準備を進める。
 できれば朝の方がいいだろうとリュックに資料とモバイル充電と財布と入れて『光里村』まで向かった。
 コンビニで軽食を買い、バスに乗る。
 市が閉鎖させていないからか、バスは通っている。
 しかし、そのバスはどんどん人が降りていく。
 『光里村』は、山を一つ越えたところにあるのだという。
 この地域は、ひとつ山を越えただけでもクソ田舎なのに、どうしてもう一つ山を越えるのか。
 というよりも、『光里村』は、山の上にあり家の数も少なく道路も満足に整備されていない。
 確か、この辺に僕の通う高校の姉妹校があったはず。
 最悪、何かあったときはそこに逃げようと思ったが、姉妹校がどこなのかわからない。
 バスが到着して金を入れる。
「お客さん、この村の人?」
 バスの運転手が問う。
「いえ、違いますけど」
「それならどうしてこんなとこに?」
「どうして……、あ、そうだ、おじさんはこの辺の神社の存在知ってますか?」
「……」
「知らないなら大丈夫です」
 入金が完了し、バスを降りようと踵を返す。
「あまり行かない方がいい。迷うとかそんなんじゃない。呪いに飲み込まれる」
「……別にいいです。助けたい人がいるので」
「ダメだ。君のような子が一番飲み込まれてしまう。知っているんだろう?『人狩村』ってんのは、子供を犠牲にするんだ。二年前にようやく収束した感染症だって犠牲あってこそだ。もう終わったんだ」
「終わってない!なら、なんで僕の友達が誰もいないところで背中を押され事故に遭うんだ。終わってなんかない」
 間髪入れず言葉をぶつける。感情的になってしまった。
「……っ!?」
「おじさんが止めようと僕はやめません。神社を探します」
 バスを降りて礼をする。
 観念したようにおじさんはバスを走らせた。
 下手に山頂を目指すよりも『あの河原』を目指そう。
 川を越え森を歩いていけば、神社があった。近道だ。
 スマホで地図アプリを開く。
 この辺に河原はないか。
 バスからみた景色では、河原は見当たらなかった。
 バスの行った先の道に川が流れていると地図で見つける。
 向かう道中、誰かに見られている気がしたけれど、気にせず向かう。
 そこはやはり以前僕が徘徊したあの河原付近の地形と同じだ。
 そして。
「見つけた」
 この川を越えれば、神社はある。
 春正が言っていたような死後の世界に通ずる道だとはとても思えない。
 その先に神社があるとも思えない。
 とりあえず、向かうほかない。
 何も知らないのだから、何も得ていないのだから、森へ踏み込んだ後で考えればいい。
 川に一足浸かる。
 思っていたよりも冷たい。他人からしてみれば、夏も過ぎた頃だというのに、川遊びしているやつに見えるだろうか。
 二歩三歩と歩を進める。
「やめなさい!」
 おばさんの声に振り向く。
 以前、図書館で出会ったおばさんだった。
「なんで」
 もしかするとおばさんはこの村の住人で町まで遊びに来ていた可能性がある。
 嫌な場面に出会したなと他人事のように思う。
「それ以上踏み込んだら、帰れなくなるわ」
「あなた、誰ですか」
 後もう少しだというのに、邪魔が入って苛立つ。
 それが言葉に出ていたようで。
「ほっといてもらっていいですか?」
「だめ。それ以上は近づいてはならない」
「……なんで?」
「命を粗末にしてはいけない」
「でも、この村は、子供の命を粗末にしていたんですよね。あなた、この村の人ならわかるんじゃないですか?」
「だからこそよ。もう、犠牲は出したくない」
 それにと。
「あなた、東村の学校の生徒よね?」
「……」
「隣にいた女の子は?あの子は、どうなったの?」
 秋山さんのことを言っているのだろうか。
「一人で来ましたよ」
「あの子が危ないわ」
「出鱈目言ってないで、名前くらい名乗ってくださいよ。それに、そんなに危ないなら何があったのかくらい教えてください」
 まるで話にならない。
 これ以上、邪魔をするなら無視してもいい。
「甘摘よ。この前も言ったけど、呪いは本物なの」
 いまさら名乗られても森に行く決心はついている。
「呪いを今時の学生が信じると?」
「えぇ、あの子も知ってることよ」
 馬鹿馬鹿しい。
「もういいですか?迷惑です」
 聞く耳を持たず、足早に川を渡る。
 神社に着けば何かわかる。
 進んでいけば行くほど、深くなっていく。
