呪いは傍に在るもので

 愛はあるし、最後は愛が勝つと誰かが言う。
 死んだ時嘆いてくれる人の数は、個人差がある。
 一人でいいと思っていた人が、愛を知って二人で生きていく道を選ぶ。
 そして、その道を選んだ彼らは、最後まで添い遂げる。
 どんなに憎いことが起きても二人でいれば、力強いと言うのだろう。
 本当にそうだと言うのなら、証明してほしい。
 孤独な人は、愛を渇望する。
 だけど、愛なんてないと知っている人は、一人で戦い、一人で勝ってしまう。
 そんな人は、一人だから愛に負けるのだろうか。
 僕には何もわからない。


 春正が事故に遭い、救急車で運ばれた翌日。
 秋山と病院に向かった。
 手術は終わったようで、今は安静にしているとのこと。
 河原でまた会えばいいのだが、一応、状態は確認したかった。
 遠くからしか見れないと聞いて、二人で遠巻きに見やる。
 彼の家庭環境を考えるとこのままでは良くないことは明白だった。
「早く起きないかなー」
 呑気にそんなことを言う彼女。
 昨日はあんなに怯えていたと言うのに、どう言うつもりだろうか。
「ていうか、久々だね。喋るの」
「そうだね」
 一週間近く話していなかった。
 もう話すことはないのかと思っていたから、なぜだか嬉しい。
「いじめって苦しいね。私、初めてこんな悲しい気持ちになったよ」
 ちょんと距離を詰める彼女。
 僕の腕に抱きつく。
 あら、かわいい。
「ずっとこんな思いしてたことに気づかなくて、ごめん」
 ぎゅーっと腕が締め付けられる。
 震えている様子は、視界の端からでも捉えられた。
「これまで、いじめられてたことは?」
「ないよ」
「いじめに加担したことは?」
「……ごめん」
 腕から離れようとする彼女を抱きしめた。
「こんな僕に話しかけてくれてありがとう。すごく、怖かったけど、今は、嬉しく思ってる」
 思ってもいない言葉が、ポンポン出てくる。
 人の感情を落ち着かせることはできる。
 今まで家庭の安定のために自分を押し殺してきた。
 どこに行っても、自分を押し殺して生きていくのだと理解している。
 もう、今更問題ない。
「ありがと」
 彼女は、僕の手の甲をさすった。
 何がしたいのかよくわからなかったけれど、和解できたらしい。
 今更、いじめに加担していたとかどうでもいい。
 こんな世の中で生きていくのだ。ネチネチ言っていても仕方がない。
 後で、どんな酷い扱いを受けようが今更なんとも思わない。
「ね、ちょっと離れよっか」
 他の患者の家族らがワラワラと来ていたからだ。
 近くのベンチに二人で腰をかける。
「昨夜、何があった?」
 彼女に問う。
「……答えたくないって言ったら?」
「無理に聞かない。その代わり、僕の憶測を聞いてもらう」
「じゃあ、それ教えてよ」
 先ほどとは違って、一人分距離が空いている。
「昨夜、いじめに遭ってたんだろう?その現場を春正が撮ってた。それに気づいたいじめっ子たちが、追いかけた。必死に逃げたけれど、家に帰ったら危ないと思って、あいつは遠回りすることにした。そうじゃなかったら、あのコンビニの前で彼が事故に遭うわけがない。もし帰るなら、あのコンビニで左に曲がる必要はない」
「……。だいたい合ってるよ」
「秋山が、一人で帰らなかったのは、あの近くにいじめっ子たちがいた可能性がある。だから、僕を付き添わせた」
「そこまで言わなくたって、疑わないよ」
「そっか」
「それで?私がいじめられてるって知って本当はどう思った?」
「……」
 何を言い出すのかと彼女を見やれば、嘘を見抜いている目をしていた。
 なぜ、バレたのか。
「本気で、嬉しいなんて思ってないよ。だって、話しかけてから今もずっと壁を感じる」
「……」
 あの嘘に気づけるとは、なかなかやるなと感心する。
 いや、女の勘か?
