付き合うことになった。
清水蓮司と、俺、橋本大晴が、付き合うことになった。
それがどういうことか、帰り道ずっと反芻していたのに、家に帰って布団に入って目を閉じてもまだ実感がなかった。天井を見て、「えっ」となって、また目を閉じて、「いやえっ」となって、また目を開けて、「マジか」となって。それを十五回くらい繰り返した。
蓮司さんが好きだ。
蓮司さんとお付き合いすることになった。
……いや、マジか。
そういえば蓮司さんが言っていたタイプって誰のことだったんだろう。女子高生は恋愛対象外だったはずだから……。だとしたら……。
「え、誰だよ……!?」
*
翌日の夕方、俺は蓮司さんのアパートにいた。今日で二回目の清水蓮司のおうち。
「……お邪魔します」
「おう。適当にくつろげよ」
「あ、おかまいなく! 人んちで自分ちのようにくつろげるのが俺の才能なんで!」
「……だろうな」
蓮司さんはすぐソファに座って、本を読んでいた。グレーのスウェット、この前と同じ服装だ。俺が隣に座ると、ちらりとこっちを見て、また本に目を落とした。
いつもと、変わらない。
俺はしばらく、蓮司さんの横顔を見ていた。かっこいい。好きだ。付き合ってる。マジか。
「……蓮司さん」
「……」
「俺たち……付き合ってるってことでいいんですよね?」
「……ああ」
「翔太郎には……どうします? やっぱ、言ったほうがいいですよね……? うわー、なんて言おう……。マジな感じじゃなくて、こうパッ!っと『俺、蓮司さんと付き合ったから~~うぇーいよろしくぅ! 義理兄弟になっちゃう〜?』みたいな感じでどうっすかね!?」
蓮司さんは本を閉じると、少し考えるような仕草をしてから、ため息をついた。
「……いや、言わなくていい」
「えっ、でも……翔太郎って、たぶん嘘とか嫌いなタイプじゃないっすか」
「問題はそこだよ。爽やかな顔してっけど、あいつはクソ面倒くせぇんだよ。俺がゲイだなんて知ったら……いつからだの、どうしてだの、根掘り葉掘り聞いてきて、めちゃくちゃ騒ぐに決まってる」
「……えー」
「俺のことはともかく、お前に余計なことを言いそうで……俺としては気が進まない」
「余計なことって……?」
「……色々あんだよ、大人には」
相変わらず言葉が少ない蓮司さんに唇を尖らせつつも、たしかに言わないほうがいいかもしれない、と思った。
だって、翔太郎に変な心配をかけてしまうかもしれないし、「大晴じゃ兄貴と釣り合わねぇ!」なんて言われたら、ショックで大泣きしてしまう。
「ちなみに翔太郎は、その……蓮司さんがゲイってこと、知ってるんですか?」
「あいつは知らねぇよ。家族には誰にも言ってない。ダチで知ってんのも、海斗入れて数人だよ」
「……も、もしかして」
俺はふとある可能性に気づいて、恐る恐る聞いた。
「ひとり暮らし始めたのって……カミングアウトしてないっていうのも理由のひとつだったりします?」
蓮司さんはわかりやすく少しだけ目を逸らした。
「……まぁ、それもある」
俺はそれ以上何も言えなかった。蓮司さんが自分の家族に本当のことを言えなくて、ひとりで引っ越したこと。その決断をするまでにどんな気持ちでいたのか考えると、ぎゅっと胸が締め付けられた。
「じゃあ……! そうっすね! 翔太郎には、言わないってことで!」
「ああ。……お前は、それでいいのか?」
「もちろん! 俺は、蓮司さんが決めたことに従います! 同担拒否の蓮司推しなんで!」
蓮司さんがちらりと俺を見た。なんか、ちょっとだけ、眉が下がった気がした。
「……そうか」
こうして、俺たちの内緒の恋がスタートしたのだ。
蓮司さんは何を考えているのか、言いづらそうに口を開く。
「……大晴、お前もゲイなの?」
「えー、正直わかんないっすよ。蓮司さんしか好きになったことないし」
蓮司さんは「へぇ、俺しか……」と少しだけ何かを考えるようにして口元を引き結ぶ。
蓮司さんが何を考えているのかはともかく、俺はずっと気になっていたことを蓮司さんに問いかけた。
「あの、そろそろ正解くれないっすか?」
「あ?」
「蓮司さんのタイプ」
「……しつけぇな」
「いいじゃないですか! 付き合ってんだから! で、タイプって誰なんですか。女子高生……じゃないですよね? だとしたら誰のことだったのかなってめっちゃ気になって……。実は昨日眠れなかったんすよ」
蓮司さんがちらりと俺を見た。
「……いいだろ別に」
「よくないですよ! 気になるじゃないですか! もしかして大学の人ですか? え、海斗さん!?」
「違う」
「じゃあ誰ですか!」
「……うるせぇなぁ」
蓮司さんは立ち上がり、にっこりとメロい笑顔を向けてくる。
「大晴、ココアでも飲むか?」
「えっ、入れてくれるんすか!? 飲みたいです!!」
「そーかそーか。待ってろ」
「蓮司さんやぁさぁしぃい~~。俺の彼氏やぁさぁしぃい~~」
「……」
