なつやすみのにっき

 週刊レビスタ編集部は、神保町の出版社街から一本入った雑居ビルの中にある。
 午後三時、アポイントの時間ぴったりに受付を済ませると、編集部の一番奥、打ち合わせ室とも倉庫ともつかない小部屋に通された。
「失礼しまーす」
 そう言って入ってきたのは、『隣の廃墟』の担当編集者、木田惣一郎。俺よりひと回り年下の二十代後半で、ひょろひょろと細身で背が高い。
「松平さん、原稿ありがとうございました!」
 そう言いながら、木田は机の上にペットボトルのお茶といくつかの洋菓子を並べ、その中から何かのキャラクターを模った最中を俺にすすめた。
「いやー、いつもながらよかったです。松平さんの、なんというかこう……サクッと読める記事」
 木田は椅子に腰を下ろすなり、自分用のバウムクーヘンの封を切った。その言い回しに、俺はわずかに眉を顰める。
「サクッと読めるって。木田くん、それ褒めてないだろ」
「いやだなぁ、褒めてますよ。半分くらいは」
「……残り半分は?」
 木田はうまそうにバウムクーヘンを頬張りながら、少し首を傾げた。
「薄い……いや、浅い……? うーん、毒にも薬にもならない、っていうのが一番近いかな」
 木田の言葉を聞きながら、俺は両手を机の上で組み小さく息を吐いた。
 わかっている。俺が持っている唯一の連載『隣の廃墟』は、ある程度名の知れた廃墟の外観をちょっと眺めて、近所の人に軽く話を聞いて、ネットで拾ったそれらしい怪談話を添えて終わり。
 中に入らないから臨場感がないし、踏み込まないから新しい情報も練り込めない。最近では、地元の人に話を聞くことすら省いているから、自分でも腐ってきているとは思ってる。
 だが、廃墟に入って撮った写真を掲載しようものなら、たちまちネットで「不法侵入だ」「所有者の許可は取ったのか」などと騒がれる。そのリスクを避けるため、最初に俺が連載を持ちかけたときに「建物には立ち入らない体で」という条件を出したのは編集部のほうだ。その上、ライターにとっては恥以外の何物でもない、免罪符みたいな注意書きまでご丁寧に添えやがって。
 だから俺の連載記事は、毎回「サクッと読める」形になる。叩かれない代わりに無難で安全で、薄くて浅い。読み終わって、次のページをめくった瞬間に忘れ去られる。
「いや、でも松平さん。今回のラスト怖かったですよ! 首吊りしたのが一人じゃないなんて、よくそんな情報聞き出しましたね!」
「あれはネットの情報だ」
「え?」
「そもそも廃墟を出たあとに集落になんて寄っていない。コンビニでコーヒーを買って、まっすぐに帰ってきた」
 木田は困ったように眉を下げながら、今度はどら焼きの袋に手を伸ばした。
「……さすがにそれはまずいですよ。そもそもネットで拾った話なんて、でっち上げが多いんだし」
 俺は鼻で笑った。そんなことは百も承知だ。
「ところで木田くん」
 どら焼きを食べながらまだぶつぶつ言っている木田を遮って、俺は本題に入ることにした。
「原稿の最後に書いた、別の廃墟の件なんだけど」
「ああ、次回詳しく書くってありましたね。何かいい廃墟見つけたんですか?」
「帰りに寄った集落の外れに、一軒だけ離れて建ってる家を見つけた。木が生い茂ってて道からはほとんど見えない。でも、塗装が剥げた屋根が覗いてたから、もしかしたらと思って近づいてみた」
「ふぅん。そそられますね」
 どら焼きの最後のひと口を目を閉じて味わいながらも、話の内容にはあまりそそられていない様子で木田が言った。俺はなんとか彼の興味を引きつけようと言葉に力を込める。
「ああ。ネットにも情報が出てないし、荒らされた形跡もない。玄関は開いていた」
「入ったんですね」
「もちろん」
 木田は「ま、そうでしょうね」と言いたげな表情で軽く肩をすくめ、今度はチョコレートの焼き菓子を袋から取り出した。
「中には生活用品がそのまま残ってた。台所の水切りカゴには洗った茶碗と皿。色褪せたエプロンが椅子の背もたれに掛けられていて、とうに合併されてなくなった信用金庫のメモ帳が、ボールペンと一緒にテーブルの上に置いてあった。壁のカレンダーは三十年前。19██年の八月」
「へぇ、三十年前」
「めくってみたら、九月以降の予定も書いてあった。始業式とか、なんかの発表会とか、家族で温泉旅行とか。十一月の子供の誕生日には、王冠のシールが貼られてた」
 沈黙が落ちた。
「……夜逃げ、ですかね」
 俺は木田のくれたペットボトルを手にして封を切った。よし、木田の食指が動いた。
「あれだけ全部残していなくなるってことは、多分そうだろうな。それから……」
 喉を潤してから、俺は木田の目を見て口を開く。
「子供部屋の机に、夏休みの日記が開いたまま置いてあった。三十年前の夏休みだ」
 鞄に手を入れてそれを取り出す。日記とはいっても、コピー用紙数枚を二つ折りにしてホチキスで留めただけの簡易なものだ。
 学校の先生が手作りして配ったもののようで、表紙には印刷した文字で『なつやすみのにっき』。その下に子供の字で「1ねん2くみ 太田大すけ」と書かれている。
「え……ちょっと待って、松平さん。それ、持ってきちゃったんですか?」
 木田は眉をひそめた。声には咎めるような響きがある。
「持ってきちゃうのは、さすがにまずくないですか。廃墟に不法侵入だけならまだしも、普通に窃盗ですからねそれ」
「なあ、木田くん」
 俺は木田の言葉を遮る。
「『隣の廃墟』の打ち切りが近いのは、俺もわかってるんだ。もっと踏み込まないと生き残れないだろ。心配するな、そこら辺はうまく誤魔化して書くから」
 木田はなにか言いかけて、口をつぐんだ。代わりに、さっき俺にくれたはずの最中をさりげなく取り上げて、何も言わずに封を切る。
「……で、その日記。なにかネタになりそうなこと書いてあったんですか?」
「ああ」
「もしかして、夜逃げ前の家族の異変とか?」
 木田が、少しだけ前のめりになった。
「いや、そういうのじゃない。最初は普通なんだ。仲のいい友達と、プールに行ったとか、虫を捕まえたとか。でも——」
「でも?」
「途中から、おかしくなる」
「……どう、おかしいんですか」
 俺はそれには答えず、日記を木田の方へ滑らせた。