「はきだめ、どこにいるの?はきだめ」
屋敷中に響き渡るくらいの金切り声で呼ばれて厨にいた少女はびくりと身体を震わせた。
前掛けで濡れた手を拭いながら大慌てで渡殿を走った。
客間では腰に手をあてて目を吊り上げた姉達が待ち構えている。
「はい、お姉さま」
「遅いわよ、どこで油を売っていたのっ」
「あ、あの夕げのお支度をしておりました。怠けていたわけではありません」
「はあ?口ごたえするんじゃないわよ、はきだめのくせに」
「そうよ、役立たずの無能者のくせに生意気ね」
「ごめんなさい、お姉さま」
はきだめと呼ばれた少女は泣きそうになりながら俯いた。
いつもながらの叱責に身を震わせる。
姉二人は豪奢な着物をまとい、派手な化粧をしていた。
それに比べてはきだめは、使用人よりもボロの着物を身につけ手はあかぎれだらけだ。
東大路家の同じ姉妹でありながら、彼女達とはきだめとの間には超えられない高い壁があった。
退魔士の名門である東大路家に生まれた者は何かしらの異能を持っていて当然である。
しかしながら、はきだめの異能は退魔士としては役に立ちそうにはない。
それゆえ、家族の中での彼女の地位は低く、一族の恥とさえ思われていた。
「まあいいわ、私達今日はとっても機嫌がいいの」
「そうよ、だってお客様が来るのですもの」
持っていた扇で顔を隠して優雅に笑う姉達。
「だから、屋敷の隅から隅まで掃除しておきなさい。いいこと、塵ひとつ残していたらまた高いところから落とすわよ」
居丈高に言われ、はきだめの枯れ木のように痩せた身体は乱暴につきとばされた。
「アッハハハ、それはいいわ。この間もこの子ったら青い顔をして泣きじゃくってたわね」
もう一人の姉は腹を抱えて笑い、地べたに這いつくばる妹の背を足で踏みつけた。
「うっ……」
今夜は満月かと痛みに耐えながらはきだめは思う。
それに気がつき嘆息した。
満月の夜、東大路家の一族の異能は最大限の力を発揮する。
その力を見定めるために来訪者があるのだが、みな頭巾を被っていてそれが誰なのかどういう身分の人間なのかは謎だ。
ただ、はきだめにわかるのは満月の夜を境に兄や姉達が姿を消すことがあるということ。
東大路家の当主、東大路道継には5人の妻と13人の子供がいる。
はきだめは17歳で1番下の娘だ。
はきだめ以外はみな優秀な異能を持っていて、退魔士として即戦力として戦えるほどらしい。
都には魑魅魍魎、あやかしが跋扈しているため、強い異能者は重宝される。
だが、あやかし退治というまっとうな仕事ばかりではなく、人には言えないような闇の仕事も請け負っていることを、この時のはきだめは知らなかった。
当主の道嗣は金の亡者である。
金のためなら、自分の子がどのような汚れ仕事をさせられようが知ったことではないらしい。
彼にとっては、どうあっても役に立たないはきだめの存在はすっかり頭から消えていた。
はきだめの母は彼女の幼い時に流行病で亡くなっている。同腹の兄がいたが、ある日突然いなくなってしまった。
おそらく退魔士としての腕を買われて、どこかの家で雇われているのだとはきだめは信じている。
その兄だけははきだめを人間として扱ってくれた唯一の人だったから。
「◯◯◯、兄ちゃんが金を稼げるようになって迎えにきてやるからな。それまで待ってるんだぞ」
5歳年上の兄は妹をはきだめ、などというひどい名前では決して呼ばなかった。
けれど、あの優しい兄が呼んでくれた自分の名前をもう思い出せなかった。
兄との約束を信じたいけれど、あれから7年一度も音沙汰がない。
姉に暴力を振るわれている時、はきだめは兄を心に思い浮かべた。
「に、いさま……」
その呻き声を聞いて姉達はますますいきりたっていく。
有能な3番目の兄、吉三ははきだめにしか愛情を示さなかったものだから余計に腹立たしいようだ。
