時間は平等だ。
先生たちはそんな言葉を使って、勉強しろと言う。
みんな同じ時間の中で生きている。
同じ時間分授業を受けている。
だから、予習も復習もみんなしているのだから、やれ、と。
どこから繋がっているのかもわからない、説得力のない言葉に人は動けるだろうか。
同時に、良い大学に行けないとか、良い就職先に就けないとか。
同じ時間の中で、ゲームに時間を注ぐ人がいれば、その分勉強に時間を使う人もいる。
現に、勉強してこなかった人たちがこんな学校に来ているんだと先生たちは伝えているのだ。
この先、人生を巻き返したいというのなら、勉強しろと声を大にしていうのだ。
確かにこの偏差値の低い田舎の学校では、タバコを吸う人や酒を飲む姿をSNSにアップする生徒がいる。
総じてみんな、生徒指導室に連れて行かれる。
謹慎処分や反省文などのペナルティ。
耐え凌げば、またいつも通りの学校生活を送れる。
しかし、そんな生徒たちがまた学校生活を送りたいかと言えば、違うのだ。
大抵が、退学してバイトする。そして、その場で就職したりする。
申請さえ出せば、バイトはできる。
そうやって手続きをちゃんと行う生徒もいれば、しない生徒もいる。
申請する生徒の方が大半だ。だが、偏差値の高い生徒がこっそりバイトをしているのも事実。
コンビニの接客をしながら、シフトの被ったアルバイトと軽口を叩き合う。
高校生バイトに求められる仕事なんてたかが知れている。
商品をスキャナーで登録して合計金額を口にする。
現金を出すか、クレカを出すか。はたまた、スマホ決済を提示するか。
「よ、南風。順調?」
僕の名を呼んだのは、春正だった。
「また来たのか」
軽口を言う。
春正は、暇さえあれば僕のバイト先に来る。
「来るなって言われてねぇし」
「まぁ、そうだけど」
今日もまたブラックのアイスコーヒーを頼む。
カップを用意して、氷は適量入れる。
金額を告げるとスマホ決済を提示する。
一体どこでそんな金が入るのだろう。
学校にバイトの申告をしてないらしいから、バイトはしていないのだろうと思うけれど。
まさか、春正に限って無断バイトはしないだろう。
バイト先によく来るが、成績は学校内では優秀だし、先生からの評価もいい。
やるべきことはやってるやつだ。
以前に、課題をやり忘れた僕に彼の答案を移させてもらった。
忘れ物だってない。優等生気質な生徒というべきか。
「これいつも買ってるけど、毎回どうやって持って帰るわけ?こんな田舎じゃ、持って帰る頃には氷も溶けるだろ?」
「今日は、父親に連れてきてもらったんだ」
毎週水曜日の夜は、決まって親に送ってもらっている。
理由は知らないが、父親との仲はいいのだろう。
羨ましい限りだ。
「お父さんによろしく伝えとけ」
会計を済ませ、コーヒーができるまでの時間もまた軽口を叩く。
最近は、よくシフトの被る他校の高校生とも仲良くなってきている。
散々、やめとけ、危ないとか言ってた割に仲良くなるのだから、コミュニケーション能力も高いと来た。
こいつに持っていないものはなんなのか。
コーヒーができて、それじゃと帰っていく彼。
後ろ姿をぼーっと眺めていると他校のアルバイトが声をかけてくる。
「好きすぎか?」
「んなわけねぇだろ」
それより、タバコの補充でもしようと下の棚にあるカートンを開封する。
店長は防犯カメラで僕らのことをよく見ているらしいので、ただ喋っているだけでは良くないのだ。
「南風、イケメンだし狙っちゃえよ」
「何言ってんだ。僕は、ゲイじゃない」
「えー……、春正がかわいそ。お前、ノンケか」
「何だよ急に」
ここ数ヶ月この話で持ちきりだ。
彼が何を言いたいかわからないし、南風だってかわいそうだ。
あいつは、ゲイじゃない。
「それにしても変だよな。春正って、夏でも長袖着てよ」
蝉もうるさいこんな季節に確かにと思う。
半袖の方が楽だし、涼しいはず。
ずっとコンビニにいたら、薄い長袖くらいは欲しくなるけれど、彼は違う。
考えても無駄だと思い、適当に相槌を打つ。
シフトの時間も来て、帰路につく。
家に帰るのは億劫だ。
春正のように家族仲も良ければいいが、僕の家はそうじゃない。
マンションの階段を登り、玄関手前で立ち止まる。
深呼吸をして、よしっと気持ちを切り替え、家に入る。
鍵を閉めて、努めて明るくただいまを伝えた。
「遅っそ。飯ないよ?」
元から作ってもいない夕飯をもらおうだなんて思ってない。
飯はコンビニで買ってきた。
「あぁ、まじか」
買ってきたことがバレないように、ショックそうな顔をして見せる。
「お前が、バイトに現を抜かしてるからこうなる」
と、弟が苛立ちを隠さずにいう。
「いやぁ、ごめん!今から作るわ」
「いらねぇよ!何?お前、兄なのに飯もつくれねぇわけ?」
お前ちょっとこいよと母親のいない玄関前に立たせる。
「俺、言ったよな。母親を楽にしてあげようって。なんで、そんなこともできないわけ?」
「今日バイトだったから。いつもは作ってるだろ?」
「いつも作ってりゃ、作らない日があってもいいのか?それが、兄でいいのか!?」
と、離婚した父親に似て怒鳴る弟。
「ごめん!だから、今すぐ作るから!」
と、母親のいるリビングに向かう。
母親の前でも笑顔は絶やさない。
「すぐ作るよ」
就職してからずっとカップ麺ばかり食べる母親。
ヘトヘトだと簡単なもので済ませてしまう。
体に悪いものばかり食べていると体調を崩す。
それでいいんだという母親は、いつからか食材を買わなくなった。
週五で残業もある中、帰ってくる。
スーパーに行ったって空いてないのかもしれない。
それ以降は、バイト代を叩いて食材を買い、夕飯を作っている。
元は、進学のために貯めていた金だ。
できれば、使いたくないが、食材がなくては腹を満たすことはできない。
弟もまだ高校一年生。優秀で県外の進学を薦められている。
不摂生な食事は避けたい。
せめて米だけでも炊いておいて欲しいものだけれど、いつの間にか料理担当に任されてしまい、一切料理はしてくれない。
お前の仕事だろと怒鳴る有様。
米を炊いて、料理を済ませる。
あとは炊けるのを待つだけ。
「母さん、少し話したいんだけど」
「何?」
食卓に着いて母親と向かい合う。
「進学のことなんだけど」
もし、ダメと言われれば、奨学金について話すし、それでもダメなら諦めて就職する。
そんなつもりで話そうと思っていた刹那。
