皓宇の私室にやってくると、従者を下がらせて二人で寝台に腰かける。
夜はいつも春鈴の宮で会うばかりだったので、こうして皓宇の部屋に入るのは初めてだ。室内は白を基調としていて清潔感があるが、皇帝の部屋とは思えないほどさっぱりとしていて、調度品は最低限しか置かれていない。
ここで皓宇はずっと過ごしてきたのか。優しくて常に相手を思いやっている皓宇は、あまり自分のことを話したがらない。皇族に生まれ、苦労したことやつらいこともたくさんあっただろう。彼の半生に思いをはせると、何もしてやれない己の無力感と寂寥感が募る。
――民を思い、淡々と国政に励む。意義深い人生かもしれないが、誰にも心を打ち明けられないなんて、ちょっと寂しいわ。
そんなことを考えつつ緊張しながら様子をうかがっていると、皓宇ががしがしと己の髪をかき乱した。
「春鈴のことになると抑えが効かないんだ。すまなかった」
「いえ、勝手なことをしたのはわたしのほうだし……」
「なあ、どうかここにいてくれないかい?」
「ま、まあ……皓宇がそこまで言うなら――わっ!」
急に抱きしめられて体の均衡を崩した春鈴は、そのまま寝台に押し倒されてしまう。上から皓宇がのしかかってきて、春鈴は「うっ」と呻く。
「よかった! 愛している、春鈴」
「は、はあ。それはどうも……」
「春鈴は私のことを愛してはいないのかい?」
「は?」
急に真剣な声音が降ってきて見上げると、皓宇がじっと見つめていた。長い前髪からのぞく瞳がやけに真剣で、春鈴は戸惑いがちに口を開く。
「いやまあ……昔馴染みだしいいやつだから別に嫌いじゃないけど、いきなり好きとか言われてもよくわからないわよ……いままでそういうことを考えたことがなかったし」
「……まあいまはそれでよいか」
しどろもどろに言葉を紡ぐと、一応満足したのか皓宇は体を離してくれた。そのまま皓宇は寝台に胡坐をかき、春鈴は膝の上にのせられてしまう。この体勢だと皓宇の視線から逃れられなくてこそばゆい。
「さっきも聞いたが、ここから逃げてどうするつもりだったんだい」
「愛刀を一本だけ持って、諸国を旅したかったの。それがわたしの願いよ。ここはあまりにも窮屈だわ」
「なんだ、そんな理由か」
なんだか馬鹿にされたようでむっとしてしまう。すると、そんな春鈴の様子に気づいたのか、ふっと微笑まれる。
「それなら正妃になればいいじゃないか」
「は?」
「皇帝という立場柄、私は諸国に赴くことが多いんだ。さらに最近、杏国は外交に力を入れているから、以前よりもいろんなところに行くことができるはずだ。公には国交を断絶している国にも私なら連れていくことができるが」
「そ、そうなの……!? で、でも、皇帝の皓宇と一緒じゃ窮屈だわ」
旅を夢見る春鈴には魅力的な話だった。思わず飛びついてしまうが、あまりにも欲望に正直な自分が恥ずかしくなって、途中からつっけんどんな態度を取ってしまう。ぷいっと顔を逸らすと、皓宇があやすように髪を撫でてくる。
「まあ公の場では多少気を張ってもらう必要はあるが、きっと一人では堪能できないような絶景に案内できるだろうがなぁ。皇帝の力をもってしたら、美味な食事も楽しめるだろうしなぁ」
「ぐっ……」
顔は逸らしたまま、片目でちらりと皓宇をぬすみ見る。目があうと、「せっかく春鈴の願いを叶えられるのになぁ」と妙に間延びした声で言われてしまう。
――正直、すっごく気になる! けど……うーん。
あれこれ考えていると、皓宇の手が伸びてきて正面を向かされる。
「そもそも春鈴は私の護衛をしてくれるんじゃなかったのか?」
「あなた、そんなことまで覚えていたの!? 幼いころの口約束でしょう!?」
「春鈴は口約束のつもりだったのか……私はうれしくてうれしくて仕方がなかったのだが……」
しゅんと耳を垂らした子犬のように俯く皓宇。下から覗きこもうとしても今度は皓宇のほうが顔を背けてしまう。
なんだかうまく丸め込まれているようで釈然としないが、ここまで言われてしまったら断りづらい。
「わ、わかったわよ! 護衛でもなんでもしてあげるから、外つ国に連れて行きなさい!」
「本当か!」
「本当よ。脱走なんてもうしないから! その節は悪かったわね」
「考えをあらためてくれてうれしいよ。ありがとう、春鈴」
皓宇は心底嬉しそうな顔でそう言うと、春鈴を膝からどかし、寝台のそばの棚に手を伸ばす。上に置いてあった小さな髪飾りのようなものを手に取り、戻ってくる。宝石がはまっていて上品だが、見慣れない意匠だ。外つ国のものだろうか。
「そ、それはなにかしら……?」
「ん? ああ、これは音声が記録できる呪具だよ。この宝石を押すと記録がはじまって、こっちを押すと止まる。西方の国にまで赴いてようやく手に入れたんだ」
「な……っ! もしかして……」
「言質はとったからね」
皓宇はあのいつもの優しい面立ちからは想像もつかないほど意地悪く微笑む。絶句している春鈴を押し倒し、耳元でありったけの愛の言葉を囁いてくる。
「この激重執着皇帝!」
我に返った春鈴は思いっきりそう叫ぶと、皓宇のことを蹴り飛ばそうとした。しかし、皓宇のほうが上手で、脚を掴まれてしまう。
「くそ……っ!」
「いまなら春鈴にも勝てると思うんだ。今度手合わせしてくれないかい? 愛しのお転婆姫さま」
「……わかったわよ。護衛でも手合わせでも、なんでも付き合うわ」
春鈴はもう観念するしかなかった。
深いため息をつき、やぶれかぶれの気持ちで皓宇を見上げる。すると、皓宇は甘い笑みをたたえ、春鈴を見下ろしていた。まるで心から愛する人を見ているかのようで、じわじわと春鈴の頬が熱を持つ。
まだ愛なんて立派なものではけっしてない。しかし、春鈴の中では確実になにかが芽生えはじめている。本人は自覚すらしていないが。
「愛している。脱走なんてもう考えられないくらいじっくり私の愛を教え込んでやるから、覚悟していてくれ」



