「璃臣さん!」
数秒送れてクウが悪霊の中心を捕らえ、黒い影が霧散した。璃臣も振り返るやいなや自分を襲った吸血鬼を捕らえ、その首筋に噛みつく。
璃臣の背が三椏の目の前に晒される。黒い服だというのに、破れて血が流れているのが分かった。臙脂色のカーペットが、影ではない黒さに染まっていく。血の気が引いた三椏は、思わず璃臣にかけ寄った。
「璃臣さんっ!!」
おだやかな表情で眠る吸血鬼たちの中央で、璃臣は膝をつき荒い息をくり返していた。
「私の血を飲んでください!」
もしかして、璃臣は死んでしまうのではないかという予感が頭をよぎる。
吸血鬼なら、血を飲めば回復できると聞いたことがある。人間の血であればより良いとも。それなら自分の血を飲んでほしいと三椏は思うのに、璃臣は頷かなかった。歯を食いしばって耐えている。
「どうしてですか!?」
三椏が食い下がった。
「俺は……吸血鬼たちの血で……死にはしない」
「でも! 私の血なら、もっと早く回復できますよね⁉︎」
「……両親の二の舞いになる。叔父さんにも負担と……悲しみを背負わせることになる」
(ご両親のことって何だろう……ううん、とにかく今は、私の血を飲んでもらわないと!)
「璃臣さんが消えてしまいそうで怖いです。私の首を噛んで。また、傷は治してくれるんでしょう?」
「傷の問題じゃない……」
か細い、今にも消えてしまいそうな声だ。背中からの出血もおさまる気配がない。
(璃臣さんを助けたいのに。私はどうなってもいいから助けたいのに……!)
璃臣は優しい。命の危機に瀕してまで、自分を後回しにしようとする姿勢を三椏は歯がゆく思う。けれど説得できないなら、力づくで迫るしかない。
(どうしよう……)
自分の腕が目に入った。
「……分かりました。首でなければいいんですね」
三椏は地面に落ちていたナイフを拾い、自身の手首に当てて引いた。次の瞬間、手首から血が流れていく。匂いで状況を理解したのだろうか。眉を寄せ、両目をつぶりながら痛みに耐えていた璃臣が、目を見開いて三椏の手首を見据えた。
「な、にを……」
「飲んでください」
三椏は璃臣に歩み寄り、手首を口元へ近づけた。璃臣は下唇を噛んで首を横に振る。
「仕方ありません。飲んでくれないなら、傷を増やします」
先日、華燐につけられた肩口の傷を、璃臣が舐めて直してくれた。最初は躊躇いがちに、けれど次第に理性を抑えるのが難しい様子で。
首筋を噛むのがいけないか、もしくは璃臣の牙で傷をつけてはいけないのか。三椏には分からないが、何かしら条件があるらしい。でも、三椏が自分でつけた傷なら、華燐がつけたものと条件は同じはず。璃臣が舐めても問題ないはずなのだ。
再びナイフを構えた三椏を見て、璃臣は短い悲鳴をあげて降参した。
「わ、かった……。飲む、飲むから……もう、三椏を傷つけないでくれ……」
地面に崩れ落ちるようにして座った璃臣を支えつつ、もう一度口元へ腕を近づける。今度は傷を覆うように、璃臣が口を大きく開けた。
歯が当たらないように気をつけてくれているようで、痛みはまったくない。むしろ、口内の温かさに、璃臣がきちんと生きているのを実感して三椏は安堵した。
そのまま、舌がぬるりと傷を舐めた。痛みよりもこそばゆい。それなのに、どこか気持ちが良い。舐めたところから傷が回復する動きなのかもしれない。
丹念に傷の端から端までを丁寧に舐められるうちに、三椏は自分の心が喜んでいるのを感じた。ドキドキと胸が高鳴る。
(なんで、もっと舐めてほしいと思うんだろう)
璃臣の表情からこわばりが引き、血色も戻ってきた。痛みに丸めていた背中ものびていく。
「あ」
思わずといった様子で漏れた声が、こころなしかいつもより低い。何でだろうと首を傾げていると、目の前で璃臣が上着やシャツを脱ぎだし、三椏は慌てて俯いた。