「は!?就職でしょ!?まだ母さんに負担かける気!?」
と、弟が割って入ってくる。
いつから父親の真似をするようになったのか。
両親が離婚したのは、僕が中学一年生の時。
それから母親は仕事をするようになった。
離婚前の両親は喧嘩ばかり。
『子供のために時間を使えばいいんだよ!お前が働く必要なんかない!子供だけ見てろ!』
『もう十分育ってる!夕陽だってもう家で一人留守番くらいできる!』
『お前は、母親じゃないのか!?なんで、子供を見てやれない!』
父親は、母親に暴力を振るった。
止めたのは僕だけ。
その暴力が僕にくることなんか知らず、標的にされた。
動けないほどに殴られたあと、母親が身を挺して僕を庇った。
庇った母親を父親は殴り飛ばした。
そして、離婚した。
その一部始終を見ていた弟は僕を離婚の原因として弱者として見ていた。
現在も変わらず、憎き相手として僕を睨む。
「奨学金もある。勉強も頑張ってるし、できれば大学に進学したい」
弟がいなければ、スムーズにいく話でも介入されてしまえばうまくはいかない。
「底辺高に行ったくせに、まだ金かけさせんの!?俺は、偏差値高い高校に入ったのになんでこいつのためなんかに金使うの?俺のために使ってよ!」
高校二年生の夏、大学のオープンスクールなどに行っておきたいが、進学が決まっておいた方が見たいものもまた変わってくる。
しかし、弟の頑固さは異常だ。
兄よりも弟を見てくれ。
そんな感情になるのは、僕を離婚の原因だと思っているから。
邪魔な存在。弟はそう思っているのだ。
「また後で話そっか」
母親が機転を効かせてくれた。
「それじゃあ、母さんの時間を奪うことになるじゃん!なんで、兄さんなんかに時間使っちゃうの!?」
これだけ悪く言われていれば、よくわかる。
弟は、両親に離婚して欲しくなかった。
わかればわかるほど、なら僕は母親が殴られている時どうするべきだったのか考えてしまう。
夜も眠れぬほどに考えてしまって、夢に出る。
トラウマの如く思い出して、汗だくで目覚める。
今日もまた夢を見るのだろうか。
米の炊けた音がして、夕飯になった。
母親は、いつも美味しそうに食べてくれる。弟は、文句を言いながら食べる。
憎しみはいつまでも消えないのだと、弟の存在によって知らしめられる。
自分の作った料理が本当に美味しいかなんて僕にはわからない。
この料理を家族以外の誰かに食べさせたことなんてないから。
ふと春正の顔が浮かんだ。
あいつはどんな顔して食べるだろう。
想像してみても、思いつかない。
弟みたいに文句を言うとは思えない。
だけど、母親みたいに嬉しそうな顔するとも思えない。
あいつは……。無理だ、全くわからない。
被りを振って、夕飯を頬張る。
美味しいかどうかなんて関係ない。
今はもう理由をつけてでも家を出て行きたいのだから。
夕飯を済ませ、自室に戻る。
春正から連絡が二件きてた。
『いつもの場所これるか?』
『てか、来いよ』
「恋だけに?」
と、雑に返すと舌打ちのスタンプが返ってきた。
いくかと勢いよく状態を起こす。
そして、いつもの『あの河原』にくる。
「よ、元気か」
真夜中に『あの河原』に行くのは、春正と出会ってからだった。
それまでは昼間。春正はいなかった。
あれから考えれば、ここで会う回数は多い。
一時期はほぼ毎日のように会ってた。
「元気な奴が来るところかよ」
「まーな」
彼の隣に座る。横顔を見やればいつもみたく浮かない顔をしてる。
「今日も眠れんか」
聞く必要もないけれど、聞いておくのは今後も関係を続けたいから。
深い意味はない。ただ、同じクラスの人だ。仲良くしておく必要はある。
「眠れないのに、こんなところ来てさ。南風も呼んじゃって。バカだよな」
ここにいるときの彼はいつもこうだ。
ナイーブになって、時たまに感じる夜風に思いふける。
お互いそんなのがよくてこんなことしているけれど、普通ならこのタイミングで関係を切るのだろう。
そうしないのは。
「明日、謹慎メンバー帰ってくるんだってよ」
考えるよりも先に、フラッシュバックする記憶。
二年生の一学期、謹慎メンバーにいじめられていたこと、食材買うための金を盗られたこと。
全部、学校にバレて奴らは謹慎した。
呼吸がおかしくなりそうで顔面を川の水につける。
冷静になれない時、冷たい水の中に息ができなくなるまでいるととなぜだか収まる。
それは僕だけだろうし、こんな危ないやり方本来するべきじゃない。
顔を上げると彼はいう。
「ごめん、嫌だったよね」
春正の顔を見れば、一目瞭然だ。
僕を心配してただけ。
「いや、大丈夫。お金も返ってきたわけだし、もういじめはないと信じたいよ」
ナイーブな彼と一緒にいるのは、彼が僕をいじめから守ってくれたから。
金を盗った映像が、担任に見つかり生徒指導の先生に報告され事態が大きく動いた。
クラスも平和になり、僕に話しかけてくれる人も増えた。
居場所ができた。春正ともう一人同級生の女の子。
だけど。
「これからはもうそんな居場所もなくなる、か」
クラスメイトは皆、カーストに弱い。
いじめっ子が上位の間は、その人たちの顔色を伺う必要がある。
「秋山もあいつらのところに戻るだろうな」
いじめっ子が謹慎処分になって以降、話しかけてくれる女の子の名だ。
奴ら以外に話す相手がいなくなったために僕らと話すようになったんだろうが、最初は意味がわからなかった。
いじめの共犯。それ以上の事実は揺るがない。
なのに、彼女は、いじめっ子の彼らとは付き合ってなければ、遊びに行くこともないのだという。
元から話しかけてみたかったのに、いじめっ子らの標的になってしまい話しかけるタイミングがなかったと後に知った。
「事実を知ったら、秋山がいじめられるからね。しょうがない」
短い間、お世話になったよと心の中で思う。
可愛らしい子だった。清楚でボブで童顔であどけない。
キャピキャピした笑顔は、癒しに似た感情を覚えた。
僕ら三人は、数ヶ月間揺るがない仲の良さだったと今は思う。
「もう終わりか」
川の先に目をやる。
そろそろあの奥に行ってもいいんじゃないか、なんて口が裂けても言えない。
楽しいことがあったあとは、嫌なことが起こる。
それはどんなことがあっても変わらない。
「南風はまだ、終わりにしちゃダメだよ」
いつの間にか隣に来ていた彼。