 地に足がつかなくなって、溺れかけた。
 必死にばたつかせて上へ上へと向かう。が、思ったように上がれず下に沈むばかり。
 うっすらとした視界の中で、腕についたあざが見えた。
 あの時、河原で『人影』に掴まれたもの。
 あいつ出てこいよ。
 死後の世界なんか見せてないで、今救ってみせろよ。
 なんで、こんなことになってんだよ。死ぬなら死ぬでそれでいい。
 苛立ちが募っては消えない。
 昨日からずっと胃のムカムカが収まらない。
 父親になんか会わなければよかった。
 どうして今になって後悔するんだ。
 あぁ、もうめちゃくちゃだ。
 『人影』に神社で見せられたものを思い出す。
 ここだったのか。
 この場所で僕は死んでしまうのか。
 そして、誰も悲しむことはない。
 秋山と春正だけが僕の墓に来てくれる。
 春正が戻ってきてくれるのなら、それはそれでいいのか。
 僕の死に場がここならそれはそれで、いい。自業自得だ。
 ばたつかせていた体を止めた刹那、川の水が口に流れ込み、気を失った。


 目が覚めると知らない天井が見えた。
 ここはどこだと、辺りを見渡すとそこには父親がいた。
「……っ!?」
 どうして、母親ではなく父親がいるんだ。
「目、覚めたか。病院だ」
「なんで」
「『光里村』に行ったろ」
「……」
「あれほどやめろと言ったのに。甘摘っておばさんが教えてくれた」
 あの時、誰かに見られていると感じたのは、もしかして。
「父さんが、つけてたのか」
「すまない」
「謝られても困る。呪いだとか抽象的なものばかりで、うざったい。もう一度、僕は『光里村』にいく」
「呪いは本当だ。そして、あの川は渡ってはいけない。死んでしまう」
「……今更なんだっていうんだ」
 求めていた家族の理想は消えた。
 欲しかったものはもう手に入らない。
 死んだって誰も悲しむわけがない。
 あの河原であの『人影』が見せたものは本物だ。
「呪いがどうとか」
「ずっと聞けずにいた。その手首のあざはなんだ」
「父さんには関係ない」
「あの」
 と割って入って来る女の声。
「秋山……」
「ごめん、ずっといたんだけど」
「……そっか」
 親子喧嘩を見せてしまった。
「父さん、先に出るよ。もう来ない。代わりに約束して欲しい。もう『光里村』には行かないでほしい」
 うなずことも返事を返すこともしなかった。
 父親は、諦めて席を外した。
 秋山と二人になった空間は、なんだか気まずさがある。
それがなぜなのか、考えてみても見当がつかない。
「お父さんと喧嘩したの?」
「あぁ、まぁ……」
「私なんてしょっちゅうあるから、普通だけど、南風君にとっては珍しい?」
「珍しいというか、喧嘩自体初めてみたいなものだよ」
「初めて?そんなことあるかな」
 と、軽く笑う彼女。
「離婚してるんだ。うちの親。母親に引き取られて、最近『光里村』の件で話すようになっただけで……。本当は」
 話したいと思うこともなければ、会いたいとも思わない。だなんて、彼女に言えなかった。
 家族間の問題を彼女に話すべきだろうか。否、そんなわけない。
「……そ、そうだったんだ。ごめん、変なこと聞いちゃった」
「いや、いいよ。……でも、普通ってなんだろうね。喧嘩って普通起こるものなのかな」
 父親に虐げられる日々、言い返せば、暴力を喰らう。
 そんな環境で、警察である父親にやり返せるわけがないのだから、喧嘩なんて起こり得ない。
「私は、普通だって思うよ。でも、難しいね。普通じゃない環境ってあるから。『光里村』出身は、みんな知ってることだけど、あの村は、子供を生贄に出すの。東村に来て思った。普通じゃなかったんだって」
「……」
 彼女は、『光里村』出身だった。
「私の友達も生贄にされた。二年前に終息した感染症の時だって何人もの子供が犠牲になった。私の友達は、最初の生贄」
「……そんな」
「でも、収まることはなかった。子供だったからなんの疑いもなかった。だけど、ニュースも引っ越した先のこの場所も生贄はなかった。時事問題ってだけ。これまでみてきたものは、村人の安心のためだった」
「……え、それって」
「みんな口をつぐむのは、気づいちゃったから。それを口にするのは、苦しんだよ」
 つまりそれは、村の風習は、偽善。
 信じるものを救うためのもの。全部作り物?信仰する神は?まさか、いない?