「三椏、もう支えてくれなくても平気だから、そのまま少しの間後ろを向いていてほしい。コンパス、叔父さんのシャツとズボン持ってきてくれないか」
「わ、分かったわ」
「オッケー璃臣」
やはり璃臣の声が低く、まるでエヴァンのようだ。言われたとおりにして待つ間、どうしてか三椏の鼓動は速いままだった。
「目、開けていいよ」
三椏が顔を上げると、声の印象通りの青年がそこにいた。エヴァンによく似ているが、少し違う。三椏に向ける目が、いつも通り優しい──彼は璃臣だった。
「……璃臣さん、だよね」
「そう。これが俺の本来の姿……って、俺も初めて見たんだけど」
「私と同い年って本当だったんだ」
「信じてなかったな?」
「だって……血を飲んだら成長するなんて思わなかった」
「言えるわけないだろう。絶対差し出してくるって分かりきっているのに」
「それは……たしかに」
「でも、今はすごい助かった。意地はったけど、結構限界だったから……ありがとう」
バツが悪いのか、視線はそっぽを向いているものの、体は三椏にまっすぐ向いている。素直になりきれない様子は子供姿の時よりも幼く見えて、三椏は思わず吹き出した。
*
眠ったままの吸血鬼や割れた窓、染みの付いた絨毯といったものを全部後回しにして、璃臣と三椏は、サンルームの隣りにある応接間にいた。二人並んでソファに腰かけ、互いに眠たい目をこすりながら話し続けた。
「璃臣さんが普段子供の姿なのは、お腹が空いてるってこと?」
「ある意味そうだな。栄養剤的な……普段の食事だけでも、生きるだけなら問題ないんだ。吸血鬼の吸血衝動も理性で抑えられるし。不味いけど、吸血鬼の血を飲めば多少解消されるからな」
「エヴァンさんも?」
「叔父さんはもっと燃費がいい。純血だからな」
「璃臣さんも純血じゃないの?」
「違う。俺の母親は人間で……だから純血より、成長するために必要な血が多いんだ」
「じゃあ……今日倒したような吸血鬼たちも、お腹が空くと小さくなるの?」
「それはない。巷にいる奴らは人間の血がほとんどだから、吸血衝動だけに気をつければ、血を吸わなくても成長に支障はない。だから、一番不便なのが俺みたいなやつなんだろうな」
強いのに、そんな厄介な事情を抱えていたなんて。どう声を掛けるか三椏が迷っていると、ぽつぽつと璃臣が語りだした。
「小さな頃は、母が少しずつ血を分けてくれたんだ」
「……ご両親は亡くなった、って」
「そう。2人は互いに惹かれ合って、結ばれた。父は母の首を噛んで、眷属にした。──悲劇だよ」
「悲劇?」
「眷属になった人間は、不死になるけど、肉体が丈夫になるわけじゃない。どんなに弱っても死ねないんだ。病魔に侵されて、本来なら死ぬことで解放されるのに、母はそれができなかった」
隣に座る璃臣を見上げる。目を細めた彼は過去の記憶を辿っているのか、どこか遠くを見るような目をしている。
「最後は……母が父に死にたいと願った。そして父はその通りにした。だけど母を盲目的に愛していた父は、生きる希望をなくして狂ってしまった。そして、叔父さんに殺された」
「吸血鬼は……より強い者でないと殺せないから?」
「そう。叔父さんも辛かったと思うよ。叔父さんが怒りをあらわにしたり、涙を見せたのはあの時だけだ。長く生きているから、感情が希薄だって自分でも言っていたのに。……だから、俺は三椏の首は、絶対に噛まない」
苦しみながらも、三椏を噛むことを拒んだ先ほどの璃臣を思い出す。
「私が……不死身にならないように?」
「それだけじゃない。眷属になると、不完全だけど吸血鬼になるから……式神は呼べなくなる」
「あ……」
「クウに会えなくなるのは、嫌だろう?」