 それは、もう勝てないやつじゃ。
 目線をキョロキョロさせる。合わせた後でどうなるか考えると怖い。
「ほら」
「……」
「ね、嘘なんてつかなくていいんだよ。本当のこと話してよ。いじめられている私のことざまぁって思わなかった?」
「……」
「いいよ、怒らないから」
 それで怒らない人いないんだけど、と軽口を言う空気ではなかった。
「思わなかった。いじめられる苦しさを知ってるから。でも、どんな人でもいじめに遭うんだなって思った。新しい発見だ」
「……その発見は嬉しかった?」
「まさか。最悪の気分だよ」
「気をつかってる?」
「つかってない」
「じゃあさ、これからも一緒にいてくれる?」
「……」
「なんて、言ったら、烏滸がましいよね」
 ごめんねと、彼女は腰を上げて出ていった。
 どうでもいいはずだった。
 いじめられたとか、いじめっ子の元メンバーとか。
 彼女には全部見抜かれていた。
 本当はどうでも良くないこと。
 心の中がぐちゃぐちゃで掻き乱される。
 落ち着きたいのに、思い出しては荒れていく。
 嫌な気分から解放されない。
 学校も家庭も居場所がない。
 信用できるのは、同じ気持ちを持つ春正だけ。
 腰を上げて、彼の様子を見る。
 お前だって家庭のこともあるのに、何してんだよ。


 春正と出会ったのは、夜の『あの河原』だった。
 お互い小学生だった。
 彼が、その川を渡ろうとしているところを呼び止めた。
 こっちで遊ぼうぜと手を振っても彼は戻る素振りを見せない。
 ムキになって無理やり河原に戻した。
 初めてこの河原で人を見た。
 一人でいるこの河原が好きだったのに、気がつけば、彼といる河原が好きになっていた。
 それから時間が流れて中学生の時。
 彼は、いつになく憔悴しきっていた。
 話を聞くと、母親が認知症を患っているそうだ。
 どんどん物忘れがひどくなっていって、キッチンのコンロの火も消さずに寝ていたり、冷蔵庫を開けっぱなしにしたりする。
 春正の名前も忘れて、息子はどちらに?あなたは誰?なんて言葉をかけるらしい。
 元から親に愛されていない家庭と言うこともあり、お互い共通点が生まれた。
 そして、ある時。
 電話が鳴っていると河原から出ようとする春正。
「母が家出したかもしれない」
「一緒に探すよ」
「いや、うちの家庭の問題だから」
「いいよ、僕も暇だし」
「こんな夜に危ない」
「もう中学生だぜ?運動部の僕を舐めんな」
「……いいのか?」
「ああもちろん」
 河原を出て、それぞれ春正の母を探す。
 数時間が過ぎた頃、警察が見つけ出したらしい。
 それを知ったのは、喉が渇いてコンビニに向かった時のこと。
 春正とも合流した。
「会うのは初めてかな」
「うん。連絡先、交換しよう」
 LINEを追加した。
「まさか、本当に探してくれてたとは」
「そりゃ、一緒に行くよ。あの河原で会うもの同士仲良くしよう」
「じゃあ、そんときはまた一緒に行くか?」
「ああ」
「今日はありがと。また、なんか奢るよ。恩返しができたらいい」
 春正の母は、一時的に警察の保護が入った。
 しかし、金銭的余裕のなかった春正の家庭は、母を施設に送ることができず今に続く。
 介護の必要な母親。父親とはうまくやってるみたいだし気にするべきではないのかもしれない。
 そもそも人の家庭に口出しするのは野暮だ。

 学校に遅刻して行くと警察が来ていた。
 今回の事故は事件性があると言うのだ。
 春正のスマホに残っていた動画が、警察に発見された。
 事故車のドライブレコーダーには、誰かに追われている様子の彼が写っていたらしい。
 クラスメイトは警察の事情聴取のため自習だ。
 その中でもいじめっ子メンバーの席は空いていた。
 せっかく戻れたと言うのに、すぐに席を外すことになるとは思っても見なかった。
 以前春正が言っていた恩返しがこれなら、後でぶん殴ってやろうかと思う。
 あの河原なら会える。
 触れることができるなら、殴ることくらいできるだろう。
 担任が僕と秋山を呼んだ。
 どうやら事情聴取は二人ずつでやるらしい。
 そこまでする必要があるのかと思うが、この機を逃してはダメだ。
