「この子が私の新しい侍女になるから、よろしく頼むね」
「は?侍女でございますか」
「まあ、そんな突然すぎますわ」
三の姫の部屋に連れて行かれたはきだめは、姫様付きの女房達に紹介された。
しかし、明らかに女房達は戸惑っており歓迎とはほど遠い空気だ。
訝しげな目で見られたはきだめは、居心地の悪さに身を縮めた。
「ところで、そちらの方のお名前はなんとおっしゃるのでしょう?どちらの家に連なる素性なのか聞いておいてよろしいですか?」
その場の沈黙を破って一人の年配の落ちついた女房が口を開くと三の姫がすかさず答えて言った。
「ああ、故あって素性は明かせないが名前は、ええとまだ聞いていなかったね」
話の最後ははきだめの方を向いて優しく笑う姫君。
水を向けられたはきだめはというと、俯いてしまう。
この流れからして名前を言わなくてはいけない、とはわかっている。
だけど、こんな煌びやかな女達に自分の惨めな名前を言うのは勇気がいった。
さきほどまでいた屋敷の方では、わざわざ名乗らなくとも周りが勝手に侍女様と呼んできたのでやりすごせたのに。
「もしや、それも内緒にするおつもりか
」
他の女房に非難がましい目を向けられ、はきだめはびくりと身体を震わせた。
「これからここで一緒に姫様にお仕えするつもりならそのくらいは教えてもよろしかろう」
「……」
はきだめは相手の言うことももっともだと思って観念した。
「待ちなさい、言いたくないのなら」
姫君の助け舟を遮るようにはきだめは意を決して口を開く。
「私は、はきだめと申します。
頑張りますのでよろしくお願いします」
だが、それを聞いた女房たちは袖で口を隠してクスクス笑いだした。
「まあまあ、それが名前だなんて悪い冗談はおよしください」
「そうですわ、いくらなんでもそんな」
「もしも私がそんな名前で呼ばれたら恥ずかしくて死にたくなりますわ」
はきだめは惨めな気持ちになり悲しくて俯いた。
自分だってこんな名前で呼ばれて死にたいと思ったことは幾度もある。
けれど、必死で涙を流さないように我慢した。
もう、あの家に帰ることなど出来ない。辛くともここにいさせてもらわなくてはならないのだ。
その時だった。
パシリと扇が鳴る音がして、皆が背筋を正した。
見れば上座に腰を下ろしていた三の姫が、厳しい表情を浮かべていた。
「みな、何がおかしいのですか?」
静かに低く叱責するような声に女房達は顔色をなくした。
「……」
「私が勝手に侍女を連れて来たことに不満があるのならはっきりそう言ってください。このものへの不服はすべて私に向けたものだと受け取りますが、いかがか?」
先程までの姫君のくだけた話し方は消え去っていたので、あたりは緊張感に包まれた。
答える声は無くみないっせいに平伏する。
少しして、初めに彼女のことを尋ねて来た年配の女房が代表して謝罪を口にしてきた。
「申し訳ございません、姫様の御前で無作法なことをいたしました。お許しくださいませ」
それからはきだめに向きなおり頭を下げる。
「い、いえ、私はその、平気ですからお気になさらないでください」
はきだめはそう言ったが、いたたまれない気持ちになるのはどうしょうもない。
女房達はみな気まずそうに床を見やっていてはきだめとは顔を合わせようとしない。
最悪の雰囲気である。
この先、自分がこの人達に受け入れてもらうのは容易なことではないだろう。
はきだめは、心の中でそっと嘆息する。
すると、姫君は無言で立ち上がりはきだめの前までくると、おいでと言って手を差し伸べてきた。
「はい」
はきだめは、ためらうことなくその手をとる。
先程から感じていたことだが、姫君の手は大きくて暖かい。その上、固く筋張っており力強いのだ。
自分の小さな手が優しく包み込まれると、不思議と心が落ちつく。
2人が連れ立って出て行こうとすると、後ろで女房達が何かつぶやいたが振り返らなかった。
渡殿を通りながら、ごめんと謝られたのでハッとして隣の姫君を見上げた。
「みんな悪い人じゃないんだ。ただ、女の人ばかりだからね、互いに遠慮がなくなるみたいで時々あんな雰囲気になってしまう」
「はい」
素直に頷いたが、彼女の言い方にかすかに違和感を感じる。
けれど、その小さな違和感の意味がわからない。
「それに、全部私のせいなんだ。みんなには苦労をかけてばかりいるからね。どうしても警戒心が強くなっちゃうんだ」