蓮司さんは無言で準備をし、牛乳を温め始めた。最高にうれしいなぁと思いながら、しばらくして俺は話をはぐらかされたことに気づいた。
いや、なんで教えてくれないんだよ、清水蓮司。
*
学校では、あいかわらず翔太郎たちと一緒にいた。
翔太郎は勘がいいので、俺はかなり気を使っている。うまくごまかせているつもりだったけど、その日の帰り道、翔太郎が唐突に言った。
「なあ、大晴」
「ん?」
「この前さ、なんで兄貴、お前のとこに来たわけ?」
俺は一瞬、息が止まりそうになった。
「え、なんで急に?」
「いや、なんか気になって。雨だったからって言ってたけど、それって、どういう意味? 兄貴がわざわざ学校まで来るって、キャラじゃねぇじゃん」
「あー、えっと……」
俺はにかっと笑って、うまく誤魔化す言葉を探した。
「あの時はさぁ! バイトのことで話があったんだって!」
翔太郎はしばらく俺を見ていた。
「……ふうん」
それだけ言って、歩き出した。でも、納得した顔じゃなかった。
俺は翔太郎の背中を見ながら、胸がちくりとした。
ごめん、翔太郎。いつか、ちゃんと話せる日が来るといいんだけど……。でも、いつかっていつだろう。俺にもよくわからない。
*
蓮司さんのアパートには、それから四回行った。
でも、蓮司さんはびっくりするほど何もしてこなかった。
手を繋ぐわけでもない。距離が縮まるわけでもない。キスも、それ以上も、まったくない。
俺が転がり込んで、一方的に話す。いつもと変わらない感じで、なのに俺だけ心臓がやかましくて、顔が熱くて、もう大変だった。
蓮司さんは俺のこと、本当に好きなんだろうか。俺は自室でひとりでぐるぐると考えた。
蓮司さんは優しい男だ。毎回俺のことを家まで送ってくれる。
もしかして……考えたくもないけれど、蓮司さんは情に厚いから、年下の俺に告白されて断り切れなかっただけかもしれない。
弟の友達ってことで、波風を立てたくなくて、お情けで付き合ってくれた可能性もある。
そもそも、蓮司さんと付き合えてるってこと自体が、ラッキーすぎるのだ。ありえない奇跡だ。
たとえ蓮司さんが俺のことを好きじゃなくても、蓮司さんのそばにいられるなら……。
……いや、でも、やっぱり俺のことを本気で好きになってもらいたい。
「ああ……もう……、蓮司さんが何考えてんのか、全然わかんねぇ!!」
せっかく付き合えることになったのに、恋の悩みは尽きることがない。
*
「マッッッッジで!!何もッしてこないんすよッッ!!」
バイトのシフト前、休憩室で俺は海斗さんに訴えた。海斗さんは頬杖をつき、だるそうな顔で聞いていた。
「まあ、蓮司らしいっちゃらしいな」
蓮司さんの許可のもと、海斗さんだけには俺たちが付き合い始めたことを言っていた。
「でも付き合ってんのに! 恋人なのに! せめて手ぇぐらい繋いでくれてもよくないっすか!? 密室でふたりきりっすよ!?」
「お前が積極的に行けばいいじゃん」
「俺がっ? 蓮司さんにぃ!? 死ぬわ!!!」
海斗さんはエナジードリンクの缶をプシュッと開けながら、げらげらと笑った。
「お前、あれだけ押せ押せだったのに、なんで付き合ったら急にビビんだよ」
「それは……! 好きって気づく前と気づいた後は全然違うじゃないですか! 気づく前は気合で突っ込めたけど、今は蓮司さんのこと意識しすぎて真正面から目も見れないんすよ!?」
海斗さんはエナドリをちびちび飲みつつ、「重症だなぁ」とつぶやく。
「ガチ重症なんすよ! てか、あの人の年齢とか経験とか考えたら、あっちからエッチなことバンバンやってくるべきじゃないっすか!? もっとエロがれよ!!」
「本音ウケる」
「もう海斗さん! 俺、どうしたら蓮司さんにもっと好きになってもらえると思いますか!?」
海斗さんがしばらく考えるような顔をした。それから、ちょっとだけ意地悪そうに笑った。
「嫉妬させてみたら?」
「し、嫉妬……?」
「蓮司って、感情表に出さないだけで、嫉妬するタイプだぞ。お前が他の奴と仲良くしてるとこ見せたら、何か動くんじゃねぇ?」
「……し、嫉妬っすか」
俺は少しだけ迷っていた。そんな風にわざと嫉妬させるなんて、ずるい気がしたのだ。
「蓮司とラブラブになりてぇんだろ?」
「……なりたい」
「エッチなことバンバンされてぇんだろ?」
「……されたい」
「エロがってほしいんだろ?」
「……ほしい」
「じゃあ、そんくらい攻めてもいいじゃね? なんもせずにいたら、ずっと悩むことになるぞ、お前」
「そう、かも……いや、そうっすよね!? 俺、やってみます!」
俺ははたと気がついた。
「でも、どうやって」
「俺にいい考えがあるわ。ちょうど今度、みんなでボーリング行くだろ?」
「そ、そのときに!」
「まあ頑張れ」
海斗さんがグビグビとエナドリを飲み干す。俺は来たるボーリングに向けて、覚悟を決めた。
――ぜったいに蓮司さんを嫉妬させて、ラブラブいちゃいちゃになってみせる!!!