笑顔を作って何か言おうと思った刹那、鈍い痛みを感じて倒れた。
翌日、教室に入るといじめっ子の姿があった。
彼らは僕を見ることもせず、ただ普通に会話を楽しんでいた。
こそこそと席について呼吸を整えようと息を吸う。
と、机をドンっと蹴られ怯えて震えた。
「そんな驚かないでよ」
それは、昨夜、春正と話していて話題に上がった女子の声。
「秋山か……」
驚かすにしても机を蹴る必要あるのかと思う。
が、あまり女子を怒らせてもよくない。
危険だ。何より女子の勘を侮ってはいけない。
「何その反応」
「いや、あっち行かなくていいの?」
親切のつもりだったが、彼女はどうやら不服らしい。
「行って欲しいんだ」
「……」
こう言う時、なんて返すのがベストなのか考えてしまう。
行かないでと言えば、好きなんだ私のこととかキモいとか思われるかもしれない。
逆に行ってらっしゃいだなんて言えば、嫌いなんだ私のこと最低と思われるかもしれない。
どちらが正解か。
「何その間。ひどいね」
どうやら、どれを選んでもバッドなエンディングを迎えるらしい。
まさかこうなるとは思いもしなかった。
「だってほら、彼等と仲良かったじゃん」
「……そうだけど。前に言わなかったっけ」
『元から話しかけてみたかったんだよね』
いじめっ子が教室からいなくなった日。
七月にもなれば、彼女の人となりがわかるけれど、夏休みも終えた今、そこまで信用するつもりはなかった。
唯一信じれるのは、夜に会う河原での春正だけ。
同じ気持ちを持った仲間とも言える。
「言ってたけど、君がいじめの標的になるかもしれない」
「女子をいじめる男子なんていないよー」
「わかんないよ」
と、ため息を吐こうとする刹那、また机を蹴る彼女。
もう怖いんだけどと軽口を言おうものならグーパンが飛んできそうなのでやめた。
「僕は、気にしないけど、君は気にしないのかなって思っただけ。いいなら、いいよ。問題ない」
「気にしてくれるなんて、優しいね」
自分で蹴った机を戻し、正面で膝を下げる彼女。
自然と上目遣いになるわけだけれど、どうしてかスカしてしまう自分がいる。
女子慣れしていないのは、とうにバレているはずだけれど、彼女は今もまだ僕をおちょくっている。
「目、合ってないよ?」
小首を傾げる彼女。
あら、かわいい。
「そんなことないね」
と、またスカしてしまう。
そこに春正がやってきた。
「また南風をいじってるのか」
登校して来た彼はいつもチャイムギリギリだ。
そろそろチャイムでもなるのだろう。解散だ。
「いじってないよ?」
と、春正にも小首を傾げる。
あら、かわいい。
「全く可愛くない」と、一蹴する彼。
「えーん、ひどいよ。春正くん最低ー」
泣きつく彼女。僕に抱きつこうとするが、机が邪魔で距離ができたまま。
「残念だったな」
と、なぜか煽る彼。
ムッと頬を膨らませる彼女は、机をどかすべく手を触れるが春正が制した。
するとチャイムがなった。
また、彼は同じセリフを吐き捨てる。
「最低」
低めの声でいう彼女もまたあら、かわいい。
ときめいてしまいそうだ。
二人が席について、自席で小説を取り出す。
チャイムがなると席について本を読む時間に入る。
スマホの通知のバイブに気づいた。画面をタップすると春正からだった。
『あいつはやめとけ。あざとい女は、お前を貪り尽くした後捨てる』
経験談かと言いたいが、そうじゃないのはわかってる。
「狙ってないから気にするな」
と、返信するとほんとかよおいー?と煽るようなスタンプが返ってきた。
イラっとしたが、確かに女子耐性のない自分にも非がある。
忠告はせめて聞いておこう。
前の席に座る秋山がちらりとこちらを見る。
目が合うとニコッと笑みを浮かべた。
あら、かわいい。
とまた、通知のバイブが鳴る。そうだ。忠告を聞いたばかりだ。
自分を律するべきだ。そうだそうだ。
かわいいからと流されてはだめだ。
それから、昼休み。
彼女は、僕をいじめたグループに詰められていた。
「お前、急に寝返るとか意味わかんねぇんだけど?」
「南風のとこ行くなら、どうなるかわかってるはずだろ」
クラスの端の席にいても聞こえる。
いじめっ子たちは、僕のことを今も嫌っていた。
それがわかっただけでも、逃げ出したい気持ちに駆られる。
「それはその……」
小さな声がかすかに聞こえた。
そっちにいけばいい。
秋山が傷つく必要なんてないのだから。
「あんまりみてると気づかれるぞ」
春正が隣に来た。
「あぁ、いや別に」
「秋山のことはほっとけ。君が苦しくなるだけだ」
「でも」
「またいじめられたいのか?」
「そんなわけない」
即座に否定する。けれど、その標的が今度は秋山に変わってしまうのは嫌だった。
「どうせ、秋山がいじめられることはない。気にすんな」
彼の言葉は励ましだった。
それから一週間。
いじめの標的は、秋山へと変わった。
廊下を大股で歩き、春正のいる図書室へと足を踏み込んだ。
端の椅子に座り本を読んでいる。
「おい、春正!」
彼が気づいて手を振ってくる。
その腕を持ち上げ、上体を起こさせ、壁にぶつける。
「お、おい、どうした?」
「春正、お前が言った言葉忘れたか?なんで、今、秋山がいじめられてんだ!!」
「そう言う話、いつもの河原でできたろ?ここじゃなくていい」
わざわざ騒ぎにする必要はないと、暗に言っている。
「春正の言葉を信じたんだぞ」
「君はいじめられたいのか?」
前と同じ言葉。
「そんなわけない。だけど、秋山がいじめられるのは違う」
言い返せなかったあの時とは違い、今は怒りが言葉を溢れ出させる。
「ちょっと前のお前は、感情的になることもなかったのに」
変わったなと彼は微笑んだ。
「何が面白いんだよ」
「自分が傷つくのはよくて、他人が傷つくのは嫌だって、どんなエゴだよ。自分がいじめられないことにホッとしてるように見えるけど?」
「……」
彼を掴む腕を離した。
言い返せと脳内に何度も言い聞かせる。
だけど。
「図星じゃん」
彼の言う通りだった。
いじめに遭いたくない。
これ以上、苦しい思いはしたくない。
今、秋山がいじめられているおかげで僕はいじめられていない。
標的が変われば、対象から離れる。
彼女の気持ちを考えれば、気の毒にと言うほかないだろう。
もし、自分がそんな言葉を言われれば、人を信用できなくなる。
わかっているのに、わからないふりをしている。
しかし、目の前の彼はそんな僕の感情にも気づいている。
