呪いは傍に在るもので

 誰かが呪いはあると言った。
 不安因子は、簡単に伝播していく。
 絶対的な証拠も科学的根拠もない噂ほど、広まる。
 そして、それに駆られた人たちは安心を求める。
 証拠のない話ほど、危険なものはない。
 生まれた土地『光里村』で、大勢の犠牲が生まれた。
 旧村名である『人狩村』は、不謹慎な名前だと『光里村』へ変名したわけだが、市は実態を知らない。
 そこでは、友達も死んだ。
 近しい人も死んだ。
 初恋の子も死んだ。
 全員死んでいく。
 だけど、隣にいる彼だけはもう死ぬことはない。
 ようやく分かり合えたんだ。
 死を捨てられた。
 犠牲による死よりも、自身による死の方がよっぽど苦しい。
 離れられるのは苦しい。
 自分が大事にされていないみたいで、自分がその人の特別ではないように思えて。
 悲しい話は止そう。
 せっかく彼が隣にいるのだから。


 彼と別れて帰路に着く。
 道中、ずっとあの日の出来事を思い出していた。
 車に撥ねられたあの日のこと。
 誰かに押されたようで、事故で入院した。
 忘れようと思っても忘れられない。
 だって、あれは……。
 下を向いて歩いていた俺の目の前に人影がたつ。
 見上げるとそこには日向さんがいた。
「少し、話せるかい」
 二つ返事で近場の公園のベンチに腰掛けた。
「話しにくいことは、話さなくていい」
 だけど。前置きを入れた彼は、単刀直入につげる。
「あの事故は自作自演だね?」
「……」
 答えないことこそが図星である。
「今も少年課に僕の席があればよかったんだけど、そこは別の人が担当しているからね」
「……」
 焦りが、背筋を濡らす。
「君は、命をなんだと思ってる」
「……それは」
「夕陽のようにはなるな」
 初めて聞いた日向の低い声。
「あいつのように命知らずな選択を今後は見過ごせない。『光里村』の件もあるが、君は僕との約束も忘れている」
『これからは『光里村』に入ることを禁止する。危険はもう重々承知だろう』
 一つの命が村の信仰によって奪われた日のこと。
 あれ以降、近寄ることをやめた。
「でも、夕陽が」
「それでも本来はいくべきじゃなかった。神社にまでいったんだろ。せっかく夕陽が助けたというのに」
「……」
「もう無茶はするなよ」
 腰を上げて、彼は歩を進める。
「あの、俺は……、捕まるんでしょうか」
「……」
 腰を上げ、彼にいう。
「俺のせいで、あの車の運転手は……」
「……ひどく怒っていたらしいが、それ以上に呪いに怯えていた。まぁ、どんなに君が悪くても車の運転手に責任がいくものだ。示談で済ませろ」
「……やっぱり逮捕」
「もう警察じゃない。僕にその権限はない」
 それと。
「僕がいうのもおかしいが、夕陽のこと大切にしてやってあげてほしい」
「……え?」
「じゃ」
 軽く手を振る彼は、振り返ることなく公園を後にした。
 どうして、知っているのか。
 そして、なんで忠告してきたのか。
 妙な胸騒ぎがする。
 そういえば、どうして南風を助けに行った時、謎の影が彼と会話していたのか。
 俺が着く頃にはその影は消えていた。
 神社に、何かあるのか?
 それは、解決したのか?
 南風の顔を見るに、万事解決といったところか。
 ならばどうして、胸騒ぎがするのか。
 前を歩いていたはずの日向がいない。隠れる場所なんてこの道にないというのに。
 気のせいだ。被りを振って公園を出る。
 後ろから誰かの泣き声と怒鳴り声がした。
 振り返れば、そこには誰もいない。
 代わりにあるのは、『人影』のみ。
 『人影』が人の形をして立体的に動いている。
 ポルターガイスト現象とも言えるか。
 いや、おかしいだろ。
 なんでこんな何もない町でそんなことが起こる。
 歴史的に見ても『光里村』ほどの残虐な風習はなかったはず。
 だから、みんなこの町に逃げ出したんだ。
 なんで逃げた先でもこんなことが起こるんだ。
 まさか。
 極めて信じがたい言葉が浮かぶ。
 それは最も科学的根拠がないもの。
「……呪い」
 逃げるべきだった。
 逃げるつもりだった。
 逃げ遅れた俺は、人影に見入ってしまう。
「どうして、あの子を連れていくの」
「なんで連れていってくれないの?」
「ねぇ、置いていかないでよ」
 それは、子供の頃の記憶。
