存在価値とはなんだろうか。
その人それぞれに価値があるのなら、それは数値で評するものなのだろうか。
千差万別でその場によって価値が変動するのだろうか。
それぞれ得意教科があるように、得意な分野があるように、その価値は変動する。
ならば、その価値を見て判断してほしいが人間関係になると得意不得意など関係なく無慈悲に価値なしと判断するものが出る。
実際、みんなそんなものだろう。
いじめは、誰もが受けるもの。
男子だからとか女子だからとか、優等生とか、運動音痴とか関係ない。
学校は、価値なんてものを教えてくれない。
だからみんな主観で語ってしまうのだろう。
彼女の家に泊まった次の日、二人で学校に向かう。
校舎の手前に警察車両がある。
今日も自習だろうか。
すると、警察車両から二人の警察が出てきた。
角田らだ。
「おはよう、南風くんと秋山さん」
「おはようございます」
耳元で先に行っててと伝える。
不思議そうな顔をしていたけれど、彼女は二つ返事で校舎に入っていく。
「僕に用があるんですよね」
博打だったけれど、どうやらそのようだった。
「秋山さんについて聞きたいんです」
「話すことないと思いますけど」
「始業まで時間ありますし、ちょっと車の中で話しましょうか」
彼らは離すつもりがないらしく、校舎に向かう道を阻んでいる。
仕方なく、車に乗ることにした。
「君に見てもらいたいものがある」
状況が変わってね、物的証拠が出たから見て欲しいと付け足す。
タブレットを渡される。
ドラレコの映像のようで、そこには春正の姿が映っている。
車が来て、足を止める彼と秋山。
しかし、近づいてきたところでいきなり誰かに押されたように車道へと飛び出した。
その後車にぶつかりフロントに乗り上げ、車の勢いに負けてコンクリートへ落ちていく。
「まじか……」
昨日の彼女の言葉は正しかった。
「この時秋山さんが一緒なわけだが……、事情を知っているのなら、秋山さんから話を聞こうと思っている」
「ダメだ!」
焦りが声となって出ていく。
昨日の彼女の様子を見たら、絶対に聞いてはいけない。
発作でも起きたらどうすると言うのだ。
「それだけはダメだ。警察だとしても、彼女の気持ちの問題だってある」
「……。君は、昨日と違って随分と感情的だな」
「……っ」
「秋山さんとは友達なんだろう?なら、付き添ってもらっても構わない」
「どうしてそこまでして、話を聞きたいんだ」
「状況を知るものが少ないからだ。その日、シフトに入っていたコンビニの店員に聞いても覚えていない。防犯カメラを確認したら、春正くんと秋山さんが一緒に走っている様子が映っていた。第一発見者は、隣にいる秋山さんだ」
「……でも」
それ以上、言葉が続かなかった。
彼女の問題だ。
僕が、止めても彼女がよしとするならば、止める意味はない。
「わかった。担任の先生から通してもらおう。秋山さんの心理状態を確認した上で女性警官も呼ぼう。それでいいか?」
彼女のためなら、配慮すると言うのか。
であれば、仕方がない。
無理させるわけじゃないなら、あとは彼女に委ねるほかない。
話は済んだと車から出る。
教室に入るといじめっ子たちはいない。
今日は学校を休むのか。
いじめが明るみになった可能性があるのだろう。
謹慎明けに早々、学校に迷惑かけるなんて最低な話だ。
しかし、春正が撮ったとされる動画にいじめっ子たちが映っていたのなら、警察は話を聞くのだろう。
話を聞いて終わるのか。それとも、傷害罪として捕まえるのか。
いじめは犯罪だというSNSから発信される声は、警察にも通じるものなのか。
SNSが発展していない時代は、いじめは逮捕につながっていたのだろうか。
弱者の声を聞くものが警察にはいただろうか。
わかりやすい暴力でさえ見過ごす大人たちが、陰湿ないじめを見過ごさずにいるだろうか。
疑問は増えていくばかり。
何も考えないほうが幸せだと言うのに、考えてしまうのは、いじめの被害者であるからか。
教室に入ると秋山が駆け寄ってくる。
彼女はこれから事情聴取を受ける。
これ以上、嫌な思いはしてほしくない。
「警察、何聞かれたの?」
「ちょっとした世間話」
嘘つくには無理があったのだろう。
訝しむ彼女、大体予想がついていそうだ。
にしても、あらかわいい。
「世間話のために、あなたを待つことはないと思うのだけど」
「ドラレコの映像を見てほしいってお願いされたよ。何言ってんのって感じだったけどさ」
「事故を起こした車?」
「起こしたっていうか、もうあれ車が被害者でしょ」
それはつまり。
「君が、昨日言ったことは本当だった」
証明されたのだ。
これから彼女に何を聞くのかは、明白だ。
「もし仮に聞かれるなら、ドラレコ見て事実確認するだけだと思う」
後で聞くのはわかっているのだ。
多少のクッション材料があるだけマシだと思った。
これが正しくなかったと気づくのは、後になってから。
彼女は、その後警察に呼ばれ一日戻ってくることはなかった。
放課後に入り、春正の入院している病院に足を運ぶ。
看護師に聞くとICUという場所に入れられているようで、以前と変わらず面会はできなかった。
そもそもそんな施設があることさえ僕は知らなかった。
無駄にでかい病院だなと思うだけで、それ以上考えようとはしなかった。
廊下から見ていたことにちゃんと意味があったことも今更気づく。
とても危険な状態だということを知った一方で、あの河原にいる可能性も考える。
なら、ここにいる必要はないし、問題もない。
僕には、春正がいればいい。
あの河原で会ってから、これまでずっとそうだった。
いつか誓ったあの気持ちは、彼もまだ残っているだろうか。
残っていてほしい。
そうすれば、お前は一人で死ぬことなんてない。
誓いは果たそう。お互いに。
その夜、秋山から連絡が入った。
風呂から出てくると十数件の着信。
それからも連投されていて、通知は五十件を超えている。
リビングのソファに座る母親が、弟は部屋で勉強していると言う。
「通知、さっきからうるさいけど大丈夫?学校で何かあったの?」
心配してくれる母親は、昔から変わらない。
「大丈夫。最近、仲良い子がいてさ」
弟の前で言えば、怒鳴り散らすだろう。家庭のことを気にかけもせず、遊ぶのか、と。
「そうなの?」
「うん。グループラインできたばかりで、通知消してなかったよ」
と、兄らしく振る舞う。
「本当に?大丈夫?」
正面に立つ母親は、縋るよう。
いつもみたいに母親を優しく包むように抱きしめる。
「楽しくやってるから安心して」
頭を撫でる。
子供のようにあやせば、母親は、リビングのソファに座った。
狭いマンションの一室。
ソファを欲したのは、弟だったが今はもうめっきり使っていない。