「吉三兄さんはもうとっくに殺されたのよ。なんせ土蜘蛛を討伐しにいかされたんだから、だから迎えなんかくるわけない。この家でおまえは一生こき使われて死ぬんだ」
腹違いの姉達はそう言って、はきだめをいじめ抜いていた。
土蜘蛛とは都中の退魔士が手を焼いている最強のあやかしである。もし姉達が言ったことが真実ならば兄はもう……。
「たとえ生きていたとしてもあんたみたいな無能者を迎えにくるわけないじゃないっ」
(そうかもしれない、私なんか迎えに来る価値なんてないのだから)
けれど、たとえそうだとしても兄には生きていて欲しい。
「お兄さま、吉三お兄さま」
グスグスと泣き崩れるはきだめを見て姉達は暗い優越感を満足させるのだった。
その時、雲間から月の光が縁側に差し込んできた。
たちまちはきだめの胸の奥がとくりと音をたてて震えた。
「あ」
姉が再び手を上げようとして、そのままの体勢で固まる。
何か薄気味悪そうな顔をしてこちらをまじまじと見つめる姉。
「ひっ」
手を上げたままの姉は目を疑う。
これは一体どうしたことだろう。
先程までの妹のおびえた顔が自分とそっくりの顔に見える。
もう一人の姉も驚きのあまり口を手で覆っている。
「そうだわ、こいつの異能ってこれよ。久しぶりに見た。気味が悪い」
吐き捨てるように言って、一歩後ずさる。
「は?何よ、私の顔が気味悪いってこと?」
「そうじゃなくって」
「ちょっと、元に戻りなさいよ」
さすがに自分の顔を殴りつけるわけにもいかず困惑する姉。
「あ、あの、私、今どうなっているのかよくわからなくて、えっと」
何度かこの異能を使ったことはあるけれど、いつも意図せず姿が変わってしまうのだ。
自分ではまだうまく使いこなせない力だった。
「幻術の一種だっけ、これって。私達が術にかけられてるだけよね。
こいつの顔がほんとに変わったわけじゃないよね」
「もう行こう、頭がおかしくなりそう」
「あの、お姉さま。私、そんなつもりじゃなくて」
姉に謝ろうとして立ち上がったけれど、姉達は逃げるように立ち去ってしまった。
後に一人残されて呆然としていると、後ろからか細い声がした。
「今のはそなたがやったことですか?」
振り返ると、ほっそりとした妙齢の女が歩み寄ってきた。
薄紫の頭巾を被り顔の下半分も布で隠していたが一目見て高貴な位の女だとわかる。
地味だが品のいい着物を身につけていてかぐわしい香が、はきだめの鼻腔をくすぐる。
突然のことに後退りするはきだめには構うことなく女は質問を浴びせてきた。
「誰にでもなれるのですか?男でも?」
「あ、あの」
「それはどのくらいの時間、保てますか?」
「まだ私にもよくわからないのです」
矢継ぎ早に質問されて戸惑っていると、奥からまた一人こちらへ向かってくるのが見えた。
「ああ、舟、この子です。見つけました」
フネと呼ばれたのは品の良さそうな老婆だった。こちらも薄墨色の頭巾をかぶっている。
もしかしたら目の前の女の侍女なのかもしれないとはきだめは思う。
「さくら様、落ちついてくださいまし。この娘のことは私がよきように取り計いますゆえ」
老女はキビキビとした足取りで歩み寄り主人に告げる。
「さあさ、先に牛車にお戻りください。さくら様がいつまでもこのような場所にいらっしゃってはいけません」
「舟、必ずこの子をお願い。今日にでも連れて帰りましょう」
切羽詰まったような様子のさくらに比べて舟と呼ばれた老婆の方はいくぶんか落ちついていた。
「ああきっと、御仏のご加護だわ」
さくらは、感極まったようにはきだめに向かって手を合わせる。そして名残惜しそうに幾度か振り返りながら渡殿の向こうへ消えていった。
その間、はきだめは何が自分の身に起きているのかさっぱりわからずにビクビクと震えていた。
そのせいか、いつのまにか彼女は元のみすぼらしい少女の姿に戻っていた。
(なんだろう、この人達は。私をどこに連れて行こうというの?)