小さく頷いた三椏の頭を璃臣はなでた。しんみりとした空気が流れ、なんとなくお互い言葉に迷ってしまう。
その時二人の後ろから、ひとつの影が天井に向かって飛び上がった。
「璃臣よぉ、カッコつけてないでもっとこう、積極性を見せろよ!」
「コンパス!?」
「体がデカくなるチャンスなんか二度とないかもしれないんだぞ。やることやっちまえ!」
「な、何を!」
「じゃないと、さっきの男に三椏の貞操奪われるぞ。それはなんとしても防がないとなんだろ。っていうかなんであいつは三椏を襲ったんだ?」
「たぶん……残滓の処理は乙女か一途……つまり、契った相手が一人までの女性……が効率よくできると言われているからだと思います」
三椏の返答に、コンパスは「本当かぁ?」と不満げな声を出した。
「眉唾だなー。人間の作為的な迷信じゃないか? 日本國の神はそんなに心が狭いのか?」
「……わかりません。たしかにコンパスさんの言う通り、真偽は疑わしいかもしれません」
「何にせよ三椏を危険になんて晒さない。もうあいつらには関わらないようにするからな」
断言した璃臣に肩を抱かれれると、三椏は恐れから解放される。
逆に、これは覚悟を決めないといけないかもしれないという予感があった。璃臣と毎日を過ごすうち、三椏は子供の姿の璃臣に惹かれていた。けれど、いくらなんでも子供相手にときめくなんて、と気持ちに歯止めをかけていた。
それなのに、こんなに頼りになる青年だと知ってしまったら、踏ん張りきれずに心が転がってしまう。必死にせき止めていた思いが溢れてしまう。
「私も、自分で自分を守れるように強くなります」
「そんなに意気込まなくていい」
肩を支えた腕とは反対の腕が背中に回り、三椏は璃臣に抱きしめられた。
「そうだ。さっき俺を呼んでくれたのはうれしかった。次に困った時も、俺の名前を呼んでくれ」
「……はい」
心臓が口から飛び出るというのはこのことか、というほど鼓動が速くなり、全身が火照っていく。けれど璃臣の広い胸の中心も同じくらい拍動が速く、それに気づいた三椏はなんともいえない幸福感を覚えた。そろそろと両腕を璃臣の背中に回してみる。もう少しで抱きしめ返せると思った瞬間、璃臣の姿はもとの子供姿に戻っていた。
「……締まりが、ないんだよなぁ」
大きなため息をついたコンパスの様子に、璃臣と三椏は笑いあった。
*
その後、帰宅したエヴァンは全てを知った上で様々な手筈を整えてくれたようで、邸の片付けだけでなく、ガラスや絨毯なども夜のうちに新調された。
そうして日が昇り、三椏だけが起きている朝の時間。折り鶴の入った巾着袋を手にした三椏は、サンルームのソファに腰掛けて明るい空を見つめていた。
「クウちゃん、私、やっぱりこの鶴を供養に出そうと思うの」
「ホゥ?」
璃臣の本来の姿を知ってから、三椏の後ろめたさは加速している。思い出の少年が成長した姿を想像すると、昨夜の璃臣が重なるようになってしまった。
彼と璃臣を同一視している。これでは璃臣にも、あの少年にも失礼だ。三椏がこれから大事にしていきたいのは璃臣だ。長く心の支えだった折り鶴が無くなるのは心細くもあるが、きっと、手放したほうがまっすぐに璃臣と向き合える。
「クゥ……!?」
「ええ、近いうちに神社へ行ってみるつもり」
そんな三椏の決意を聞いていたのは、クウだけではなかった。目覚めて一番に挨拶をしようと、部屋から出てきた璃臣が隣室にいた。
「……供養?」
璃臣は、かつて三椏が作った折り鶴を手にしていた。引き出しの一角に大事にしまってあったのを持ってきたのだ。
「どうして……いや、俺のことはどうでもいいじゃないか。三椏を守れたらそれで……」
璃臣のつぶやきは、冷たい朝の空気にとけて消え、三椏には届かなかった。話し終えた三椏がソファから立ち上がる前に、璃臣はその場を後にした。