「図書館であったお婆さんいたでしょ?あれ、親に確認したんだけど、子供が生贄にされたんだって。若い頃に生贄候補に選ばれて、世のためとされて生贄になった。だけど、そのお婆さん、それ以降子供はできなかったみたい。何度も病院に通ったけれど、無理だったんだって」
「……」
 それじゃ、あの村でやってることは無意味なまま。
 お婆さんが引き止めたのは、子どもである僕を守ろうとしたから?
 子供と言っても高校生だ。子供じゃない。
 しかし、お婆さんからしてみれば子供。それって。
「もし、子供が生きていて普通に結婚していたら、私たちくらいの孫がいたんじゃないかって親が言ってたよ」
「どうして」
「引き止めるよ。私も止めた。命を粗末にしないでよ」
「……」
 彼女の顔を見やる。
 涙でいっぱいの目と僕の乾いた目が合って、自分が何をやらかしたのか気づいた。
 だけど、僕は誰かに思われるほど大切にされるほどいい人じゃない。いいやつなんかじゃない。
 どこかで死んだって誰も困らない。
 変わらないこの価値観は、今もなお彼女の気持ちを踏み躙ろうとしている。
「ごめん」
 彼女に言える言葉はそれしかなかった。
 病室の外の木々が揺れる。
 風が吹いているらしく木の葉が落ちていく。
 刹那、彼女の頬に涙が伝う。
「みんな、もう忘れたいの。忘れたいけど、忘れられない。あなただって、春正君が死んだら、忘れるなんて無理でしょう?」
「……それは」
 僕の願いは、春正の退院。
 危篤状態の彼が、無事に生きて帰ってきてほしいということ。
 無茶をすれば、彼女のように止める人が出てくる。父親も止めにくる。
 なのにどうして、まだ無茶を考えてしまうのだろう。
 バレずにあの神社に行って、何かを得て帰ろうと考えてる。
 またロープで首を絞めて、『あの河原』に行って、道を探ろうだなんて思う。
 あいつには生きていてほしい。僕がいなくても。
 そんなこと言ったら、彼女は怒るのだろう。だから。
「春正は、死にたいって思ってる。あのまま死ねたら、いいんじゃないかって。でも、僕は生きていて欲しいと思う。その感情は、今、君の抱いた感情と同じか?」
「うん」
 ボロボロと涙を流す彼女。
 不安にさせてしまっていたことに今更罪悪感を抱いた。
「そうか」
「そうだよ」
「ごめん」
「ほんとだよ」
 ペシっと腕を叩く彼女。
 それから他愛のない話を振って、面会上限時間が来た。
「それじゃ、また来るからね。絶対、退院したら学校来てね」
 と、彼女は出て行った。
 その日は、ぐっすりと眠った。
 まさか、夢にあの河原が出てくるとは思いもせずに。

「起きろ、なんでお前、生きてんだ?」
 目が覚めるとあの日みた『人影』が僕をみていた。
 ロープで首を吊ったわけでもないのに、なぜ。
 それに、いつか引っ張られた時につけられた手首の跡が前よりも濃くなっている。
「お前……!?なんで……」
「言ったろ、死んだ後の世界を見せてやるって。状況は変わったが、新しいものが見れる」
「ふざけんな。僕はそんなもの見たくない」
「見たくないって、前は見たのに?どういう心情の変化?」
「言いたくない」
「口答えしやがって」
 影の腕が素早く僕に向かう。
 フラッシュバックしたかのように父親がいた日のことを思い出す。
 これまでの日々が嘘だったんじゃないかと思うほど、優しくなった父親。
 それがどうして、離婚一つで人は変わるのだろう。
