偽りの皇子と身代わりの姫宮

「なんということ、もうお終いだわ」

顔を手で覆いさめざめと涙を流すのは、騒動を聞きつけ駆けつけてきた姫君の母、さくらである。

「母上、ご心配をおかけして申し訳ございません。だけど、もう泣かないでください。お体に触りますから」

十六夜姫は震える母の背中を撫でながら謝った。

そんな2人をさくらのお付き女房の舟や姫の乳母である萩尾も心配そうに見守っていた。

姫君の部屋では先程から湿っぽい空気が流れていたが、下座にひかえるさちは何も言えず俯くばかりだ。

そんなさちに、姫君は気遣わしげに声をかけてきた。

「さちにはまだ言ってなかったからさぞ驚いたろうね。ごめんね」

あれから少しして目を覚ました十六夜姫は、自分のことよりも周りの心配ばかりしている。

「は、はい。いえ、そんな」

十六夜に見つめられてさちは困惑してしまう。

時々違和感を感じることはあったが、まさか姫君が男性だったとは思いもよらなかったのだ。

しかし、思いあたるふしが無いわけではなかった。

姫の言動や気持ちの強さはしばしば男子のそれであった気がする。

「早く言わなきゃと思っていたんだけどね。つい言いそびれてしまって」

「仕方ございませんわ、このような秘密を誰にでも簡単に打ち明けるわけにはいきませんから」

会話に入ってきたのは乳母の萩尾だ。

「姫君の出生の秘密はここにいる者しか知りません。あと他に1人、実は私の娘が知っていました」

そこまで言った萩尾は苦しげに眉を寄せる。

「娘は少し前に皇后様付きの女房として、迎えられました。そこでおそらくは十六夜姫様の秘密を漏らしてしまったのではないかと思います」

これには、姫君が口を挟んできた。

「萩尾、以前にも言ったけどそれは仕方がないことだ。ももえは1人きりで針のむしろだったに違いない。あの皇后に睨まれたらこの後宮で生きてはいけないからね」

「だとしても許されないことです。姫様、申し訳ございません」

萩尾はたまらずに畳に手をついて土下座をする。

その時、今まで泣きじゃくっていたさくらがパッと顔を上げた。

「そうだわ、もうこうなったら最後の手段にでるしかありません、ええ、そうです」

うわごとのように言うさくらは、何かに追い詰められた者のようで狂気じみている。

ふらりと立ち上がるとさちの前まで歩み寄った。

「さち、もうそなただけが頼りです。お願いです、この子の代わりになってくださいまし」

言うが早いか、さちに向かって頭を下げてきた。

「母上、おやめください」

「でももうそれしか」

「まだ、諦めなくても大丈夫です。きっとなんとかなります。これまでだって乗り越えてきたのですから」

「でも、もう私は、私はもう」

さくらはそう言って姫の膝にくずおれるように突っ伏してしまった。

「許しておくれ、十六夜、おろかで弱い母を」

「母上」

再び泣き崩れる母を十六夜は困ったようになだめた。

さちはその様子をおののきながら見つめ、頭の中で考えを巡らせる。

(私が身代わりに、やはりそうだったんだ。そのために後宮に連れてこられた。姫をお助けするために。けれど)