「警戒心、ですか?」
確かに先程の女房達の自分を見る目が不信感に満ちていた気がした。
「うん、この後宮では私のことをよく思っていないものがたくさんいるんだ。
そんな人達ばかりだから、女房達も自然とああなってしまう」
「え、そんな方がいらっしゃるんですか?」
はきだめは目を見開いて尋ねる。
こんなに美しい内親王を愛さない人間がいるだなんて信じられない。しかも、たくさんと言うことは1人や2人ではないのだろう。
ふいに足を止めた姫君が、心配そうにはきだめを覗きこんできた。
「実を言うと私はややこしい立場なんだ。それでも、私に仕えてもらえる?」
「はい、もちろんです」
はきだめは深く理由を尋ねることなく頷いていた。
出会ったばかりだけど、この姫にお仕えしたいという気持ちが芽生え始めている。
自分でも不思議なくらいに強く。
「良かった」
ほっとしたように笑顔になった姫は、周りをキョロキョロと見まわす。
そしてバッと勢いよく単を脱ぎ捨てて袴姿になり階(きざはし)を駆け下りていき庭に降り立つ。
「えっ……!?」
後宮の習わしに疎いはきだめでも、これが尋常なことでないのはわかる。
「こっちへ来て、早く早く」
「は、はい」
笑顔で言われてはきだめも、単をなんとか脱いで小さくまとめる。
主人の分も一緒に空部屋の端に押し込んで隠してから駆け出した。
重い単を取り払ったら身体が軽くて開放感でいっぱいになった。
草履も履かずに庭に降りたはきだめは姫君の元へ急いだ。
姫は大きな木にもたれかかっていた。
「木には登れる?」
「はい、登れると思いますが……」
「良かった」
もとより、はきだめは庶民の出なので木登りくらい出来ても不思議ではない。
しかし、である。
内親王の姫宮が木登りなど出来るのか、いやしてもいいのだろうか、はなはだ疑問だ。
はきだめの心配をよそに、姫宮は手慣れた様子でするすると登っていくので、必死に追いかけた。
幼い頃、兄と一緒に木登りしていたお転婆娘の頃が懐かしい。
「お待ちを、姫様」
「上手いじゃないか」
「姫様こそ」
「私はしょっちゅう登っているからね。
むしゃくしゃすることがあると、こうやって高いところから宮の外を眺めるんだ」
木のてっぺんまで行き2人それぞれに太い幹に腰掛けた。
ほらごらん、と促され顔を向けると思わず感嘆の声を上げた。
「わぁ」
そこから見はるかす都の街並みは壮観であった。
貴族の屋敷の青い屋根、桜並木、ずっと向こうに軒を連ねる庶民の小さな家々。
野菜や魚を売る市場の賑わい。
豆粒くらいに見える人々の活気も伝わってくるようだ。
「私のいる場所はね、とても狭い。けれど、私もいつかあの場所へ行けるのかなって想像すると気持ちがなごむんだ」
「姫様」
「いつか、外に出たら私はもっと私らしく生きられるかもしれないから」
姫君の横顔は笑っているように見えるのに、その瞳はなぜかせつなげに細められる。
はきだめには、わからなかった。
後宮で何不自由の無い暮らしができるはずの姫宮がどうして、外の世界を夢みる必要があるのか。
聞いてみたかったけれど、今日出会ったばかりの自分がそんなことを聞くのは不敬のような気がして我慢した。
「さっきからずっと考えていたんだけど」
「はい、何をでしょうか」
「さち、というのどうかな?」
「え」
はきだめは、姫の言ってる意味がわからず目を丸くする。
「幸せと書いてさち、そなたの名前にと思って」
「……」
はきだめは、驚きのあまり口をぽかんと開く。
けれど、とくとくと全身の血が熱くなるのを感じた。
「これまでの名前はそなたには似合わない。今日からこの名を名乗りなさい」
「あ、あのっ」
はきだめの視界は急に滲んでぼやけてしまい、声も掠れてうまく言葉にならない。
「え、うそ、泣かないで。私のせい?ごめんよ」
慌てたように姫宮は侍女を覗きこむと、溢れる涙を自分の袖で優しく拭った。
「大丈夫だよ、さちはこれからはずっと幸せな人生を歩んでいくんだ。
そうなるように、私にも協力させておくれ」
はきだめ改め、さちは姫宮の暖かい胸に抱きしめられ、泣きじゃくっていた。
さちは、もともと泣き虫だ。東大路家にいた頃も辛いことがあるとすぐに泣いていた。
けれど、今はその涙とは全然違う。
永らく忘れていた感情が蘇っていく。
人は悲しい時だけではなく、嬉しい時も泣くのだということをこの時思い出していた。