「とりあえず来いよ。お前には、いいもの見せてやる」
 手首を掴み、強引に森の中へと連れていく『人影』に抵抗する。
 しかし、あまりにも力が強いので諦めて、森の中へと入ることにした。
 前にも来たはずの神社は、壊れていた。
「ここで、お前は死ぬ。そして、周りがどう思うのか」
 いつかのスクリーンはどこにもなかった。
 神社が倒壊したせいか、スクリーンも見当たらない。外に保管する訳ないだろうから、壊れたのだろう。
「お前はなんだ。お前は、誰なんだ」
「今更知りたいか?」
「あぁ」
「知ったところでもう遅いんだ」
「……どういう意味?」
「いや、気にするな。それより、どうしてここに来た?」
「は?」
 何を言っているのか、すぐに理解できなかった。が。
「今日のことか」
 朝イチで『光里村』に向かったことを指している。
「そりゃそうだ。来る理由はないだろう?ここに来るってことは自殺行為と変わらない」
「みんな言うよそうやって」
「なら、どうして?」
「どうしてって、なんでもいいだろ」
「教えてくれなくても、知ってるんだ。大切な人がもしかしたらこの地に関係あるかもって思ってるんだろう?」
 そして。
「その人と君の弟にはこの場所の呪いが関係してる、そう思っているんだろう?」
「……」
「図星か?」
 と、笑う影は一向に名前を答えてくれない。
「それよりどうだ?この壊れた神社を見て」
「どうって」
 無惨に壊された神社を見て、何も思うことはない。
 大切だったはずのものは、いつか壊れる。
 きっと春正もそうだ。
 家族の関係だってそうだ。
 いつかは全部が壊れていく。
 だけど、この神社だけはどうしてか。
「美しいよ」
 崩落した神社にいう言葉じゃないだろう。
「……お前」
「狂ってるか?」
「……。質問を変えよう。この神社はなんで壊れたと思う?」
「見るからに最近壊されたんだろう?誰かがやったにしては、厳しい気がするけど。複数人だとしても爆破させるにしても瓦礫が外に散ってないのは、不自然」
「父親譲りの推理力か?」
「暴力を振るう悪魔の入れ知恵はないよ」
 そうだ。父親は、世間の肩書きに揺れ動かされた道化。
 裏では子に暴力を振るうようなやつ。
 弟にはいい顔をして、僕はストレス発散の捌け口。
「父親は、この場所に来たことあるのか?」
「ないね」
「なんでわかるの?父親の顔は見たことある?」
「ないね」
「なら、なんで」
「そんなことが聞きたいのか?」
「……いや」
 スクリーンもないようでは、僕の死後の世界は見れない。
「この神社は、呪いの神社。みんなが取り壊しを望んだ」
 神社も神も誰かの不安を払拭するための道化。
 だけどな、と『人影』は続ける。
「この神社に、思い出を持つものだっていたんだ」
 『人影』が見やるその先に顔を向ける。
 幼い男女二人。女が男を追いかけて、それはそれは楽しそうに走り回っていた。
 神社の二、三段しかない階段に座り編み物をする女。
 男がやってきて、何してるの?とでも聞いているよう。
 秘密、だとか言って隠す女をあっそと不貞腐れる男。
「お前にとっての思い出の場所なのか」
「……」
「ここは、どうして呪いの場所になった」
「……知らないよ」
「知らないって」
「ねぇ、なんで、この神社はこんな思いしなきゃいけなかったの?」
 影が二分され、先ほどの男女が泣いている。
 人の不安が神を作り、神社を作り、人の怒りで全部を壊した。そして、その残穢が誰かの心も壊した。