「俺は、聞いたはずだよ。いじめられたいのか?って。嫌ならこれ以上、秋山と関わらないほうがいい。また、あの河原で待ってる」
彼は、僕に小説を預けて歩を進める。
すれ違う時に何か聞けば良かった。
お互いの気持ちは変わってないと信じれる何かをあの河原で聞けばいい。
彼の読んでいた小説のタイトルを見る。
聞いたこともない本だった。
読んだこともなければ、その作家の関連作品も読んだことがない。
ただ、彼の読む作品は大抵オカルトものだ。
タイムリープ、並行世界、心霊、そんなくだらないものばかり。
小説にするとSFジャンルになるのだろうか。
ホラーもあるのか。
どうせそんな面白くないし、怖くもない。
現実味のない話をされても、現実以上に怖いものなんてない。
幽霊より人の方が怖いだろと彼に言ったことがあった。
『ポルターガイストは怖いでしょ。見えないのに、物が倒れるわけだし』
「疲れてるだけだよ」
彼の環境も含め、疲れてるなら寝ろとあの時は軽口を言った。
今回の作品だけは違った。
死後の世界について触れた作品。
読もうか悩んだけれど、やめた。
死後の世界なんてあるわけない。
そんなくだらないものがこの世にあってたまるか。
死んだらそれで終わり。
それが一番じゃないか。
どうして、死んだ後も生きなきゃいけない。
自殺を図った奴らは、死にたくて死んだんだ。生きたくないから死んだんだ。
死んでも世界があるなんて、そんなの生きてるのと一緒じゃないか。
天国もなければ、地獄もない。
無が一番だ。
過去の父親の暴力や今の弟の暴言が一気にフラッシュバックしてきた。
今日も家に帰ったら、怒られるのだろうか。
もしかしたら、父親に会うかもしれない。
呼吸が乱れているのを感じる。
深呼吸を何度もして落ち着いた頃、小説を棚に戻して図書室を出た。
いつ終わるかわからないこの地獄から解放される方法は一つしかない。
帰ったら、あの河原へ行こう。
バイトが終わり、いつものごとく弟の暴言に耐え、『あの河原』へ。
しかし、何度辺りを見渡しても河原に春正はいない。
電話しようかと思ったが、場所が場所だ。
繋がるわけがない。
一人なら、それはそれでいい。
川に近づき小石を蹴る。
あの奥に行けるなら、行ってみようかと思う。
普段は、絶対に春正が止めてくる。
足を踏み入れる。
水はそんなに冷たくない。
夏が近いからか?
こんな場所に季節もクソもないだろう。
足を一歩二歩と進めていく。
深くなっていく川に足元を取られてしまいそうだ。
まぁ、それでもいいかと腕を使って向こう岸を目指す。
……誰も来ない。
あいつが約束してきたんだからこいよと思う。
後ろを振り返るとやはりそこに彼はいない。
今は何時だ。
彼はどこだ。
今日の話は嘘か?
刹那、何やら音が聞こえる。
これは……。
すぐ河原に戻った。
荒れた息を整えると、部屋にあるスマホの画面が光ってる。
春正だ。
「おい、どうした?ずっと待ってんだけど」
『南風!悪い、俺、やっちまった』
息を切らし、焦っている様子。
「あ?」
『俺、あいつらのいじめの現場見つけちゃって、動画撮ってたら、バレた』
いじめってことは、まさかいじめっこから逃げいているのか。
「動画撮るのが悪いだろ。今度は、お前が」
刹那、スマホ越しから鈍い音が聞こえる。
嫌な予感がして、ショルダーバッグを手に部屋を飛び出す。
ロープがドアに引っ掛けてあるが、構っていられなかった。
「どこいくの?」
母親の声が聞こえた。
「ちょっと、野暮用」
適当に返し、家を飛び出した。
何度もスマホに声をかけるが、反応がない。
文句言ってないで、今どこにいるのか聞くべきだった。
最悪だ。
どこに走っていけばいいのかもわからない。
無我夢中で走ってみても、現場さえ知らない。
パトカーの音でも聞こえれば……。
すると、遠くから救急車のサイレンが聞こえた。
こちらに向かってくる。
春正の家は、ここからそう遠くない。
家の付近か?
予想を立てて、彼の家の方へと足を進めた。
「もしもし」
女の声がスマホから聞こえた。
「誰?春正は?」
「倒れてる」
「何があった?」
「事故に遭った」
「場所は?」
「コンビニ前」
「どこの!?」
「怒んないでよ」
「怒ってない!!」
「怒ってるじゃん」
「……」
この女は誰だ。
緊迫した空気をぶち壊すような声の主はさぞ頭が悪そうだ。
構うよりも先に足を動かそう。
後ろから救急車のサイレンが聞こえた。
この先のコンビニといえば、三箇所くらいか。
春正の家の近くなら、この先を右に。
しかし、救急車は真っ直ぐに向かった。
あれこの道。
覚えがあった。
一度、秋山の家について行った時のこと。
普段使わないから、より覚えている。
もしかして、この声の主。
走って、到着するとその主はいた。
「秋山……」
いじめの現場って話が出たんだ。少し考えれば、わかったかもしれない。
血だらけで倒れている春正が救急車のストレッチャーで運ばれていく。
「春正!!」
救急車に乗り込もうとするが、友達だと言っても乗せてもらえなかった。
彼をのせて連れて行った救急車は、音だけ残して闇夜に消えた。
「南風……」
彼女の言葉に、顔を向ける。
「ごめんなさい」
「後にしよう。そういうのは」
踵を返して、一人で帰ろうと歩を進める。
刹那、彼女が僕の腕を掴んで離さない。
「怖い……。一人はやだ」
ふざけることもできず、彼女を家まで送った。
ハグを求められて、ハグを返した。
彼女が家に入ったことを確認した後、今度こそ帰路についた。
時間は平等だ。
誰かが言った。
でもその時間は、いつ終わるかわからない。
僕が、先に死んでいたら、彼の切羽詰まった電話をとることもなかっただろう。
逆に、彼が先に死んだら、僕は謝ることもできなかっただろう。
もし、本当に時間が平等なら、自殺も他殺もみな平等にできうるというのだろうか。
誰かに殺された命は、誰かを殺した命と平等だろうか。
追い詰められた命が運悪く危篤になった場合、追い詰めた命と平等になるのか。
本当に平等だというのなら、どうしてこんなにも嘆いてくれる人の数に差が出てしまうのだろう。
平等の時間の中で、格差が生まれるのは、その生き様のせいなのか。
ならば、バイトに時間を使う僕は、その時間を勉強に使える人よりも劣っていたって仕方がないと思うのだ。
これは、ただの言い訳だった。
