補欠の花嫁は許嫁の愛に気づかない

 あれからまた数日経ったが、千歳の容態はまったくよくならない。
 酷い倦怠感と頭痛により、布団から出られない日々が続いていた。

「千歳、今日も顔色が良くないわね。可哀そうに」
「姉さん……体が、鉛のように重たくて、頭が割れそうに痛むの」
「辛いわね、大丈夫よ。きっと山城先生が良い薬を見つけてきてくださるわ」

 気遣わしそうに千歳の顔を覗き込む紗江子は、真新しいワンピースに髪も整えめかしこんでいた。

「姉さん……きれい」

 部屋の天井ばかりみている日々なので、そんな紗江子に見惚れ千歳は心が和らいだのだが。

「ありがとう。これからちょっと、蒼真さまと、ね」
「え……」

 紗江子は少し申し訳なさそうにしながらも、頬をわずかに赤らめ微笑む。

「彼が、これから夫婦になるのだから、もっとわたくしのことを知りたいって言ってきて……夜に帝都ホテルでディナーの予約を取ってくれているの」
「そう、なの……」
「なにも心配しないでね、千歳。大丈夫、わたくしと蒼真さまは順調よ」

 言葉が見つからなくて、千歳は横になったまま黙って頷くしかなかった。





 夜になり、紗江子は出かけて行った。
 今頃は、蒼真と美味しいものを食べながら笑い合っているのだろうか。

 ――オレの花嫁は君だけだよ。誰がなんて言おうと。

(あれはやっぱり、夢だったのかな)

 見飽きた天井を眺めながら、カサカサの唇に指先で触れる。

 情熱的な蒼真に口づけられたあと少しの会話をして、千歳は薬のせいで深い眠りについてしまった。
 朝目が覚めた頃には彼のいた痕跡もなく、あれから一度も蒼真とは会えていないので確かめようもない。

(姉さんは蒼真さまと順調だと言っていたし、あれはわたしの願望が見せた幻だったのかも)

 ついに夢と現実の区別もつかなくなってきたなら、本気で危ないと不安にさいなまれる。
 身体だけじゃなく、心まで随分と弱ってきてしまったようだ。

(わたし、この先どうなってしまうんだろう……)

 弱気になってはいけないけど、食欲もなく水分を取るのもやっとの状態。
 いつまで生きていられるんだろうと、そんな恐怖が過る。

 健康だけが取り柄なんて卑屈になっていた過去の自分に教えてあげたい。
 自分がどれだけ幸せだったのかということを。

「っ……」

 もうすぐ山城が薬を持ってきてくれる時間だ。
 泣き顔を見られたくないと思ったが、いろんな感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い涙が止まらない。

「千歳、どうしたの?」
「え?」

 自分しかいないはずの部屋で声がして固まる。

「何かあった? ごめんね、数日会いに来れなくて」
「蒼真、さま……姉さまとご飯を食べに行く約束は?」

 先日見た夢の続きみたいに、天井裏から降って来た蒼真が「食事?」と首を傾げる。

「姉さんが、今夜は帝都ホテルで蒼真さまとお食事だって」
「へー、オレはそんな約束した覚えはないけど。君のお姉さんは、いったい誰と食事の約束をしていたんだろうね」

 どういうことか分からないが、蒼真が今目の前にいるということは間違いなく事実。
 ならば紗江子が嘘を吐いていた? なんのために?

「もしかして、オレがお姉さんと食事に出かけたんじゃないかって思って、泣いていたの?」

 千歳の涙の跡をそっと指で撫でながら蒼真が聞いてくる。
 それだけじゃないけれど……しかし、心細くなったきっかけはそれだったかもしれない。

「だとしたら杞憂だよ。言っただろ、オレの花嫁は君だけだ」
「っ!」

 やはり先日のあれも夢ではなかった。そこで千歳はようやくそう確信できた。
 今日はまだ夜の薬を飲んでいないので、この前より意識がはっきりしているおかげもあるかもしれない。

「嬉しいですけど……こんな体じゃ、あなたの花嫁には」
「そのことなんだけど、一つお願いがあるんだ」
「お願い?」

 なにを頼まれるのかと思えば、蒼真はそれを誰にも聞こえないようにと、そっと千歳の耳元で告げた。

「……えっ、でも!」

 そのお願いの内容は、千歳にとってあまりにも予想外な……場合によっては命に係わるお願いだった。でも。

「怖いかもしれないけど、オレを信じてほしい」
「……分かりました。蒼真さまがそうおっしゃるなら」

 蒼真がここまでいうなら、命を賭けてもいいと千歳は頷いたのだった。