蒼真に誘われ街に出掛けることになった日。
普段着ではいけないと思いつつ、質素な着物しか持っていない千歳は溜息を一つ零した。
まさか見合いの日に来たような仰々しい着物ではやり過ぎだし、普段着では地味過ぎる。
丁度良いよそいきの格好がしたいのに……姉ならばそういった服を持っているだろうか。
病に臥せってからは外に出られなくて可哀相だからと、親しい友人らしい男性陣から洋服や宝飾品などを贈られているところをしばしば見てきた。
貸して欲しいと頼んでみよかと少しだけ思ったのだが。
(……止めておこう)
姉は細身で自分は中肉中背、身長も違う。借りても似合わない気がした。
それにあれは姉の友人が、姉に着て欲しくて贈った物なのだ。自分がそれに袖を通すのは、申し訳ない気持ちもする。
「う~ん、これで……いっか」
持っている中では一番新しい袴を引っ張りだし着付けた。姿見の前でおかしな所がないか確認してみる。
華やかさはないけれど、これなら相手に恥を掻かせることもないと思う。
「いけない! もうこんな時間!」
時計を確認して、約束の時間に遅れてしまうと慌てて玄関に向かった。
「あら、千歳。そんなに急いで、どこかへお出かけ?」
玄関で草履を履いていると紗江子に声を掛けられた。
本当に姉は主治医がみつけた薬のおかげで日に日に元気になってゆく。少し前まで部屋から出られない日々が続いていたのに、喜ばしいことだ。
「ええ、蒼真さまと街で会う約束をしていて」
「あら、そうなの……」
紗江子は千歳の全身を上から下まで見定めるように何度か視線を這わせてくる。
「姉さん?」
なんとなくその視線が居心地悪くて千歳はたじろいだ。
「ねえ、そんな古くさい草履を履いていくの?」
「っ……この袴には、これがいいかなって」
古くさい。そう言われても、これが自分が持っている履き物の中では一番新しい、一応お気に入りのものだった。
けれど他人にはそう映るのだなと思ったら恥ずかしくなって、千歳は俯きながら「これしかなくて」と苦笑いを浮かべる。
「えぇ? 可哀相に」
紗江子に悪気はないのだろうけど、同情の滲む声で言われると惨めな気持ちになってしまう。
「そうだわ。わたくしの革靴を貸してあげる」
「えっ」
「お友達から贈り物として貰ったのだけど、まだ一度も履いていないものよ」
そう言って紗江子が出してくれたのは、傷一つ無い新品の革の編み上げブーツだった。
「どうぞ、履いてみて?」
「で、でも、いいの?」
「良いわよ、これを履いて蒼真さまとの時間楽しんで来なさいな」
背中を押され、千歳は感謝しながらそれを履いてみたのだけれど。
「……わたしにはきつくて足が少し痛いかも」
残念だけど、と姉の優しさにお礼を言いつつ、ブーツは諦めようと思った千歳だったが。
「あら、ブーツなんてそんなものよ。そのうち足になじんで痛みも消えるわ」
「そ、そういうもの?」
「ええ、ほら、早くいってらっしゃい。約束に遅れてしまうんじゃない?」
「え、わぁ、大変。本当だ、もう行かなくちゃ」
千歳は途中で足がもっと痛くなったらどうしようかと少し不安だったが、時間がないのと、やはり姉からの優しさを無下にはできなくて、ブーツを履いて出掛けることにした。
「それじゃあ、いってきます。姉さん、ありがとうね」
「ええ、気にしないで。いってらっしゃい…………蒼真さまとの最初で最後のランデブー、楽しい思い出が残ると良いわね」
最後にぼそりと呟いた紗江子の意味深な言葉は、千歳の耳には届かなかった。
◇◇◇◇◇
「蒼真さま、お待たせしてしまってごめんなさい!」
急いで向かったつもりだったが、待ち合わせ場所だった広場の時計塔にはすでに蒼真の姿が。
「そんなに慌てなくて大丈夫ですよ。オレも今着いたところだ」