「は?侍女でございますか」
「まあ、そんな突然すぎますわ」
三の姫の部屋に連れて行かれたはきだめは、姫様付きの女房達に紹介された。
しかし、明らかに女房達は戸惑っており歓迎とはほど遠い空気だ。
訝しげな目で見られたはきだめは、居心地の悪さに身を縮めた。
「ところで、そちらの方のお名前はなんとおっしゃるのでしょう?どちらの家に連なる素性なのか聞いておいてよろしいですか?」
その場の沈黙を破って一人の年配の落ちついた女房が口を開くと三の姫がすかさず答えて言った。
「ああ、故あって素性は明かせないが名前は、ええとまだ聞いていなかったね」
話の最後ははきだめの方を向いて優しく笑う姫君。
水を向けられたはきだめはというと、俯いてしまう。
この流れからして名前を言わなくてはいけない、とはわかっている。
だけど、こんな煌びやかな女達に自分の惨めな名前を言うのは勇気がいった。
さきほどまでいた屋敷の方では、わざわざ名乗らなくとも周りが勝手に侍女様と呼んできたのでやりすごせたのに。
「もしや、それも内緒にするおつもりか
」
他の女房に非難がましい目を向けられ、はきだめはびくりと身体を震わせた。
「これからここで一緒に姫様にお仕えするつもりならそのくらいは教えてもよろしかろう」
「……」
はきだめは相手の言うことももっともだと思って観念した。
「待ちなさい、言いたくないのなら」
姫君の助け舟を遮るようにはきだめは意を決して口を開く。
「私は、はきだめと申します。
頑張りますのでよろしくお願いします」
だが、それを聞いた女房たちは袖で口を隠してクスクス笑いだした。
「まあまあ、それが名前だなんて悪い冗談はおよしください」
「そうですわ、いくらなんでもそんな」
「もしも私がそんな名前で呼ばれたら恥ずかしくて死にたくなりますわ」
はきだめは惨めな気持ちになり悲しくて俯いた。
自分だってこんな名前で呼ばれて死にたいと思ったことは幾度もある。
けれど、必死で涙を流さないように我慢した。
もう、あの家に帰ることなど出来ない。辛くともここにいさせてもらわなくてはならないのだ。
その時だった。
パシリと扇が鳴る音がして、皆が背筋を正した。
見れば上座に腰を下ろしていた三の姫が、厳しい表情を浮かべていた。
「みな、何がおかしいのですか?」
静かに低く叱責するような声に女房達は顔色をなくした。
「……」
「私が勝手に侍女を連れて来たことに不満があるのならはっきりそう言ってください。このものへの不服はすべて私に向けたものだと受け取りますが、いかがか?」
先程までの姫君のくだけた話し方は消え去っていたので、あたりは緊張感に包まれた。
答える声は無くみないっせいに平伏する。
少しして、初めに彼女のことを尋ねて来た年配の女房が代表して謝罪を口にしてきた。
「申し訳ございません、姫様の御前で無作法なことをいたしました。お許しくださいませ」
それからはきだめに向きなおり頭を下げる。
「い、いえ、私はその、平気ですからお気になさらないでください」
はきだめはそう言ったが、いたたまれない気持ちになるのはどうしょうもない。
女房達はみな気まずそうに床を見やっていてはきだめとは顔を合わせようとしない。
最悪の雰囲気である。
この先、自分がこの人達に受け入れてもらうのは容易なことではないだろう。
はきだめは、心の中でそっと嘆息する。
すると、姫君は無言で立ち上がりはきだめの前までくると、おいでと言って手を差し伸べてきた。
「はい」
はきだめは、ためらうことなくその手をとる。
先程から感じていたことだが、姫君の手は大きくて暖かい。その上、固く筋張っており力強いのだ。
自分の小さな手が優しく包み込まれると、不思議と心が落ちつく。
2人が連れ立って出て行こうとすると、後ろで女房達が何かつぶやいたが振り返らなかった。
渡殿を通りながら、ごめんと謝られたのでハッとして隣の姫君を見上げた。
「みんな悪い人じゃないんだ。ただ、女の人ばかりだからね、互いに遠慮がなくなるみたいで時々あんな雰囲気になってしまう」
「はい」
素直に頷いたが、彼女の言い方にかすかに違和感を感じる。
けれど、その小さな違和感の意味がわからない。
「それに、全部私のせいなんだ。みんなには苦労をかけてばかりいるからね。どうしても警戒心が強くなっちゃうんだ」
「警戒心、ですか?」