 いじめっ子たちは警察署に送れれば、どれだけ平和な教室になることやら。
「なんかピリついているね」
「君こそ、不安でしょうがないだろ」
 どんな動画を撮られたのか。
 その真相はいまだに知らない。
「んっとね、言いたくないから、言わない」
 と、唇の前で小指を立て、ウインクする彼女。
 あら、かわいい。
「やなことあったら警察に言っといたほうがいいよ。せっかくだし」
「そうだね」
 警察は僕を見ると奥の生徒指導室に連れて行った。
 彼女を気にするより先に扉を閉められてしまった。
「昨日、事故があったのは知ってるね?」
「はい」
「春正君は、君に電話をかけた。記録も残っているんだが、君と春正君はどう言う関係?」
「友達です」
「友達?部活は違うようだけど」
「クラスが一緒なので」
「一年生の頃から?」
「いえ、二年生から」
「ここ数ヶ月で仲良くなったのか」
「そうですね」
 全くの嘘だったが、いちいちあの河原で会ってましたとか言っても意味がない。
 なんのことだかわからないはずだ。そもそも僕だってあの河原がどこにあるのか実在するのかわかってない。
「すまないね、私は、角田という。何かあれば教えて欲しいんだ」
「質問には答えます」
「答えたくない質問は?」
「質問によります」
「そっか。他の子は、苛立ったり、戻ろうとする子も多かった。君は、違うんだね」
「……ええ、まぁ」
「動画は、見たかい?」
「なんですか急に」
 突然、本題に入られてしまっては、対応しようがない。
 つい本音が出た。
 このままいじめっ子を捕まえてもらおうと思っていたのに、うまく行くだろうか。
「電話で、話してなかったかな」
「あ、そういう……。動画は、見てないです」
「他にも動画あるのかな?」
「知らないです。電話で聞いたときは、一つとか言ってないので」
「あの動画はひどいものだったよ。とても、野放しにできない」
 自分の瞳孔が開いた気がした。
 野放しにできないということは、いじめっ子を捕まえる可能性があるということ。
 僕の時はできなかったことが、できるかもしれない。
 秋山に感謝だ。
「君は、秋山さんのいじめについて知ってたな?」
 角田が切り込みを入れる。
「えぇ、もちろん。僕は、止めれなかった。いじめられてたから。また、いじめられるんじゃないかって。少ししたら落ち着くだろうって春正が言うので、待ってたんです」
「急に話すようになったね」
 逮捕の可能性が出て、いじめに怯えなくて済むと思うとなんでも言える気がした。
「そんなことないです。ただ、春正が何かしてくれると思ってなかったので」
「何かしてくれる?君と春正君は、ここ数ヶ月の仲だよね?どうしてそこまで彼は君を想ってるんだ?」
「わからないです」
 あの河原の話をしてもわかるわけがない。
 それに、僕だって彼がどうしてそこまでしてくれるのかわからない。
 確信の持てる話なんてないのだ。
「ふーん。なるほど。じゃ、最後の質問ね。君は、いじめられていた時、殺したいと思ったことは?」
「……え?」
 口から不意に出た言葉。
 隣にずっと立っていた女警察が何か聞こうとしてきたが、角田が止めた。
 話は以上だと教室に戻された。
 事情聴取を終わったものから帰っていいとのことで帰ることにした。
 こんなことになって、精神的に不安定な者は、カウンセリングの予約をと言っていたが、断った。
 カバンに詰めるものを詰め込んで一人で教室を出る。
 秋山が廊下の奥に見えたが、目も合わせず別ルートから下駄箱に向かう。
 校舎を出ると角田がいた。
 生ぬるい風が気持ち悪い。
 素通りしようと試みるも彼らは逃がしてくれない。
「君だけだったよ。殺したいと答えなかった者は」
「……」
 ふと足を止める。
「他の者は、殺したいや殺したいけどって躊躇いは見せた。君だけ、そんなこと初めて思ったと言わんばかりだった」
 踵を返し、体を向ける。
 角田は怒っているわけじゃなさそうだ。
 少年課の刑事と担任が言っていたことを思い出す。
 下手に脅すような真似はしないのだろう。
 それも仕事だから。きっと家族のもとに帰れば、豹変する。
 子供を殴るくらいするだろう。