それからの老女の行動は早かった。
老女がはきだめの父に直接何やら相談しだすと、父は揉み手をしながら愛想笑いを浮かべペコペコと頭を下げている。
こんな父の姿を見るのは初めてだ。
尊大な家長として威張り散らしているところしか記憶に無い。
その上驚いたことに、はきだめに向かっても笑顔を向けて親しげに声をかけてきたのだ。
「おお、可愛い我が娘よ。おまえを手放す日が来ようとは。父は寂しくてたまらないが、おまえがお役目を果たして我が家を盛り立ててくれたら嬉しく思いますぞ」
「お父様」
明らかに演技だと分かり切っているのに、はきだめは心がぽっと暖かくなる。
父が生まれて初めて自分に話しかけてくれたからだ。
哀れな娘はそれほどまでに家族の愛に飢えているのだった。
「私、頑張ります」
そう言いつつ何をどう頑張ればいいのかこの時はあまりわかっていなかった。
「そうかそうか、おまえは本当にいいこだ」
父は素直な娘を見て満足げに笑う。
別れ際、兄の消息を尋ねると、父は兄からの手紙を渡してくれた。
定期的に、はきだめ宛に金銭と手紙が送られてきていたらしく、兄が生きていることがわかって安堵する。
もっとも兄からの金銭がはきだめに手渡されたことは一度も無かったが。
はきだめは、宝物のようにその手紙の束を抱えて促されるままに牛車に乗り込んだ。
着替えもなく、そのほかに持っていく荷物は何もなかった。
遠巻きに兄姉達が見送っていたが、どこか悔しそうな表情をしている気がする。
もしかしたら、こんな風に異能の力を認められてこの邸を出ていくことは誉れなのかもしれない。
そんなことを思いながら、揺れる牛車の中から東大路家の人々が小さくなっていくのをぼんやりと見つめていた。
屋敷中に響き渡るくらいの金切り声で呼ばれて厨にいた少女はびくりと身体を震わせた。
前掛けで濡れた手を拭いながら大慌てで渡殿を走った。
客間では腰に手をあてて目を吊り上げた姉達が待ち構えている。
「はい、お姉さま」
「遅いわよ、どこで油を売っていたのっ」
「あ、あの夕げのお支度をしておりました。怠けていたわけではありません」
「はあ?口ごたえするんじゃないわよ、はきだめのくせに」
「そうよ、役立たずの無能者のくせに生意気ね」
「ごめんなさい、お姉さま」
はきだめと呼ばれた少女は泣きそうになりながら俯いた。
いつもながらの叱責に身を震わせる。
姉二人は豪奢な着物をまとい、派手な化粧をしていた。
それに比べてはきだめは、使用人よりもボロの着物を身につけ手はあかぎれだらけだ。
東大路家の同じ姉妹でありながら、彼女達とはきだめとの間には超えられない高い壁があった。
退魔士の名門である東大路家に生まれた者は何かしらの異能を持っていて当然である。
しかしながら、はきだめの異能は退魔士としては役に立ちそうにはない。
それゆえ、家族の中での彼女の地位は低く、一族の恥とさえ思われていた。
「まあいいわ、私達今日はとっても機嫌がいいの」
「そうよ、だってお客様が来るのですもの」
持っていた扇で顔を隠して優雅に笑う姉達。
「だから、屋敷の隅から隅まで掃除しておきなさい。いいこと、塵ひとつ残していたらまた高いところから落とすわよ」
居丈高に言われ、はきだめの枯れ木のように痩せた身体は乱暴につきとばされた。
「アッハハハ、それはいいわ。この間もこの子ったら青い顔をして泣きじゃくってたわね」
もう一人の姉は腹を抱えて笑い、地べたに這いつくばる妹の背を足で踏みつけた。
「うっ……」
今夜は満月かと痛みに耐えながらはきだめは思う。
それに気がつき嘆息した。
満月の夜、東大路家の一族の異能は最大限の力を発揮する。
その力を見定めるために来訪者があるのだが、みな頭巾を被っていてそれが誰なのかどういう身分の人間なのかは謎だ。