部活や勉強で忙しいのだ。
僕とは違い進学校に進学した弟は、ことあるごとに僕にストレスをぶつける。
そのくせ、父親の代わりだと大口を叩く。
家庭のことは何もしないくせに、一家の大黒柱。いつの時代の話だと舌打ちしたくなる。そもそもいつの時代にもそんな奴はいない。
しかし、弟にとって家族を壊したのは実の兄。
強く言いつけてくるのは、仕方がないのだ。弟はまだ、一つ下の子供なのだから。
「じゃ、おやすみ」
と、母親に言えば、安心したように自室に戻って行った。
それぞれの部屋がちゃんとあるのは、田舎の中では家賃相場の高い家にしたから。
その金の三分の一は、僕が出している。
貯金なんてできたものじゃない。
今日もバイト明けにこのざまだ。
ストレスは常に溜まっている。毎日発散するためにあの河原に行く。
放置したままのロープに触れる。
いつものようにあの河原に行く準備をする。
スマホの通知を切って、家族にバレないよう。
そして。
「ついた」
いつものあの河原だ。
春正はいないかと辺りを探す。
すぐそこには川がある。
その川を越えることが僕らの誓い。
到着して、大声で彼の名を呼ぶ。
しかし、出てくるわけもなくてその辺を歩くことにした。
よく考えてみれば、僕らはここで出会うだけでその辺りの景色に目をくれたことはない。
ずっと川を眺めていたから。
フラフラ歩き回ったあと、もう一度あの河原に行く。
『あの河原』は、死線を彷徨っているときに現れる。名称はない。
やはり見当たらない。
目の前の先に行けばいるのだろうか。
僕のやってることとは違う。
彼は今、死線を彷徨っているのだ。
もしかしたら、あの奥に。
歩を進め川を渡っていく。
何かが見える。影が動いている。
あれはなんだと目を細めたが、なんなのかわからない。
春正にも見えるし、そうではないのかもしれない。
「お前は誰だ?」
声をかけてみてもそいつは答えてくれない。
人じゃないのなら、興味はない。
しかし。
「俺は、お前だ」
そんな言葉に息を呑んだ。
遠くにいるはずなのに、耳元で声がする。
「何者だ」
僕じゃないことは明白だ。
なのに、僕だとやつはいう。
「お前はその川を早く渡りたくてしょうがないのだろう?それは俺も一緒だ」
「……春正じゃないなら、誰だ」
「早くこっちに来い。そしたら、いいものが見れるぞ」
歩を進める。
そうだ。元からそっちに行きたかったんだ。
でも、恐怖心からか必死になって河原に戻る。
あっち側の森に行けなかった。
息を切らして、膝をつく。
振り返って森を見やるがそこにはさっきまでいた影が消えている。
なんだったんだと汗を拭う。刹那。
パッと目が覚める。
首からロープを離して、咳払いをする。
スマホの画面をタップすると通知が何件かきていたが、無視して寝込んだ。
気持ち悪い感触だった。
水を差すような流れの悪さ。
いつもなら春正がいて『行くか?』『いや、まだだろ』なんて会話をする。
普段なら無駄話もせずにあの河原で森へと目をやるだけ。
他人が見れば、そこにはなんの意味も見出せないだろう。
僕らだからそこに意味があった。
あの場所には何があるというのだ。
これまでなかったものが、見えてしまった。
恐怖が、眠りを浅くする。
結局、三時間も寝れないまま登校した。
目の前に警察が立っている。
ここまで本気で調べるのは、やはり事件性があると踏んでいるからか。
それとも心霊的なものでも信じているのだろうか。
僕は何も知らない。
知っているのは、春正の気持ちだけ。
「何度もすまないね。一個確認したい」
無視を決め込むが、彼らは口にする。
「君はどうして首元を隠してる?暑くないかい?」
歩を止めた。
やはり警察は気づくのだ。
誰もしないことを僕はやっているのだから。
バレるのも時間の問題だったが、警察は一発で見抜けたか。
誰かにバラすこともないだろうと、首元をチラリと見せてやる。
「なるほど。……これ、紹介するよ。おすすめだ」
名刺をもらう。
カウンセラーと書いているあたり、とっくに気づいていたのだろう。
学校にいるときはやたら首元を触っているから気づくものか。
『あの河原』は、気を失うと行ける場所。そこには自殺願望が必要だ。
僕の場合は、ロープを使う。
手っ取り早いからだ。
もし万が一、学校にバレても適当にドジな理由をつければ不安視されない。
秋山にもそんなことを言っていた記憶がある。
教室に入るといじめっ子たちはいなかった。
普段ならいる時間だ。
いないのはきっと警察にこれまでのことがバレ、連れて行かれたか。
重要参考人ならここにいないのは、教師もそういう措置をとったからか。
ガラッと席に空きができた。
前もあったからか以前よりは驚く様子が少なく見える。
そんな中、秋山が教室に入ってきた。
ガン無視で小説を手に取る。
彼女はカバンを置くと僕の席まで来て小説を取り上げた。
「あ、おい」
こうなるだろうと予測していたが、されると思いの外ウザいものだ。
「なんで昨日連絡返してくれなかったの?何度も電話した」
「充電なかった」
「今、スマホの充電は?」
スマホの画面を見せると彼女は怒った。
「この子誰?」
「……アイドル。初期設定よりかはいいかなって。それより充電は見たのかよ」
「見た。けど、この子私とタイプ全然違うじゃん」
「どうでもいいだろ」
奪い取った小説で僕の頭を叩こうとする彼女。
刹那、父親に殴られた記憶がフラッシュバックして思わず身構えた。
「あ……、いや、なんでもない」
体を戻しても彼女は小説を振り下ろすようなことはしなかった。
「充電ないなら言ってくれればよかったのに」
机に小説を置くと席に戻っていった。
翌日、彼女は雰囲気を変えて学校に来た。
警察に質問とかされたわけだし、気分を変えたいのかと思った。
しかし、彼女は昨日と違ってルンルンな顔でどう?と聞いてくる。
「どうって?」
意図がわからず聞き返した。
彼女は、怒って僕のスマホを取り上げスマホの画面を見せる。
トップ画面のアイドルに寄せてくれたのかと思う。
清楚なボブ。
彼女は、わざわざ今日のためにアイロンまでしたというのか。
「なるほど……。え、いや、なんのために?」
理解はできたが行動原理は理解できなかった。
そんなことする必要がどこにあるのか。
「可愛いかどうか言えばいいの!」
しゃがんでスマホの画面を向けたまま上目遣いをする彼女。
「あ、可愛い」
「どっちが?」
目が笑っていない笑顔を見せる彼女。
「どっちが…?」
思わず、反芻した。
そりゃまぁ、アイドルの方がいいだろというのは御法度な気がした。
「秋山さんが、可愛いよ」
諦めて感情を込めて伝える。
「そんなはっきり言わなくてもいいのにー」
とキャッキャする彼女に困惑した。何をお望みで?