「思い出の場所が壊されたことってあるの?どんな気持ちなの?こんなに憎しみを抱いて、みんな死ねばいいって思うのは私たちだけなの?」
「……それは」
「ねぇ、答えてよ」
 女が、僕の両腕を掴んで必死に叫ぶ。
 誰がこんなことをしたのか。
 どうして、こうなってしまったのか。
 でも、僕は知ってしまっている。
「みんな、欲しかったんだよ。拠り所が、憎むべきものが、団結するための何かが」
「何かって、何」
「怒りや憎しみや悲しみをぶつけられるものが欲しいんだ」
「何それ」
「僕は、それを知らない。いじめられる側だから。家族からも、学校からも」
 それでも。
「誰かを憎むのも怒るのも悲しむのも、本来みんなが持ってる普通の感情だよ」
「普通……」
 僕にはない普通。
 みんなが誰かにぶつける感情は、僕は僕にぶつけてしまう感情。
 もしもここに刃物でもあれば、自分の体に傷を入れるかもしれない。
 生きるためなのか、死ぬためなのか。
 そんなものはわからない。
 でもきっと昔の自分は、死ぬためで。
 今の自分は、春正が目を覚ますまで生きるため。
「いいんだよ、誰にぶつけたって。サンドバックならいくらでもいる」
 ねぇ。
「君らもぶつけてみるといい、僕に。殺したいほど憎いなら、殺してみてほしい」
 自分の命に価値はあるだろうか。
 ないのなら、どうして生きるのだろう。
 だから、みんな誰かのために死んで、生きていた事実を残そうとするのだろう。
 少しでも生まれた意味を知りたいならそうするべきか。
 死にたくなんてないから。
 ちょっとしたプライドがあるから。
 少しは見栄を張りたいから。
 子供達が一斉に僕をタコ殴りにする。
 父親とは違って、痛くない。
 体に当たる痛みより、心にくる痛みの方がずっと苦しい。
 この子達の思い出の場所は、とっくに壊れた。
 僕と一緒だ。
 欲しかった家族の理想はもうとっくになくなっている。
 目の前の君たちみたいに泣くことができたなら、僕も少しは変わっただろうか。
 殴るのをやめた二人は、泣いていた。
 女を抱きしめると女も抱きついてくる。
 男は少し離れて泣くのを我慢している。
 いいんだ、泣いたって。
「ほら、おいで」
 腕を伸ばせば、彼は少しずつ歩を進める。
 手前で止まる彼の背を手で押し、抱き止める。
「ごめんね、気づいてやれなくて」
 きっと今まで見てきた影は、こんな感情をずっと抱いていて、見放されているから気を引きたくて、悪さをしたのだろう。
 もう大丈夫。
 見放したり、見捨てたりなんかしないから。

 参考資料には書いていなかった事実。
 みんなが呪いの神社として避けてきただけの史実。
 生贄があれば解決すると始まったこの現実。
 実際に欲しかったのは、子供達のこの感情を受け止めるための器だったんじゃないだろうか。

 『人影』が神社の前に次々と現れていく。
 それは次第に子供の姿へと変化した。
 彼らもまた泣いていた。
 おいで、と手を差し伸べると彼らは寄ってきた。
 だんだんと体が押されて倒れ込む。
 身動きが取れないほどに、息ができないほどに。
 視界の端で女の子が泣いていた。
 誰だ。
 隣に誰かがいる。
 お花を添えている。
 あれは、秋山?
 だとしたら、あの子は秋山の友達で、生贄にされた子?
 気づいた時には、体への重圧に耐えきれず視界が暗転した。