 大義のために子供は犠牲になる。
 僕の父親は、警察だ。
 治安を守ると大義を掲げておきながら、実際は、子供に手を出す悪党。
 今は、そう思える。
『国のために働いてる俺に口答えするのか!?お前が平和に学校に行けるのは、俺たちがいるからだ!』
 フラッシュバックする記憶。
 ある意味国を守るためなら、身近な人には手を出していいと言うのが、公務員の教えなんだろう。
 町の警官ってだけで今や何してるかなんて知らない。
 しかし、構う必要はないと言うのに、どうして足を止めてしまったのだろう。
「君は、いじめの被害者だ。殺したいと思うのは、悪いことじゃない」
 距離を縮めてくる彼に、少し後退りをした。
 普段から体力をつけている人たちだ。ちょっとやそっと逃げたところで気絶させられて終いだ。
「ああ、いや、何もしないよ。君は、昔、何かあったのかな?」
 警戒する僕に気づく角田。
「何もないです。もういいですか?」
 校門を早歩きで出る。
 呼吸が乱れてきた。座りたいが、そんなことするよりも先に僕の足は走ることを選んだ。
 警察が怖い。大人が怖い。
 逃げたところで、追いつかれる。
 勝手に調べ上げられるのだろう。
 ならもういっそのこと、あの河原から川を渡って森へいけばいい。
 あの森は死へ繋がっていると春正は言った。
 頭がクラクラする。
 人の多いところに逃げよう。
 買うものもないのに、スーパーに入る。
 外とは違い涼しい風が僕を迎えた。
 そうだ。食材でも買おう。
 何がいいか。
 安くて使い勝手のいいもの。
 ふとにんじんが目についた。
『お前が、料理なんてするな!飯が不味くなるだろ!』
 父親の言葉。
 だめだ。
 今日はもう何もしないほうがいい。
 スーパーを出て足早に帰路についた。
 田圃道しかないこの町では、自転車があるだけマシな方だ。
 必死に漕いで家につく。
 食事も作らず、ドアノブにあるロープを首にかける。
 しかし、スマホの通知音で我に返る。
 秋山から電話が来ていた。
 着信を拒否したのにも関わらず、何度もかけてくる。
『お願い、でてよ』
『ひどい、泣いちゃう』
 勝手に泣いとけよとイライラしているとまた電話がかかってきた。
 諦めて電話に出ると涙声の彼女。
「何?」
 LINEで笑を使う人がいても実際は笑っていないことがほとんだと言うのに、本当に泣いている人がいるとは思いもしなかった。
「ひどい」
 めんどくさいなと頭を掻きむしる。
「今から会いたい」
「なんで?」
「なんででも」
「……」
 髪を引っ張りぶちぶちと抜く。
「わかった。どこに行けばいい?」
「うちに来て」
「わかった」
 電話を切ると盛大にため息をついた。
 イライラする。彼女にぶつけてしまわないか心配だ。
 自転車で向かう道中、妙に静けさを感じた。
 大体、こう言う時は嵐の前だという。
 この先ひどい展開が待っているのかもしれない。
 そんなこと思っても仕方がない。
 直感が鋭いわけじゃないのだから。
 あの河原に行けば、春正と会える。
 命に別状がないのならと思ったが、病院内では厳しいか。
 家の前に着くと秋山が玄関前でうずくまっていた。
 この辺は家が密集しているところと田んぼでよく分断される。
 田んぼの付近で住んでいる人は大体農家だ。
 そんなことより。
「え、大丈夫?」
 慌てて駆け寄る。
 涙目の彼女が僕の胸板に頭を押し付ける。
 家に帰れなくなったのだろうか。
「家、入れない?親は?」
「違う」
 見当違いらしい。ならば、なんの連絡だったのか。
「今日ね、警察にね、最後の質問って言われて、いじめっ子を殺したいと思ったことはあるか?って聞かれたの」
「あー……、それ僕も聞かれた」
「私、そんなこと思ったことないし、思っちゃいけないって思って」
「……」
 角田は僕に嘘をついた。
 動揺を狙って、欲しい情報を聞き出したかったのだろう。
 奥歯を噛んだ。
「前までいじめっ子側にいたから……。殺されても当然なのかもって思って……」
「そんなことないよ」
「あのね、昨日の事故、隠してたことがあるの」
「……」
「春正君が事故に遭う前、私を庇ったの」
 庇った?