先生たちはそんな言葉を使って、勉強しろと言う。
みんな同じ時間の中で生きている。
同じ時間分授業を受けている。
だから、予習も復習もみんなしているのだから、やれ、と。
どこから繋がっているのかもわからない、説得力のない言葉に人は動けるだろうか。
同時に、良い大学に行けないとか、良い就職先に就けないとか。
同じ時間の中で、ゲームに時間を注ぐ人がいれば、その分勉強に時間を使う人もいる。
現に、勉強してこなかった人たちがこんな学校に来ているんだと先生たちは伝えているのだ。
この先、人生を巻き返したいというのなら、勉強しろと声を大にしていうのだ。
確かにこの偏差値の低い田舎の学校では、タバコを吸う人や酒を飲む姿をSNSにアップする生徒がいる。
総じてみんな、生徒指導室に連れて行かれる。
謹慎処分や反省文などのペナルティ。
耐え凌げば、またいつも通りの学校生活を送れる。
しかし、そんな生徒たちがまた学校生活を送りたいかと言えば、違うのだ。
大抵が、退学してバイトする。そして、その場で就職したりする。
申請さえ出せば、バイトはできる。
そうやって手続きをちゃんと行う生徒もいれば、しない生徒もいる。
申請する生徒の方が大半だ。だが、偏差値の高い生徒がこっそりバイトをしているのも事実。
コンビニの接客をしながら、シフトの被ったアルバイトと軽口を叩き合う。
高校生バイトに求められる仕事なんてたかが知れている。
商品をスキャナーで登録して合計金額を口にする。
現金を出すか、クレカを出すか。はたまた、スマホ決済を提示するか。
「よ、南風。順調?」
僕の名を呼んだのは、春正だった。
「また来たのか」
軽口を言う。
春正は、暇さえあれば僕のバイト先に来る。
「来るなって言われてねぇし」
「まぁ、そうだけど」
今日もまたブラックのアイスコーヒーを頼む。
カップを用意して、氷は適量入れる。
金額を告げるとスマホ決済を提示する。
一体どこでそんな金が入るのだろう。
学校にバイトの申告をしてないらしいから、バイトはしていないのだろうと思うけれど。
まさか、春正に限って無断バイトはしないだろう。
バイト先によく来るが、成績は学校内では優秀だし、先生からの評価もいい。
やるべきことはやってるやつだ。
以前に、課題をやり忘れた僕に彼の答案を移させてもらった。
忘れ物だってない。優等生気質な生徒というべきか。
「これいつも買ってるけど、毎回どうやって持って帰るわけ?こんな田舎じゃ、持って帰る頃には氷も溶けるだろ?」
「今日は、父親に連れてきてもらったんだ」
毎週水曜日の夜は、決まって親に送ってもらっている。
理由は知らないが、父親との仲はいいのだろう。
羨ましい限りだ。
「お父さんによろしく伝えとけ」
会計を済ませ、コーヒーができるまでの時間もまた軽口を叩く。
最近は、よくシフトの被る他校の高校生とも仲良くなってきている。
散々、やめとけ、危ないとか言ってた割に仲良くなるのだから、コミュニケーション能力も高いと来た。
こいつに持っていないものはなんなのか。
コーヒーができて、それじゃと帰っていく彼。
後ろ姿をぼーっと眺めていると他校のアルバイトが声をかけてくる。
「好きすぎか?」
「んなわけねぇだろ」
それより、タバコの補充でもしようと下の棚にあるカートンを開封する。
店長は防犯カメラで僕らのことをよく見ているらしいので、ただ喋っているだけでは良くないのだ。
「南風、イケメンだし狙っちゃえよ」
「何言ってんだ。僕は、ゲイじゃない」
「えー……、春正がかわいそ。お前、ノンケか」
「何だよ急に」
ここ数ヶ月この話で持ちきりだ。
彼が何を言いたいかわからないし、南風だってかわいそうだ。
あいつは、ゲイじゃない。
「それにしても変だよな。春正って、夏でも長袖着てよ」
蝉もうるさいこんな季節に確かにと思う。
半袖の方が楽だし、涼しいはず。
ずっとコンビニにいたら、薄い長袖くらいは欲しくなるけれど、彼は違う。
考えても無駄だと思い、適当に相槌を打つ。
シフトの時間も来て、帰路につく。
家に帰るのは億劫だ。
春正のように家族仲も良ければいいが、僕の家はそうじゃない。
マンションの階段を登り、玄関手前で立ち止まる。
深呼吸をして、よしっと気持ちを切り替え、家に入る。
鍵を閉めて、努めて明るくただいまを伝えた。
「遅っそ。飯ないよ?」
元から作ってもいない夕飯をもらおうだなんて思ってない。
飯はコンビニで買ってきた。
「あぁ、まじか」
買ってきたことがバレないように、ショックそうな顔をして見せる。
「お前が、バイトに現を抜かしてるからこうなる」
と、弟が苛立ちを隠さずにいう。
「いやぁ、ごめん!今から作るわ」
「いらねぇよ!何?お前、兄なのに飯もつくれねぇわけ?」
お前ちょっとこいよと母親のいない玄関前に立たせる。
「俺、言ったよな。母親を楽にしてあげようって。なんで、そんなこともできないわけ?」
「今日バイトだったから。いつもは作ってるだろ?」
「いつも作ってりゃ、作らない日があってもいいのか?それが、兄でいいのか!?」
と、離婚した父親に似て怒鳴る弟。
「ごめん!だから、今すぐ作るから!」
と、母親のいるリビングに向かう。
母親の前でも笑顔は絶やさない。
「すぐ作るよ」
就職してからずっとカップ麺ばかり食べる母親。
ヘトヘトだと簡単なもので済ませてしまう。
体に悪いものばかり食べていると体調を崩す。
それでいいんだという母親は、いつからか食材を買わなくなった。
週五で残業もある中、帰ってくる。
スーパーに行ったって空いてないのかもしれない。
それ以降は、バイト代を叩いて食材を買い、夕飯を作っている。
元は、進学のために貯めていた金だ。
できれば、使いたくないが、食材がなくては腹を満たすことはできない。
弟もまだ高校一年生。優秀で県外の進学を薦められている。
不摂生な食事は避けたい。
せめて米だけでも炊いておいて欲しいものだけれど、いつの間にか料理担当に任されてしまい、一切料理はしてくれない。
お前の仕事だろと怒鳴る有様。
米を炊いて、料理を済ませる。
あとは炊けるのを待つだけ。
「母さん、少し話したいんだけど」
「何?」
食卓に着いて母親と向かい合う。
「進学のことなんだけど」
もし、ダメと言われれば、奨学金について話すし、それでもダメなら諦めて就職する。
そんなつもりで話そうと思っていた刹那。
