東屋で待っていてほしいという皓宇の要望を断り、叫び声がしたほうに向かうことにする。
――こんなこと、巻き戻り前には起こらなかった。
もしかしたらもともとあった出来事の可能性もあるが、皓宇の誘いを断ったせいで知ることができなかったのかもしれない。だとしたら、気になる。
そんなことを考えながら皓宇のあとに続くと、廊下で女官が腰を抜かしていた。こちらに気づくと一瞬だけほっとし、しかし皇帝と妃であることに気づくと顔を青くする。
「いったいどうした」
「へ、陛下……⁉ それに賢妃さまも!?」
「どうされたの? 大丈夫かしら」
しゃがんで手を伸ばそうとすると、女官は勢いよく叩頭した。
「騒がしくしてしまい申し訳ございませんっ!」
「よい。それよりも、なにかあったのだろう。楽にしてよいから話せ」
「あ、はい……」
女官は頭をあげると、緊張で声を震わせながら言葉を続けた。
「実は、少し前からこの倉庫に幽霊が出ると噂になっておりまして」
「幽霊?」
「はい。こちらの倉庫にはわれわれ尚服局が使う備品がしまってあるので、私も中に入ることが多いのですが、ときどき聞こえるのです」
「聞こえる、とは」
「わずかな物音と、女がすすり泣くような音です」
「まあ……」
人間なら斬ってしまえばよいが、実体のない幽霊だと話は別だ。思わず皓宇の服の袖を掴むと、振り返って安心させるように微笑んでくれる。
「中に人はいないのだな。誰かが閉じ込められていることはないと断言できるのか」
「はい、おそらく。尚服局の女官数名で捜索しましたが、私たち以外の人間はおりませんでした。よく使う倉庫なのでどんな構造なのか把握しております」
「そうか」
皓宇はしばらく考え込むそぶりを見せると、おもむろに口を開いた。
「宦官に調査と警備を頼んでおく。今後、必要なものを取りに行く際には宦官を伴って入るように」
「あ、ありがとうございますっ……!」
女官は再び叩頭すると、去っていった。
「春鈴、怖い思いをさせてすまなかった」
「いえ、ついていきたいと申し上げたのはわたくしですので。それにしても、幽霊なんて本当にいるのでしょうか」
「さあ。人の心の弱さが見せたものだと思いたいが……。いずれにしても、春鈴は近寄らないように」
倉庫のほうに目を向けているが、その目はどこか遠くを見ているようだった。
皓宇と別れて自室に戻る最中も、春鈴はずっとほかのことを考えていた。
――わたしが知らなかっただけかもしれないけれど、巻き戻り前にはこんな展開はなかった。つまり、この幽霊騒ぎにはなにかある。
部屋に入って扉を閉め、外に人の気配がないことを確かめると、空燕に話しかけた。
「ねえ、木刀を貸してほしいの」
従者である空燕は帯刀が許されているため、普段から太刀を携えている。それに加えて、実家から稽古用に木刀をいくつか持ってきていた。
妃として後宮入りした春鈴は当然、武器の類を持参することは叶わなかった。春鈴は愛刀と離れ離れになるなんて死ぬよりつらいことだと訴えたし、皓宇に頼めばおもしろがって許してくれたかもしれないが、林家――母が拒否したのだ。
女たるもの云々かんぬん、とくどくどと説教され、春鈴は折れた。淑女であることを是とし、女の幸せなどという形のないものを求める母が、長年、娘が剣術道場に通うことに目をつぶっていてくれていたことだけでもありがたかったと思うことにしている。
というわけで、春鈴は剣を持っていない。ときどき空燕の木刀を拝借し、自室で稽古をしているが、誰かにばれないように常に周囲の気配には気を遣っている。妃が刀を振るっているだなんて知られたら、頭でもおかしくなったのかと本気で心配されてしまう。
まあ実際は服の下、太もものあたりに常に短刀を隠しているのだが。