*
ボウリング場は、バイトのシフトが同じメンバー六人で行くことになった。蓮司さん、海斗さん、俺、それにバイトの先輩たちが三人。
蓮司さんはいつも通り無表情で、ボウリングシューズに履き替えながら特に何も言わなかった。俺は俺で、なんとなく意地になっていて海斗さんの隣に座った。
「よし、やるぞ大晴」
こそっと俺の耳元で海斗さんがささやく。気合い十分な俺は、こくこくとうなずいた。
蓮司さんはちらりとこっちを見て、すぐに視線を戻す。
ゲームが始まってからも、俺は意識的に海斗さんの近くにいた。ストライクが出るたびに「やった!」と海斗さんに飛びついた。海斗さんがスペアを取ったら「さすがっす!!!」と抱きつく。スコアを一緒に見て「俺のほうが高い!」「お前ずるいだろ、あのピン」なんてじゃれあった。
ふと蓮司さんの様子を、こっそり確認する。
……特に変わってねぇんだよなぁ。
淡々とボールを投げて、淡々とストライクを出して、淡々と腕を組んで順番を待っている。もはやこっちを見る様子もない。
くやしい〜〜〜。マジでありえね〜〜〜。
俺は三ゲーム目の途中で、海斗さんに小声で言った。
「……蓮司さん、全然こっち見ないんすけど」
「ばか、見てるよ」
「え?」
「お前が見てない時に、見てんだよ。さっきもスコアボード眺めてるふりしてたけど、目線はお前に向いてたから」
俺はこっそり蓮司さんのほうを盗み見た。蓮司さんはうつむいてスマホをいじっていた。
「……ほんとかよ」
「ほんとだって。もうちょっと続けろ。効いてる効いてる」
海斗さんがにやにやしながら言った。
俺はうなずいて、また海斗さんとじゃれあいを続けた。
でも、なんか、いつもより全然楽しくなかった。
清水蓮司、ちょっとは俺んとこに来てくれたっていいじゃんか……。
*
ボーリングの翌日。6度目の蓮司さんのアパートだった。
俺はソファに座って、蓮司さんがお茶を淹れてくれるのを待ちながら、ずっと考えていた。
昨日のボウリングで、嫉妬させようとしていたことを蓮司さんは気づいていたんだろうか。海斗さんは「効いてる」と言っていたけど、蓮司さんは結局何も言ってこなかった。
うまくいかなかったな、と思う。空回りばかりだ。
それに、ずっと引っかかっていた。海斗さんとじゃれあうのは楽しかったけれど、どうしても蓮司さんを試しているような気がして、なんだか申し訳なくなってきたのだ。
「ほら、大晴」
蓮司さんが、俺にお茶を渡してきた。
「……ありがとうございます」
「どうした。さっきからぼんやりしてんぞ」
俺は手の中のマグカップを見つめた。それから、顔を上げた。
「蓮司さん、俺、ちょっと言いたいことがあって」
「……なに」
「なんか、長くなるんですけど」
「いいよ」
俺は深呼吸した。
「俺……ばかだし、大人な蓮司さんには全然敵わないのはわかってるんですけど」
「……」
「それでもめちゃくちゃ清水蓮司を好きな気持ちは、誰にも負けないっつうか」
「……」
「……今はお情けで付き合ってもらってると思ってるんですよ、正直。いや、ありがたいんです、めちゃくちゃ。でも、やっぱ、本気で俺のことを好きになってもらいたいんです。だから俺、もっとがんばります。蓮司さんが俺のことかわいくてかわいくてエロがってメロメロになっちゃって、チューしたくてたまんねぇ〜!くぅ〜!ってなるまで! がんばりますから! 大きく晴れる大晴はやれる男なんで、マジで、あんまなめないでくださいよ!!!」
そこまで一気に言って、俺は「……あっ、あのっ……じゃあ、そういうことで!!」と立ち上がった。
勢いよく鞄に手をかけ、言いたいことだけ言って帰ろうとした。
でも、帰れなかった。
蓮司さんが俺の手首をつかんでいた。
「え?」
振り返ったら、困ったように笑う蓮司さんがいた。それから、ふいに引き寄せられた。
蓮司さんの胸に顔が埋まる形で、抱きしめられる。あの雨の夜以来だ。
「あっ、あのっ……れ、蓮司さん!?」
「……よくも言えたもんだな」
低い声が、頭の上から聞こえた。
「お情けで付き合ってる? ばーーーーか!!」
「え、あ、……え!?」
「こっちがどんだけ我慢してると思ってんだよ」
蓮司さんの腕に、少しだけ力が入った。
「が、我慢……して……るんすか?」
「……してんだろ」
「……お、俺に魅力が足りねぇから、なんもしてこないのかなって……」
「逆だ、ばか」
心臓がバクバクする。一歩でも動いたら死んでしまいそうで、俺は蓮司さんの腕の中で固まった。
「まだ高校生だろ? だから、変な気起こしたくねぇんだよ……。つうか、年齢差考えたら、言わなくてもわかんだろうが……」
「で、でも、蓮司さんだって学生じゃないっすか!」
「そうだけど、そうじゃねぇだろ」
蓮司さんが、俺を少しだけ離した。俺の顔をじっと見てくる。
目が合った。蓮司さんの目が、いつもよりずっと近くて、動揺してしまう。
「……まぁ、少しだけなら、許されるわ、たぶん」
何かに言い訳するようにそう言って、蓮司さんはゆっくりと顔を近づけてきた。触れるだけのキスだった。
本当に、ほんの一瞬だけ。
でも、俺の心臓は一拍止まって、それからものすごい勢いで動き出した。
膝に力が入らなくなって、そのままずるずると崩れそうになったところを、蓮司さんの手が俺の腕をつかんで支えてくれる。
「うぇ……」
わけのわからないうめき声を発した俺を見て、蓮司さんはからかうように笑っていた。
「さっきの勢いはどうした。大きく晴れる大晴」
「だ、だって! れ、蓮司さんはどうか知らないっすけど、俺……! す、好きな人とキスしたの、初めてで……! その、めちゃくちゃうれしくて……、生きてて……よかった……です……」
赤い顔で言ったら、蓮司さんがふっと息を吐いた。世界中の人間が倒れてしまいそうな、優しくてずるい顔。
「……お前、マジでそういうとこだぞ」
「な、なにが……」
「もうちょっとだけな? がんばれ、大晴」
「……え?」
何をがんばるのかと疑問に思った時には、蓮司さんの舌が口の中に入っていた。
「……っ」
二度目のキスは、さっきより少しだけ長かった。蓮司さんの手が俺の顎に触れて、角度を変えられた。俺はもう蓮司さんにされるがままで、どうしたらいいかわからず、頭の中が真っ白になってしまった。
今まで学んできた数学の公式も、古文も、歴史も、全部どこかに飛んでいった。十七年間生きてきて、こんなに何も考えられなくなったのは、初めてだ。
蓮司さんの唇が離れた時、俺はまだ目を閉じていた。
ゆっくりと目を開けたら、すぐそこに蓮司さんの顔があった。きれいな顔が、俺だけを見ている。
やばい。好きだ。
こんなに好きな人が、今、俺のことを見てくれている。わけがわかんないくらい胸が痛くて、マジで俺、泣きそうなんだけど……。
ゆっくりと壁にもたれかかって、「……はぁ」と息を吐いた。呼吸の仕方を、一瞬忘れていた。
蓮司さんを赤い顔で見つめる。
この先を期待していた。当たり前じゃん。こんなにいい感じなのだから、それはもう蓮司さんもバンバン――。
「もうすぐ門限の時間だろ? 送ってく」
は?
