三日後の朝、俺の2010年式シボレーは██村へ向かっていた。
助手席で木田が「左ハンドルなんてよく乗りますね。俺は怖くて無理だな。まあ免許ないから右ハンドルも無理ですけど」などとくだらない話をしていたが、高速を降りてからは静かになった。
ダッシュボードに載せた後付けナビが示すルートは、県道に逸れてからずっと山道だ。対向車とすれ違うのも難しいような細い道を、擦り傷だらけのシェビィはゆっくりと進んでいく。
どこまで走っても変わらない風景に飽きたのか、木田はサービスエリアで買い込んだ戦利品を膝に広げ始めた。地域限定のポテトチップス、ご当地キャラメルパイ、謎のゆるキャラの焼印が押された饅頭。
「松平さん、ご当地ポテチ食べます?」
「いらない」
「じゃありんごキャラメルパイは」
「運転中」
「なら、地元ベーカリーの焼きそばパン?」
「お前は遠足か」
「やだなぁ、れっきとした取材旅行ですよ。でも限定って書いてあるとつい買っちゃうんですよね」
そう言いながら、悪びれもせず袋を開ける。細い体のどこに入るのか、こいつは本当によく食べる。編集部でも常に何か口に入れている印象があるが、腹が出る気配はまったくなかった。
窓の外には杉林が続いている。ときおり廃屋らしい建物が、木々に埋もれるように立っているのが見えた。
「そういえば、この辺りって登山で有名だったりします?」
「どうだろうな。なんで?」
「██村って名前、聞き覚えがあると思ったんですよ。思い出しました。何年か前、登山のリサーチしたときにネットで見た地名だ」
「木田くん、登山なんてするのか」
「しないですよ。登山特集の企画があったんだけど、結局ぽしゃっちゃって。俺は山小屋グルメ担当になるはずだったから、あのときは辞表叩きつけてやろうかと思いましたね」
「へえ」
「で、そのとき見た登山SNSに、直売所でくるみだれのそば団子売ってるって書いてあったんです。注文してから炙るから香ばしくて最高、って。書き込みは古いんですけど、今も買えるのかな」
「……それで覚えてたのか?」
「いえ、それだけじゃないです。手作りこんにゃくの田楽もおいしいらしいんです。あとで調べてみますね。帰りに寄りましょう」
「本当に食うことしか頭にないな」
俺は窓の外に目をやった。脇道に逸れてから対向車が一台も来ていない。明らかに人の住んでいない空き家を何軒か通り過ぎるうちに、この先の集落で人が暮らしているという実感が薄れていく。
廃墟取材をするたびに考えていたことを、ふと口にした。
「なあ木田くん。こういうどこにでもある空き家も、言ってみれば廃墟だよな」
「まあ、シュークリームはオーブンで焼くから焼き菓子だ!みたいな強引さはありますけどね」
「……いつの間にかスポット化する廃墟と、こういうどこにでもある空き家。何が違うんだろうな」
「うーん……」
木田はポテトチップスの袋に手を突っ込んだまま、しばらく考え込んだ。
「途切れ方、とかですかね?」
「途切れ方?」
「空き家って、住んでた人が終わったからいったん終わった、って気がしませんか? ひとりで住んでいたおじいちゃんが死んだとか、いつか戻ってくるつもりで家族で引っ越したとか。いったんちゃんと終わりが来て、そのあと誰かが入居したら、また家の歴史が始まる、みたいな」
「ああ、なんかわかる気がする」
「でも廃墟って、まだ続くはずだったのに途切れてる感じがするんですよね。普通じゃない終わり方をした気配だけが残ってる、っていうか」
「……なるほど」
「あとは……周りの人間が目を逸らしているかどうか、とか?」
そう言いながら木田は、空になったポテトチップスの袋を逆さにして、底に残った欠片を一粒残らず口に落とした。
「空き家って、まだ誰かが気にしてるじゃないですか。売ろうとか、壊して駐車場にしようとか、リノベしたらカフェでもできるんじゃないかとか。でも廃墟は誰も関わりたがらない。みんな忘れてないのに、存在ごと放置されて、なんていうか……」