「とりあえず、スマホ返して」
「やだ」
「なんで」
「私の顔に変えていいんだよ?」
「なんでだよ。変えないよ」
と、スマホを奪い取ろうとすると彼女はヒョイっとかわす。
「本気で言ってる?」
声のトーンが下がり威圧感を感じる。
河原で見たあの影とは違う恐怖。
むしろ今は、秋山の方が怖い。
「いえ、そんなつもりは。そろそろ時間だし席に戻った方がいいかも」
「そうだね」
満面の笑みでスマホをドンと机に置くと席に戻って行った。
変な汗が背中をつたう。
女子の方がよっぽど怖いと認識した瞬間だった。
早く春正が戻ってこないかと願うばかりだ。
彼が来てくれれば、彼女の奇行も落ち着くだろう。
なぜいきなりこの可愛いアイドルのような雰囲気にしてきたのか皆目見当もつかない。
全然、アイドルの方が可愛いし……。
放課後、春正の病室に行こうと荷物をまとめていると秋山が声をかけてきた。
「ね、デート行かない?」
「ごめん、春正のところに行きたい」
断って歩を進めるとすれ違った刹那に手首を掴まれた。
「私も行く。だから、その後でいいから一緒にいて」
と、またも上目遣いを決める彼女。あら可愛いー。
圧倒的にアイドルの方が可愛いが、二つ返事で了承。
彼女と一緒に病院に向かう。
看護師から話を聞くにいまだに昏睡状態で危篤らしい。
ならば、あの河原にいてくれてもいいだろと思う。
お前一人で先に死んだら許さねぇからなと爪が食い込むほど拳を握る。
彼を眠る姿を見ていると僕もそっち側に行きたいと強く願ってしまう。
不謹慎なことくらいわかってる。
お前だって、死ぬとはいえこんな死に方は嫌だろ。秋山に押されたわけでもないんだろ。
お互い二人であの河原を越えたいねと話したはず。
隣にいた秋山がゆらゆらと手首を掴む。
「そろそろ行こっか」
考えても仕方がないと思い直す。
二つ返事で病室を出ると有名なショッピングセンターに向かった。
ど田舎で田んぼしかないくせにここだけはでかい。なんでも揃っているし、小さい頃はよく行っていた。
ショッピングセンター内で気に食わないことやマナーがなってなければ、父親は家で理由をつけて殴る。
そんな思い出が残ってる。
どれもこれも全部僕のせいだ。
奥歯を噛み、気持ちを落ち着かせた。
彼女は、ここに行きたいと引っ張ってくる。
人は雰囲気を変えると気持ちまで変わるのか意気揚々とするものなのか。
最近、楽しめていないのか、僕には彼女が今楽しんでいる気持ちが理解できなかった。
「これ、可愛い」
近くにあった雑貨屋。
あれこれと物色する彼女についていくだけ。
特別買うつもりもないので、遠巻きに見ているだけなのだが、なんだか素直に楽しそうで羨ましい。
……羨ましい、か。
そんなことを考えてしまう自分に嫌気がさす。
羨ましいと思うくらいならば、自分も楽しめばいいのに。
春正が危篤状態だからといって、ただ待っているだけで何もない。
家族の関係が悪いというのに何もしない。
そんな僕だから、彼女と一緒に楽しむことも必要なのではないか。
考えてみても、埒が明かない。
「これ、いいね」
と、手にとって彼女に見せてみる。
ほんとだとキラキラした目で言われてしまっては、買わざるを得ないだろう。
「お揃い、してみるか?」
「……え、うん!」
一つ間を置いてからいう彼女。
こんなこと言うタイプには見えなかったのだろう。
しかし、彼女は嬉々としてレジに並ぶ。
払わせるつもりはない。
ささっと交通系で支払いを済ませる。
カバンにつけてみるが、あまり良いとは思えない。
アクセやキーホルダーをカバンにつける習慣がないからだろう。
これはこれでアリかと思うには少し時間が欲しい。
彼女は、ジャラジャラとつけているキーホルダーと同じ場所につけていた。
トイレに行きたいと彼女は一人で向かう。
目の前の雑貨屋で彼女が手にしていたものを取り、レジに並んだ。
「彼女さんへのお土産?」
大人な女性店員がそんなことを聞いてくる。
彼女じゃないが、他人だし、これ以上会わないのなら、何言ってもいいだろう。
「ええ。まぁ、欲しそうだったんで」
「あら、優しい子」
「初めて言われましたよ」
と、適当に会話を済ませ、袋に入れられたものをカバンにしまった。
そろそろ日が暮れる頃。
彼女と別れる前に先ほど買ったものを渡す。
「何これ」
と、不思議そうに開ける彼女は、中のものをみると嬉々とした表情で腕をパシパシ叩く。
「欲しかったやつ!え、なんで?あんまり私のこと見てくれてなかったよね」
確かに、他の可愛い子を目で追っていたのは事実。
「欲しそうだったから」
見てなかったのは事実だけど、言及したら怒りそうなので触れないことにした。
女子を怒らせると怖いと何度も聞かされてきた。
もし、女子がハグを求めるなら、求められたように演じる。
それでいい。
僕の存在価値はそんなものくらいしかないのだから。
家に帰る前、彼女は寂しそうに制服の袖を摘んだ。
「どうしたの」
「もっと一緒にいたい」
甘えた声でねだられる。
家のこともあるからと断る。
だったら、と腕を広げる彼女。
仕方ないと彼女を抱きしめ、頭を撫でる。
いじめに遭っていた彼女の心の寂しさを埋められるなら、それでいい。
「また明日ね」
と、最後にポンポンと撫でる。
振り返ることもせず自転車に跨り、帰路につく。
家につくと弟は勉強をしていた。
リビングじゃなくてもいいだろうに、気分転換でもしたいのか。
「夜遅くに帰るなんてバイト以外じゃ、あり得ないだろ」
部屋に戻ろうとする僕へ弟はいう。
「ちょっと学校で必要なもの買ってただけ」
「じゃ、そのカバンにつけてるのは?」
シャーペンを机に置き、僕を見やる彼。背中越しでも感じる怒りに息を呑む。
「別に」
「家族に隠し事は無しだって言ったろ」
「そうだったね」
「なんでもっと家族のために動けない」
「……」
バイトして、家に帰れば家事をこなして、暇さえあれば勉強する生活に忙殺されている日々。
家族のために動いていても、動いていないと評されればそれはもう動いていないことになるのだろうか。