「な、何言ってるんすか!? ここからいちゃいちゃタイム突入じゃ……!?」
蓮司さんがふっと優しく笑った。
「安心しろ、大晴。お前が卒業するまで、これ以上手ぇ出さねぇから」
「はっ、……はぁ~~~~!?!?!!?」
俺は一歩前に出て、蓮司さんを指差した。
「おいこら、ちょっと待てよ、清水蓮司! それって俺、あと1年以上待つってことじゃないですか!? え、待てるわけないでしょ!! 蓮司さんのこと好きなんすよ!?」
「我慢しろ」
「なんで蓮司さんのほうが落ち着いてんすかぁ!!」
「大人だから」
「くやしい!!! 大人ってなんすか! 大人ってずるい!!!」
蓮司さんが立ち上がって、俺の鞄を手に取った。
「さ、行くぞ、送ってく」
「……お、送ってくれるのはうれしいんですけど! ああ、もう! つうか、鞄は自分で持てます!」
「いいよ、持ってやる」
「……そこは甘やかすのかよ!?」
*
俺はぶつぶつ言いながら、蓮司さんと一緒にアパートを出た。
夜の空気は少し冷たい。もうすっかり秋だ。
街灯がぽつぽつと続く道を、ふたりで並んで歩いた。
蓮司さんは俺の鞄を持ったまま、何も言わなかった。俺も何も言わなかった。キスの余韻がまだどこかに残っていて、いつもみたいにべらべらしゃべれなかった。
「あの、蓮司さん」
「なんだよ」
余計なことだと思いつつも、やっぱり言わないといけない気がした。
「昨日のボウリング、実は……海斗さんと仲良くしてたの、わざとだったんです。蓮司さんに嫉妬させたくて……海斗さんにも協力してもらって……」
蓮司さんが、俺を見た。
「……知ってたよ」
「え」
「海斗のやつ、わかりやすいんだよ。にやにやしてたから。……もっとわかりやすいのはお前だけどな」
頬がかぁっと熱くなった。
「す、すみませんでした、マジで。……なんか、ずるいことしたなって、ずっと引っかかってて」
蓮司さんはしばらく黙っていた。それから、低い声で言う。
「……ほんとに素直だな、お前は」
「え?」
「嫉妬させたがる奴が、普通どうなるかわかってるか。大体こじれて別れんだよ。……俺だから笑って済んでんだからな」
「……は、はい」
「正直に言うと、嫉妬してる時の俺、自分でもあんまり好きじゃねぇよ。……大人げねぇしな」
「お、俺は大人げない蓮司さんも……見たいです! 清水蓮司ならなんでも大歓迎です……!」
蓮司さんがふっと足を止めたから、俺も立ち止まった。
「お前がそう思ってんなら、今度からはぜんぶ見せてやるよ。やきもちも、独占欲も、お前だけに」
「……お、俺だけに?」
「ああ、お前だけに」
最高にメロい清水蓮司を味わっていると、蓮司さんは「ひとつだけ小言を言わせろ」と静かに続けた。
「本気でわかってない無邪気なお前に嫉妬すんのは……別にそっちはいい。いつものことだし。……だけど、わざと俺を嫉妬させるために他の奴を使うのはやめろ」
俺は、じっと蓮司さんを見た。今さら湧いてくる後悔で喉の奥がツンとする。
「れ、蓮司さん……俺……」
蓮司さんがため息をついて、俺の頭に手を乗せた。
「全然怒ってねぇから」
「……ごめんなさい」
「ああ」
「もうしません」
「ああ」
「……蓮司さんのこと、本当に好きです、俺」
「知ってる」
そのあと、蓮司さんは小さく「好きだよ、大晴」と言った。
「なっ!? ……あ、あの、貴重な推しからの『好きだよ』録音させてもらっていいですか!?」
「調子のんな」
「じゃあ、もっかいキス……!」
「なんで道ばたでしなきゃいけねぇんだよ。今日はもうおしまい」
「えー! そこをなんとか! つうか、もっといちゃいちゃしたいんですけど! あの、ほら! 体を触り合うとかどうっすか!? それだったらなんとか全年齢の方向に――」
「大晴」
「それがだめなら、はだかで相撲しません!? 相撲ならスポーツですもんね!? えっ、めっちゃ健全じゃ――」
「大晴。帰るぞ」
にっこりした笑顔で、蓮司さんは俺の言葉を遮った。
「………………………………はい」
こんなに好きなのに。おいおい、ふざけんなよ、清水蓮司。
*
その夜。家に送ってもらってからも、まだどこかふわふわしていた。風呂に入って、髪を乾かして、それだけのことをするのに、何度も手が止まった。
蓮司さんの貴重な『好きだよ、大晴』が、頭の中でぐるぐると鳴り続けている。
「マジで沼すぎる……」
そんな時、スマホが光った。蓮司さんからだった。
『この前、お前が聞いてきたやつ』
なんのことかわからず、首を傾げている間に、次のメッセージが来た。
『俺のタイプの話』
『お前だよ。ずっとかわいいなって思ってた』
俺はたっぷり十秒固まった。
「はぁ!?」
つい声に出してしまった。
スマホを握ったまま、部屋の真ん中で立ち尽くした。
バイトの更衣室で聞こえてきたあの海斗さんの台詞。
――あの子、お前のタイプだろ。だから距離取ってんだろ。
しつこくタイプを聞いた俺に、蓮司さんがいった言葉。
――俺は好きになりたくねぇんだよ。タイプだってわかってるから、近づきたくもねぇの。
全部、全部、俺のことだったってこと?!