ただ、はきだめにわかるのは満月の夜を境に兄や姉達が姿を消すことがあるということ。
東大路家の当主、東大路道継には5人の妻と13人の子供がいる。
はきだめは17歳で1番下の娘だ。
はきだめ以外はみな優秀な異能を持っていて、退魔士として即戦力として戦えるほどらしい。
都には魑魅魍魎、あやかしが跋扈しているため、強い異能者は重宝される。
だが、あやかし退治というまっとうな仕事ばかりではなく、人には言えないような闇の仕事も請け負っていることを、この時のはきだめは知らなかった。
当主の道嗣は金の亡者である。
金のためなら、自分の子がどのような汚れ仕事をさせられようが知ったことではないらしい。
彼にとっては、どうあっても役に立たないはきだめの存在はすっかり頭から消えていた。
はきだめの母は彼女の幼い時に流行病で亡くなっている。同腹の兄がいたが、ある日突然いなくなってしまった。
おそらく退魔士としての腕を買われて、どこかの家で雇われているのだとはきだめは信じている。
その兄だけははきだめを人間として扱ってくれた唯一の人だったから。
「◯◯◯、兄ちゃんが金を稼げるようになって迎えにきてやるからな。それまで待ってるんだぞ」
5歳年上の兄は妹をはきだめ、などというひどい名前では決して呼ばなかった。
けれど、あの優しい兄が呼んでくれた自分の名前をもう思い出せなかった。
兄との約束を信じたいけれど、あれから7年一度も音沙汰がない。
姉に暴力を振るわれている時、はきだめは兄を心に思い浮かべた。
「に、いさま……」
その呻き声を聞いて姉達はますますいきりたっていく。
有能な3番目の兄、吉三ははきだめにしか愛情を示さなかったものだから余計に腹立たしいようだ。
「吉三兄さんはもうとっくに殺されたのよ。なんせ土蜘蛛を討伐しにいかされたんだから、だから迎えなんかくるわけない。この家でおまえは一生こき使われて死ぬんだ」
腹違いの姉達はそう言って、はきだめをいじめ抜いていた。
土蜘蛛とは都中の退魔士が手を焼いている最強のあやかしである。もし姉達が言ったことが真実ならば兄はもう……。
「たとえ生きていたとしてもあんたみたいな無能者を迎えにくるわけないじゃないっ」
(そうかもしれない、私なんか迎えに来る価値なんてないのだから)
けれど、たとえそうだとしても兄には生きていて欲しい。
「お兄さま、吉三お兄さま」
グスグスと泣き崩れるはきだめを見て姉達は暗い優越感を満足させるのだった。
その時、雲間から月の光が縁側に差し込んできた。
たちまちはきだめの胸の奥がとくりと音をたてて震えた。
「あ」
姉が再び手を上げようとして、そのままの体勢で固まる。
何か薄気味悪そうな顔をしてこちらをまじまじと見つめる姉。
「ひっ」
手を上げたままの姉は目を疑う。
これは一体どうしたことだろう。
先程までの妹のおびえた顔が自分とそっくりの顔に見える。
もう一人の姉も驚きのあまり口を手で覆っている。
「そうだわ、こいつの異能ってこれよ。久しぶりに見た。気味が悪い」
吐き捨てるように言って、一歩後ずさる。
「は?何よ、私の顔が気味悪いってこと?」
「そうじゃなくって」
「ちょっと、元に戻りなさいよ」
さすがに自分の顔を殴りつけるわけにもいかず困惑する姉。
「あ、あの、私、今どうなっているのかよくわからなくて、えっと」
何度かこの異能を使ったことはあるけれど、いつも意図せず姿が変わってしまうのだ。
自分ではまだうまく使いこなせない力だった。
「幻術の一種だっけ、これって。私達が術にかけられてるだけよね。
こいつの顔がほんとに変わったわけじゃないよね」
「もう行こう、頭がおかしくなりそう」
