短歌じゃないけど



 祖母のしわくちゃの手が育てている家の畑に、まるで雑草のように黒い藻がなっていた。
 この頃の家の食卓には、祖母の作った野菜がならんでいなかった。
 食卓の一品には味噌汁もでることはない。
 あさつきが採れないので作らなくなった。味噌汁の椀はテーブルの上にはない。
 耕したしけた土のなかに栽培されていた野菜を、畝にはえているのがみえたものの、ザルに入れて採る、ザルに盛った野菜をもってきて、水洗いする。
 いま家ではそういったことはしていない。
 祖母について畑の溝を作っていく手伝いもしなくなっていた。
 いまはできなくなっているのだ。
 日々の些細な日常がかわるなかで、黒い藻はたいらにならした畝などないもののようにして、ひろがり、境などなくすようにみせている。
 茂っていたしそは覆われ、菊、胡瓜、あさつき、オクラ、トマト、といった、土からはえた野菜はまわりを囲うように黒い藻が繁茂し、網のように閉じ込められて伸び絡まりあう、という様になる。
 はびこった畑のなかでいまだなにもないのは、ビニールシートでおおわれたスイカの小畑だ。青みのうすいたまは敷地の群生していくなかでまぬがれて成長していく最中だ。
 黒い藻の侵略の様子は傍の道にはみ出すことはいまの茂り具合いではないが、この群生し揺れている黒藻らをどうしたらいいだろう。それで頭をいためている。
 畑仕事の手間がなくなっていくなり、祖母はさびしげで、家からでていない。
 畑の方をみても、野菜達はもう見えない。
 黒い絡まりの塊のなかで、野菜たちが足をとられて身動きができないでいる気がして――、…いいものではない。
 祖母は家のなかで座っているのも、心苦しそうだ。

 どのみち、近隣の方々に囁かれはじめている家の敷地を、もうほってくことはできないだろう。
 わたしは畳に横になっていたのを起きあがり、決意する。
 おおまかなことは知っていた。
 あれは海の植物であるらしい。
 やってきた、ということなのだろう。


 もうじき魚人がやってくると、海に詳しい友人はいった。
 わたしに手を引かれ、家の敷地の様子を眺めた後、おしえてくれたことだった。
 この黒い藻がある場は、海で暮らす彼らにとって、彼らが拠り所とし、いつくのだそうだ。
 いついたあと、より藻が繁茂し、そのなかには黒い藻と戯れ、屯する彼らがいる。
 友人はその姿を見たことはないが、彼らには近づかないほうがいいとおしえてくる。
 見たほうがいいのかはわからない、と。
 メモには、魚人が来てから畑を焼きはらうと、その土地から一掃できる――、とある。
 寝転がったわたしは、そのメモ帳を眺めている。



 ―――専門家を呼んでやってもらったほうがいいとのこと、
    失敗すると、数匹の魚人が民家の畑を廻していくらしい
    確認しているんだという、
    しそがはえていないか…と――