週刊レビスタ 20██年██月██日号より
隣の廃墟 第16回
「首吊りの木からカラスが見下ろす廃温泉」
文・写真 松平洋司
Z県の山間の集落。国道から脇道に逸れてしばらく走ると、道は急に細くなった。両側から伸びた枝が車体やフロントガラスを容赦なく擦り、やがて道は完全に塞がれる。仕方なく車を降りて歩くこと10分、木々の間に、朽ちた二階建ての建物が姿を現した。
鉄筋コンクリートの外壁には無数のヒビが入り、一部は剥がれ落ちて下地が露出している。大きな間口の玄関の上には、かつて金属文字の宿名が掲げられていたらしき痕跡があった。長年の雨風で文字は剥がれ落ち、今は輪郭だけが薄黒いシミとなって残っている。目を凝らすと、かろうじて「X温泉K荘」と読めた。
玄関脇の歓迎看板は真ん中から割れ、アプローチに散乱している。半分開いたままのガラスの自動ドアには、意味不明の文字や記号がいくつも黒いスプレーで殴り書きされていた。
建物の周囲を一周する。昼間だというのに建物の中は妙に薄暗い。窓の隙間から覗くと、湿った木の臭いが漂ってきそうな気がした。建物の最奥、増築された部分は浴場だったようで、割れたガラスの間から中の様子をうかがうことができた。
さぞや湯量が豊富だったのだろう。広々としたタイル張りの浴槽の中央には、岩山を模した造形物が据えられている。その頂から何本もの白い線が下に向かって伸びているところを見ると、どうやら湯口だったらしい。天井はカビで黒いまだら模様に変色し、壁には玄関同様、落書きが書かれていた。その中で、「首吊りの木に近づくな」という文字だけがやけにはっきりと見てとれた。
割れた窓から脱衣所の様子も見ることができたが、床は抜け落ち、脱衣棚には得体の知れないツタが絡みついていた。誰かが残したスリッパが一足、裏返ったまま床板の上に残されていた。
ふと気配を感じ、振り返る。背後の木にカラスが一羽止まり、私を見下ろしていた。まるで連れ去る価値があるかどうか、考えあぐねているかのように。
居心地の悪さを覚え、来た道を引き返す。車で近くの集落へ降りると、犬を散歩させていた男性がいた。声をかけてみると、小さい頃からこの土地に住んでいるという。
「俺が子供の頃、この温泉は県外からも湯治客が訪れるほど賑わってたんだ。旅館も、温泉地全体で10軒はあったんじゃないかな」。
温泉についていくつか質問をすると、男性は誇らしげに語ってくれた。昔を懐かしむように話が止まらなくなる。
K荘について切り出してみた。さっきまで饒舌だった男性の口が急に重くなる。それでも私が食い下がると、ぽつりぽつりと話してくれた。
K荘は、この温泉地ではとくに人気の旅館だった。だがある日、宿泊客の一人が宿の裏手の木にロープをかけ、首を吊った。それ以降客足は途絶え、やがてオーナー一家も姿を消したらしい。
男性は「噂だけど」と前置きをしてから声をひそめ、さらに衝撃的なことを教えてくれた。
「あの廃墟には、あんまり近づかない方がいいよ。首を吊ったっていうのも、実は一人じゃなかったって話もあるし」
あのカラスが止まっていた木は、はたして首吊りの木だったのだろうか……。今となっては知る由もない。
取材後記:
帰り道、別の場所で、少し奇妙な廃屋を見つけた。廃墟サイトにも情報は見当たらない。次回、詳しく取り上げたい。
※本連載の取材あたっては法律・ルールを順守し、立ち入り禁止区域には入っていません。
※廃墟への無断侵入は犯罪行為です。読者の皆様は絶対に真似しないでください。
隣の廃墟 第16回
「首吊りの木からカラスが見下ろす廃温泉」
文・写真 松平洋司
Z県の山間の集落。国道から脇道に逸れてしばらく走ると、道は急に細くなった。両側から伸びた枝が車体やフロントガラスを容赦なく擦り、やがて道は完全に塞がれる。仕方なく車を降りて歩くこと10分、木々の間に、朽ちた二階建ての建物が姿を現した。
鉄筋コンクリートの外壁には無数のヒビが入り、一部は剥がれ落ちて下地が露出している。大きな間口の玄関の上には、かつて金属文字の宿名が掲げられていたらしき痕跡があった。長年の雨風で文字は剥がれ落ち、今は輪郭だけが薄黒いシミとなって残っている。目を凝らすと、かろうじて「X温泉K荘」と読めた。
玄関脇の歓迎看板は真ん中から割れ、アプローチに散乱している。半分開いたままのガラスの自動ドアには、意味不明の文字や記号がいくつも黒いスプレーで殴り書きされていた。
建物の周囲を一周する。昼間だというのに建物の中は妙に薄暗い。窓の隙間から覗くと、湿った木の臭いが漂ってきそうな気がした。建物の最奥、増築された部分は浴場だったようで、割れたガラスの間から中の様子をうかがうことができた。
さぞや湯量が豊富だったのだろう。広々としたタイル張りの浴槽の中央には、岩山を模した造形物が据えられている。その頂から何本もの白い線が下に向かって伸びているところを見ると、どうやら湯口だったらしい。天井はカビで黒いまだら模様に変色し、壁には玄関同様、落書きが書かれていた。その中で、「首吊りの木に近づくな」という文字だけがやけにはっきりと見てとれた。
割れた窓から脱衣所の様子も見ることができたが、床は抜け落ち、脱衣棚には得体の知れないツタが絡みついていた。誰かが残したスリッパが一足、裏返ったまま床板の上に残されていた。
ふと気配を感じ、振り返る。背後の木にカラスが一羽止まり、私を見下ろしていた。まるで連れ去る価値があるかどうか、考えあぐねているかのように。
居心地の悪さを覚え、来た道を引き返す。車で近くの集落へ降りると、犬を散歩させていた男性がいた。声をかけてみると、小さい頃からこの土地に住んでいるという。
「俺が子供の頃、この温泉は県外からも湯治客が訪れるほど賑わってたんだ。旅館も、温泉地全体で10軒はあったんじゃないかな」。
温泉についていくつか質問をすると、男性は誇らしげに語ってくれた。昔を懐かしむように話が止まらなくなる。
K荘について切り出してみた。さっきまで饒舌だった男性の口が急に重くなる。それでも私が食い下がると、ぽつりぽつりと話してくれた。
K荘は、この温泉地ではとくに人気の旅館だった。だがある日、宿泊客の一人が宿の裏手の木にロープをかけ、首を吊った。それ以降客足は途絶え、やがてオーナー一家も姿を消したらしい。
男性は「噂だけど」と前置きをしてから声をひそめ、さらに衝撃的なことを教えてくれた。
「あの廃墟には、あんまり近づかない方がいいよ。首を吊ったっていうのも、実は一人じゃなかったって話もあるし」
あのカラスが止まっていた木は、はたして首吊りの木だったのだろうか……。今となっては知る由もない。
取材後記:
帰り道、別の場所で、少し奇妙な廃屋を見つけた。廃墟サイトにも情報は見当たらない。次回、詳しく取り上げたい。
※本連載の取材あたっては法律・ルールを順守し、立ち入り禁止区域には入っていません。
※廃墟への無断侵入は犯罪行為です。読者の皆様は絶対に真似しないでください。
