補欠の花嫁は許嫁の愛に気づかない

 姉は昔から人を、特に異性を虜にさせる才能のある人だった。

 近所の男の子たちも、昔家に住み込みをしていた書生のお兄さんも、皆姉に興味を惹かれ微笑まれれば夢中になってしまう。そんな光景を幼い頃から見続けてきた千歳は、それが普通のことだと思っていた。

 だから蒼真と紗江子の結婚話も、姉の微笑み一つですんなりと受け入れられ進むと思っていたのに……。


◇◇◇◇◇


 昼過ぎに珍しく血相を変えた様子の蒼真が、白波家へとやってきた。

 それは龍泉家へ嫁ぐ娘を、千歳から紗江子に変更することに決まった翌日のこと。

 今朝、さっそく失礼の無いようにと、父はお伺いの文を先方へ届けるよう使いを出していたのを紗江子は知っていた。
 なので玄関で使用人が誰かとやりとりをしているのをみつけ、待ち人が来たとそちらへ向かった。

「まあ、蒼真さま。会いに来てくださったのですね」

 そこには思った通りの訪問者の姿があったので心が弾む。しかし。

「千歳さんはいますか? 今すぐ彼女と話がしたいんです」

 蒼真の開口一番は、目の前にいる紗江子のことなどまるで眼中に無い一言だった。

「あ、あの、父からの文を見て来てくださったんですよね?」
「そうです」
「なら、話しはわたくしが伺いますわ。だって、わたくしが今日から蒼真さまの許嫁になったんですもの」
「……悪いけど、あがらせてもらうよ」
「えっ、蒼真さま!?」

 蒼真は紗江子じゃ話しにならないと言いたげに、一応そう一言声を掛けたうえで家の中へと踏み込んできた。
 紗江子も慌てて後を追いかけようとしたのだが。

「着いてこなくて大丈夫ですよ。千歳さんの部屋まで、一人で行けますから」
「なっ!」

 そう言って蒼真は紗江子を制してきた。微笑を浮かべているのに、その目は冷ややかで紗江子は自分が拒まれていると感じ、その場から動けなくなったのだった。


◇◇◇◇◇


「千歳さん」
「えっ、蒼真さま!?」

 自室で読書をしていた千歳は突然の元婚約者の訪問に驚き、持っていた小説を落としてしまう。

(も、もしかして、昨日の靴擦れを心配してわざわざ来てくれたとか? それとも婚約が解消されたから、最後にお別れのご挨拶をしに?)

 律儀な蒼真ならありえる。

「あ、あの、わたしならもう大丈夫ですから」

 ドア越しに焦りながらも、千歳は声が上擦らないように慎重に答えた。

「君が良くても、オレが大丈夫じゃない。話し合おう。ドアを開けてくれませんか」
「えっ……そ、それはちょっと」

(今はむり!)

 気を抜いていた千歳は、部屋でくつろぎ今とても見せられる格好ではない。

 寝癖のついた長い髪は適当に横で結っているし、格好も昼過ぎなのに寝間着のままだ。そして読書の時だけいつも千歳はしゃれっ気の無い黒縁丸眼鏡を掛けている。それもあまり見てくれが良くない。

 こんな姿を見られたら、姉を模倣して積み上げてきた自分の印象が覆ってしまうだろう。

(あ、でも、もうどうせ婚約者じゃないんだから、取り繕う必要はない?)

 一瞬そう過ったが、しかし仮にも嫁入り前の乙女として、殿方それも元許嫁にこんな姿は見られたくない。
 それぐらいの恥じらいは千歳も持っている。

「少しで良いんだ。顔を見せてくれませんか」
「今は、ちょっと……すみません」

 せめて着替える時間が欲しいと思った。
 それぐらい紳士な蒼真なら待っていてくれるだろうと。しかし……。

「すまないが、失礼するよ!」
「えぇ!?」

 少し待っていてと頼む前に、しびれを切らせた蒼真が部屋に入ってきた。

「千歳さん、なぜオレを避けようとするのですか?」
「さ、避けたわけでは……」

 身嗜みに手を抜いたこんな姿を見られてしまい、千歳は絶望を感じたのだが……蒼真はそんなこと気にも留めていない様子だった。

「今朝、千歳さんの父君から文書が届きました」
「はい、存じています」
「この婚約解消は、君の意向でもあるのですか?」
「いえ、それは……」

 自分はただ家族の意見に流されただけに過ぎない。

「もし、オレに気に入らないところがあったなら教えて欲しいです。直すと誓いますから!」
「そんなっ、蒼真さまに悪いところなど一つもありません」

 いつも穏やかな蒼真に言い募られ、千歳は戸惑いながら思いを口にした。
 本当に彼は自分にはもったいないぐらいの聖人なのだ。直して欲しいところなんて……。

 もしかしたら、彼は突然の婚約解消にショックを受けたのかも知れない。

 自分と剛太郎の婚約解消も突然起きたことだったが、なんの問題もなかったため甘く考えていた。

 けれど、仕来りにより決まった結婚とはいえ、昨日まで良い関係を築いていたのに、確かにこの仕打ちは動揺するのが普通の反応だろう。

「驚かせてしまってごめんなさい、蒼真さま。我が家から送り出す花嫁が変わったのは、蒼真さまに不満があったからとかではないんです」

「……文にも経緯は軽く書いてありました。紗江子さんの体調が改善したのが理由だと。でも、オレは君の意思が知りたかったんだ」

「わたしの意思?」

「お姉さんのことがなければ、君はこのままオレと結婚することに不満はなかった?」

「もちろんです」

「そうか、よかったです……君がオレとの結婚を嫌がっていたわけじゃないと知れて」

「嫌がってなんて、いないです。ただ、姉が元気になったから……」

「けど、それなら婚約者を変える必要なんてない。君に結婚できない理由が出来たわけでもないのだから」

 それはそうだけれど……。

「そうだ、約束していたパフェ。いつ食べに行こうか。君の足の調子が戻ったならいつでも」
「え、でも……」
「オレの花嫁が君から紗江子さんになる話しは拒否します。それが龍泉家からの答えだ」
「っ!」

 互いの家の許嫁がコロコロ変わるのは世間体が悪いと、蒼真はこちらを諭すように言った。
 確かにそうかもしれない。それはそうだが。

「だから、千歳さん。これからも、オレの花嫁は君でいてくれるね?」

 彼はいつものように、優しく穏やかに、決して無理強いすることなく千歳にそう問いかけてくれた。それなのに千歳はそれを受け入れる以外の選択をしてはいけない気がした。

「……はい」
「そう、よかったです」

 千歳の返事を聞いて、ようやく彼はほっと胸を撫で下ろしていたのだった。