「は!?就職でしょ!?まだ母さんに負担かける気!?」
と、弟が割って入ってくる。
いつから父親の真似をするようになったのか。
両親が離婚したのは、僕が中学一年生の時。
それから母親は仕事をするようになった。
離婚前の両親は喧嘩ばかり。
『子供のために時間を使えばいいんだよ!お前が働く必要なんかない!子供だけ見てろ!』
『もう十分育ってる!夕陽だってもう家で一人留守番くらいできる!』
『お前は、母親じゃないのか!?なんで、子供を見てやれない!』
父親は、母親に暴力を振るった。
止めたのは僕だけ。
その暴力が僕にくることなんか知らず、標的にされた。
動けないほどに殴られたあと、母親が身を挺して僕を庇った。
庇った母親を父親は殴り飛ばした。
そして、離婚した。
その一部始終を見ていた弟は僕を離婚の原因として弱者として見ていた。
現在も変わらず、憎き相手として僕を睨む。
「奨学金もある。勉強も頑張ってるし、できれば大学に進学したい」
弟がいなければ、スムーズにいく話でも介入されてしまえばうまくはいかない。
「底辺高に行ったくせに、まだ金かけさせんの!?俺は、偏差値高い高校に入ったのになんでこいつのためなんかに金使うの?俺のために使ってよ!」
高校二年生の夏、大学のオープンスクールなどに行っておきたいが、進学が決まっておいた方が見たいものもまた変わってくる。
しかし、弟の頑固さは異常だ。
兄よりも弟を見てくれ。
そんな感情になるのは、僕を離婚の原因だと思っているから。
邪魔な存在。弟はそう思っているのだ。
「また後で話そっか」
母親が機転を効かせてくれた。
「それじゃあ、母さんの時間を奪うことになるじゃん!なんで、兄さんなんかに時間使っちゃうの!?」
これだけ悪く言われていれば、よくわかる。
弟は、両親に離婚して欲しくなかった。
わかればわかるほど、なら僕は母親が殴られている時どうするべきだったのか考えてしまう。
夜も眠れぬほどに考えてしまって、夢に出る。
トラウマの如く思い出して、汗だくで目覚める。
今日もまた夢を見るのだろうか。
米の炊けた音がして、夕飯になった。
母親は、いつも美味しそうに食べてくれる。弟は、文句を言いながら食べる。
憎しみはいつまでも消えないのだと、弟の存在によって知らしめられる。
自分の作った料理が本当に美味しいかなんて僕にはわからない。
この料理を家族以外の誰かに食べさせたことなんてないから。
ふと春正の顔が浮かんだ。
あいつはどんな顔して食べるだろう。
想像してみても、思いつかない。
弟みたいに文句を言うとは思えない。
だけど、母親みたいに嬉しそうな顔するとも思えない。
あいつは……。無理だ、全くわからない。
被りを振って、夕飯を頬張る。
美味しいかどうかなんて関係ない。
今はもう理由をつけてでも家を出て行きたいのだから。
夕飯を済ませ、自室に戻る。
春正から連絡が二件きてた。
『いつもの場所これるか?』
『てか、来いよ』
「恋だけに?」
と、雑に返すと舌打ちのスタンプが返ってきた。
いくかと勢いよく状態を起こす。
そして、いつもの『あの河原』にくる。
「よ、元気か」
真夜中に『あの河原』に行くのは、春正と出会ってからだった。
それまでは昼間。春正はいなかった。
あれから考えれば、ここで会う回数は多い。
一時期はほぼ毎日のように会ってた。
「元気な奴が来るところかよ」
「まーな」
彼の隣に座る。横顔を見やればいつもみたく浮かない顔をしてる。
「今日も眠れんか」
聞く必要もないけれど、聞いておくのは今後も関係を続けたいから。
深い意味はない。ただ、同じクラスの人だ。仲良くしておく必要はある。
「眠れないのに、こんなところ来てさ。南風も呼んじゃって。バカだよな」
ここにいるときの彼はいつもこうだ。
ナイーブになって、時たまに感じる夜風に思いふける。
お互いそんなのがよくてこんなことしているけれど、普通ならこのタイミングで関係を切るのだろう。
そうしないのは。
「明日、謹慎メンバー帰ってくるんだってよ」
考えるよりも先に、フラッシュバックする記憶。
二年生の一学期、謹慎メンバーにいじめられていたこと、食材買うための金を盗られたこと。
全部、学校にバレて奴らは謹慎した。
呼吸がおかしくなりそうで顔面を川の水につける。
冷静になれない時、冷たい水の中に息ができなくなるまでいるととなぜだか収まる。
それは僕だけだろうし、こんな危ないやり方本来するべきじゃない。
顔を上げると彼はいう。
「ごめん、嫌だったよね」
春正の顔を見れば、一目瞭然だ。
僕を心配してただけ。
「いや、大丈夫。お金も返ってきたわけだし、もういじめはないと信じたいよ」
ナイーブな彼と一緒にいるのは、彼が僕をいじめから守ってくれたから。
金を盗った映像が、担任に見つかり生徒指導の先生に報告され事態が大きく動いた。
クラスも平和になり、僕に話しかけてくれる人も増えた。
居場所ができた。春正ともう一人同級生の女の子。
だけど。
「これからはもうそんな居場所もなくなる、か」
クラスメイトは皆、カーストに弱い。
いじめっ子が上位の間は、その人たちの顔色を伺う必要がある。
「秋山もあいつらのところに戻るだろうな」
いじめっ子が謹慎処分になって以降、話しかけてくれる女の子の名だ。
奴ら以外に話す相手がいなくなったために僕らと話すようになったんだろうが、最初は意味がわからなかった。
いじめの共犯。それ以上の事実は揺るがない。
なのに、彼女は、いじめっ子の彼らとは付き合ってなければ、遊びに行くこともないのだという。
元から話しかけてみたかったのに、いじめっ子らの標的になってしまい話しかけるタイミングがなかったと後に知った。
「事実を知ったら、秋山がいじめられるからね。しょうがない」
短い間、お世話になったよと心の中で思う。
可愛らしい子だった。清楚でボブで童顔であどけない。
キャピキャピした笑顔は、癒しに似た感情を覚えた。
僕ら三人は、数ヶ月間揺るがない仲の良さだったと今は思う。
「もう終わりか」
川の先に目をやる。
そろそろあの奥に行ってもいいんじゃないか、なんて口が裂けても言えない。
楽しいことがあったあとは、嫌なことが起こる。
それはどんなことがあっても変わらない。
「南風はまだ、終わりにしちゃダメだよ」
いつの間にか隣に来ていた彼。
笑顔を作って何か言おうと思った刹那、鈍い痛みを感じて倒れた。
