偽りの皇子と身代わりの姫宮

「十六夜様、白湯をお持ちいたしました」

何度か呼びかけても返事がなかったが、腕に触れるとようやく気がついたようだ。

「あ、うん」

「お身体が冷えてしまいましたでしょうから、こちらをお召し上がりください。少しお酒をいれておきました」

「ありがとう」

十六夜はゆっくりとした動作で湯呑みを受け取ると喉を鳴らして飲み干した。

「あれ、母上達は?さっきまでこちらにいらしたのだけど」

「あ、はい。母君様は身支度を整えに一度お部屋にお戻りになられました」

十六夜は深い息を吐いた。

母は喪に服するため鈍色(にびいろ)の装束に着替えに行ったのだと理解したようだ。

「そうか、それではやはり父上が崩御されたのは本当なんだね。夢なら良かったのに」

「そうですね。ですが、お力を落とされませんように」

「うん、さっきはごめん。突然のことで頭が真っ白になってしまってた。これからのことを考えないといけないのに」

無理して微笑するのが痛々しい。

「いろいろ考えなければいけませんね。
ですが私は今、十六夜様にお聞きしたいことがあります」

「ん、何を」

「十六夜様の異能ですが、どなたかから手ほどきを受けられたのでしょうか?」

「いや、誰にも教えてもらったことはない」

「では自己流で、そうなんですね」

「それがどうかした?」

「私の実家は退魔士の一族です。普通は師がついて教わるものですから」

「そうなんだ」

十六夜は目を丸くする。どうやらそんなことを思ってもみなかったらしい。

「はい、それともうひとつお聞きします」

「どうしたの?さち、質問ばかりだね」

十六夜は苦笑して脇息にもたれかかる。

「もしも、男の方として生きるなら何かなさりたいことはありますか?」

「え?ああ、その質問はちょっと難しいかな、いろいろありすぎるから」

「では3つ、お答えください」

さちが明るく笑いかけると、十六夜は眉を下げる。

「そうだな、まずは馬に乗って弓を射てみたいな」

「よろしいですね、つぎは?」

「安倍晴明とやらのように、あやかしを倒して人々を守りたい。異能とはそのように使えば役にたつのだろうし」

十六夜は想像を巡らせて瞳を輝かせる。

「ええ、それは良いですね。十六夜様ならば晴明様以上になれますでしょう。
最後は何かありますか?」

「最後?えっと最後は」

言い淀んで赤面してしまう彼を見て、さちは首を傾げる。

「好きな女の子に、文を贈りたい、かな」

照れくさそうに視線をさまよわせる主人が可愛らしくてたまらなくなる。

同時にチクリと胸に刺さるものがあった。

そうか、十六夜には恋慕う女性がいたのか。

「そ、それはいいですね」

「こんな姿ではきっと振り向いてはもらえないだろうけど」

寂しそうに言う十六夜にさちは首を振る。

「いいえ、十六夜様ほど男らしい方などいません。十六夜様ほど美しくお心の綺麗な方もいません。きっとどんな恋も叶いましょう」

「さち……」

「十六夜様」

2人は見つめ合うとどちらからともなく、手をとりあった。

「本当に?さちはそう思う?」

「はい、もちろんです」

「さち、私は……」

次の瞬間、さちは十六夜の広い胸にかきいだかれていた。

「あ」

「さ……ち」

しかし、彼は全身から力が抜けたようにだらりと腕が下がる。

さちは十六夜の顔を近くで見て目に焼き付けておこうと思った。

きっとこれが最後だから。

さちには十六夜が最後に言おうとしたことは分からなかった。

けれど、肝心の彼の気持ちは聞くことができた。

彼はたとえ男子として生きられたとしても帝位を望む野心は無いのだ。

それがわかってよかった。

もし、十六夜が異能の力を尽くして宮廷で暴れまくると言ったなら、さちは黙って従うつもりだったのだ。

「終わったか?」

背後から兄の固い声がした。

振り返ると兄はいつもの黒装束で、腰に太刀を帯びている

「はい、いただいお薬がよく効いたようです」

ねむり薬を白湯に混ぜたのは、十六夜の気性ならこうでもしないと連れ出せないと思ったからだ。

「半日は眠ってるだろう。それより急げ、兵を連れて正和親王がこちらへ向かっているぞ」

「はい」

もう一刻の猶予もならない状況だった。

さちが十六夜の単を脱がせ長い髪をまとめると、兄は素早く肩に担ぎ上げる。

荷物でも扱うような乱雑な兄の仕草に、さちはぎょっとする。

「あの、もっと優しく丁寧に扱ってください」

「贅沢を言うな。こっちも命がけだ」

兄妹がそんなやりとりをしていると、さくらや舟、萩尾までが駆けつけてきた。

「十六夜」
「十六夜様」

3人とも泣き濡れた顔で十六夜にすがりつく。

先程、きちんと説明してみなで納得したというのにやはり未練が断ちきれないのだろう。

兄が心底面倒臭そうな顔をしたので、さちは慌てて口を開いた。

「みなさま、悲しいですがここでお別れです。この方が十六夜様を無事に外へ連れ出してくれますのでご安心を。
最後のお別れに笑って送り出してあげましょう」

さくらは頷いて十六夜に告げた。

「ごめんなさい、十六夜。ありがとう、生まれてきてくれて」

母のこの言葉を十六夜に聞かせてあげたかった。

その時、遠くから女房達の悲鳴や騒がしい足音がした。

兄はさちに合図をすると、俊敏な動作で庭に出て夜の闇へ十六夜と共に消えていった。

別れはあっと言うまのことだったが、まだ全ては終わっていない。

泣き崩れるさくら達を奮い起こすため、さちはパチンと両手を打ち合わせた。

「みなさま、これからが本番です。少しでも時間を稼ぐためご協力ください」

そう言うが早いか、十六夜の単を羽織って息を大きく吸い込む。

さちは、愛しい十六夜の姿を思い浮かべて念じた。

すると、さちの顔は十六夜に変わりさくらや萩尾達が驚愕の声を上げた。

「ああ」
「なんと」

こんな日のために、さちはいつでも十六夜になれるように、自ら異能の訓練に励んでいたのだ。

あえて、顔だけを変化させられる術をかけた。身体はさちのまま、女性のままで。

「今日から私が十六夜姫様です」

さちは、背筋を伸ばしきっぱりと言った。