「なぁ、朝陽は、僕が家族を壊したって本気で思ってる?」
ふとそんなことを口にする。家族を壊した事実は変わらない。
今まで言ってこなかった言葉。
弟の怒りの感情をぶつけられることが兄のできることだと思ってきた。
やらかしたのは間違いなく僕だけれど、弟はもう高校生だ。
中学生の頃に離婚する様を見せられた弟にとって憎む相手がいないとやっていけないのだろうと受け身になった。
でも。
「そろそろちゃんと話すべきだと思ってる。僕が何をしたのか、父さんがどんな思いで殴ったのか」
振り返って弟を見やる。
憎しみの目は変わらない。
事実もまた変わらない。
僕が壊したと思われているまま、生きていくのは辛い。
父親と何があったのかちゃんと話すべきなんだ。
弟との関係が戻らないのは嫌だ。
「全部壊したお前の話なんか聞きたくない。勉強の邪魔だ」
机をぶっ叩いて机に広がっていた教材を手に部屋に戻る彼。
風呂上がりの母が、何があったのかと目を向けてくる。
「ちょっと話してただけ。大したことじゃないよ」
心配させないとばかりに本当のことは言わなかった。
「無理しなくていいのよ。家事だって私もできるから」
「大丈夫。できる日は全部僕がやるから」
部屋の扉を開ける。
「あのね、夕陽。自分から言えないこと、私から言おうか?」
また振り返ると母は心配そうな表情を見せる。
弟との会話、聞かれてたんだと後から気づいた。
ならもう隠す必要もない。
「……大丈夫だよ」
無理やり笑顔を作り、部屋に入った。
母は、僕が何をやらかしたのか、何が原因だったのか全部知ってる。
それでも、大丈夫だと必死に言い聞かせて、学校の課題のために机に向かった。
うとうとし始めて、机で眠った。
寝過ぎたと目を覚ますと朝の三時。
微妙な時間だなと辺りを見渡す。
ベッドで寝ればよかったと後悔したあと、端に見えるロープに視線が止まった。
今日は、『あの河原』に春正はいるだろうか。
昨日と同じようにロープを首かける。
『あの河原』へ到着すると春正はいなかった。
「なんだよ……」
舌打ちをした。
危篤状態ならきてもいいだろとイライラする。
死線を彷徨うのとは訳が違うのか?
そういえば、昨日見たあの影は今日もいるのだろうか。
川を半分まで渡った頃、その『人影』はいた。
「お前、誰だ」
怯えて聞けなかったこと。
今は、冷静に対処できそうだと拳を握る。
「またきたのか。逃げたんだと思ってたぜ」
「誰かもわからない奴が、なんでここにいる。これまで見てきたのは、春正だけだ」
「お前のやってることがお前含めて二人だけだとは限らないだろ」
「何隠してる」
話を誤魔化そうとしている奴にピシャリと言ってやる。
「お前こそ、何隠してんだ?本当は言いたいこと山ほどあんだろ?こっちにくる前に精算しておいた方がいいぜ」
「清算?」
「お前の価値はそんなもんか?誰かのサンドバックになり続けることがそんな大事か?母親の心の穴埋め、弟の怒りの発散口、秋山の恋心の付き合い、春正と同じ感情を持ち続けること」
「やめろ!」
春正の話が出て言葉を被せた。
言ってることの意味はすごく理解できた。
だけど。
「お前になんの関係がある」
「自分のこと見てないだろ。何がしたいとか本当はないんだろ?」
「だから」
怒りを滲ませる。
「やりたいこと考える暇もなく、生きてる意味を考えて、どこか投げやりだろ。自分の価値を見誤ってばかりだな」
「うるさい!」
「自分の存在価値に気づいてもなお、変わらないのは、お前が本音を言わないままだからじゃないのか」
「何説教垂れてんだ!お前、そっちにいるってことは、死んでんだろ!?こっちに来れないくせに、何知った口聞いてきてんだ!」
声を荒げる。
「じゃあ、見てみようか。お前が死んだ後の出来事」
口が開くよりも先に黒い影が僕の手首を掴む。
勢いよく森の中へ引っ張られる。
正面の木に足を引っ掛けて、必死に止める。
その影を振り解くと勢いが消えて、川に溺れた。
もがいて必死に上がってくる。
顔を上げ、目の前の影に睨みをきかす。
「そうか……」
気がついてしまった。
春正の話になって森の人影の言葉に耳を傾けなかった理由。
今、森に入っていかなかった理由。
生きようとした理由。
「僕は、死にたくないのか」
死ぬのさえ怖い臆病者が、春正と同じ感情を抱き続けるのに疲れているのかもしれない。
確実に死ねる保証もないのに、死にたいと思うことに疲れているのかもしれない。
もう一度、森へ目をむける。
だけど、そこには『人影』はなかった。
誰かの穴埋めになるのが僕の存在価値。
そうじゃないと森の人影に言われた気がした。
気がつけば、河原に戻ろうと歩を進めていた。
その人それぞれに価値があるのなら、それは数値で評するものなのだろうか。
千差万別でその場によって価値が変動するのだろうか。
それぞれ得意教科があるように、得意な分野があるように、その価値は変動する。
ならば、その価値を見て判断してほしいが人間関係になると得意不得意など関係なく無慈悲に価値なしと判断するものが出る。
実際、みんなそんなものだろう。
いじめは、誰もが受けるもの。
男子だからとか女子だからとか、優等生とか、運動音痴とか関係ない。
学校は、価値なんてものを教えてくれない。
だからみんな主観で語ってしまうのだろう。
彼女の家に泊まった次の日、二人で学校に向かう。
校舎の手前に警察車両がある。
今日も自習だろうか。
すると、警察車両から二人の警察が出てきた。
角田らだ。
「おはよう、南風くんと秋山さん」
「おはようございます」
耳元で先に行っててと伝える。
不思議そうな顔をしていたけれど、彼女は二つ返事で校舎に入っていく。
「僕に用があるんですよね」
博打だったけれど、どうやらそのようだった。
「秋山さんについて聞きたいんです」
「話すことないと思いますけど」
「始業まで時間ありますし、ちょっと車の中で話しましょうか」
彼らは離すつもりがないらしく、校舎に向かう道を阻んでいる。
仕方なく、車に乗ることにした。