*
──その頃。
一夜が明けても、華燐と土岐田は、三椏を連れ戻すことをまだ諦めていなかった。
「ねぇ、悪霊の取り憑いた吸血鬼って、かなり使い道がありそうじゃない?」
「僕もそう思う。狙って作ることができて、しかも操れたら……月齢零位どころじゃない。この国を牛耳ることができるよ」
2人は顔を見合わせ、クスクスと笑い合った。
数秒送れてクウが悪霊の中心を捕らえ、黒い影が霧散した。璃臣も振り返るやいなや自分を襲った吸血鬼を捕らえ、その首筋に噛みつく。
璃臣の背が三椏の目の前に晒される。黒い服だというのに、破れて血が流れているのが分かった。臙脂色のカーペットが、影ではない黒さに染まっていく。血の気が引いた三椏は、思わず璃臣にかけ寄った。
「璃臣さんっ!!」
おだやかな表情で眠る吸血鬼たちの中央で、璃臣は膝をつき荒い息をくり返していた。
「私の血を飲んでください!」
もしかして、璃臣は死んでしまうのではないかという予感が頭をよぎる。
吸血鬼なら、血を飲めば回復できると聞いたことがある。人間の血であればより良いとも。それなら自分の血を飲んでほしいと三椏は思うのに、璃臣は頷かなかった。歯を食いしばって耐えている。
「どうしてですか!?」
三椏が食い下がった。
「俺は……吸血鬼たちの血で……死にはしない」
「でも! 私の血なら、もっと早く回復できますよね⁉︎」
「……両親の二の舞いになる。叔父さんにも負担と……悲しみを背負わせることになる」
(ご両親のことって何だろう……ううん、とにかく今は、私の血を飲んでもらわないと!)
「璃臣さんが消えてしまいそうで怖いです。私の首を噛んで。また、傷は治してくれるんでしょう?」
「傷の問題じゃない……」
か細い、今にも消えてしまいそうな声だ。背中からの出血もおさまる気配がない。
(璃臣さんを助けたいのに。私はどうなってもいいから助けたいのに……!)
璃臣は優しい。命の危機に瀕してまで、自分を後回しにしようとする姿勢を三椏は歯がゆく思う。けれど説得できないなら、力づくで迫るしかない。
(どうしよう……)
自分の腕が目に入った。
「……分かりました。首でなければいいんですね」
三椏は地面に落ちていたナイフを拾い、自身の手首に当てて引いた。次の瞬間、手首から血が流れていく。匂いで状況を理解したのだろうか。眉を寄せ、両目をつぶりながら痛みに耐えていた璃臣が、目を見開いて三椏の手首を見据えた。
「な、にを……」
「飲んでください」
三椏は璃臣に歩み寄り、手首を口元へ近づけた。璃臣は下唇を噛んで首を横に振る。
「仕方ありません。飲んでくれないなら、傷を増やします」
先日、華燐につけられた肩口の傷を、璃臣が舐めて直してくれた。最初は躊躇いがちに、けれど次第に理性を抑えるのが難しい様子で。
首筋を噛むのがいけないか、もしくは璃臣の牙で傷をつけてはいけないのか。三椏には分からないが、何かしら条件があるらしい。でも、三椏が自分でつけた傷なら、華燐がつけたものと条件は同じはず。璃臣が舐めても問題ないはずなのだ。
再びナイフを構えた三椏を見て、璃臣は短い悲鳴をあげて降参した。
「わ、かった……。飲む、飲むから……もう、三椏を傷つけないでくれ……」
地面に崩れ落ちるようにして座った璃臣を支えつつ、もう一度口元へ腕を近づける。今度は傷を覆うように、璃臣が口を大きく開けた。
歯が当たらないように気をつけてくれているようで、痛みはまったくない。むしろ、口内の温かさに、璃臣がきちんと生きているのを実感して三椏は安堵した。
そのまま、舌がぬるりと傷を舐めた。痛みよりもこそばゆい。それなのに、どこか気持ちが良い。舐めたところから傷が回復する動きなのかもしれない。