「やっぱり、ふざけんなよ、清水蓮司……!!!」
赤い顔でスマホを握りしめる。
そんなん、うれしいに決まってんじゃん。
清水蓮司と、俺、橋本大晴が、付き合うことになった。
それがどういうことか、帰り道ずっと反芻していたのに、家に帰って布団に入って目を閉じてもまだ実感がなかった。天井を見て、「えっ」となって、また目を閉じて、「いやえっ」となって、また目を開けて、「マジか」となって。それを十五回くらい繰り返した。
蓮司さんが好きだ。
蓮司さんとお付き合いすることになった。
……いや、マジか。
そういえば蓮司さんが言っていたタイプって誰のことだったんだろう。女子高生は恋愛対象外だったはずだから……。だとしたら……。
「え、誰だよ……!?」
*
翌日の夕方、俺は蓮司さんのアパートにいた。今日で二回目の清水蓮司のおうち。
「……お邪魔します」
「おう。適当にくつろげよ」
「あ、おかまいなく! 人んちで自分ちのようにくつろげるのが俺の才能なんで!」
「……だろうな」
蓮司さんはすぐソファに座って、本を読んでいた。グレーのスウェット、この前と同じ服装だ。俺が隣に座ると、ちらりとこっちを見て、また本に目を落とした。
いつもと、変わらない。
俺はしばらく、蓮司さんの横顔を見ていた。かっこいい。好きだ。付き合ってる。マジか。
「……蓮司さん」
「……」
「俺たち……付き合ってるってことでいいんですよね?」
「……ああ」
「翔太郎には……どうします? やっぱ、言ったほうがいいですよね……? うわー、なんて言おう……。マジな感じじゃなくて、こうパッ!っと『俺、蓮司さんと付き合ったから~~うぇーいよろしくぅ! 義理兄弟になっちゃう〜?』みたいな感じでどうっすかね!?」
蓮司さんは本を閉じると、少し考えるような仕草をしてから、ため息をついた。
「……いや、言わなくていい」
「えっ、でも……翔太郎って、たぶん嘘とか嫌いなタイプじゃないっすか」
「問題はそこだよ。爽やかな顔してっけど、あいつはクソ面倒くせぇんだよ。俺がゲイだなんて知ったら……いつからだの、どうしてだの、根掘り葉掘り聞いてきて、めちゃくちゃ騒ぐに決まってる」
「……えー」
「俺のことはともかく、お前に余計なことを言いそうで……俺としては気が進まない」
「余計なことって……?」
「……色々あんだよ、大人には」
相変わらず言葉が少ない蓮司さんに唇を尖らせつつも、たしかに言わないほうがいいかもしれない、と思った。
だって、翔太郎に変な心配をかけてしまうかもしれないし、「大晴じゃ兄貴と釣り合わねぇ!」なんて言われたら、ショックで大泣きしてしまう。
「ちなみに翔太郎は、その……蓮司さんがゲイってこと、知ってるんですか?」
「あいつは知らねぇよ。家族には誰にも言ってない。ダチで知ってんのも、海斗入れて数人だよ」
「……も、もしかして」
俺はふとある可能性に気づいて、恐る恐る聞いた。
「ひとり暮らし始めたのって……カミングアウトしてないっていうのも理由のひとつだったりします?」
蓮司さんはわかりやすく少しだけ目を逸らした。
「……まぁ、それもある」
俺はそれ以上何も言えなかった。蓮司さんが自分の家族に本当のことを言えなくて、ひとりで引っ越したこと。その決断をするまでにどんな気持ちでいたのか考えると、ぎゅっと胸が締め付けられた。
「じゃあ……! そうっすね! 翔太郎には、言わないってことで!」
「ああ。……お前は、それでいいのか?」
「もちろん! 俺は、蓮司さんが決めたことに従います! 同担拒否の蓮司推しなんで!」
蓮司さんがちらりと俺を見た。なんか、ちょっとだけ、眉が下がった気がした。
「……そうか」
こうして、俺たちの内緒の恋がスタートしたのだ。
蓮司さんは何を考えているのか、言いづらそうに口を開く。
「……大晴、お前もゲイなの?」
「えー、正直わかんないっすよ。蓮司さんしか好きになったことないし」
蓮司さんは「へぇ、俺しか……」と少しだけ何かを考えるようにして口元を引き結ぶ。
蓮司さんが何を考えているのかはともかく、俺はずっと気になっていたことを蓮司さんに問いかけた。
「あの、そろそろ正解くれないっすか?」
「あ?」
「蓮司さんのタイプ」
「……しつけぇな」
「いいじゃないですか! 付き合ってんだから! で、タイプって誰なんですか。女子高生……じゃないですよね? だとしたら誰のことだったのかなってめっちゃ気になって……。実は昨日眠れなかったんすよ」
蓮司さんがちらりと俺を見た。
「……いいだろ別に」
「よくないですよ! 気になるじゃないですか! もしかして大学の人ですか? え、海斗さん!?」
「違う」
「じゃあ誰ですか!」
「……うるせぇなぁ」
蓮司さんは立ち上がり、にっこりとメロい笑顔を向けてくる。
「大晴、ココアでも飲むか?」
「えっ、入れてくれるんすか!? 飲みたいです!!」
「そーかそーか。待ってろ」
「蓮司さんやぁさぁしぃい~~。俺の彼氏やぁさぁしぃい~~」
