真夜中に牛車が辿り着いた場所は、はきだめが見たことも聞いたこともないような荘厳な寝殿造の建物だった。
無数のかがり火が焚かれ昼間のように明るい。
立派な狩衣を身につけ太刀を帯びた兵士達が門を守っている。
これまで暮らしていた屋敷とは比べものにならないくらい広大だ。
(ここはもしかしたら名のある貴族のお屋敷なのかもしれない)
彼女がそんなことを思っていると、牛車の周りにたくさんの人が集まってくる気配がした。
牛車の御簾が上がると矢のような視線が向けられ、たちまち狼狽え身を固くする。
なぜか若い女達ばかりだ。
「おかえりなさいませ、さくら様」
「あんまり遅いので心配しておりました。おや、この子は?まあまあ、汚いですわ。このままで後宮には上げられません」
はきだめのみすぼらしい姿を目にした女達は眉を顰める。
「それにひどく痩せていますのね。もしや病気なのでは?湯に入れて磨き上げてから、たんと食べさせて肌艶をよくして、話はそれからです」
女の提案にさくらは諦めたように嘆息する。
「では、なるべく急いで頂戴。早くあの子に会わせたいから」
「十六夜姫にございますか?」
「そうよ、お願いね」
どうやらさくらは、この屋敷の主人のようだった。
おそらく、位の高い貴族の奥様に違いないとはきだめは思う。
いずれにしろ、自分からしたら雲の上の存在だ。
それから、大人の女達に連れられて行ったのは湯殿である。
数人がかりで身体の隅々まで洗われて、恥ずかしかったが、使用人らしき女達には有無を言わせぬ迫力があったのでおとなしくされるがままになっていた。
(ここで働くことになるのだから、綺麗な身なりをしていないといけないのだわ)
見れば、女達の装束は使用人とは思えないくらい洗練されて清潔感がある。
湯を上がったはきだめは、髪を丁寧に梳ってもらい、3人がかりで着替えを手伝われた。
「あの、一人で着替えます」
「お手伝いいたします、そういう決まりですから」
「は、はあ」
言われた意味がわからず首を傾げたが、しばらくしてすぐに理解した。
何枚もの衣に袖を通さなければならず、その色の重ね方にも決まりがあるらしい。
いつもはぼろの薄物一枚だけだったので、これはこれで窮屈だ。
それに裾が床につくくらいに長く引きずるように歩かないといけないので意味がわからない。
「あの、これでは動きにくいのでみなさんが着ているようなものを着させてもらえませんか?」
「いいえ、いけません。舟さまからのご指示通りにしなくてはいけませんから」
「でもこれでは掃除や洗濯ができません」
「あらまあ、ほほほ」
はきだめの言葉を下女達はおかしそうに笑う。
「まあ、そんなことはあなたさまの仕事ではございませんよ」
「でも、私にはそのくらいしか出来ません。お料理も少しなら出来ますが」
「舟様からは、三の姫様の侍女としてお仕えする方とお聞きしております」
「私が?お姫様の侍女、ですか」
姫の侍女とは一体何をするのだろう、はきだめにはさっぱりわからない。
しかし、考えてみれば下働きをさせるためにわざわざ連れてこられたわけでは無さそうだ。
異能の力を認められて雇われたと見る方が自然である。
けれど、自分の幻術の力がどんな役に立てるというのだらう。
兄姉たちにはさんざんこきおろされてきた役立たずの異能なのに。
そう思うにつけ、はきだめは心細くなっていく。
(もしかしたら、ここでもまた役立たずと罵られて、追い出されてしまうかもしれない)
そんな彼女の心配をよそに、数名の女達からかしずかれるような生活が始まった。
綺麗な衣を着て、 三食をきちんと食べることが出来、広く清潔な一人部屋が与えられた。
最初こそ豪華な食事に面食らっていたが弱っていた胃腸には合わなかったので、粥を用意してもらい少しづつ体力をつけて行った。
「初めて来た時は幽鬼のように青白いお顔でしたが、今は少し血色が良くなってきましたわね。
それによく見れば、とてもお可愛らしい顔立ちをされていますわ」
「はあ」
下女の一人に可愛いと褒められたけれど、お世辞だろうと思った。
姉たちからさんざん醜女と罵倒されてきたから、自分の容姿に自信なんてない。
ここにいる女達はみな水準以上の美形ばかりだったので余計にそう感じる。
しばらくここで静養してから三の姫に対面させられるという段取りらしかったので、それまでに出来るだけ情報を集めようとした。
だが給仕をしに来た女に尋ねてわかったことは予想以上のものだった。