さちにはまだわからないことが多かったので、この場で冷静に説明してくれそうな相手に視線を送った。

視線を受けた本人は、浅く嘆息してさちに向き直ると凛として口を開いた。

「さくら様の代わりに私が全てお話しいたします」

さくら付きの女房である舟であった。

彼女はさちをここへ連れてくるために、父と交渉をした人物でもある。

舟の話は驚愕と悲哀がまざりあったものだった。

さくらは帝の寵愛を受けて子を授かったが、もともと身分がそれほど高く無く後ろ盾になる有力貴族もなかった。

生まれた男子は謎の死を遂げたのだと言う。しかも2人続けて。

病のためかとも思われたが、毒を漏られたか呪いを受けたかどちらかではないかとの疑いがのこった。

それと言うのも、同じ頃に皇后にも皇子がいたため次期皇太子の座を確実にするために皇后派が動いたのではないかと推測されたからだ。

ほどなく、さくらは3度目の懐妊がわかった。
生まれた子がもしもまた男子ならば皇后派がどんなことをしてくるだろう。

暗殺を恐れたさくらや舟によって、産まれ落ちたその日から十六夜は姫宮として育てられることになった。

女子であれば皇位継承権はずっと下の方であるし、いずれは臣下に降嫁される。

皇后派から見れば、恐るるに足りぬ存在とみなされる。

全ては皇子の命を守るため。

「そんな」

そこまで聞き終えたさちは、震えが止まらなくなってしまう。

「では十六夜様は」

ずっとずっと、そんな重い秘密を抱えていたというのか。

だから、1人きりで木に登り後宮の外の世界に想いを馳せていたのか。

もしそうだとしたら、彼の人生はあまりに哀れではないか。

「それだけではありません、十六夜様は成長するにつれて異能の力を発揮されるようになりました。
これがいけませんでした。公にされてはいませんが、強い異能の才がある皇子が帝位を継ぐと国は安泰だという言い伝えがあるのです。
異能の皇子が皇太子を押し退けて帝位についた例も過去にはあるそうです」

もしも異能のある十六夜が皇子として育てられていたら、有力貴族の後見がついてもおかしくはない。

ともすれば、今の皇太子の地位さえ脅かす存在になるだろう。

もし、さくらが野心のある側室だったなら、あるいは十六夜は帝位を望めたかもしれない。

しかし、既に皇子を2人も失っていたさくらは十六夜がただ生きてさえいてくればと願い、他の全てを諦めたのだった。

最後まで聞き終わったさちは、身体中の血が沸騰するのがわかった。

怒り、悲しみ、恐怖、どれもがごちゃごちゃになってさちを呑み込んでいく。

ことは宮廷の権力争いや政治にも関わることだった。

さちには難しい政治のことなどわからないし、わかりたくもなかった。

ただただ、十六夜の心の中の苦悩を思うとやるせなかった。

「こうなった以上、一刻も早くご決断をいただかなくてはなりません。十六夜様、どうか、後宮からお逃げくださいまし」

舟は十六夜に向き直ると神妙に告げた。

「もしも、本当のことがわかれば帝を欺いた罪人として罰せられます。
死罪とまでいかぬとも配流の憂き目にあいましょう」

「そして、島への旅路の途中に何者かに暗殺されるのか」

十六夜はむしろ淡々と言い放つ。

おそらくこいいう会話はこれまでに何度となく交わされてきたのだろう。

「十六夜、許して、許してください」

そこで、さくらは再びわっと泣き出してしまった。

十六夜は耐えるようにグッと目を閉じた。

さくらは自責の念とまた子供を失うかも知れぬ恐怖に精神が崩れかけているように見えた。

「さち、これで私達の事情をわかってくれたでしょう?そなたには姫の身代わりになって後宮にとどまってもらいます」

「あ、あの、でも」

「何も一生というわけではない。頃合いを見て病気になったことにして尼寺に出家をさせる。それまでの辛抱です」

姫君がもし無事に後宮を脱出出来たとしても、いなくなった姫は宮廷の威信をかけて血眼で捜索されるに違いない。

そうすれば、必ず捕まってしまう。

捕まれば最後、姫の命はどうなるかわからない。

だからこそ替え玉が必要なのだ。

さちは拳をぐっと握り大きく息を吸い込む。

「は、はい。私で出来ることはなんでもいたします」

「さち、駄目だ」

鋭く叫んだ十六夜は眉を吊り上げてさちに向き直る。

「やめてくれ、そんなこと」

「でも、姫様」

「そうまでして助かりたくない。身代わりになってもしバレたらさちは確実に死罪だ。わかっているのか」

「でも、でも私は」

つねに無い剣幕にたじろぎそうになるが、さちは首を振りきっぱりと言う。

「それでも、姫様が命を落とすよりはずっといいですから」