「……」
蓮司さんは無言で準備をし、牛乳を温め始めた。最高にうれしいなぁと思いながら、しばらくして俺は話をはぐらかされたことに気づいた。
いや、なんで教えてくれないんだよ、清水蓮司。
*
学校では、あいかわらず翔太郎たちと一緒にいた。
翔太郎は勘がいいので、俺はかなり気を使っている。うまくごまかせているつもりだったけど、その日の帰り道、翔太郎が唐突に言った。
「なあ、大晴」
「ん?」
「この前さ、なんで兄貴、お前のとこに来たわけ?」
俺は一瞬、息が止まりそうになった。
「え、なんで急に?」
「いや、なんか気になって。雨だったからって言ってたけど、それって、どういう意味? 兄貴がわざわざ学校まで来るって、キャラじゃねぇじゃん」
「あー、えっと……」
俺はにかっと笑って、うまく誤魔化す言葉を探した。
「あの時はさぁ! バイトのことで話があったんだって!」
翔太郎はしばらく俺を見ていた。
「……ふうん」
それだけ言って、歩き出した。でも、納得した顔じゃなかった。
俺は翔太郎の背中を見ながら、胸がちくりとした。
ごめん、翔太郎。いつか、ちゃんと話せる日が来るといいんだけど……。でも、いつかっていつだろう。俺にもよくわからない。
*
蓮司さんのアパートには、それから四回行った。
でも、蓮司さんはびっくりするほど何もしてこなかった。
手を繋ぐわけでもない。距離が縮まるわけでもない。キスも、それ以上も、まったくない。
俺が転がり込んで、一方的に話す。いつもと変わらない感じで、なのに俺だけ心臓がやかましくて、顔が熱くて、もう大変だった。
蓮司さんは俺のこと、本当に好きなんだろうか。俺は自室でひとりでぐるぐると考えた。
蓮司さんは優しい男だ。毎回俺のことを家まで送ってくれる。
もしかして……考えたくもないけれど、蓮司さんは情に厚いから、年下の俺に告白されて断り切れなかっただけかもしれない。
弟の友達ってことで、波風を立てたくなくて、お情けで付き合ってくれた可能性もある。
そもそも、蓮司さんと付き合えてるってこと自体が、ラッキーすぎるのだ。ありえない奇跡だ。
たとえ蓮司さんが俺のことを好きじゃなくても、蓮司さんのそばにいられるなら……。
……いや、でも、やっぱり俺のことを本気で好きになってもらいたい。
「ああ……もう……、蓮司さんが何考えてんのか、全然わかんねぇ!!」
せっかく付き合えることになったのに、恋の悩みは尽きることがない。
*
「マッッッッジで!!何もッしてこないんすよッッ!!」
バイトのシフト前、休憩室で俺は海斗さんに訴えた。海斗さんは頬杖をつき、だるそうな顔で聞いていた。
「まあ、蓮司らしいっちゃらしいな」
蓮司さんの許可のもと、海斗さんだけには俺たちが付き合い始めたことを言っていた。
「でも付き合ってんのに! 恋人なのに! せめて手ぇぐらい繋いでくれてもよくないっすか!? 密室でふたりきりっすよ!?」
「お前が積極的に行けばいいじゃん」
「俺がっ? 蓮司さんにぃ!? 死ぬわ!!!」
海斗さんはエナジードリンクの缶をプシュッと開けながら、げらげらと笑った。
「お前、あれだけ押せ押せだったのに、なんで付き合ったら急にビビんだよ」
「それは……! 好きって気づく前と気づいた後は全然違うじゃないですか! 気づく前は気合で突っ込めたけど、今は蓮司さんのこと意識しすぎて真正面から目も見れないんすよ!?」
海斗さんはエナドリをちびちび飲みつつ、「重症だなぁ」とつぶやく。
「ガチ重症なんすよ! てか、あの人の年齢とか経験とか考えたら、あっちからエッチなことバンバンやってくるべきじゃないっすか!? もっとエロがれよ!!」
「本音ウケる」
「もう海斗さん! 俺、どうしたら蓮司さんにもっと好きになってもらえると思いますか!?」
海斗さんがしばらく考えるような顔をした。それから、ちょっとだけ意地悪そうに笑った。
「嫉妬させてみたら?」
「し、嫉妬……?」
「蓮司って、感情表に出さないだけで、嫉妬するタイプだぞ。お前が他の奴と仲良くしてるとこ見せたら、何か動くんじゃねぇ?」
「……し、嫉妬っすか」
俺は少しだけ迷っていた。そんな風にわざと嫉妬させるなんて、ずるい気がしたのだ。
「蓮司とラブラブになりてぇんだろ?」
「……なりたい」
「エッチなことバンバンされてぇんだろ?」
「……されたい」
「エロがってほしいんだろ?」
「……ほしい」
「じゃあ、そんくらい攻めてもいいじゃね? なんもせずにいたら、ずっと悩むことになるぞ、お前」
「そう、かも……いや、そうっすよね!? 俺、やってみます!」
俺ははたと気がついた。
「でも、どうやって」
「俺にいい考えがあるわ。ちょうど今度、みんなでボーリング行くだろ?」
「そ、そのときに!」
「まあ頑張れ」
海斗さんがグビグビとエナドリを飲み干す。俺は来たるボーリングに向けて、覚悟を決めた。
――ぜったいに蓮司さんを嫉妬させて、ラブラブいちゃいちゃになってみせる!!!