 初恋の子を連れていく大人へ必死になっていた時の姿が今、そこにはある。
 不吉な村だと母親は言っていた。
 世界規模の感染症が起こる少し前、母親は一時的に祖父母の家に帰っていた。
 父親と二人の生活。
 仕事があるから村を離れない父親。
 村の風習は父親一人が止めても無駄だということ、身近な人に被害がないために肯定的だったということ。
 それらが、村を出ない理由だった。
 俺もまた否定的な意見は持っていなかった。
 言って仕舞えば、友達が生贄にされたのは自業自得だ。
 引っ越すことになったのは、風習が今も残っていたこと、その生贄が自分の息子も候補だと知ったこと。
 しかし、どうして今こんなことを思い出すのか。
「お前は、まだ過去に囚われている」
 いつの間にか人影は俺の目の前に立っていた。
 恐怖で足がすくみ尻餅をつく。
「命を捨てるつもりは元々なかったんだろう?」
「……」
「あの事故を起こしたのは、俺だ」
「……は?」
「だから、俺だ」
「……な、何を言って。大体、お前は」
「いじめっ子から逃げるためだけじゃないだろ」
 俺の言葉を無視して続ける人影。
「その後でいじめっ子に目をつけられないために事故を起こした」
「……」
「死ぬつもりもないのに、あの河原にいたのは、村に未練があるからだ」
「……だから」
「神社に行ったのは、いく理由を作りたかったんだろ」
「それは」
「嘘ついても無駄だ。全部わかってる。初恋の子に会えるとかそんな理由じゃない」
 人影がしゃがみ込み俺にいう。
「それに本当は夕陽と一緒にいる理由ないだろ。死ぬ気もないくせにカッコつけて、いつか感謝されるのを待ってた」
 なぁ?
「昔から欲しかったんだろ。褒められる経験が、必要とされている感覚が、認められたい欲が」
 いつからだったか。
「お前は、ようやく得られたんだ」
 俺じゃなくても代わりがいると思えるようになったのは。
「満たされてるなぁ」
 生贄が選ばれ、死んでも、また次へ次へと選ばれる。
 そこに何があるのかわからない。
 家族が泣いて、悔いて、でも神様のため、みんなのため、と歯を食いしばる。
 自分が生贄になったら、同じように家族は想ってくれるだろうか。
 候補に含まれるようになった頃、家族で家を出た。
 想ってくれる人はもう、いない。
 俺が死んで、家族は泣いて、後悔して、他の村民はこれで世界は良くなると感謝する。
 そんな理想論は、潰えた。
 どんなに短い人生でも、そんな欲が得られたらどれほど良かったか。
 この人生をどう生きるべきか。
 余った時間で何をするべきか。
 そうか……。
「呪いは、消えない」
 そうだろう?
 目の前の『人影』に告げる。
 たった小さな欲望が肥大化するのは、それを叶えられないと知った時だ。
 ずっと近くにいて、与えられ続けていたものが消えた時、返しのない虚しさに淋しさを感じる。
 誰を抱きしめたって、代用したって、ぽっかり空いた穴はちょっとした揺れで形を崩す。
 見栄えを気にして、綺麗にしたとして、崩れてしまったものを戻すには、時間がかかる。
 新しい何かを選んで仮面を作っても、ちょっとした言葉の一つでまた壊れていく。
 それは、呪いだ。
 一生消えない何か。
 向き合っていかなきゃいけないもの。
 二人三脚で歩いていくしかないもの。
 本当は必要ないはずのもの。
 どうしてこうなってしまったのかと悔いたところで、もう戻れないし、変わらない。
 上を向けない、勇気もない俺には、傷を負った誰かに縋るしかできない。
「恋心なんかじゃないって言いたいのか………」
「さぁ、どうだかな」
「依存か」
「お前の呪いは、お前にしかわかんないんだぜ」
 何かが頬を伝う。
 ふっと空が明るくなったかと思えば、曇天でたちまち雨が降る。
 『人影』はいつの間にか消えた。
 力が抜け、地面に背をつける。
 溢れるものは何度拭っても止まらない。
 雨が俺を責めているよう。
 ごめん、お前が死んだ時、正直羨ましいって想った。
 生贄になれば、こんな悲しんでもらえるんだって。
 死にたいと本気になれるお前が羨ましいって想った。
 素直になっていくお前を見てると羨ましいって想えた。
 あぁ、全部、羨ましい。
 彼に、電話をかけた。
 バイトあるって言ってたっけ。
 淋しい。虚しい。
 欲しかったな、全部。
 あぁ、そうか。


 これが、呪いか。