ポテトチップスの袋を畳んでビニールに入れ、今度は焼きそばパンの包みを開ける。
「みんな、目を逸らしてるんですよ。そこにあるのに、指差しちゃいけない、みたいな」
「不自然に途切れて、指差してはいけない……」
木田はパンに齧り付き、満足そうに頷いた。廃墟の話への同意か、焼きそばパンへの評価か。多分後者だ。
「でも、だからこそ廃墟って、人を惹きつけるんじゃないですかね。続きがあるはずだった場所なのに、みんな忘れたふりをして、語らない。もし自分がその関係性の外側にいるとしたら──つまり、絶対に火の粉が降りかからない安全な場所にいるのなら──無責任に覗いてみたくなりませんか?」
俺は黙って頷いた。なんだか居心地が悪くなり、窓を下げて外気を入れる。
「ところで松平さん、これ録音できます?」
焼きそばパンの上に固まっている紅生姜を全体に広げながら、木田がICレコーダを顎でしゃくった。どこを食べても紅生姜の味がするようにしたいらしい。
「ああ、メモリはまだ十分にある」
「じゃあ、今のうちに録音しながら整理しておきましょうか。これまでわかってること」
俺が頷いたのを見てから、木田は録音ボタンを押した。
赤いRecランプが点り、俺は話し始めた。
「まず、日記の書き手は太田大輔。██村立██小学校一年。19██年当時で六歳。あの廃墟となった家の息子だろう」
「友達が四人いて、全部で五人の仲良しグループだったみたいですね」
「で、19██年八月十一日、この五人全員が行方不明になってる。うち四人は公式には山で遭難死扱い。でも遺体は出ていない」
「大輔君だけが、四日後に戻ってきた」
「しろいところって書いてあったのは──おそらく、病院のことだろうな。そこで日記を再開してる」
木田が助手席で腕を組んだ。その手には、いつの間にか空になったゆるキャラ饅頭の袋が握られていた。いつ食べたんだ。
「日記は戻ってきた後から、明らかにおかしくなってる。いなくなった友達のことを書いてるうえ、その内容も奇妙だ。『土の中にいる』とか、『顔が長くなった』とか。一人称も『ぼく』から『わたしたち』になって、書き手本人であるはずの大輔くんのことも、客観的に書くようになった」
「絵も変わってましたよね。六人に増えて、一人だけ、顔が塗りつぶされている」
「ああ……まるで、誰かが加わったみたいだな」
木田が黙った。二個目の饅頭に伸びた手が一瞬止まる。それから迷いを振り切るように、わざとらしい声でナレーションを始めた。
「かくして、孤高の廃墟ルポライター松平洋司とその右腕である敏腕編集者の木田惣一郎は、謎のヴェールに包まれた二冊目の日記を求め、命がけで██村へ向かうのであった……と」
「命がけではないし、右腕でも敏腕でもない」
木田は神妙な顔を作って頷き、今度はりんごキャラメルパイの箱を開ける。
「それと、地元の人に話を聞けるといいんだが。三十年前に何があったのか、知っている人物がいれば……」
「話してくれますかね」
「さあな。でも何か隠してるなら、それはそれでネタになる」
カーナビが「目的地周辺です」と告げた。そのままジジッと不快な音がして液晶にノイズが入り、画面が濃いグレーに反転する。
石器時代のナビがついに誤作動を始めたようだ。俺は舌打ちして「寿命かよ」と呟いた。
山道を抜けると、急に視界が開けた。
小さな集落が見える。古い家屋が点在していて、人の気配はほとんどない。秋晴れの日だというのに、洗濯物を干している家は一軒もなかった。
道端に軽トラが停まっていて、その傍らで年配の女性が畑仕事をしていた。
「あ、人がいる」
俺は車を路肩に寄せて停めた。
「ちょっと声をかけてみるか」
木田はパイを口に押し込んで、「ガッテン」と言いながらドアを開けた。