「君に見てもらいたいものがある」
状況が変わってね、物的証拠が出たから見て欲しいと付け足す。
タブレットを渡される。
ドラレコの映像のようで、そこには春正の姿が映っている。
車が来て、足を止める彼と秋山。
しかし、近づいてきたところでいきなり誰かに押されたように車道へと飛び出した。
その後車にぶつかりフロントに乗り上げ、車の勢いに負けてコンクリートへ落ちていく。
「まじか……」
昨日の彼女の言葉は正しかった。
「この時秋山さんが一緒なわけだが……、事情を知っているのなら、秋山さんから話を聞こうと思っている」
「ダメだ!」
焦りが声となって出ていく。
昨日の彼女の様子を見たら、絶対に聞いてはいけない。
発作でも起きたらどうすると言うのだ。
「それだけはダメだ。警察だとしても、彼女の気持ちの問題だってある」
「……。君は、昨日と違って随分と感情的だな」
「……っ」
「秋山さんとは友達なんだろう?なら、付き添ってもらっても構わない」
「どうしてそこまでして、話を聞きたいんだ」
「状況を知るものが少ないからだ。その日、シフトに入っていたコンビニの店員に聞いても覚えていない。防犯カメラを確認したら、春正くんと秋山さんが一緒に走っている様子が映っていた。第一発見者は、隣にいる秋山さんだ」
「……でも」
それ以上、言葉が続かなかった。
彼女の問題だ。
僕が、止めても彼女がよしとするならば、止める意味はない。
「わかった。担任の先生から通してもらおう。秋山さんの心理状態を確認した上で女性警官も呼ぼう。それでいいか?」
彼女のためなら、配慮すると言うのか。
であれば、仕方がない。
無理させるわけじゃないなら、あとは彼女に委ねるほかない。
話は済んだと車から出る。
教室に入るといじめっ子たちはいない。
今日は学校を休むのか。
いじめが明るみになった可能性があるのだろう。
謹慎明けに早々、学校に迷惑かけるなんて最低な話だ。
しかし、春正が撮ったとされる動画にいじめっ子たちが映っていたのなら、警察は話を聞くのだろう。
話を聞いて終わるのか。それとも、傷害罪として捕まえるのか。
いじめは犯罪だというSNSから発信される声は、警察にも通じるものなのか。
SNSが発展していない時代は、いじめは逮捕につながっていたのだろうか。
弱者の声を聞くものが警察にはいただろうか。
わかりやすい暴力でさえ見過ごす大人たちが、陰湿ないじめを見過ごさずにいるだろうか。
疑問は増えていくばかり。
何も考えないほうが幸せだと言うのに、考えてしまうのは、いじめの被害者であるからか。
教室に入ると秋山が駆け寄ってくる。
彼女はこれから事情聴取を受ける。
これ以上、嫌な思いはしてほしくない。
「警察、何聞かれたの?」
「ちょっとした世間話」
嘘つくには無理があったのだろう。
訝しむ彼女、大体予想がついていそうだ。
にしても、あらかわいい。
「世間話のために、あなたを待つことはないと思うのだけど」
「ドラレコの映像を見てほしいってお願いされたよ。何言ってんのって感じだったけどさ」
「事故を起こした車?」
「起こしたっていうか、もうあれ車が被害者でしょ」
それはつまり。
「君が、昨日言ったことは本当だった」
証明されたのだ。
これから彼女に何を聞くのかは、明白だ。
「もし仮に聞かれるなら、ドラレコ見て事実確認するだけだと思う」
後で聞くのはわかっているのだ。
多少のクッション材料があるだけマシだと思った。
これが正しくなかったと気づくのは、後になってから。
彼女は、その後警察に呼ばれ一日戻ってくることはなかった。
放課後に入り、春正の入院している病院に足を運ぶ。
看護師に聞くとICUという場所に入れられているようで、以前と変わらず面会はできなかった。
そもそもそんな施設があることさえ僕は知らなかった。
無駄にでかい病院だなと思うだけで、それ以上考えようとはしなかった。
廊下から見ていたことにちゃんと意味があったことも今更気づく。
とても危険な状態だということを知った一方で、あの河原にいる可能性も考える。
なら、ここにいる必要はないし、問題もない。
僕には、春正がいればいい。
あの河原で会ってから、これまでずっとそうだった。
いつか誓ったあの気持ちは、彼もまだ残っているだろうか。
残っていてほしい。
そうすれば、お前は一人で死ぬことなんてない。
誓いは果たそう。お互いに。
その夜、秋山から連絡が入った。
風呂から出てくると十数件の着信。
それからも連投されていて、通知は五十件を超えている。
リビングのソファに座る母親が、弟は部屋で勉強していると言う。
「通知、さっきからうるさいけど大丈夫?学校で何かあったの?」
心配してくれる母親は、昔から変わらない。
「大丈夫。最近、仲良い子がいてさ」
弟の前で言えば、怒鳴り散らすだろう。家庭のことを気にかけもせず、遊ぶのか、と。
「そうなの?」
「うん。グループラインできたばかりで、通知消してなかったよ」
と、兄らしく振る舞う。
「本当に?大丈夫?」
正面に立つ母親は、縋るよう。
いつもみたいに母親を優しく包むように抱きしめる。
「楽しくやってるから安心して」
頭を撫でる。
子供のようにあやせば、母親は、リビングのソファに座った。
狭いマンションの一室。
ソファを欲したのは、弟だったが今はもうめっきり使っていない。
部活や勉強で忙しいのだ。
僕とは違い進学校に進学した弟は、ことあるごとに僕にストレスをぶつける。
そのくせ、父親の代わりだと大口を叩く。
家庭のことは何もしないくせに、一家の大黒柱。いつの時代の話だと舌打ちしたくなる。そもそもいつの時代にもそんな奴はいない。
しかし、弟にとって家族を壊したのは実の兄。
強く言いつけてくるのは、仕方がないのだ。弟はまだ、一つ下の子供なのだから。
「じゃ、おやすみ」
と、母親に言えば、安心したように自室に戻って行った。
それぞれの部屋がちゃんとあるのは、田舎の中では家賃相場の高い家にしたから。
その金の三分の一は、僕が出している。
貯金なんてできたものじゃない。
