補欠の花嫁は許嫁の愛に気づかない

「龍泉家の当主様から正式に花嫁の変更は受け入れられないと返答が来た」

 その日の夜のうちに、お断りの文が届いたと父が家族全員の前で告げた。

「なんですって! 先方はこちらの有無も聞かずに婚約相手を変更したのに、あんまりじゃないのさ!」

 すぐに目の色を変えて憤慨したのは母だった。母は千歳より紗江子が龍泉家に嫁入りすることを、なぜか強く望んでいる。

「だがな、向こうは剛太郎殿の破門というやむにやまれぬ事情があっただろう。それに比べて我が家の変更には、明確な理由がない」
「紗江子が元気になったのだから、長女の紗江子が嫁ぐべき! それが理由よ! 千歳、今日蒼真さまが来ていたようだけど、あんたからも自分は花嫁を辞退するとちゃんと伝えたんでしょうね!」
「それは……」

 言い淀むしかない。とてもじゃないが、あなたと結婚できませんなどと言える雰囲気でしかなかった。
 けれど母になにを言っても理解してはもらえないだろう。

「とにかく! 龍泉家に嫁ぐのは紗江子の方が相応しいってもう一度あんたからっ」
「母さま、もうよしてください」

 興奮する母を止めたのは、冷静な紗江子の声だった。

「いいじゃありませんか。わたくしと千歳、どちらが嫁ごうと家としては同じことのはず。波風を立てる必要はありませんわ」
「紗江子は優しすぎるのよ。公爵家の花嫁になれるのよ、こんな好機もう二度とっ」
「わたくしは、爵位なんて興味ありませんもの。ねえ、千歳は蒼真さまとの結婚嫌なわけじゃないんでしょう?」

 姉に問われぎこちなく千歳は頷く。嫌でも無いけど、こんな揉め事の渦中に立たされてまでしたいわけでもない。
 けれど、それは姉も同じ気持ちだったのかもしれない。
 母の暴走を止めてこの話は終わりにしたいと。

「なら、あえてわたくしが嫁ぐ必要は今更ないもの。それに龍泉家と揉め事なんてあってはならないことでしょう? ね、母さま」
「っ……紗江子がそう言うなら」

 姉の大人な対応により、母も冷静さを取り戻せたようだった。

「よし、ならばこれでいいよな! このまま、千歳が花嫁のままだ。よかったな、千歳!」
「は、はい……」

 なんて答えるのが正解なのか分からなくて、千歳は頷きながらも視線を泳がせていたのだった。


◇◇◇◇◇


「これが、苺のパフェ」

 数日後、この前は行けなかったカフェへ約束通り蒼真と訪れた千歳は、初めて見る甘味に瞳を輝かせた。

 ガラスの器には生クリームと苺ジャムなどが層となって詰まっている。その上には水菓子の苺とチョコレートが乗せられていて。

(なんて豪華な食べ物でしょう!)

 興奮で身震いしそうになったが、なんとかそれを耐え千歳は慎ましやかに微笑んで蒼真に「連れてきていただき、ありがとうございます」とお礼を伝えた。

 先日乙女にあるまじき自堕落な姿を見せてしまったので、今更かもしれないが……蒼真はそのことには一切触れずに接してくれている。
 見なかったことにしてくれているなら、本当に人間出来た人だと思う。

「どう、美味しい?」

 千歳にも色々と思うところはあったのだが。

「はい、とっても!」

 今はこの甘美なパフェを味わえる幸福に浸っていたい。

「そっか、よかった」

 蒼真は甘い物があまり得意ではないらしい。コーヒーを飲みながら、ただパフェを頬張る千歳をにこにこと眺めて幸せそうにしている。

 コーヒーだけで幸せそうにしている蒼真の気持ちが、この時の千歳にはまだ理解できなかった。

 人生初めてのパフェは、大切にゆっくりと食べたつもりだったが、あっという間に胃袋の中へと消えてしまった。
 また食べてみた。そう口にする前に「また一緒に来ましょう」と蒼真が言ってくれて、千歳は迷わず頷いてしまった。
 甘い誘惑には敵わない。

「ところでその後、家内の様子は大丈夫ですか?」
「え?」
「龍泉家の……いや、ほぼオレの意向で花嫁の変更を拒否してしまったから。そのせいで、君の実家での立場が悪くなっていたらと心配で」
「なにもないので大丈夫ですよ」

 千歳にだけ母の当たりが強いのは今に始まったことではないし。特にあれがきっかけで起きた不都合はなかった。
 姉との仲も変わらず平和だ。最近はすっかり健康になって、元気な姉の姿が見れるので安心している。

「そっか、何事も起きてないならよかった。もし、困ったことがあったら遠慮無く教えてほしい。君は、オレの大切な花嫁になる人だ」
「ありがとうございます。お気遣い痛み入ります」

 本当に、こんななんのとりえもない自分を花嫁だからと大切に扱ってくれる蒼真には感謝しかない。
 そう思い千歳は神妙な表情で頭を下げた。

「……そろそろ、お互いに敬語はやめにしない?」
「え?」

 突然の提案に千歳はきょとんとしてしまった。

「まだ式は先だけど、結婚すれば夫婦になるんだ。オレは君と打ち解けた関係になりたい」
「蒼真さま……けれど、わたしたちは夫婦になるとはいえ、身分が違いすぎます。それに妻は夫に敬うもの。わたしはそう教えられてきましたので……」

 ただし千歳の母は、まったく父を敬ってる姿をみたことがないので、これは本や女学校にて知識として得た考えでしかないのだが。

「身分なんて関係ない。オレは君と、対等な夫婦になりたい。病めるときも健やかなるときも寄り添っていられるような」

 対等なんて恐れ多い。それが千歳の素直な感想だった。
 お互いの理想の夫婦像など今まで語ったことなかったが、自分たちの考えにはズレがありそうだと千歳は思った。

「善処はしますが……」

 いきなり高貴な人にため口は居心地が悪い。
 そもそも夫婦になるという感覚が千歳には未だ実感もなく、良く分からなかった。今更だが。

 仕来りのため事務的に嫁ぎ子をなし龍神様からの加護を受けるために貢献する。
 かつて龍神様に仕えていた巫女の家系の娘としての義務。
 この結婚をそんな風にしか考えてこなかったからかもしれない。

「千歳さん」
「っ!」

 テーブルの上に置かれていた手に、そっと手を重ねられた。
 初めて触れられたことに驚いて、思わず千歳は身を竦めた。
 ただ手を握られただけ……けれど、紳士で清廉潔白を絵に描いたような彼が、結婚前に触れてくるとは思わなかった。

「改めて、これからよろしくね。オレの花嫁」

 なぜだろう。握られた手には力など入っていないのに……もう逃げられない。千歳はそんな気がした。