*
ボウリング場は、バイトのシフトが同じメンバー六人で行くことになった。蓮司さん、海斗さん、俺、それにバイトの先輩たちが三人。
蓮司さんはいつも通り無表情で、ボウリングシューズに履き替えながら特に何も言わなかった。俺は俺で、なんとなく意地になっていて海斗さんの隣に座った。
「よし、やるぞ大晴」
こそっと俺の耳元で海斗さんがささやく。気合い十分な俺は、こくこくとうなずいた。
蓮司さんはちらりとこっちを見て、すぐに視線を戻す。
ゲームが始まってからも、俺は意識的に海斗さんの近くにいた。ストライクが出るたびに「やった!」と海斗さんに飛びついた。海斗さんがスペアを取ったら「さすがっす!!!」と抱きつく。スコアを一緒に見て「俺のほうが高い!」「お前ずるいだろ、あのピン」なんてじゃれあった。
ふと蓮司さんの様子を、こっそり確認する。
……特に変わってねぇんだよなぁ。
淡々とボールを投げて、淡々とストライクを出して、淡々と腕を組んで順番を待っている。もはやこっちを見る様子もない。
くやしい〜〜〜。マジでありえね〜〜〜。
俺は三ゲーム目の途中で、海斗さんに小声で言った。
「……蓮司さん、全然こっち見ないんすけど」
「ばか、見てるよ」
「え?」
「お前が見てない時に、見てんだよ。さっきもスコアボード眺めてるふりしてたけど、目線はお前に向いてたから」
俺はこっそり蓮司さんのほうを盗み見た。蓮司さんはうつむいてスマホをいじっていた。
「……ほんとかよ」
「ほんとだって。もうちょっと続けろ。効いてる効いてる」
海斗さんがにやにやしながら言った。
俺はうなずいて、また海斗さんとじゃれあいを続けた。
でも、なんか、いつもより全然楽しくなかった。
清水蓮司、ちょっとは俺んとこに来てくれたっていいじゃんか……。
*
ボーリングの翌日。6度目の蓮司さんのアパートだった。
俺はソファに座って、蓮司さんがお茶を淹れてくれるのを待ちながら、ずっと考えていた。
昨日のボウリングで、嫉妬させようとしていたことを蓮司さんは気づいていたんだろうか。海斗さんは「効いてる」と言っていたけど、蓮司さんは結局何も言ってこなかった。
うまくいかなかったな、と思う。空回りばかりだ。
それに、ずっと引っかかっていた。海斗さんとじゃれあうのは楽しかったけれど、どうしても蓮司さんを試しているような気がして、なんだか申し訳なくなってきたのだ。
「ほら、大晴」
蓮司さんが、俺にお茶を渡してきた。
「……ありがとうございます」
「どうした。さっきからぼんやりしてんぞ」
俺は手の中のマグカップを見つめた。それから、顔を上げた。
「蓮司さん、俺、ちょっと言いたいことがあって」
「……なに」
「なんか、長くなるんですけど」
「いいよ」
俺は深呼吸した。
「俺……ばかだし、大人な蓮司さんには全然敵わないのはわかってるんですけど」
「……」
「それでもめちゃくちゃ清水蓮司を好きな気持ちは、誰にも負けないっつうか」
「……」
「……今はお情けで付き合ってもらってると思ってるんですよ、正直。いや、ありがたいんです、めちゃくちゃ。でも、やっぱ、本気で俺のことを好きになってもらいたいんです。だから俺、もっとがんばります。蓮司さんが俺のことかわいくてかわいくてエロがってメロメロになっちゃって、チューしたくてたまんねぇ〜!くぅ〜!ってなるまで! がんばりますから! 大きく晴れる大晴はやれる男なんで、マジで、あんまなめないでくださいよ!!!」
そこまで一気に言って、俺は「……あっ、あのっ……じゃあ、そういうことで!!」と立ち上がった。
勢いよく鞄に手をかけ、言いたいことだけ言って帰ろうとした。
でも、帰れなかった。
蓮司さんが俺の手首をつかんでいた。
「え?」
振り返ったら、困ったように笑う蓮司さんがいた。それから、ふいに引き寄せられた。
蓮司さんの胸に顔が埋まる形で、抱きしめられる。あの雨の夜以来だ。
「あっ、あのっ……れ、蓮司さん!?」
「……よくも言えたもんだな」
低い声が、頭の上から聞こえた。
「お情けで付き合ってる? ばーーーーか!!」
「え、あ、……え!?」
「こっちがどんだけ我慢してると思ってんだよ」
蓮司さんの腕に、少しだけ力が入った。
「が、我慢……して……るんすか?」
「……してんだろ」
「……お、俺に魅力が足りねぇから、なんもしてこないのかなって……」
「逆だ、ばか」
心臓がバクバクする。一歩でも動いたら死んでしまいそうで、俺は蓮司さんの腕の中で固まった。
「まだ高校生だろ? だから、変な気起こしたくねぇんだよ……。つうか、年齢差考えたら、言わなくてもわかんだろうが……」
「で、でも、蓮司さんだって学生じゃないっすか!」
「そうだけど、そうじゃねぇだろ」
蓮司さんが、俺を少しだけ離した。俺の顔をじっと見てくる。
目が合った。蓮司さんの目が、いつもよりずっと近くて、動揺してしまう。
「……まぁ、少しだけなら、許されるわ、たぶん」
何かに言い訳するようにそう言って、蓮司さんはゆっくりと顔を近づけてきた。触れるだけのキスだった。
本当に、ほんの一瞬だけ。
でも、俺の心臓は一拍止まって、それからものすごい勢いで動き出した。
膝に力が入らなくなって、そのままずるずると崩れそうになったところを、蓮司さんの手が俺の腕をつかんで支えてくれる。
「うぇ……」
わけのわからないうめき声を発した俺を見て、蓮司さんはからかうように笑っていた。
「さっきの勢いはどうした。大きく晴れる大晴」
「だ、だって! れ、蓮司さんはどうか知らないっすけど、俺……! す、好きな人とキスしたの、初めてで……! その、めちゃくちゃうれしくて……、生きてて……よかった……です……」
赤い顔で言ったら、蓮司さんがふっと息を吐いた。世界中の人間が倒れてしまいそうな、優しくてずるい顔。
「……お前、マジでそういうとこだぞ」
「な、なにが……」
「もうちょっとだけな? がんばれ、大晴」
「……え?」
何をがんばるのかと疑問に思った時には、蓮司さんの舌が口の中に入っていた。
「……っ」
二度目のキスは、さっきより少しだけ長かった。蓮司さんの手が俺の顎に触れて、角度を変えられた。俺はもう蓮司さんにされるがままで、どうしたらいいかわからず、頭の中が真っ白になってしまった。
今まで学んできた数学の公式も、古文も、歴史も、全部どこかに飛んでいった。十七年間生きてきて、こんなに何も考えられなくなったのは、初めてだ。
蓮司さんの唇が離れた時、俺はまだ目を閉じていた。
ゆっくりと目を開けたら、すぐそこに蓮司さんの顔があった。きれいな顔が、俺だけを見ている。
やばい。好きだ。
こんなに好きな人が、今、俺のことを見てくれている。わけがわかんないくらい胸が痛くて、マジで俺、泣きそうなんだけど……。
ゆっくりと壁にもたれかかって、「……はぁ」と息を吐いた。呼吸の仕方を、一瞬忘れていた。
蓮司さんを赤い顔で見つめる。
この先を期待していた。当たり前じゃん。こんなにいい感じなのだから、それはもう蓮司さんもバンバン――。
「もうすぐ門限の時間だろ? 送ってく」
は?