確かに先程の女房達の自分を見る目が不信感に満ちていた気がした。
「うん、この後宮では私のことをよく思っていないものがたくさんいるんだ。
そんな人達ばかりだから、女房達も自然とああなってしまう」
「え、そんな方がいらっしゃるんですか?」
はきだめは目を見開いて尋ねる。
こんなに美しい内親王を愛さない人間がいるだなんて信じられない。しかも、たくさんと言うことは1人や2人ではないのだろう。
ふいに足を止めた姫君が、心配そうにはきだめを覗きこんできた。
「実を言うと私はややこしい立場なんだ。それでも、私に仕えてもらえる?」
「はい、もちろんです」
はきだめは深く理由を尋ねることなく頷いていた。
出会ったばかりだけど、この姫にお仕えしたいという気持ちが芽生え始めている。
自分でも不思議なくらいに強く。
「良かった」
ほっとしたように笑顔になった姫は、周りをキョロキョロと見まわす。
そしてバッと勢いよく単を脱ぎ捨てて袴姿になり階(きざはし)を駆け下りていき庭に降り立つ。
「えっ……!?」
後宮の習わしに疎いはきだめでも、これが尋常なことでないのはわかる。
「こっちへ来て、早く早く」
「は、はい」
笑顔で言われてはきだめも、単をなんとか脱いで小さくまとめる。
主人の分も一緒に空部屋の端に押し込んで隠してから駆け出した。
重い単を取り払ったら身体が軽くて開放感でいっぱいになった。
草履も履かずに庭に降りたはきだめは姫君の元へ急いだ。
姫は大きな木にもたれかかっていた。
「木には登れる?」
「はい、登れると思いますが……」
「良かった」
もとより、はきだめは庶民の出なので木登りくらい出来ても不思議ではない。
しかし、である。
内親王の姫宮が木登りなど出来るのか、いやしてもいいのだろうか、はなはだ疑問だ。
はきだめの心配をよそに、姫宮は手慣れた様子でするすると登っていくので、必死に追いかけた。
幼い頃、兄と一緒に木登りしていたお転婆娘の頃が懐かしい。
「お待ちを、姫様」
「上手いじゃないか」
「姫様こそ」
「私はしょっちゅう登っているからね。
むしゃくしゃすることがあると、こうやって高いところから宮の外を眺めるんだ」
木のてっぺんまで行き2人それぞれに太い幹に腰掛けた。
ほらごらん、と促され顔を向けると思わず感嘆の声を上げた。
「わぁ」
そこから見はるかす都の街並みは壮観であった。
貴族の屋敷の青い屋根、桜並木、ずっと向こうに軒を連ねる庶民の小さな家々。
野菜や魚を売る市場の賑わい。
豆粒くらいに見える人々の活気も伝わってくるようだ。
「私のいる場所はね、とても狭い。けれど、私もいつかあの場所へ行けるのかなって想像すると気持ちがなごむんだ」
「姫様」
「いつか、外に出たら私はもっと私らしく生きられるかもしれないから」
姫君の横顔は笑っているように見えるのに、その瞳はなぜかせつなげに細められる。
はきだめには、わからなかった。
後宮で何不自由の無い暮らしができるはずの姫宮がどうして、外の世界を夢みる必要があるのか。
聞いてみたかったけれど、今日出会ったばかりの自分がそんなことを聞くのは不敬のような気がして我慢した。
「さっきからずっと考えていたんだけど」
「はい、何をでしょうか」
「さち、というのどうかな?」
「え」
はきだめは、姫の言ってる意味がわからず目を丸くする。
「幸せと書いてさち、そなたの名前にと思って」
「……」
はきだめは、驚きのあまり口をぽかんと開く。
けれど、とくとくと全身の血が熱くなるのを感じた。
「これまでの名前はそなたには似合わない。今日からこの名を名乗りなさい」
「あ、あのっ」
はきだめの視界は急に滲んでぼやけてしまい、声も掠れてうまく言葉にならない。
「え、うそ、泣かないで。私のせい?ごめんよ」
慌てたように姫宮は侍女を覗きこむと、溢れる涙を自分の袖で優しく拭った。
「大丈夫だよ、さちはこれからはずっと幸せな人生を歩んでいくんだ。
そうなるように、私にも協力させておくれ」
はきだめ改め、さちは姫宮の暖かい胸に抱きしめられ、泣きじゃくっていた。
さちは、もともと泣き虫だ。東大路家にいた頃も辛いことがあるとすぐに泣いていた。
けれど、今はその涙とは全然違う。
永らく忘れていた感情が蘇っていく。
人は悲しい時だけではなく、嬉しい時も泣くのだということをこの時思い出していた。