 意味はわかる。
 何が言いたいかもわかる。
 事故に遭えば、人が集まる。ゆくゆくは警察がやってくる。
 いじめっ子が近づけば一気に事情聴取を受ける。
 それに勘づいたいじめっ子たちは事故現場には来ない。
 だから、庇ったと言いたいのだ。
 だけど、警察はそんなこと言ってないし、それまで電話してた春正だって庇うような言葉を言っていない。
『俺、あいつらのいじめの現場見つけちゃって、動画撮ってたら、バレた』
 あの後に庇ったとして、危ない!くらい言うだろう。
「彼は、私を守るために一緒になって逃げてくれた。車が来てたから止まった」
 なのに
「突然、彼だけ動いたの。自ら事故に遭ったの」
 それで。
「あのいじめっ子たちは、警察が来たらまずいって逃げ出した」
 彼女の言葉を心の中で反芻した。
 想像していた庇うとは全く違った。
 自ら事故にあっている。
 警察は、事故だと僕に伝えた。
 事故にしてもやってることに説明がつかない。
 庇うにしてもコンビニに行くだけでも状況は十分過ぎるほど変わる。
 優等生である彼がそんな危険なことするだろうか。
 しかも人のいる前で。
 もしかして、動画撮っていた事実がいじめっ子の仲間に結びついたのか。
「いや、だとしても、ドラレコがあったはず。警察もそう言ってた。その証拠があれば秋山の話には根拠が出るし、証拠もでる」
「そうだよ。だから、私あんなこと言われて何を思えばいいかわかんなくなちゃった」
「警察は、僕らに何を聞きたかったんだ」
「あり得ないよ、警察なのに……。私、絶対人殺さないもん。あの人だったら……」
 あの人?疑問に思うが、彼女はそれ以上口を開かなかった。
 深掘りしてもいけない気がして、触れるのはやめた。
「……」
 しかし、頭がパニックになりそうだ。
 ただの事故なんじゃないのか?
 警察が踏み込んだ質問をする理由はなんなんだ。
 もし、彼女の言葉が本当ならばどうして春正からの電話で第三者の声が聞こえなかったのだろう。
 スマホの通話機能は他の人の声まで聞こえる。
 聞こえなかったのは、そこまで注力してなかったのもある。
 彼は自作自演をしたのか、それとも最悪の場合彼女に押された?
 彼が、事故に遭う前学校で読んでいた本を思い出す。
 あれは、死後の世界を題材にしている。
 事故に遭う予感がしてた?
 いやいや。
 なら、口論になった時に聞けばよかったはず。
 僕らはあの河原でそんなディープな話もしてきた。死んだらどうなる、とか。
 まさか、心霊や並行世界とかそんなオカルト話が現実にあると?