助手席で木田が「左ハンドルなんてよく乗りますね。俺は怖くて無理だな。まあ免許ないから右ハンドルも無理ですけど」などとくだらない話をしていたが、高速を降りてからは静かになった。
ダッシュボードに載せた後付けナビが示すルートは、県道に逸れてからずっと山道だ。対向車とすれ違うのも難しいような細い道を、擦り傷だらけのシェビィはゆっくりと進んでいく。
どこまで走っても変わらない風景に飽きたのか、木田はサービスエリアで買い込んだ戦利品を膝に広げ始めた。地域限定のポテトチップス、ご当地キャラメルパイ、謎のゆるキャラの焼印が押された饅頭。
「松平さん、ご当地ポテチ食べます?」
「いらない」
「じゃありんごキャラメルパイは」
「運転中」
「なら、地元ベーカリーの焼きそばパン?」
「お前は遠足か」
「やだなぁ、れっきとした取材旅行ですよ。でも限定って書いてあるとつい買っちゃうんですよね」
そう言いながら、悪びれもせず袋を開ける。細い体のどこに入るのか、こいつは本当によく食べる。編集部でも常に何か口に入れている印象があるが、腹が出る気配はまったくなかった。
窓の外には杉林が続いている。ときおり廃屋らしい建物が、木々に埋もれるように立っているのが見えた。
「そういえば、この辺りって登山で有名だったりします?」
「どうだろうな。なんで?」
「██村って名前、聞き覚えがあると思ったんですよ。思い出しました。何年か前、登山のリサーチしたときにネットで見た地名だ」
「木田くん、登山なんてするのか」
「しないですよ。登山特集の企画があったんだけど、結局ぽしゃっちゃって。俺は山小屋グルメ担当になるはずだったから、あのときは辞表叩きつけてやろうかと思いましたね」
「へえ」
「で、そのとき見た登山SNSに、直売所でくるみだれのそば団子売ってるって書いてあったんです。注文してから炙るから香ばしくて最高、って。書き込みは古いんですけど、今も買えるのかな」
「……それで覚えてたのか?」
「いえ、それだけじゃないです。手作りこんにゃくの田楽もおいしいらしいんです。あとで調べてみますね。帰りに寄りましょう」
「本当に食うことしか頭にないな」
俺は窓の外に目をやった。脇道に逸れてから対向車が一台も来ていない。明らかに人の住んでいない空き家を何軒か通り過ぎるうちに、この先の集落で人が暮らしているという実感が薄れていく。
廃墟取材をするたびに考えていたことを、ふと口にした。
「なあ木田くん。こういうどこにでもある空き家も、言ってみれば廃墟だよな」
「まあ、シュークリームはオーブンで焼くから焼き菓子だ!みたいな強引さはありますけどね」
「……いつの間にかスポット化する廃墟と、こういうどこにでもある空き家。何が違うんだろうな」
「うーん……」
木田はポテトチップスの袋に手を突っ込んだまま、しばらく考え込んだ。
「途切れ方、とかですかね?」
「途切れ方?」
「空き家って、住んでた人が終わったからいったん終わった、って気がしませんか? ひとりで住んでいたおじいちゃんが死んだとか、いつか戻ってくるつもりで家族で引っ越したとか。いったんちゃんと終わりが来て、そのあと誰かが入居したら、また家の歴史が始まる、みたいな」
「ああ、なんかわかる気がする」
「でも廃墟って、まだ続くはずだったのに途切れてる感じがするんですよね。普通じゃない終わり方をした気配だけが残ってる、っていうか」
「……なるほど」
「あとは……周りの人間が目を逸らしているかどうか、とか?」
そう言いながら木田は、空になったポテトチップスの袋を逆さにして、底に残った欠片を一粒残らず口に落とした。
「空き家って、まだ誰かが気にしてるじゃないですか。売ろうとか、壊して駐車場にしようとか、リノベしたらカフェでもできるんじゃないかとか。でも廃墟は誰も関わりたがらない。みんな忘れてないのに、存在ごと放置されて、なんていうか……」