和装を涼やかに着こなす美丈夫がこちらに気付き微笑む。
その瞬間、丁度近くを通り掛かった女学生数人が、甘い吐息を漏らし彼に見蕩れている。
そんな蒼真を見てどんなに着飾っても、この人の隣を歩くのに相応しい女性に自分はほど遠いなと思ってしまった。
(はぁ……早く帰りたい)
絶対に口に出しては言わないが、これが千歳の本音だった。
いつも蒼真といて思うことは、「早くこの時間から解放されたい」とこればかり。
(しんどい。けど、しんどい気持ちを顔に出さないように愛想笑いをすると、余計にしんどい)
そして疲れが蓄積してゆく。悪循環だった。
でも龍泉家の花嫁になる娘として粗相の無いように、少しでも彼に釣り合うよう清楚で可憐な姉を模倣してがんばるしかない。疲れるけれど……仕方ない。
「今、帝国劇場で外国劇をやっているんだけど、まずはそれを見に行きませんか?」
「わぁ、帝国劇場なんて初めて行きます!」
帝国劇場で行われる観劇はどれも人気で、一般人ではなかなか入場券を手に入れられないのに。思わず素で目を輝かせてしまった千歳を見て、蒼真はふっと柔らかな笑みを浮かべた。
(いけない、もっとお淑やかな喜び方をすればよかったかな……)
我に返ったがもう遅い。
「喜んでもらえてよかった」
「はい、嬉しいです。ありがとうございます」
本当は飛び上がりそうなほど嬉しかったが、千歳は今度こそ感情を押し込めて控え目に頭を下げて礼を伝えた。
「それじゃあ行こうか」
「はい……っ」
「千歳さん?」
(うっ……やっぱり足が痛いかも。姉さんはすぐに慣れるって言っていたけど)
ここに来るまで急ぎ足だったせいで擦れたのか、ますます痛みが増している。
だが今更、足が痛いからと履き替える靴もないし……。
「なんでもないです。行きましょう」
千歳は足の痛みを悟られないよう、淑やかな足取りで平静を装い歩き出したのだった。
普段着ではいけないと思いつつ、質素な着物しか持っていない千歳は溜息を一つ零した。
まさか見合いの日に来たような仰々しい着物ではやり過ぎだし、普段着では地味過ぎる。
丁度良いよそいきの格好がしたいのに……姉ならばそういった服を持っているだろうか。
病に臥せってからは外に出られなくて可哀相だからと、親しい友人らしい男性陣から洋服や宝飾品などを贈られているところをしばしば見てきた。
貸して欲しいと頼んでみよかと少しだけ思ったのだが。
(……止めておこう)
姉は細身で自分は中肉中背、身長も違う。借りても似合わない気がした。
それにあれは姉の友人が、姉に着て欲しくて贈った物なのだ。自分がそれに袖を通すのは、申し訳ない気持ちもする。
「う~ん、これで……いっか」
持っている中では一番新しい袴を引っ張りだし着付けた。姿見の前でおかしな所がないか確認してみる。
華やかさはないけれど、これなら相手に恥を掻かせることもないと思う。
「いけない! もうこんな時間!」
時計を確認して、約束の時間に遅れてしまうと慌てて玄関に向かった。
「あら、千歳。そんなに急いで、どこかへお出かけ?」
玄関で草履を履いていると紗江子に声を掛けられた。
本当に姉は主治医がみつけた薬のおかげで日に日に元気になってゆく。少し前まで部屋から出られない日々が続いていたのに、喜ばしいことだ。
「ええ、蒼真さまと街で会う約束をしていて」
「あら、そうなの……」
紗江子は千歳の全身を上から下まで見定めるように何度か視線を這わせてくる。
「姉さん?」
なんとなくその視線が居心地悪くて千歳はたじろいだ。
「ねえ、そんな古くさい草履を履いていくの?」
「っ……この袴には、これがいいかなって」
古くさい。そう言われても、これが自分が持っている履き物の中では一番新しい、一応お気に入りのものだった。