「な、何言ってるんすか!? ここからいちゃいちゃタイム突入じゃ……!?」
蓮司さんがふっと優しく笑った。
「安心しろ、大晴。お前が卒業するまで、これ以上手ぇ出さねぇから」
「はっ、……はぁ~~~~!?!?!!?」
俺は一歩前に出て、蓮司さんを指差した。
「おいこら、ちょっと待てよ、清水蓮司! それって俺、あと1年以上待つってことじゃないですか!? え、待てるわけないでしょ!! 蓮司さんのこと好きなんすよ!?」
「我慢しろ」
「なんで蓮司さんのほうが落ち着いてんすかぁ!!」
「大人だから」
「くやしい!!! 大人ってなんすか! 大人ってずるい!!!」
蓮司さんが立ち上がって、俺の鞄を手に取った。
「さ、行くぞ、送ってく」
「……お、送ってくれるのはうれしいんですけど! ああ、もう! つうか、鞄は自分で持てます!」
「いいよ、持ってやる」
「……そこは甘やかすのかよ!?」
*
俺はぶつぶつ言いながら、蓮司さんと一緒にアパートを出た。
夜の空気は少し冷たい。もうすっかり秋だ。
街灯がぽつぽつと続く道を、ふたりで並んで歩いた。
蓮司さんは俺の鞄を持ったまま、何も言わなかった。俺も何も言わなかった。キスの余韻がまだどこかに残っていて、いつもみたいにべらべらしゃべれなかった。
「あの、蓮司さん」
「なんだよ」
余計なことだと思いつつも、やっぱり言わないといけない気がした。
「昨日のボウリング、実は……海斗さんと仲良くしてたの、わざとだったんです。蓮司さんに嫉妬させたくて……海斗さんにも協力してもらって……」
蓮司さんが、俺を見た。
「……知ってたよ」
「え」
「海斗のやつ、わかりやすいんだよ。にやにやしてたから。……もっとわかりやすいのはお前だけどな」
頬がかぁっと熱くなった。
「す、すみませんでした、マジで。……なんか、ずるいことしたなって、ずっと引っかかってて」
蓮司さんはしばらく黙っていた。それから、低い声で言う。
「……ほんとに素直だな、お前は」
「え?」
「嫉妬させたがる奴が、普通どうなるかわかってるか。大体こじれて別れんだよ。……俺だから笑って済んでんだからな」
「……は、はい」
「正直に言うと、嫉妬してる時の俺、自分でもあんまり好きじゃねぇよ。……大人げねぇしな」
「お、俺は大人げない蓮司さんも……見たいです! 清水蓮司ならなんでも大歓迎です……!」
蓮司さんがふっと足を止めたから、俺も立ち止まった。
「お前がそう思ってんなら、今度からはぜんぶ見せてやるよ。やきもちも、独占欲も、お前だけに」
「……お、俺だけに?」
「ああ、お前だけに」
最高にメロい清水蓮司を味わっていると、蓮司さんは「ひとつだけ小言を言わせろ」と静かに続けた。
「本気でわかってない無邪気なお前に嫉妬すんのは……別にそっちはいい。いつものことだし。……だけど、わざと俺を嫉妬させるために他の奴を使うのはやめろ」
俺は、じっと蓮司さんを見た。今さら湧いてくる後悔で喉の奥がツンとする。
「れ、蓮司さん……俺……」
蓮司さんがため息をついて、俺の頭に手を乗せた。
「全然怒ってねぇから」
「……ごめんなさい」
「ああ」
「もうしません」
「ああ」
「……蓮司さんのこと、本当に好きです、俺」
「知ってる」
そのあと、蓮司さんは小さく「好きだよ、大晴」と言った。
「なっ!? ……あ、あの、貴重な推しからの『好きだよ』録音させてもらっていいですか!?」
「調子のんな」
「じゃあ、もっかいキス……!」
「なんで道ばたでしなきゃいけねぇんだよ。今日はもうおしまい」
「えー! そこをなんとか! つうか、もっといちゃいちゃしたいんですけど! あの、ほら! 体を触り合うとかどうっすか!? それだったらなんとか全年齢の方向に――」
「大晴」
「それがだめなら、はだかで相撲しません!? 相撲ならスポーツですもんね!? えっ、めっちゃ健全じゃ――」
「大晴。帰るぞ」
にっこりした笑顔で、蓮司さんは俺の言葉を遮った。
「………………………………はい」
こんなに好きなのに。おいおい、ふざけんなよ、清水蓮司。
*
その夜。家に送ってもらってからも、まだどこかふわふわしていた。風呂に入って、髪を乾かして、それだけのことをするのに、何度も手が止まった。
蓮司さんの貴重な『好きだよ、大晴』が、頭の中でぐるぐると鳴り続けている。
「マジで沼すぎる……」
そんな時、スマホが光った。蓮司さんからだった。
『この前、お前が聞いてきたやつ』
なんのことかわからず、首を傾げている間に、次のメッセージが来た。
『俺のタイプの話』
『お前だよ。ずっとかわいいなって思ってた』
俺はたっぷり十秒固まった。
「はぁ!?」
つい声に出してしまった。
スマホを握ったまま、部屋の真ん中で立ち尽くした。
バイトの更衣室で聞こえてきたあの海斗さんの台詞。
――あの子、お前のタイプだろ。だから距離取ってんだろ。
しつこくタイプを聞いた俺に、蓮司さんがいった言葉。
――俺は好きになりたくねぇんだよ。タイプだってわかってるから、近づきたくもねぇの。
全部、全部、俺のことだったってこと?!
「やっぱり、ふざけんなよ、清水蓮司……!!!」
赤い顔でスマホを握りしめる。
そんなん、うれしいに決まってんじゃん。