丹念に傷の端から端までを丁寧に舐められるうちに、三椏は自分の心が喜んでいるのを感じた。ドキドキと胸が高鳴る。
(なんで、もっと舐めてほしいと思うんだろう)
璃臣の表情からこわばりが引き、血色も戻ってきた。痛みに丸めていた背中ものびていく。
「あ」
思わずといった様子で漏れた声が、こころなしかいつもより低い。何でだろうと首を傾げていると、目の前で璃臣が上着やシャツを脱ぎだし、三椏は慌てて俯いた。
「三椏、もう支えてくれなくても平気だから、そのまま少しの間後ろを向いていてほしい。コンパス、叔父さんのシャツとズボン持ってきてくれないか」
「わ、分かったわ」
「オッケー璃臣」
やはり璃臣の声が低く、まるでエヴァンのようだ。言われたとおりにして待つ間、どうしてか三椏の鼓動は速いままだった。
「目、開けていいよ」
三椏が顔を上げると、声の印象通りの青年がそこにいた。エヴァンによく似ているが、少し違う。三椏に向ける目が、いつも通り優しい──彼は璃臣だった。
「……璃臣さん、だよね」
「そう。これが俺の本来の姿……って、俺も初めて見たんだけど」
「私と同い年って本当だったんだ」
「信じてなかったな?」
「だって……血を飲んだら成長するなんて思わなかった」
「言えるわけないだろう。絶対差し出してくるって分かりきっているのに」
「それは……たしかに」
「でも、今はすごい助かった。意地はったけど、結構限界だったから……ありがとう」
バツが悪いのか、視線はそっぽを向いているものの、体は三椏にまっすぐ向いている。素直になりきれない様子は子供姿の時よりも幼く見えて、三椏は思わず吹き出した。
*
眠ったままの吸血鬼や割れた窓、染みの付いた絨毯といったものを全部後回しにして、璃臣と三椏は、サンルームの隣りにある応接間にいた。二人並んでソファに腰かけ、互いに眠たい目をこすりながら話し続けた。
「璃臣さんが普段子供の姿なのは、お腹が空いてるってこと?」
「ある意味そうだな。栄養剤的な……普段の食事だけでも、生きるだけなら問題ないんだ。吸血鬼の吸血衝動も理性で抑えられるし。不味いけど、吸血鬼の血を飲めば多少解消されるからな」
「エヴァンさんも?」
「叔父さんはもっと燃費がいい。純血だからな」
「璃臣さんも純血じゃないの?」
「違う。俺の母親は人間で……だから純血より、成長するために必要な血が多いんだ」
「じゃあ……今日倒したような吸血鬼たちも、お腹が空くと小さくなるの?」
「それはない。巷にいる奴らは人間の血がほとんどだから、吸血衝動だけに気をつければ、血を吸わなくても成長に支障はない。だから、一番不便なのが俺みたいなやつなんだろうな」
強いのに、そんな厄介な事情を抱えていたなんて。どう声を掛けるか三椏が迷っていると、ぽつぽつと璃臣が語りだした。
「小さな頃は、母が少しずつ血を分けてくれたんだ」
「……ご両親は亡くなった、って」
「そう。2人は互いに惹かれ合って、結ばれた。父は母の首を噛んで、眷属にした。──悲劇だよ」
「悲劇?」
「眷属になった人間は、不死になるけど、肉体が丈夫になるわけじゃない。どんなに弱っても死ねないんだ。病魔に侵されて、本来なら死ぬことで解放されるのに、母はそれができなかった」
隣に座る璃臣を見上げる。目を細めた彼は過去の記憶を辿っているのか、どこか遠くを見るような目をしている。
「最後は……母が父に死にたいと願った。そして父はその通りにした。だけど母を盲目的に愛していた父は、生きる希望をなくして狂ってしまった。そして、叔父さんに殺された」
「吸血鬼は……より強い者でないと殺せないから?」
「そう。叔父さんも辛かったと思うよ。叔父さんが怒りをあらわにしたり、涙を見せたのはあの時だけだ。長く生きているから、感情が希薄だって自分でも言っていたのに。……だから、俺は三椏の首は、絶対に噛まない」