どこかの上流貴族の屋敷に連れてこられたとばかり思っていたが、どうやらここはこの国の中枢であり帝がおわす宮廷の片隅であるらしい。
それだけでも驚きだったのに、お仕えする予定の三の姫は今上帝の愛娘で内親王と呼ばれる立場のお方だとか。
もしかしたら、わがままな姫だろうかと不安に思いながら、けれど行き場の無い自分はここでやっていくしかないと覚悟を決める。
そして、その日は突然やってきた。
朝、桶いっぱいの水で顔を洗っていると、部屋の外からドタドタと騒がしい足音がした。
足音が部屋の前で止まると襖障子が勢いよく開かれる。
「おはよう」
明るい声がして振り向くと、輝くような朝の光を背にして美少女が立っていた。
緋色の長袴に白の小袖、若草色を基調とした単を着ていて、たいそう愛らしい。
「あ、あのどちら様でしょうか」
おずおずと尋ねてみたら、彼女はクスクスと鈴を転がすように笑う。
「そうか、びっくりさせてごめん。まず自己紹介が先だね」
「私が十六夜です。早くあなたに会いたくて来てしまったの、よろしくね」
そう言うが早いかはきだめの隣に腰を下ろして、マジマジと見つめてくる。
「こんなとこにいないで、私の部屋に早くおいで。一緒に遊ぼうよ」
自分と同い年だと聞いていたが、明るい雰囲気の三の姫はたいそう整った顔立ちで愛らしい。
光沢のある黒髪に若々しい白い肌、艶を帯びた黒曜石を思わせる大きな瞳、高い鼻梁、頬はほんのり赤く、薄い桜色の唇。
隠しきれない気品もありながら、柔らかな微笑みはどこか親しみやすい。
はきだめは、これほど美しい人を見たのは初めてで、見惚れてしまう。
「遊びですか?」
「うん、そうだよ。早く行こう」
ガシッと両手を握られて小さく悲鳴を上げた。
思いのほか、強い力だったからだ。
この細い身体のどこにそんな力を秘めているのか不思議だ。
「わ、ごめんなさい」
「い、いえ、平気です」
申し訳なさそうに眉を下げる三の姫に、はきだめは小さく微笑んだ。
「でも、さくら様と舟様のお許しがないと私はここから出れません」
「いいんだ、そんなの。どうせ私の侍女として仕えてもらうんだから遅いか早いかの違いだけだよ」
力強く説得されたがどうしていいかわからない。
三の姫は先ほどまでのあどけない様子とは少し違う凛とした強い表情になっていた。
「後のことは全部この私が責任をとるから、今すぐついて来てほしい。いいね?」
意思の強い眼差しで真っ直ぐに見つめられると、目線がはずせない。
この方には逆らえない、とはきだめは自然に思った。
どうしてだかわからない、なぜかそんな気がしたのだ。
それに決して不快ではなかったのだ。
この方は特別なのだ、と理解した。
特別?それは自分にとってか、全ての人にとってか、そこまではわからなかったが。
「あ、えと、は、はい」
はきだめはすうっと息を吸い込み、床に両手をつき頭を垂れた。
「本日からお仕えいたします、十六夜姫様。ふつつかですがどうぞ末永くよろしくお願いいたします」
「うん、こちらこそよろしくね。さあ、頭を上げて。行こう」
心をこめて挨拶をすれば三の姫は瞳を細め、はきだめの手をとった。
並んで立ち上がってみると、姫の方がずっと背が高い。
それから手を引かれて渡殿を歩き、連れて行かれた先は、さらに贅を尽くした屋敷だった。
中庭の桜が特に印象的で、彼女を歓迎するように鮮やかに花びらが舞っている。
(なんて綺麗なの)
はきだめがうっとりと眺めていると、姫は気づいて一緒に立ちどまる。
そう言えば、美しいものを見て感動するのは何年振りだろう。
これまでは、そんな余裕すらなかったのだ。
(ここは話に聞く極楽浄土なのかもしれない)
だって、とはきだめは思う。
(目の前には天女がいるのだもの)
ふわふわと舞う花びらが吸い寄せられるように、三の姫の頭上に降り注ぐ。
天然の髪飾りのようだ、と思ったはきだめが夢見心地で姫を見つめたその時。
フルフルとまるで犬のように頭を振って乱雑に花びらを振り落とす三の姫。
「あ」
姫らしからぬその大雑把な様子に一瞬唖然とするはきだめ。
「とれた?」
眉根を寄せながら面倒そうに尋ねる姫に、おずおずと返事をする。
「い、いえまだ少しついてますが」
「そう?じゃあとって」
「は、はいっ」
背の高い三の姫が少しかがんでくれたので、はきだめは急いで花びらを回収した。
この時、集めた花びらをそのまま捨ててしまうのが忍びなくてそっと袖の下に隠し入れた。