ポテトチップスの袋を畳んでビニールに入れ、今度は焼きそばパンの包みを開ける。
「みんな、目を逸らしてるんですよ。そこにあるのに、指差しちゃいけない、みたいな」
「不自然に途切れて、指差してはいけない……」
木田はパンに齧り付き、満足そうに頷いた。廃墟の話への同意か、焼きそばパンへの評価か。多分後者だ。
「でも、だからこそ廃墟って、人を惹きつけるんじゃないですかね。続きがあるはずだった場所なのに、みんな忘れたふりをして、語らない。もし自分がその関係性の外側にいるとしたら──つまり、絶対に火の粉が降りかからない安全な場所にいるのなら──無責任に覗いてみたくなりませんか?」
俺は黙って頷いた。なんだか居心地が悪くなり、窓を下げて外気を入れる。
「ところで松平さん、これ録音できます?」
焼きそばパンの上に固まっている紅生姜を全体に広げながら、木田がICレコーダを顎でしゃくった。どこを食べても紅生姜の味がするようにしたいらしい。
「ああ、メモリはまだ十分にある」
「じゃあ、今のうちに録音しながら整理しておきましょうか。これまでわかってること」
俺が頷いたのを見てから、木田は録音ボタンを押した。
赤いRecランプが点り、俺は話し始めた。
「まず、日記の書き手は太田大輔。██村立██小学校一年。19██年当時で六歳。あの廃墟となった家の息子だろう」
「友達が四人いて、全部で五人の仲良しグループだったみたいですね」
「で、19██年八月十一日、この五人全員が行方不明になってる。うち四人は公式には山で遭難死扱い。でも遺体は出ていない」
「大輔君だけが、四日後に戻ってきた」
「しろいところって書いてあったのは──おそらく、病院のことだろうな。そこで日記を再開してる」
木田が助手席で腕を組んだ。その手には、いつの間にか空になったゆるキャラ饅頭の袋が握られていた。いつ食べたんだ。
「日記は戻ってきた後から、明らかにおかしくなってる。いなくなった友達のことを書いてるうえ、その内容も奇妙だ。『土の中にいる』とか、『顔が長くなった』とか。一人称も『ぼく』から『わたしたち』になって、書き手本人であるはずの大輔くんのことも、客観的に書くようになった」
「絵も変わってましたよね。六人に増えて、一人だけ、顔が塗りつぶされている」
「ああ……まるで、誰かが加わったみたいだな」
木田が黙った。二個目の饅頭に伸びた手が一瞬止まる。それから迷いを振り切るように、わざとらしい声でナレーションを始めた。
「かくして、孤高の廃墟ルポライター松平洋司とその右腕である敏腕編集者の木田惣一郎は、謎のヴェールに包まれた二冊目の日記を求め、命がけで██村へ向かうのであった……と」
「命がけではないし、右腕でも敏腕でもない」
木田は神妙な顔を作って頷き、今度はりんごキャラメルパイの箱を開ける。
「それと、地元の人に話を聞けるといいんだが。三十年前に何があったのか、知っている人物がいれば……」
「話してくれますかね」
「さあな。でも何か隠してるなら、それはそれでネタになる」
カーナビが「目的地周辺です」と告げた。そのままジジッと不快な音がして液晶にノイズが入り、画面が濃いグレーに反転する。
石器時代のナビがついに誤作動を始めたようだ。俺は舌打ちして「寿命かよ」と呟いた。
山道を抜けると、急に視界が開けた。
小さな集落が見える。古い家屋が点在していて、人の気配はほとんどない。秋晴れの日だというのに、洗濯物を干している家は一軒もなかった。
道端に軽トラが停まっていて、その傍らで年配の女性が畑仕事をしていた。
「あ、人がいる」
俺は車を路肩に寄せて停めた。
「ちょっと声をかけてみるか」
木田はパイを口に押し込んで、「ガッテン」と言いながらドアを開けた。