けれど他人にはそう映るのだなと思ったら恥ずかしくなって、千歳は俯きながら「これしかなくて」と苦笑いを浮かべる。
「えぇ? 可哀相に」
紗江子に悪気はないのだろうけど、同情の滲む声で言われると惨めな気持ちになってしまう。
「そうだわ。わたくしの革靴を貸してあげる」
「えっ」
「お友達から贈り物として貰ったのだけど、まだ一度も履いていないものよ」
そう言って紗江子が出してくれたのは、傷一つ無い新品の革の編み上げブーツだった。
「どうぞ、履いてみて?」
「で、でも、いいの?」
「良いわよ、これを履いて蒼真さまとの時間楽しんで来なさいな」
背中を押され、千歳は感謝しながらそれを履いてみたのだけれど。
「……わたしにはきつくて足が少し痛いかも」
残念だけど、と姉の優しさにお礼を言いつつ、ブーツは諦めようと思った千歳だったが。
「あら、ブーツなんてそんなものよ。そのうち足になじんで痛みも消えるわ」
「そ、そういうもの?」
「ええ、ほら、早くいってらっしゃい。約束に遅れてしまうんじゃない?」
「え、わぁ、大変。本当だ、もう行かなくちゃ」
千歳は途中で足がもっと痛くなったらどうしようかと少し不安だったが、時間がないのと、やはり姉からの優しさを無下にはできなくて、ブーツを履いて出掛けることにした。
「それじゃあ、いってきます。姉さん、ありがとうね」
「ええ、気にしないで。いってらっしゃい…………蒼真さまとの最初で最後のランデブー、楽しい思い出が残ると良いわね」
最後にぼそりと呟いた紗江子の意味深な言葉は、千歳の耳には届かなかった。
◇◇◇◇◇
「蒼真さま、お待たせしてしまってごめんなさい!」
急いで向かったつもりだったが、待ち合わせ場所だった広場の時計塔にはすでに蒼真の姿が。
「そんなに慌てなくて大丈夫ですよ。オレも今着いたところだ」
和装を涼やかに着こなす美丈夫がこちらに気付き微笑む。
その瞬間、丁度近くを通り掛かった女学生数人が、甘い吐息を漏らし彼に見蕩れている。
そんな蒼真を見てどんなに着飾っても、この人の隣を歩くのに相応しい女性に自分はほど遠いなと思ってしまった。
(はぁ……早く帰りたい)
絶対に口に出しては言わないが、これが千歳の本音だった。
いつも蒼真といて思うことは、「早くこの時間から解放されたい」とこればかり。
(しんどい。けど、しんどい気持ちを顔に出さないように愛想笑いをすると、余計にしんどい)
そして疲れが蓄積してゆく。悪循環だった。
でも龍泉家の花嫁になる娘として粗相の無いように、少しでも彼に釣り合うよう清楚で可憐な姉を模倣してがんばるしかない。疲れるけれど……仕方ない。
「今、帝国劇場で外国劇をやっているんだけど、まずはそれを見に行きませんか?」
「わぁ、帝国劇場なんて初めて行きます!」
帝国劇場で行われる観劇はどれも人気で、一般人ではなかなか入場券を手に入れられないのに。思わず素で目を輝かせてしまった千歳を見て、蒼真はふっと柔らかな笑みを浮かべた。
(いけない、もっとお淑やかな喜び方をすればよかったかな……)
我に返ったがもう遅い。
「喜んでもらえてよかった」
「はい、嬉しいです。ありがとうございます」
本当は飛び上がりそうなほど嬉しかったが、千歳は今度こそ感情を押し込めて控え目に頭を下げて礼を伝えた。
「それじゃあ行こうか」
「はい……っ」
「千歳さん?」
(うっ……やっぱり足が痛いかも。姉さんはすぐに慣れるって言っていたけど)
ここに来るまで急ぎ足だったせいで擦れたのか、ますます痛みが増している。
だが今更、足が痛いからと履き替える靴もないし……。
「なんでもないです。行きましょう」
千歳は足の痛みを悟られないよう、淑やかな足取りで平静を装い歩き出したのだった。