「また稽古ですか? それともアンタ、ついに誰かに喧嘩売ったんすか」
「なんでわたしから喧嘩売ったことになるのよ。どちらも違うわ。幽霊が出るって言ってた倉庫を調べに行ってくるの。空燕もうしろで聞いていたでしょ?」
「はあ……そっすか……」
茶会の間中、控えていた空燕なら当然内容を把握していると思っていたが。なんとも要領の得ない返事で、春鈴は眉根を寄せる。
「なによ、気の抜けた返事だこと。で、木刀はどこにあるの?」
「木刀ならいつものところに置いてますけど、そんなことよりアンタ、幽霊って大丈夫なんですか」
「大丈夫ってなに? まさかあなた、怖いの?」
「いや、俺は怖くないっすけど……アンタだよ。幽霊とかだめって言ってたじゃん。昔、道場のおっさんたちと肝試しして、アンタだけ泣きわめいて――」
「もう怖くなくなったの!」
子どものころのことを掘り返されて顔が熱くなる。つい大きな声で叫ぶと、空燕は目を丸くした。今日はなんだか昔の恥ずかしいことばかり思い出す。
結局、「心配だからついていく」という空燕を振り切ることができず、夜中に二人で倉庫に向かうことになった。
「ここでしたっけ」
「そう。鍵はある?」
「はい。ついさっき宦官に警備をするようにと通達があったんで、手伝うふりして借りてきました」
「やるじゃない」
鍵を取り出している空燕は返事をしなかったが、片方の口角が上がるのが見えた。いつも生意気だがこういうところは素直でかわいい。
「開きましたよ」
空燕を先頭にして、倉庫に入る。手持灯籠を持ち、最低限の明かりで中の様子を探っていく。
尚服局の備品を保管しているというのは本当のようで、祭祀用の道具やなんらかの儀式に使ったと思われる豪華な衣装が所狭しと置かれている。室内は狭く、物が多いものの、整理整頓されているから、ぱっと見たところ人を閉じ込めるような場所はなさそうだ。
するとそのとき。
――こんなこと、巻き戻り前には起こらなかった。
もしかしたらもともとあった出来事の可能性もあるが、皓宇の誘いを断ったせいで知ることができなかったのかもしれない。だとしたら、気になる。
そんなことを考えながら皓宇のあとに続くと、廊下で女官が腰を抜かしていた。こちらに気づくと一瞬だけほっとし、しかし皇帝と妃であることに気づくと顔を青くする。
「いったいどうした」
「へ、陛下……⁉ それに賢妃さまも!?」
「どうされたの? 大丈夫かしら」
しゃがんで手を伸ばそうとすると、女官は勢いよく叩頭した。
「騒がしくしてしまい申し訳ございませんっ!」
「よい。それよりも、なにかあったのだろう。楽にしてよいから話せ」
「あ、はい……」
女官は頭をあげると、緊張で声を震わせながら言葉を続けた。
「実は、少し前からこの倉庫に幽霊が出ると噂になっておりまして」
「幽霊?」
「はい。こちらの倉庫にはわれわれ尚服局が使う備品がしまってあるので、私も中に入ることが多いのですが、ときどき聞こえるのです」
「聞こえる、とは」
「わずかな物音と、女がすすり泣くような音です」
「まあ……」
人間なら斬ってしまえばよいが、実体のない幽霊だと話は別だ。思わず皓宇の服の袖を掴むと、振り返って安心させるように微笑んでくれる。
「中に人はいないのだな。誰かが閉じ込められていることはないと断言できるのか」
「はい、おそらく。尚服局の女官数名で捜索しましたが、私たち以外の人間はおりませんでした。よく使う倉庫なのでどんな構造なのか把握しております」
「そうか」
皓宇はしばらく考え込むそぶりを見せると、おもむろに口を開いた。
「宦官に調査と警備を頼んでおく。今後、必要なものを取りに行く際には宦官を伴って入るように」
「あ、ありがとうございますっ……!」