今日もバイト明けにこのざまだ。
ストレスは常に溜まっている。毎日発散するためにあの河原に行く。
放置したままのロープに触れる。
いつものようにあの河原に行く準備をする。
スマホの通知を切って、家族にバレないよう。
そして。
「ついた」
いつものあの河原だ。
春正はいないかと辺りを探す。
すぐそこには川がある。
その川を越えることが僕らの誓い。
到着して、大声で彼の名を呼ぶ。
しかし、出てくるわけもなくてその辺を歩くことにした。
よく考えてみれば、僕らはここで出会うだけでその辺りの景色に目をくれたことはない。
ずっと川を眺めていたから。
フラフラ歩き回ったあと、もう一度あの河原に行く。
『あの河原』は、死線を彷徨っているときに現れる。名称はない。
やはり見当たらない。
目の前の先に行けばいるのだろうか。
僕のやってることとは違う。
彼は今、死線を彷徨っているのだ。
もしかしたら、あの奥に。
歩を進め川を渡っていく。
何かが見える。影が動いている。
あれはなんだと目を細めたが、なんなのかわからない。
春正にも見えるし、そうではないのかもしれない。
「お前は誰だ?」
声をかけてみてもそいつは答えてくれない。
人じゃないのなら、興味はない。
しかし。
「俺は、お前だ」
そんな言葉に息を呑んだ。
遠くにいるはずなのに、耳元で声がする。
「何者だ」
僕じゃないことは明白だ。
なのに、僕だとやつはいう。
「お前はその川を早く渡りたくてしょうがないのだろう?それは俺も一緒だ」
「……春正じゃないなら、誰だ」
「早くこっちに来い。そしたら、いいものが見れるぞ」
歩を進める。
そうだ。元からそっちに行きたかったんだ。
でも、恐怖心からか必死になって河原に戻る。
あっち側の森に行けなかった。
息を切らして、膝をつく。
振り返って森を見やるがそこにはさっきまでいた影が消えている。
なんだったんだと汗を拭う。刹那。
パッと目が覚める。
首からロープを離して、咳払いをする。
スマホの画面をタップすると通知が何件かきていたが、無視して寝込んだ。
気持ち悪い感触だった。
水を差すような流れの悪さ。
いつもなら春正がいて『行くか?』『いや、まだだろ』なんて会話をする。
普段なら無駄話もせずにあの河原で森へと目をやるだけ。
他人が見れば、そこにはなんの意味も見出せないだろう。
僕らだからそこに意味があった。
あの場所には何があるというのだ。
これまでなかったものが、見えてしまった。
恐怖が、眠りを浅くする。
結局、三時間も寝れないまま登校した。
目の前に警察が立っている。
ここまで本気で調べるのは、やはり事件性があると踏んでいるからか。
それとも心霊的なものでも信じているのだろうか。
僕は何も知らない。
知っているのは、春正の気持ちだけ。
「何度もすまないね。一個確認したい」
無視を決め込むが、彼らは口にする。
「君はどうして首元を隠してる?暑くないかい?」
歩を止めた。
やはり警察は気づくのだ。
誰もしないことを僕はやっているのだから。
バレるのも時間の問題だったが、警察は一発で見抜けたか。
誰かにバラすこともないだろうと、首元をチラリと見せてやる。
「なるほど。……これ、紹介するよ。おすすめだ」
名刺をもらう。
カウンセラーと書いているあたり、とっくに気づいていたのだろう。
学校にいるときはやたら首元を触っているから気づくものか。
『あの河原』は、気を失うと行ける場所。そこには自殺願望が必要だ。
僕の場合は、ロープを使う。
手っ取り早いからだ。
もし万が一、学校にバレても適当にドジな理由をつければ不安視されない。
秋山にもそんなことを言っていた記憶がある。
教室に入るといじめっ子たちはいなかった。
普段ならいる時間だ。
いないのはきっと警察にこれまでのことがバレ、連れて行かれたか。
重要参考人ならここにいないのは、教師もそういう措置をとったからか。
ガラッと席に空きができた。
前もあったからか以前よりは驚く様子が少なく見える。
そんな中、秋山が教室に入ってきた。
ガン無視で小説を手に取る。
彼女はカバンを置くと僕の席まで来て小説を取り上げた。
「あ、おい」
こうなるだろうと予測していたが、されると思いの外ウザいものだ。
「なんで昨日連絡返してくれなかったの?何度も電話した」
「充電なかった」
「今、スマホの充電は?」
スマホの画面を見せると彼女は怒った。
「この子誰?」
「……アイドル。初期設定よりかはいいかなって。それより充電は見たのかよ」
「見た。けど、この子私とタイプ全然違うじゃん」
「どうでもいいだろ」
奪い取った小説で僕の頭を叩こうとする彼女。
刹那、父親に殴られた記憶がフラッシュバックして思わず身構えた。
「あ……、いや、なんでもない」
体を戻しても彼女は小説を振り下ろすようなことはしなかった。
「充電ないなら言ってくれればよかったのに」
机に小説を置くと席に戻っていった。
翌日、彼女は雰囲気を変えて学校に来た。
警察に質問とかされたわけだし、気分を変えたいのかと思った。
しかし、彼女は昨日と違ってルンルンな顔でどう?と聞いてくる。
「どうって?」
意図がわからず聞き返した。
彼女は、怒って僕のスマホを取り上げスマホの画面を見せる。
トップ画面のアイドルに寄せてくれたのかと思う。
清楚なボブ。
彼女は、わざわざ今日のためにアイロンまでしたというのか。
「なるほど……。え、いや、なんのために?」
理解はできたが行動原理は理解できなかった。
そんなことする必要がどこにあるのか。
「可愛いかどうか言えばいいの!」
しゃがんでスマホの画面を向けたまま上目遣いをする彼女。
「あ、可愛い」
「どっちが?」
目が笑っていない笑顔を見せる彼女。
「どっちが…?」
思わず、反芻した。
そりゃまぁ、アイドルの方がいいだろというのは御法度な気がした。
「秋山さんが、可愛いよ」
諦めて感情を込めて伝える。
「そんなはっきり言わなくてもいいのにー」
とキャッキャする彼女に困惑した。何をお望みで?