翌日、教室に入るといじめっ子の姿があった。
彼らは僕を見ることもせず、ただ普通に会話を楽しんでいた。
こそこそと席について呼吸を整えようと息を吸う。
と、机をドンっと蹴られ怯えて震えた。
「そんな驚かないでよ」
それは、昨夜、春正と話していて話題に上がった女子の声。
「秋山か……」
驚かすにしても机を蹴る必要あるのかと思う。
が、あまり女子を怒らせてもよくない。
危険だ。何より女子の勘を侮ってはいけない。
「何その反応」
「いや、あっち行かなくていいの?」
親切のつもりだったが、彼女はどうやら不服らしい。
「行って欲しいんだ」
「……」
こう言う時、なんて返すのがベストなのか考えてしまう。
行かないでと言えば、好きなんだ私のこととかキモいとか思われるかもしれない。
逆に行ってらっしゃいだなんて言えば、嫌いなんだ私のこと最低と思われるかもしれない。
どちらが正解か。
「何その間。ひどいね」
どうやら、どれを選んでもバッドなエンディングを迎えるらしい。
まさかこうなるとは思いもしなかった。
「だってほら、彼等と仲良かったじゃん」
「……そうだけど。前に言わなかったっけ」
『元から話しかけてみたかったんだよね』
いじめっ子が教室からいなくなった日。
七月にもなれば、彼女の人となりがわかるけれど、夏休みも終えた今、そこまで信用するつもりはなかった。
唯一信じれるのは、夜に会う河原での春正だけ。
同じ気持ちを持った仲間とも言える。
「言ってたけど、君がいじめの標的になるかもしれない」
「女子をいじめる男子なんていないよー」
「わかんないよ」
と、ため息を吐こうとする刹那、また机を蹴る彼女。
もう怖いんだけどと軽口を言おうものならグーパンが飛んできそうなのでやめた。
「僕は、気にしないけど、君は気にしないのかなって思っただけ。いいなら、いいよ。問題ない」
「気にしてくれるなんて、優しいね」
自分で蹴った机を戻し、正面で膝を下げる彼女。
自然と上目遣いになるわけだけれど、どうしてかスカしてしまう自分がいる。
女子慣れしていないのは、とうにバレているはずだけれど、彼女は今もまだ僕をおちょくっている。
「目、合ってないよ?」
小首を傾げる彼女。
あら、かわいい。
「そんなことないね」
と、またスカしてしまう。
そこに春正がやってきた。
「また南風をいじってるのか」
登校して来た彼はいつもチャイムギリギリだ。
そろそろチャイムでもなるのだろう。解散だ。
「いじってないよ?」
と、春正にも小首を傾げる。
あら、かわいい。
「全く可愛くない」と、一蹴する彼。
「えーん、ひどいよ。春正くん最低ー」
泣きつく彼女。僕に抱きつこうとするが、机が邪魔で距離ができたまま。
「残念だったな」
と、なぜか煽る彼。
ムッと頬を膨らませる彼女は、机をどかすべく手を触れるが春正が制した。
するとチャイムがなった。
また、彼は同じセリフを吐き捨てる。
「最低」
低めの声でいう彼女もまたあら、かわいい。
ときめいてしまいそうだ。
二人が席について、自席で小説を取り出す。
チャイムがなると席について本を読む時間に入る。
スマホの通知のバイブに気づいた。画面をタップすると春正からだった。
『あいつはやめとけ。あざとい女は、お前を貪り尽くした後捨てる』
経験談かと言いたいが、そうじゃないのはわかってる。
「狙ってないから気にするな」
と、返信するとほんとかよおいー?と煽るようなスタンプが返ってきた。
イラっとしたが、確かに女子耐性のない自分にも非がある。
忠告はせめて聞いておこう。
前の席に座る秋山がちらりとこちらを見る。
目が合うとニコッと笑みを浮かべた。
あら、かわいい。
とまた、通知のバイブが鳴る。そうだ。忠告を聞いたばかりだ。
自分を律するべきだ。そうだそうだ。
かわいいからと流されてはだめだ。
それから、昼休み。
彼女は、僕をいじめたグループに詰められていた。
「お前、急に寝返るとか意味わかんねぇんだけど?」
「南風のとこ行くなら、どうなるかわかってるはずだろ」
クラスの端の席にいても聞こえる。
いじめっ子たちは、僕のことを今も嫌っていた。
それがわかっただけでも、逃げ出したい気持ちに駆られる。
「それはその……」
小さな声がかすかに聞こえた。
そっちにいけばいい。
秋山が傷つく必要なんてないのだから。
「あんまりみてると気づかれるぞ」
春正が隣に来た。
「あぁ、いや別に」
「秋山のことはほっとけ。君が苦しくなるだけだ」
「でも」
「またいじめられたいのか?」
「そんなわけない」
即座に否定する。けれど、その標的が今度は秋山に変わってしまうのは嫌だった。
「どうせ、秋山がいじめられることはない。気にすんな」
彼の言葉は励ましだった。
それから一週間。
いじめの標的は、秋山へと変わった。
廊下を大股で歩き、春正のいる図書室へと足を踏み込んだ。
端の椅子に座り本を読んでいる。
「おい、春正!」
彼が気づいて手を振ってくる。
その腕を持ち上げ、上体を起こさせ、壁にぶつける。
「お、おい、どうした?」
「春正、お前が言った言葉忘れたか?なんで、今、秋山がいじめられてんだ!!」
「そう言う話、いつもの河原でできたろ?ここじゃなくていい」
わざわざ騒ぎにする必要はないと、暗に言っている。
「春正の言葉を信じたんだぞ」
「君はいじめられたいのか?」
前と同じ言葉。
「そんなわけない。だけど、秋山がいじめられるのは違う」
言い返せなかったあの時とは違い、今は怒りが言葉を溢れ出させる。
「ちょっと前のお前は、感情的になることもなかったのに」
変わったなと彼は微笑んだ。
「何が面白いんだよ」
「自分が傷つくのはよくて、他人が傷つくのは嫌だって、どんなエゴだよ。自分がいじめられないことにホッとしてるように見えるけど?」
「……」
彼を掴む腕を離した。
言い返せと脳内に何度も言い聞かせる。
だけど。
「図星じゃん」
彼の言う通りだった。
いじめに遭いたくない。
これ以上、苦しい思いはしたくない。
今、秋山がいじめられているおかげで僕はいじめられていない。
標的が変われば、対象から離れる。
彼女の気持ちを考えれば、気の毒にと言うほかないだろう。
もし、自分がそんな言葉を言われれば、人を信用できなくなる。
わかっているのに、わからないふりをしている。
しかし、目の前の彼はそんな僕の感情にも気づいている。