女官は再び叩頭すると、去っていった。
「春鈴、怖い思いをさせてすまなかった」
「いえ、ついていきたいと申し上げたのはわたくしですので。それにしても、幽霊なんて本当にいるのでしょうか」
「さあ。人の心の弱さが見せたものだと思いたいが……。いずれにしても、春鈴は近寄らないように」
倉庫のほうに目を向けているが、その目はどこか遠くを見ているようだった。
皓宇と別れて自室に戻る最中も、春鈴はずっとほかのことを考えていた。
――わたしが知らなかっただけかもしれないけれど、巻き戻り前にはこんな展開はなかった。つまり、この幽霊騒ぎにはなにかある。
部屋に入って扉を閉め、外に人の気配がないことを確かめると、空燕に話しかけた。
「ねえ、木刀を貸してほしいの」
従者である空燕は帯刀が許されているため、普段から太刀を携えている。それに加えて、実家から稽古用に木刀をいくつか持ってきていた。
妃として後宮入りした春鈴は当然、武器の類を持参することは叶わなかった。春鈴は愛刀と離れ離れになるなんて死ぬよりつらいことだと訴えたし、皓宇に頼めばおもしろがって許してくれたかもしれないが、林家――母が拒否したのだ。
女たるもの云々かんぬん、とくどくどと説教され、春鈴は折れた。淑女であることを是とし、女の幸せなどという形のないものを求める母が、長年、娘が剣術道場に通うことに目をつぶっていてくれていたことだけでもありがたかったと思うことにしている。
というわけで、春鈴は剣を持っていない。ときどき空燕の木刀を拝借し、自室で稽古をしているが、誰かにばれないように常に周囲の気配には気を遣っている。妃が刀を振るっているだなんて知られたら、頭でもおかしくなったのかと本気で心配されてしまう。
まあ実際は服の下、太もものあたりに常に短刀を隠しているのだが。
「また稽古ですか? それともアンタ、ついに誰かに喧嘩売ったんすか」
「なんでわたしから喧嘩売ったことになるのよ。どちらも違うわ。幽霊が出るって言ってた倉庫を調べに行ってくるの。空燕もうしろで聞いていたでしょ?」
「はあ……そっすか……」
茶会の間中、控えていた空燕なら当然内容を把握していると思っていたが。なんとも要領の得ない返事で、春鈴は眉根を寄せる。
「なによ、気の抜けた返事だこと。で、木刀はどこにあるの?」
「木刀ならいつものところに置いてますけど、そんなことよりアンタ、幽霊って大丈夫なんですか」
「大丈夫ってなに? まさかあなた、怖いの?」
「いや、俺は怖くないっすけど……アンタだよ。幽霊とかだめって言ってたじゃん。昔、道場のおっさんたちと肝試しして、アンタだけ泣きわめいて――」
「もう怖くなくなったの!」
子どものころのことを掘り返されて顔が熱くなる。つい大きな声で叫ぶと、空燕は目を丸くした。今日はなんだか昔の恥ずかしいことばかり思い出す。
結局、「心配だからついていく」という空燕を振り切ることができず、夜中に二人で倉庫に向かうことになった。
「ここでしたっけ」
「そう。鍵はある?」
「はい。ついさっき宦官に警備をするようにと通達があったんで、手伝うふりして借りてきました」
「やるじゃない」
鍵を取り出している空燕は返事をしなかったが、片方の口角が上がるのが見えた。いつも生意気だがこういうところは素直でかわいい。
「開きましたよ」
空燕を先頭にして、倉庫に入る。手持灯籠を持ち、最低限の明かりで中の様子を探っていく。
尚服局の備品を保管しているというのは本当のようで、祭祀用の道具やなんらかの儀式に使ったと思われる豪華な衣装が所狭しと置かれている。室内は狭く、物が多いものの、整理整頓されているから、ぱっと見たところ人を閉じ込めるような場所はなさそうだ。
するとそのとき。