「あの、お姉さま。私、そんなつもりじゃなくて」
姉に謝ろうとして立ち上がったけれど、姉達は逃げるように立ち去ってしまった。
後に一人残されて呆然としていると、後ろからか細い声がした。
「今のはそなたがやったことですか?」
振り返ると、ほっそりとした妙齢の女が歩み寄ってきた。
薄紫の頭巾を被り顔の下半分も布で隠していたが一目見て高貴な位の女だとわかる。
地味だが品のいい着物を身につけていてかぐわしい香が、はきだめの鼻腔をくすぐる。
突然のことに後退りするはきだめには構うことなく女は質問を浴びせてきた。
「誰にでもなれるのですか?男でも?」
「あ、あの」
「それはどのくらいの時間、保てますか?」
「まだ私にもよくわからないのです」
矢継ぎ早に質問されて戸惑っていると、奥からまた一人こちらへ向かってくるのが見えた。
「ああ、舟、この子です。見つけました」
フネと呼ばれたのは品の良さそうな老婆だった。こちらも薄墨色の頭巾をかぶっている。
もしかしたら目の前の女の侍女なのかもしれないとはきだめは思う。
「さくら様、落ちついてくださいまし。この娘のことは私がよきように取り計いますゆえ」
老女はキビキビとした足取りで歩み寄り主人に告げる。
「さあさ、先に牛車にお戻りください。さくら様がいつまでもこのような場所にいらっしゃってはいけません」
「舟、必ずこの子をお願い。今日にでも連れて帰りましょう」
切羽詰まったような様子のさくらに比べて舟と呼ばれた老婆の方はいくぶんか落ちついていた。
「ああきっと、御仏のご加護だわ」
さくらは、感極まったようにはきだめに向かって手を合わせる。そして名残惜しそうに幾度か振り返りながら渡殿の向こうへ消えていった。
その間、はきだめは何が自分の身に起きているのかさっぱりわからずにビクビクと震えていた。
そのせいか、いつのまにか彼女は元のみすぼらしい少女の姿に戻っていた。
(なんだろう、この人達は。私をどこに連れて行こうというの?)
それからの老女の行動は早かった。
老女がはきだめの父に直接何やら相談しだすと、父は揉み手をしながら愛想笑いを浮かべペコペコと頭を下げている。
こんな父の姿を見るのは初めてだ。
尊大な家長として威張り散らしているところしか記憶に無い。
その上驚いたことに、はきだめに向かっても笑顔を向けて親しげに声をかけてきたのだ。
「おお、可愛い我が娘よ。おまえを手放す日が来ようとは。父は寂しくてたまらないが、おまえがお役目を果たして我が家を盛り立ててくれたら嬉しく思いますぞ」
「お父様」
明らかに演技だと分かり切っているのに、はきだめは心がぽっと暖かくなる。
父が生まれて初めて自分に話しかけてくれたからだ。
哀れな娘はそれほどまでに家族の愛に飢えているのだった。
「私、頑張ります」
そう言いつつ何をどう頑張ればいいのかこの時はあまりわかっていなかった。
「そうかそうか、おまえは本当にいいこだ」
父は素直な娘を見て満足げに笑う。
別れ際、兄の消息を尋ねると、父は兄からの手紙を渡してくれた。
定期的に、はきだめ宛に金銭と手紙が送られてきていたらしく、兄が生きていることがわかって安堵する。
もっとも兄からの金銭がはきだめに手渡されたことは一度も無かったが。
はきだめは、宝物のようにその手紙の束を抱えて促されるままに牛車に乗り込んだ。
着替えもなく、そのほかに持っていく荷物は何もなかった。
遠巻きに兄姉達が見送っていたが、どこか悔しそうな表情をしている気がする。
もしかしたら、こんな風に異能の力を認められてこの邸を出ていくことは誉れなのかもしれない。
そんなことを思いながら、揺れる牛車の中から東大路家の人々が小さくなっていくのをぼんやりと見つめていた。