姫様に触れたお花を今日の記念に残しておきたくなったから。
無数のかがり火が焚かれ昼間のように明るい。
立派な狩衣を身につけ太刀を帯びた兵士達が門を守っている。
これまで暮らしていた屋敷とは比べものにならないくらい広大だ。
(ここはもしかしたら名のある貴族のお屋敷なのかもしれない)
彼女がそんなことを思っていると、牛車の周りにたくさんの人が集まってくる気配がした。
牛車の御簾が上がると矢のような視線が向けられ、たちまち狼狽え身を固くする。
なぜか若い女達ばかりだ。
「おかえりなさいませ、さくら様」
「あんまり遅いので心配しておりました。おや、この子は?まあまあ、汚いですわ。このままで後宮には上げられません」
はきだめのみすぼらしい姿を目にした女達は眉を顰める。
「それにひどく痩せていますのね。もしや病気なのでは?湯に入れて磨き上げてから、たんと食べさせて肌艶をよくして、話はそれからです」
女の提案にさくらは諦めたように嘆息する。
「では、なるべく急いで頂戴。早くあの子に会わせたいから」
「十六夜姫にございますか?」
「そうよ、お願いね」
どうやらさくらは、この屋敷の主人のようだった。
おそらく、位の高い貴族の奥様に違いないとはきだめは思う。
いずれにしろ、自分からしたら雲の上の存在だ。
それから、大人の女達に連れられて行ったのは湯殿である。
数人がかりで身体の隅々まで洗われて、恥ずかしかったが、使用人らしき女達には有無を言わせぬ迫力があったのでおとなしくされるがままになっていた。
(ここで働くことになるのだから、綺麗な身なりをしていないといけないのだわ)
見れば、女達の装束は使用人とは思えないくらい洗練されて清潔感がある。
湯を上がったはきだめは、髪を丁寧に梳ってもらい、3人がかりで着替えを手伝われた。
「あの、一人で着替えます」
「お手伝いいたします、そういう決まりですから」
「は、はあ」
言われた意味がわからず首を傾げたが、しばらくしてすぐに理解した。
何枚もの衣に袖を通さなければならず、その色の重ね方にも決まりがあるらしい。
いつもはぼろの薄物一枚だけだったので、これはこれで窮屈だ。
それに裾が床につくくらいに長く引きずるように歩かないといけないので意味がわからない。
「あの、これでは動きにくいのでみなさんが着ているようなものを着させてもらえませんか?」
「いいえ、いけません。舟さまからのご指示通りにしなくてはいけませんから」
「でもこれでは掃除や洗濯ができません」
「あらまあ、ほほほ」
はきだめの言葉を下女達はおかしそうに笑う。
「まあ、そんなことはあなたさまの仕事ではございませんよ」
「でも、私にはそのくらいしか出来ません。お料理も少しなら出来ますが」
「舟様からは、三の姫様の侍女としてお仕えする方とお聞きしております」
「私が?お姫様の侍女、ですか」
姫の侍女とは一体何をするのだろう、はきだめにはさっぱりわからない。
しかし、考えてみれば下働きをさせるためにわざわざ連れてこられたわけでは無さそうだ。
異能の力を認められて雇われたと見る方が自然である。
けれど、自分の幻術の力がどんな役に立てるというのだらう。
兄姉たちにはさんざんこきおろされてきた役立たずの異能なのに。
そう思うにつけ、はきだめは心細くなっていく。
(もしかしたら、ここでもまた役立たずと罵られて、追い出されてしまうかもしれない)
そんな彼女の心配をよそに、数名の女達からかしずかれるような生活が始まった。
綺麗な衣を着て、 三食をきちんと食べることが出来、広く清潔な一人部屋が与えられた。
最初こそ豪華な食事に面食らっていたが弱っていた胃腸には合わなかったので、粥を用意してもらい少しづつ体力をつけて行った。
「初めて来た時は幽鬼のように青白いお顔でしたが、今は少し血色が良くなってきましたわね。
それによく見れば、とてもお可愛らしい顔立ちをされていますわ」
「はあ」
下女の一人に可愛いと褒められたけれど、お世辞だろうと思った。
姉たちからさんざん醜女と罵倒されてきたから、自分の容姿に自信なんてない。
ここにいる女達はみな水準以上の美形ばかりだったので余計にそう感じる。
しばらくここで静養してから三の姫に対面させられるという段取りらしかったので、それまでに出来るだけ情報を集めようとした。
だが給仕をしに来た女に尋ねてわかったことは予想以上のものだった。