「俺は、聞いたはずだよ。いじめられたいのか?って。嫌ならこれ以上、秋山と関わらないほうがいい。また、あの河原で待ってる」
彼は、僕に小説を預けて歩を進める。
すれ違う時に何か聞けば良かった。
お互いの気持ちは変わってないと信じれる何かをあの河原で聞けばいい。
彼の読んでいた小説のタイトルを見る。
聞いたこともない本だった。
読んだこともなければ、その作家の関連作品も読んだことがない。
ただ、彼の読む作品は大抵オカルトものだ。
タイムリープ、並行世界、心霊、そんなくだらないものばかり。
小説にするとSFジャンルになるのだろうか。
ホラーもあるのか。
どうせそんな面白くないし、怖くもない。
現実味のない話をされても、現実以上に怖いものなんてない。
幽霊より人の方が怖いだろと彼に言ったことがあった。
『ポルターガイストは怖いでしょ。見えないのに、物が倒れるわけだし』
「疲れてるだけだよ」
彼の環境も含め、疲れてるなら寝ろとあの時は軽口を言った。
今回の作品だけは違った。
死後の世界について触れた作品。
読もうか悩んだけれど、やめた。
死後の世界なんてあるわけない。
そんなくだらないものがこの世にあってたまるか。
死んだらそれで終わり。
それが一番じゃないか。
どうして、死んだ後も生きなきゃいけない。
自殺を図った奴らは、死にたくて死んだんだ。生きたくないから死んだんだ。
死んでも世界があるなんて、そんなの生きてるのと一緒じゃないか。
天国もなければ、地獄もない。
無が一番だ。
過去の父親の暴力や今の弟の暴言が一気にフラッシュバックしてきた。
今日も家に帰ったら、怒られるのだろうか。
もしかしたら、父親に会うかもしれない。
呼吸が乱れているのを感じる。
深呼吸を何度もして落ち着いた頃、小説を棚に戻して図書室を出た。
いつ終わるかわからないこの地獄から解放される方法は一つしかない。
帰ったら、あの河原へ行こう。
バイトが終わり、いつものごとく弟の暴言に耐え、『あの河原』へ。
しかし、何度辺りを見渡しても河原に春正はいない。
電話しようかと思ったが、場所が場所だ。
繋がるわけがない。
一人なら、それはそれでいい。
川に近づき小石を蹴る。
あの奥に行けるなら、行ってみようかと思う。
普段は、絶対に春正が止めてくる。
足を踏み入れる。
水はそんなに冷たくない。
夏が近いからか?
こんな場所に季節もクソもないだろう。
足を一歩二歩と進めていく。
深くなっていく川に足元を取られてしまいそうだ。
まぁ、それでもいいかと腕を使って向こう岸を目指す。
……誰も来ない。
あいつが約束してきたんだからこいよと思う。
後ろを振り返るとやはりそこに彼はいない。
今は何時だ。
彼はどこだ。
今日の話は嘘か?
刹那、何やら音が聞こえる。
これは……。
すぐ河原に戻った。
荒れた息を整えると、部屋にあるスマホの画面が光ってる。
春正だ。
「おい、どうした?ずっと待ってんだけど」
『南風!悪い、俺、やっちまった』
息を切らし、焦っている様子。
「あ?」
『俺、あいつらのいじめの現場見つけちゃって、動画撮ってたら、バレた』
いじめってことは、まさかいじめっこから逃げいているのか。
「動画撮るのが悪いだろ。今度は、お前が」
刹那、スマホ越しから鈍い音が聞こえる。
嫌な予感がして、ショルダーバッグを手に部屋を飛び出す。
ロープがドアに引っ掛けてあるが、構っていられなかった。
「どこいくの?」
母親の声が聞こえた。
「ちょっと、野暮用」
適当に返し、家を飛び出した。
何度もスマホに声をかけるが、反応がない。
文句言ってないで、今どこにいるのか聞くべきだった。
最悪だ。
どこに走っていけばいいのかもわからない。
無我夢中で走ってみても、現場さえ知らない。
パトカーの音でも聞こえれば……。
すると、遠くから救急車のサイレンが聞こえた。
こちらに向かってくる。
春正の家は、ここからそう遠くない。
家の付近か?
予想を立てて、彼の家の方へと足を進めた。
「もしもし」
女の声がスマホから聞こえた。
「誰?春正は?」
「倒れてる」
「何があった?」
「事故に遭った」
「場所は?」
「コンビニ前」
「どこの!?」
「怒んないでよ」
「怒ってない!!」
「怒ってるじゃん」
「……」
この女は誰だ。
緊迫した空気をぶち壊すような声の主はさぞ頭が悪そうだ。
構うよりも先に足を動かそう。
後ろから救急車のサイレンが聞こえた。
この先のコンビニといえば、三箇所くらいか。
春正の家の近くなら、この先を右に。
しかし、救急車は真っ直ぐに向かった。
あれこの道。
覚えがあった。
一度、秋山の家について行った時のこと。
普段使わないから、より覚えている。
もしかして、この声の主。
走って、到着するとその主はいた。
「秋山……」
いじめの現場って話が出たんだ。少し考えれば、わかったかもしれない。
血だらけで倒れている春正が救急車のストレッチャーで運ばれていく。
「春正!!」
救急車に乗り込もうとするが、友達だと言っても乗せてもらえなかった。
彼をのせて連れて行った救急車は、音だけ残して闇夜に消えた。
「南風……」
彼女の言葉に、顔を向ける。
「ごめんなさい」
「後にしよう。そういうのは」
踵を返して、一人で帰ろうと歩を進める。
刹那、彼女が僕の腕を掴んで離さない。
「怖い……。一人はやだ」
ふざけることもできず、彼女を家まで送った。
ハグを求められて、ハグを返した。
彼女が家に入ったことを確認した後、今度こそ帰路についた。
時間は平等だ。
誰かが言った。
でもその時間は、いつ終わるかわからない。
僕が、先に死んでいたら、彼の切羽詰まった電話をとることもなかっただろう。
逆に、彼が先に死んだら、僕は謝ることもできなかっただろう。
もし、本当に時間が平等なら、自殺も他殺もみな平等にできうるというのだろうか。
誰かに殺された命は、誰かを殺した命と平等だろうか。
追い詰められた命が運悪く危篤になった場合、追い詰めた命と平等になるのか。
本当に平等だというのなら、どうしてこんなにも嘆いてくれる人の数に差が出てしまうのだろう。
平等の時間の中で、格差が生まれるのは、その生き様のせいなのか。
ならば、バイトに時間を使う僕は、その時間を勉強に使える人よりも劣っていたって仕方がないと思うのだ。
これは、ただの言い訳だった。



