補欠の花嫁は許嫁の愛に気づかない

「千歳さん、今日の体調はいかがですか?」
「変わらず、ですね……今日も頭痛がひどくて」

 その日の夜も、いつものようにやってきた山城は千歳を診察した後、いつもの薬をだしてくれる。

「薬を飲めば痛みも和らぐはずだ。起きられるかい?」
「はい……」

 山城は千歳が起き上がるのに手を貸してくれた。
 千歳は薬と白湯を受け取り、けれど薬を眺め少しだけ表情を強張らせた。

「千歳さん?」
「……ごめんなさい、このお薬本当に苦くて。毎回飲む前に覚悟がいるんです」
「そうだね。飲みずらいだろが、これも君の身体のだめだ」
「はい……っ」

 千歳は意を決して薬を飲む姿を山城に見せた。
 それを見届け山城は「いい子だ」と千歳の頭を撫で部屋を出て行ったのだった。


◇◇◇◇◇


「紗江子さん、お待たせ」
「遅いわ、待ちくたびれちゃった」

 千歳を診た後、いそいそと帝国ホテルのレストランにやってきた山城を見て、紗江子は思わずため息が零れた。

 本当は蒼真に連れてきて欲しかったのに、千歳の容態があんなになってもなお彼は紗江子に靡いてこない。憎らしい。

 長身だがひょろりとしていて猫背な山城じゃ、正直に言って自分と見た目が釣り合わない。
 男としてまったく興味が持てない相手だったが、彼は分かりやすいぐらい自分にご執心なので、たまにはこうして相手をしてやることにしている。医師であることもあり、利用価値はそれなりに持っている男だから。

「それで、千歳は今日もちゃんと大人しく薬を飲んでいたの?」
「もちろんさ。心身ともに弱っているから、彼女はもうぼくの言いなりだ」
「ふーん、なら……もっと強い毒を盛ってよ」
「え……いや、さすがにそれは、千歳さんが死んでしまうよ。紗江子さんだって、妹を殺したいわけじゃないだろう? 蒼真殿の花嫁になるのに邪魔だったから、自分が結婚するまで彼女を弱らせておく作戦だったじゃないか」

 そうだが、その作戦が思うようにいっていないのだ。
 いつまでたっても蒼真は紗江子を花嫁として受け入れてくれない。
 いっそのこと千歳が死んでくれないと、諦めてくれないんじゃないかと思うぐらいだ。

「いくじなしね。わたくしのためなら、あなたはなんだってしてくれるんじゃなかったの?」

「なんだってするとも! 今までだって紗江子さんのためならなんだってしてきたじゃないか! 剛太郎殿との結婚は嫌だというから、嘘の診断書を作ってあなたを守った。病気のフリをする必要がなくなれば、完治したとお墨付きを出し、あなたの結婚の邪魔になるあの子には毒だって盛ってるというのに。まだ、ぼくの誠意が伝わっていないのかい! ぼくはこんなにあなたに夢中だというのに!」

(気持ち悪い男)

 早口で捲し立てる山城を見て反吐が出そうになったが、紗江子はそれを堪え人好きのする微笑みを浮かべた。
 いつものように上品に、愛らしく映るように。

「感謝してるわ、先生。だから、約束してあげたじゃない。今回のことが成功したなら……わたくしが蒼真さまのお嫁さんになれたなら、あなたを一生わたくしの主治医として傍においてあげるって」
「ああ、紗江子さん。約束ですよ、一生あなたのお傍に」
「でも、今のままでは叶うかどうか。まだ、蒼真さまは千歳との婚約を解消していないもの」

(なんでなの、蒼真さま。あなたに相応しい花嫁は、どう考えてもわたくしよ)

 苦虫を嚙み潰したような顔をした紗江子を見て、山城が慌てる。
 彼と結婚できなければ、自分との約束も破棄されると焦っているのだろう。ここまで罪を犯して尽くしてきたのに、と……。

「だ、大丈夫です、紗江子さん。ぼくが、なんとかしてみせますから」
「なんとかって、どうやって?」
「任せてください。あの子はもう、ぼくの言いなりなんです。ぼくが言えばきっと……」

 ニタニタとなにか企む笑みを浮かべる山城を、気味が悪いと心の中で罵りながらも、紗江子は「じゃあ、任せるわ。お願いね」とだけ言っておいた。

 自分の手を汚さないで邪魔者を排除できるなら、どうでもいいから。
 それが紗江子の本性だった。


◇◇◇◇◇


 蒼真に「オレを信じてほしい」と言われた夜から、彼は毎晩こっそりと屋根裏を通って千歳に会いに来てくれるようになった。
 千歳はそれを励みに闘病生活に耐え、それから数日が経った夜のことだ。

「千歳さん、気分はどうかな」
「いつもと同じです、先生。体が重くて、頭が痛くて」

 布団の中からそう答えると、主治医の山城は「それは辛かろう」と同情的な眼差しを向けてくる。

「さあ、少しでもきみが楽になる薬だよ。飲みなさい」

 千歳はそれを素直に受け取り起き上がった。

「先生……わたしの体調不良は、いったいいつまで続くのでしょう」
「千歳さん……残念だけど、もう完治は無理かもしれない」
「そんな……」
「きみには酷な話だと思うけど、きみの病はもう治らないんだ」

 言葉を失っている千歳へ、諭すように山城は続けた。

「だから……自分は蒼真殿には相応しくない。婚約を解消させてほしいと彼に直接言いなさい」
「え……」
「きみは今、紗江子さんの結婚を妨害している邪魔な存在なんだよ」
「邪魔……姉さんがそう言っているんですか」

 驚きを隠せないでいる千歳に、それは違うと山城は首を横に振った。

「紗江子さんは心優しいから、そんなことは思わないだろう。けど、蒼真さまは病気だからときみを見捨てることはできないと同情心から、きみとの婚約を解消できずにいる。分かるね、役立たずのきみがこの家のためにすべきことがなんなのか」

 黙って頷く千歳を見て、山城は満足そうな表情を浮かべる。それでいいのだと言いたげに。

「今夜これから、この家で両家が話し合う会合を開くそうだ。少しの間だけ布団から出られるぐらいには回復できる栄養剤をあげるから、その会合の席に出席して言うんだ。蒼真殿に相応しいのは自分ではなく紗江子さんだと」

 栄養剤を受け取ると、また千歳は黙って素直に頷く。

(ついに、この時が来たのね)

 そう心の中で覚悟を決めながら、渡された薬は飲んだフリをして両家の会合に向かったのだった。