「とりあえず、スマホ返して」
「やだ」
「なんで」
「私の顔に変えていいんだよ?」
「なんでだよ。変えないよ」
と、スマホを奪い取ろうとすると彼女はヒョイっとかわす。
「本気で言ってる?」
声のトーンが下がり威圧感を感じる。
河原で見たあの影とは違う恐怖。
むしろ今は、秋山の方が怖い。
「いえ、そんなつもりは。そろそろ時間だし席に戻った方がいいかも」
「そうだね」
満面の笑みでスマホをドンと机に置くと席に戻って行った。
変な汗が背中をつたう。
女子の方がよっぽど怖いと認識した瞬間だった。
早く春正が戻ってこないかと願うばかりだ。
彼が来てくれれば、彼女の奇行も落ち着くだろう。
なぜいきなりこの可愛いアイドルのような雰囲気にしてきたのか皆目見当もつかない。
全然、アイドルの方が可愛いし……。
放課後、春正の病室に行こうと荷物をまとめていると秋山が声をかけてきた。
「ね、デート行かない?」
「ごめん、春正のところに行きたい」
断って歩を進めるとすれ違った刹那に手首を掴まれた。
「私も行く。だから、その後でいいから一緒にいて」
と、またも上目遣いを決める彼女。あら可愛いー。
圧倒的にアイドルの方が可愛いが、二つ返事で了承。
彼女と一緒に病院に向かう。
看護師から話を聞くにいまだに昏睡状態で危篤らしい。
ならば、あの河原にいてくれてもいいだろと思う。
お前一人で先に死んだら許さねぇからなと爪が食い込むほど拳を握る。
彼を眠る姿を見ていると僕もそっち側に行きたいと強く願ってしまう。
不謹慎なことくらいわかってる。
お前だって、死ぬとはいえこんな死に方は嫌だろ。秋山に押されたわけでもないんだろ。
お互い二人であの河原を越えたいねと話したはず。
隣にいた秋山がゆらゆらと手首を掴む。
「そろそろ行こっか」
考えても仕方がないと思い直す。
二つ返事で病室を出ると有名なショッピングセンターに向かった。
ど田舎で田んぼしかないくせにここだけはでかい。なんでも揃っているし、小さい頃はよく行っていた。
ショッピングセンター内で気に食わないことやマナーがなってなければ、父親は家で理由をつけて殴る。
そんな思い出が残ってる。
どれもこれも全部僕のせいだ。
奥歯を噛み、気持ちを落ち着かせた。
彼女は、ここに行きたいと引っ張ってくる。
人は雰囲気を変えると気持ちまで変わるのか意気揚々とするものなのか。
最近、楽しめていないのか、僕には彼女が今楽しんでいる気持ちが理解できなかった。
「これ、可愛い」
近くにあった雑貨屋。
あれこれと物色する彼女についていくだけ。
特別買うつもりもないので、遠巻きに見ているだけなのだが、なんだか素直に楽しそうで羨ましい。
……羨ましい、か。
そんなことを考えてしまう自分に嫌気がさす。
羨ましいと思うくらいならば、自分も楽しめばいいのに。
春正が危篤状態だからといって、ただ待っているだけで何もない。
家族の関係が悪いというのに何もしない。
そんな僕だから、彼女と一緒に楽しむことも必要なのではないか。
考えてみても、埒が明かない。
「これ、いいね」
と、手にとって彼女に見せてみる。
ほんとだとキラキラした目で言われてしまっては、買わざるを得ないだろう。
「お揃い、してみるか?」
「……え、うん!」
一つ間を置いてからいう彼女。
こんなこと言うタイプには見えなかったのだろう。
しかし、彼女は嬉々としてレジに並ぶ。
払わせるつもりはない。
ささっと交通系で支払いを済ませる。
カバンにつけてみるが、あまり良いとは思えない。
アクセやキーホルダーをカバンにつける習慣がないからだろう。
これはこれでアリかと思うには少し時間が欲しい。
彼女は、ジャラジャラとつけているキーホルダーと同じ場所につけていた。
トイレに行きたいと彼女は一人で向かう。
目の前の雑貨屋で彼女が手にしていたものを取り、レジに並んだ。
「彼女さんへのお土産?」
大人な女性店員がそんなことを聞いてくる。
彼女じゃないが、他人だし、これ以上会わないのなら、何言ってもいいだろう。
「ええ。まぁ、欲しそうだったんで」
「あら、優しい子」
「初めて言われましたよ」
と、適当に会話を済ませ、袋に入れられたものをカバンにしまった。
そろそろ日が暮れる頃。
彼女と別れる前に先ほど買ったものを渡す。
「何これ」
と、不思議そうに開ける彼女は、中のものをみると嬉々とした表情で腕をパシパシ叩く。
「欲しかったやつ!え、なんで?あんまり私のこと見てくれてなかったよね」
確かに、他の可愛い子を目で追っていたのは事実。
「欲しそうだったから」
見てなかったのは事実だけど、言及したら怒りそうなので触れないことにした。
女子を怒らせると怖いと何度も聞かされてきた。
もし、女子がハグを求めるなら、求められたように演じる。
それでいい。
僕の存在価値はそんなものくらいしかないのだから。
家に帰る前、彼女は寂しそうに制服の袖を摘んだ。
「どうしたの」
「もっと一緒にいたい」
甘えた声でねだられる。
家のこともあるからと断る。
だったら、と腕を広げる彼女。
仕方ないと彼女を抱きしめ、頭を撫でる。
いじめに遭っていた彼女の心の寂しさを埋められるなら、それでいい。
「また明日ね」
と、最後にポンポンと撫でる。
振り返ることもせず自転車に跨り、帰路につく。
家につくと弟は勉強をしていた。