どこかの上流貴族の屋敷に連れてこられたとばかり思っていたが、どうやらここはこの国の中枢であり帝がおわす宮廷の片隅であるらしい。
それだけでも驚きだったのに、お仕えする予定の三の姫は今上帝の愛娘で内親王と呼ばれる立場のお方だとか。
もしかしたら、わがままな姫だろうかと不安に思いながら、けれど行き場の無い自分はここでやっていくしかないと覚悟を決める。
そして、その日は突然やってきた。
朝、桶いっぱいの水で顔を洗っていると、部屋の外からドタドタと騒がしい足音がした。
足音が部屋の前で止まると襖障子が勢いよく開かれる。
「おはよう」
明るい声がして振り向くと、輝くような朝の光を背にして美少女が立っていた。
緋色の長袴に白の小袖、若草色を基調とした単を着ていて、たいそう愛らしい。
「あ、あのどちら様でしょうか」
おずおずと尋ねてみたら、彼女はクスクスと鈴を転がすように笑う。
「そうか、びっくりさせてごめん。まず自己紹介が先だね」
「私が十六夜です。早くあなたに会いたくて来てしまったの、よろしくね」
そう言うが早いかはきだめの隣に腰を下ろして、マジマジと見つめてくる。
「こんなとこにいないで、私の部屋に早くおいで。一緒に遊ぼうよ」
自分と同い年だと聞いていたが、明るい雰囲気の三の姫はたいそう整った顔立ちで愛らしい。
光沢のある黒髪に若々しい白い肌、艶を帯びた黒曜石を思わせる大きな瞳、高い鼻梁、頬はほんのり赤く、薄い桜色の唇。
隠しきれない気品もありながら、柔らかな微笑みはどこか親しみやすい。
はきだめは、これほど美しい人を見たのは初めてで、見惚れてしまう。
「遊びですか?」
「うん、そうだよ。早く行こう」
ガシッと両手を握られて小さく悲鳴を上げた。
思いのほか、強い力だったからだ。
この細い身体のどこにそんな力を秘めているのか不思議だ。
「わ、ごめんなさい」
「い、いえ、平気です」
申し訳なさそうに眉を下げる三の姫に、はきだめは小さく微笑んだ。
「でも、さくら様と舟様のお許しがないと私はここから出れません」
「いいんだ、そんなの。どうせ私の侍女として仕えてもらうんだから遅いか早いかの違いだけだよ」
力強く説得されたがどうしていいかわからない。
三の姫は先ほどまでのあどけない様子とは少し違う凛とした強い表情になっていた。
「後のことは全部この私が責任をとるから、今すぐついて来てほしい。いいね?」
意思の強い眼差しで真っ直ぐに見つめられると、目線がはずせない。
この方には逆らえない、とはきだめは自然に思った。
どうしてだかわからない、なぜかそんな気がしたのだ。
それに決して不快ではなかったのだ。
この方は特別なのだ、と理解した。
特別?それは自分にとってか、全ての人にとってか、そこまではわからなかったが。
「あ、えと、は、はい」
はきだめはすうっと息を吸い込み、床に両手をつき頭を垂れた。
「本日からお仕えいたします、十六夜姫様。ふつつかですがどうぞ末永くよろしくお願いいたします」
「うん、こちらこそよろしくね。さあ、頭を上げて。行こう」
心をこめて挨拶をすれば三の姫は瞳を細め、はきだめの手をとった。
並んで立ち上がってみると、姫の方がずっと背が高い。
それから手を引かれて渡殿を歩き、連れて行かれた先は、さらに贅を尽くした屋敷だった。
中庭の桜が特に印象的で、彼女を歓迎するように鮮やかに花びらが舞っている。
(なんて綺麗なの)
はきだめがうっとりと眺めていると、姫は気づいて一緒に立ちどまる。
そう言えば、美しいものを見て感動するのは何年振りだろう。
これまでは、そんな余裕すらなかったのだ。
(ここは話に聞く極楽浄土なのかもしれない)
だって、とはきだめは思う。
(目の前には天女がいるのだもの)
ふわふわと舞う花びらが吸い寄せられるように、三の姫の頭上に降り注ぐ。
天然の髪飾りのようだ、と思ったはきだめが夢見心地で姫を見つめたその時。
フルフルとまるで犬のように頭を振って乱雑に花びらを振り落とす三の姫。
「あ」
姫らしからぬその大雑把な様子に一瞬唖然とするはきだめ。
「とれた?」
眉根を寄せながら面倒そうに尋ねる姫に、おずおずと返事をする。
「い、いえまだ少しついてますが」
「そう?じゃあとって」
「は、はいっ」
背の高い三の姫が少しかがんでくれたので、はきだめは急いで花びらを回収した。
この時、集めた花びらをそのまま捨ててしまうのが忍びなくてそっと袖の下に隠し入れた。
姫様に触れたお花を今日の記念に残しておきたくなったから。



