補欠の花嫁は許嫁の愛に気づかない

 ある日から突然、白波家へ訪れても千歳と会わせてもらえなくなった。

 彼女は原因不明の病に罹り、ずっと寝込んでいるとのことだった。

 そんなことを聞けばなおさら心配で、蒼真は毎日千歳に会わせてほしいと白波家へ通ったが、感染の恐れがあるので会わせられないとの一点張り。

 それから一か月も経たないうちに、もう千歳は治る見込みがないので蒼真の花嫁には紗江子をとの連絡が入った。

 前回と違い事情も事情なので、龍泉家の者たちも花嫁の変更に異議を申し立てる人はいなかった。ただ一人、蒼真を除いて……。


◇◇◇◇◇


(千歳以外がオレの花嫁に? 冗談じゃない)

 蒼真は花嫁の変更を受け入れる気などはなからなかった。

 千歳が本当に不治の病に侵されてしまったのだとしても、最後まで添い遂げる。
 龍泉家の跡取りには、なにかしら理由をつけて剛太郎を呼び戻せばいいだけの話。
 千歳が花嫁でなくなるなら、龍泉家の跡取りになどならなくてもかまわない。

 誰も、当人である剛太郎さえ気づいていないが、兄を没落に追い込んだのは自分。だから兄を連れ戻すことも蒼真にとっては容易いことだった。

 すべては幼い頃に一目惚れしてから思い続けてきた想い人、千歳と結ばれるために仕組んだのに。こんなことで台無しになるなんて。

 名家であるが故のしきたりやしがらみに縛られ、自由に結ばれる相手を選べない。
 そんな中、神託が白波家を選んでくれたことによりできた最大の好機。これを逃す手はないと蒼真は知略を巡らせたのだ。

 見えない罠を蜘蛛の糸のように張り巡らせて……。

(どんな手を使ってでも、決して彼女を手放さない)

 それが蒼真の本性だった。

 誰に対しても分け隔てなく、執着心など微塵もない聖人のような素振りをみせていたのも、全部千歳に警戒されないよう、この重たい愛で怖がらせないようにするための演技。だが……。

(そろそろ正攻法は終わりにしよう。そしてオレたちを引き裂く邪魔者は、排除しなくては……一人残らず)

 蒼真は感情的にならぬようあくまで平静を装い……ついに夜の白波家へと忍び込んだ。

 一目でも千歳に会いたい。その一心で。





(千歳の部屋は、確かこの先に……)

 白波家の屋根裏に忍び込んだ蒼真は、そのまま物音を立てぬよう千歳の部屋の真上にある天井裏まで移動した。

 耳を澄ませると微かに話し声が聞こえる。
 少し擦れて元気もない千歳の声に胸が締め付けられる思いがした。今すぐ彼女を抱きしめたかったが、彼女以外の存在が部屋にいることを察し我慢する。

「可哀そうに、今日も具合がよくならなかったのだね」
 猫なで声でそう言いながら、寝込む千歳の頭を馴れ馴れしく撫でているのは、紗江子の主治医だった山城だった。今ではすっかり千歳の主治医になったようだが。

(気安く千歳に触れるな)

 胸が焼け付くような嫉妬の感情を抑え、蒼真は板の隙間から千歳の部屋の様子を覗き見る。

「また、いつもの薬を持ってきたから飲みなさい」
「うぅ……でも、そのお薬苦くて。それに……あまり飲んでも良くなった気がしないから」
「子供みたいなわがままを言ってはいけないよ。良くならないと言っても、この薬のおかげで眠れるだろ? その間は痛みを忘れられるだろ? それで今は十分じゃないか」

 言いながら山城はぐったりとした千歳を抱き起し、薬と水を甲斐甲斐しく彼女の口元に運ぶ。
 千歳は渋々といった様子だったが、素直にそれを飲み込むと、少し眠りたいと山城に伝えていた。

「さっそく薬が効いてきたかな。ぐっすりお眠り。早く良くなるといいね」

(…………)

 うとうととして横になった千歳に声を掛け、山城は部屋を出て行った。
 最後に見た、千歳に向けるあの男の目つきに嫌なものを感じつつ、蒼真は天井裏から部屋に降り立つ。

「千歳さん」
「……えっ、そっ!?」
「会いたかった」

 そして驚いて声を上げそうになった彼女を、蒼真は強く強く抱きしめたのだった。


◇◇◇◇◇


「ど、どうして蒼真さまがここに?」

 薬で朦朧としていた意識も、驚きで覚醒してきた。
 そんな千歳へ、外にバレぬよう小声で蒼真が囁く。

「どうしても君会いたくて、こっそり忍び込んだ」
「そんなこと……」

 千歳の知る蒼真なら絶対にしなさそうなことをしたと、さらっと白状した彼に千歳は困惑した。

 自分も会いたかった。離れている日々の中で何度も蒼真を恋しく思った。けれど……。

「いけません、蒼真さま……」

 千歳は弱々しくも蒼真を押し離し、しっかりと拒絶の意志を示す。

「なんで? ようやく会えたんだ、オレを拒まないで」

 初めて見た自分に恋縋るような彼の眼差しに、胸がぎゅっと締め付けられる。
 けれどもう、この人は自分の婚約者ではなくなったのだ。千歳には姉に対して不実なことをしてはいけないという思いがあった。そしてなにより……。

「わたしの病は原因不明で、もしかしたら人にうつる恐れもあるんです。もし、蒼真さまに感染したらっ」

 力もろくに入らない手で、千歳はそれでも再度蒼真を押し離そうとした。
 けれどその手は蒼真の大きな手に掴まれたかと思えば。

「っ!」

 覆いかぶさってきた蒼真に、そのまま唇を奪われていた。
 初めての口づけなのに、甘い余韻に浸っていられるような、そんな優しいものじゃない。

「んっ……っ」

 もしかしてこのまま、最後まで奪われてしまうのかと過ったが、始まりと同様突如強引な口づけは止まった。

「もし本当に感染する病だったなら、これでうつったかも」
「なっ!」
「だから、もう気にしなくていいよ」
「っ……」
「なにも気にしないで一緒にいられるね」

 彼はまるで幸せなことのように目を細め、千歳に額をすり合わせてくる。
 そんな彼の行動に狂気を感じながらも、僅かに嬉しいと思ってしまった自分もいた。

 母も使用人たちも病に侵されてから千歳を怖がり避けられてばかり。ばい菌みたいな扱いを受けていたから。
 こんなになった自分との接触を怖がらず、それどころか求めてくれた蒼真から建前上ではない確かな自分への想いを感じて。

「オレの花嫁は君だけだよ。誰がなんて言おうと」

 やはりこれは夢なのかもしれない。こんなの情熱的に蒼真が自分を求めてくれるなんて。

 そんな理由どこにもないのに……。