 被りを振って、目の前の彼女を見やる。
 だが、この震え具合に嘘はない。彼女が春正を押すなどするはずがない。
「ねぇ、今日は一緒にいて」
 両親いなくて怖いの、と僕に目を向けた彼女はいう。
「わかった」
 端的に返すと彼女は、プルプルと顔を震わせてまた顔を埋めた。
 落ち着いた頃に、彼女にいう。
「そろそろ家に入ろうか」
「うん……」
 腕にギュッと絡みつく彼女。
 そんなに怖いのかと思うほど、離れようとしない。
 玄関の扉を開けて、彼女が先に入り後に続いた。一応、鍵を閉めておく。
 そして、彼女は僕を引っ張り部屋へと連れて行った。
 ベッドに座るよう促される。
「電気つけたほうが怖くないんじゃ」
「いいの」
 彼女は、僕の顔に触れて指でそっと唇に触れた。
 何か違う。何か間違えている気がする。
 そう思うよりも先に、顔を固定されていて、この暗さにも慣れてきた時。
 唇に柔らかいものが当たった。
「……え?」
 気のせいか。
 指でも当たったんだろうと思うことにした。
 体が包まれて、また彼女の手が顔に触れて、唇に柔らかい感触を感じる。
 ……そうか。彼女はそういうことがしたかったんだ。
 気づく頃にはもう遅く。
 彼女は、僕をベッドに押し倒していた。
 自分がこんなにもされるがままだとは思いもしなかった。
 ことが済んだ後彼女の隣で背を向けて横になる。嵐は過ぎ去った。
「ねぇ、こっち向いてよ」
 応えずぼーっと暗闇に目をやる。
「寂しいよ」
 僕の背中に触れる彼女。雑にあしらうと彼女はその手を引っ込めた。
 後ろで動く彼女。チラと目をやると彼女もまた背を向けていた。
「寂しさ埋めるために僕を呼んだの?」
「そんなことないよ」
「じゃあなんで」
「あなたが好きだから」
「……」
「愛してる」
 僕にはそれが、わからない。
「愛してるって言って」
 いつか僕が彼女に嘘ついたことを彼女は気づいていた。
 言ったところで、彼女は嘘に気づくだろう。
「じゃあ、好きって言って」
 彼女が何を求めているのか、僕にはわからない。
「どこが好きか言ってよ」
 要求がエスカレートしている気がした。
 好きでもない相手を抱いたことに今更罪悪感を抱く。
「私ね、昨日の夜、いじめられてたの。何度もやめてって言ってるのに、彼らはやめてくれなくて」
「やめろ」
 聞きたくないと振り向くといつの間にか彼女は僕に体を向けていた。
「……」
「私、可愛かったかな」
 彼女は、寂しいんじゃない。
 別の感情を埋め合わせたかっただけ。
 気づいた時にはもう遅かった。
 手を伸ばして、彼女の頭を撫でる。
 ぐいっと体を近づけて、キスできそうなくらい彼女は距離を縮めた。
「もう一回だけ」


 僕は二つ過ちを犯した。
 一つは、彼女が僕を信用したこと。
 二つは、彼女を愛していないこと。


 最後に愛が勝つのなら、僕らの関係は愛そのものだろうか。
 人によっては愛想をつかすくらいひどいもの。
 彼女の言葉に釣られて、ホイホイついていくバカ男。
 好きとも愛しているとも普段は言わないくせに、こんな時だけ好きだと言った。
 本当に好きだったら、こんなことにはならない。
 本当に愛していたら、最後までちゃんと彼女を思うだろう。
 彼女は孤独だった。だから、愛を渇望した。
 僕は求めてないけれど、誰かのためになれるのならとその愛に応えた。
 これが愛だと言うのなら、こんなにも孤独を感じない。
 独り暗い夜に泣くのなら、誰かといたいと彼女は思った。
 期待に応えられただけ、よかったのだろうか。
 否、よくないのだろう。
 最低な行為だ。
 僕が愛を知っていたら、こんなことにならなかった。
 ごめん、と心の中で何度も伝えた。
 僕じゃないほうがいい。
 ほんとごめん。