補欠の花嫁は許嫁の愛に気づかない

 一度婚約解消しかけてからというもの、蒼真の態度が少し変わった。

 前は時間があると白波家に会いに来てくれて、少し言葉を交わして帰ってゆくだけだった。

 最近は屋敷で会うことは少なく、彼は千歳を帝都の街に連れ出したがる。

 人混みを歩く中、そっと腰に手を当てエスコートしてくれたり、千歳が喜びそうな甘味処を見つけては連れて行ってくれる。
 まさに、至れり尽くせりだった。

 最近は千歳も少しずつ蒼真に敬語を使わず話せるようになってきた。
 紗江子を模倣した完璧な花嫁でいなくてはと、そう気負うことも少なくなってきたぐらいだ。

 素の自分なんて見せればその瞬間、幻滅されておしまいだと思っていたのに。

「これがシュークリーム……」

 今日もカフェにて、千歳は生まれて初めてシュークリームを口にした。
 薄皮の中にたっぷりと甘いクリームがつまった贅沢な洋菓子に、瞳を輝かせながらかぶりつく。

「~~~~っ」
「どう? お口に合ったかな」
「おいしい……おいしいです! 最高です、至福です」
「はは、よかった」

 蒼真は今日もそんな千歳を眺めながら、ブラックコーヒーしか飲まない。
 彼も楽しそうではあるけれど、いつも自分だけ色んな甘味を堪能させてもらって、申し訳ない気持ちを覚える。
 彼は特別コーヒーも好きなわけではなさそうなので、なおさら……。

(一口ぐらい、味見してみませんかって聞いてみようかな。でも、迷惑かな)

 甘い物はあまり得意じゃないといっていたが、まったく食べれないわけではないとも言っていた。
 少しだけなら蒼真もこの美味しさを楽しめるのではないかと思いつつ、提案するのを迷っていると。

「一口もらっていいかな」
「っ! もちろんです!」

 意外にも蒼真の方からそう言ってくれた。初めてのことに千歳は嬉しくなって、自分のシュークリームのかぶりついていない反対側をフォークで切り分け渡そうと考えていたのだが。

「ありがとう」
「え……っ!」

 そっと伸ばされた彼の指先が千歳の口の端に優しく触れる。
 驚いて固まっているうちに、彼は指先に付いたクリームをぺろりと舐めてみせた。

「うん、甘い」

 千歳は色んな意味で恥ずかしくなり一気に顔が赤くなる。
 唇の端に触れられたことも、クリームを口に付けていた子供っぽさにも、蒼真の態度にも、なにもかも。

「どうかした?」
「な、なんでもありません……」

 目を合わせることもできなくて、視線を逸らしながらそう答えるのが精いっぱいだった。

(蒼真さまって、こんな人だったっけ、こんな……)

 無色透明という言葉がぴったりで、異性として意識しようもない完璧な存在だと神化し過ぎていたけれど、ただの同じ年の男の人なのかもしれない。

 そんな風に思い始めると、妙に胸の奥がむずむずとしてきた。
 こんな感情知らなくて、どうしたらよいのか分からない。


◇◇◇◇◇


「やあ、千歳さん。今帰りなのかい?」
「山城先生、お久しぶりです」

 玄関先まで蒼真に送ってもらい家に入ると、ひょろりと背の高い猫背の男と鉢合わせた。紗江子の主治医である山城だ。
 薬のおかげでもう紗江子の体調に問題はないようだが、定期的にしてもらう診察は続いていて、今日がその日だったのだろう。

「……蒼真殿と会っていたのですか?」
「は、はい……」

 なぜかじっと顔を観察され、千歳は蛇ににらまれた蛙のように固まる。

「少し顔色が悪いようだ。お疲れかな?」
「そうかもしれませんね」

 別に体調はどこも悪くなかったが、医師にそう言われるとなんだか少し疲れている気がした。慣れない感情に振り回されているせいだろうか。

「それはよくないな。体調を崩すといけない、これを飲むといい」
「これは?」

 液体の入った薄茶色の小瓶を手渡され、千歳は首を傾げる。

「栄養剤さ。気休め程度だろうが、疲れた体に効く成分が含まれている」
「ありがとうございます」
「せっかく紗江子さんの体調が戻ったのに、今度は妹が身体を壊してはいけないからね」

 少し顔色が悪いぐらいで大げさな、と思った。
 千歳は風邪も滅多に引かない。あまり褒めてくれないあの母にでさえ「あんなの取柄は健康なその体だけね」と太鼓判を押されているぐらいだ。

 だからこの時はまだ、顔色が悪いと指摘されたことを気にも留めていなかった。

 ただせっかく貰ったのだからと飲んだ栄養剤が苦すぎて飲めたものじゃなかったが、山城からの気遣いを無下にはできないので、しっかりと彼の目の前で飲み干して見せた。