リビングじゃなくてもいいだろうに、気分転換でもしたいのか。
「夜遅くに帰るなんてバイト以外じゃ、あり得ないだろ」
部屋に戻ろうとする僕へ弟はいう。
「ちょっと学校で必要なもの買ってただけ」
「じゃ、そのカバンにつけてるのは?」
シャーペンを机に置き、僕を見やる彼。背中越しでも感じる怒りに息を呑む。
「別に」
「家族に隠し事は無しだって言ったろ」
「そうだったね」
「なんでもっと家族のために動けない」
「……」
バイトして、家に帰れば家事をこなして、暇さえあれば勉強する生活に忙殺されている日々。
家族のために動いていても、動いていないと評されればそれはもう動いていないことになるのだろうか。
「なぁ、朝陽は、僕が家族を壊したって本気で思ってる?」
ふとそんなことを口にする。家族を壊した事実は変わらない。
今まで言ってこなかった言葉。
弟の怒りの感情をぶつけられることが兄のできることだと思ってきた。
やらかしたのは間違いなく僕だけれど、弟はもう高校生だ。
中学生の頃に離婚する様を見せられた弟にとって憎む相手がいないとやっていけないのだろうと受け身になった。
でも。
「そろそろちゃんと話すべきだと思ってる。僕が何をしたのか、父さんがどんな思いで殴ったのか」
振り返って弟を見やる。
憎しみの目は変わらない。
事実もまた変わらない。
僕が壊したと思われているまま、生きていくのは辛い。
父親と何があったのかちゃんと話すべきなんだ。
弟との関係が戻らないのは嫌だ。
「全部壊したお前の話なんか聞きたくない。勉強の邪魔だ」
机をぶっ叩いて机に広がっていた教材を手に部屋に戻る彼。
風呂上がりの母が、何があったのかと目を向けてくる。
「ちょっと話してただけ。大したことじゃないよ」
心配させないとばかりに本当のことは言わなかった。
「無理しなくていいのよ。家事だって私もできるから」
「大丈夫。できる日は全部僕がやるから」
部屋の扉を開ける。
「あのね、夕陽。自分から言えないこと、私から言おうか?」
また振り返ると母は心配そうな表情を見せる。
弟との会話、聞かれてたんだと後から気づいた。
ならもう隠す必要もない。
「……大丈夫だよ」
無理やり笑顔を作り、部屋に入った。
母は、僕が何をやらかしたのか、何が原因だったのか全部知ってる。
それでも、大丈夫だと必死に言い聞かせて、学校の課題のために机に向かった。
うとうとし始めて、机で眠った。
寝過ぎたと目を覚ますと朝の三時。
微妙な時間だなと辺りを見渡す。
ベッドで寝ればよかったと後悔したあと、端に見えるロープに視線が止まった。
今日は、『あの河原』に春正はいるだろうか。
昨日と同じようにロープを首かける。
『あの河原』へ到着すると春正はいなかった。
「なんだよ……」
舌打ちをした。
危篤状態ならきてもいいだろとイライラする。
死線を彷徨うのとは訳が違うのか?
そういえば、昨日見たあの影は今日もいるのだろうか。
川を半分まで渡った頃、その『人影』はいた。
「お前、誰だ」
怯えて聞けなかったこと。
今は、冷静に対処できそうだと拳を握る。
「またきたのか。逃げたんだと思ってたぜ」
「誰かもわからない奴が、なんでここにいる。これまで見てきたのは、春正だけだ」
「お前のやってることがお前含めて二人だけだとは限らないだろ」
「何隠してる」
話を誤魔化そうとしている奴にピシャリと言ってやる。
「お前こそ、何隠してんだ?本当は言いたいこと山ほどあんだろ?こっちにくる前に精算しておいた方がいいぜ」
「清算?」
「お前の価値はそんなもんか?誰かのサンドバックになり続けることがそんな大事か?母親の心の穴埋め、弟の怒りの発散口、秋山の恋心の付き合い、春正と同じ感情を持ち続けること」
「やめろ!」
春正の話が出て言葉を被せた。
言ってることの意味はすごく理解できた。
だけど。
「お前になんの関係がある」
「自分のこと見てないだろ。何がしたいとか本当はないんだろ?」
「だから」
怒りを滲ませる。
「やりたいこと考える暇もなく、生きてる意味を考えて、どこか投げやりだろ。自分の価値を見誤ってばかりだな」
「うるさい!」
「自分の存在価値に気づいてもなお、変わらないのは、お前が本音を言わないままだからじゃないのか」
「何説教垂れてんだ!お前、そっちにいるってことは、死んでんだろ!?こっちに来れないくせに、何知った口聞いてきてんだ!」
声を荒げる。
「じゃあ、見てみようか。お前が死んだ後の出来事」
口が開くよりも先に黒い影が僕の手首を掴む。
勢いよく森の中へ引っ張られる。
正面の木に足を引っ掛けて、必死に止める。
その影を振り解くと勢いが消えて、川に溺れた。
もがいて必死に上がってくる。
顔を上げ、目の前の影に睨みをきかす。
「そうか……」
気がついてしまった。
春正の話になって森の人影の言葉に耳を傾けなかった理由。
今、森に入っていかなかった理由。
生きようとした理由。
「僕は、死にたくないのか」
死ぬのさえ怖い臆病者が、春正と同じ感情を抱き続けるのに疲れているのかもしれない。
確実に死ねる保証もないのに、死にたいと思うことに疲れているのかもしれない。
もう一度、森へ目をむける。
だけど、そこには『人影』はなかった。
誰かの穴埋めになるのが僕の存在価値。
そうじゃないと森の人影に言われた気がした。
気がつけば、河原に戻ろうと歩を進めていた。