苦しみながらも、三椏を噛むことを拒んだ先ほどの璃臣を思い出す。
「私が……不死身にならないように?」
「それだけじゃない。眷属になると、不完全だけど吸血鬼になるから……式神は呼べなくなる」
「あ……」
「クウに会えなくなるのは、嫌だろう?」
小さく頷いた三椏の頭を璃臣はなでた。しんみりとした空気が流れ、なんとなくお互い言葉に迷ってしまう。
その時二人の後ろから、ひとつの影が天井に向かって飛び上がった。
「璃臣よぉ、カッコつけてないでもっとこう、積極性を見せろよ!」
「コンパス!?」
「体がデカくなるチャンスなんか二度とないかもしれないんだぞ。やることやっちまえ!」
「な、何を!」
「じゃないと、さっきの男に三椏の貞操奪われるぞ。それはなんとしても防がないとなんだろ。っていうかなんであいつは三椏を襲ったんだ?」
「たぶん……残滓の処理は乙女か一途……つまり、契った相手が一人までの女性……が効率よくできると言われているからだと思います」
三椏の返答に、コンパスは「本当かぁ?」と不満げな声を出した。
「眉唾だなー。人間の作為的な迷信じゃないか? 日本國の神はそんなに心が狭いのか?」
「……わかりません。たしかにコンパスさんの言う通り、真偽は疑わしいかもしれません」
「何にせよ三椏を危険になんて晒さない。もうあいつらには関わらないようにするからな」
断言した璃臣に肩を抱かれれると、三椏は恐れから解放される。
逆に、これは覚悟を決めないといけないかもしれないという予感があった。璃臣と毎日を過ごすうち、三椏は子供の姿の璃臣に惹かれていた。けれど、いくらなんでも子供相手にときめくなんて、と気持ちに歯止めをかけていた。
それなのに、こんなに頼りになる青年だと知ってしまったら、踏ん張りきれずに心が転がってしまう。必死にせき止めていた思いが溢れてしまう。
「私も、自分で自分を守れるように強くなります」
「そんなに意気込まなくていい」
肩を支えた腕とは反対の腕が背中に回り、三椏は璃臣に抱きしめられた。
「そうだ。さっき俺を呼んでくれたのはうれしかった。次に困った時も、俺の名前を呼んでくれ」
「……はい」
心臓が口から飛び出るというのはこのことか、というほど鼓動が速くなり、全身が火照っていく。けれど璃臣の広い胸の中心も同じくらい拍動が速く、それに気づいた三椏はなんともいえない幸福感を覚えた。そろそろと両腕を璃臣の背中に回してみる。もう少しで抱きしめ返せると思った瞬間、璃臣の姿はもとの子供姿に戻っていた。
「……締まりが、ないんだよなぁ」
大きなため息をついたコンパスの様子に、璃臣と三椏は笑いあった。
*
その後、帰宅したエヴァンは全てを知った上で様々な手筈を整えてくれたようで、邸の片付けだけでなく、ガラスや絨毯なども夜のうちに新調された。
そうして日が昇り、三椏だけが起きている朝の時間。折り鶴の入った巾着袋を手にした三椏は、サンルームのソファに腰掛けて明るい空を見つめていた。
「クウちゃん、私、やっぱりこの鶴を供養に出そうと思うの」
「ホゥ?」
璃臣の本来の姿を知ってから、三椏の後ろめたさは加速している。思い出の少年が成長した姿を想像すると、昨夜の璃臣が重なるようになってしまった。
彼と璃臣を同一視している。これでは璃臣にも、あの少年にも失礼だ。三椏がこれから大事にしていきたいのは璃臣だ。長く心の支えだった折り鶴が無くなるのは心細くもあるが、きっと、手放したほうがまっすぐに璃臣と向き合える。
「クゥ……!?」
「ええ、近いうちに神社へ行ってみるつもり」
そんな三椏の決意を聞いていたのは、クウだけではなかった。目覚めて一番に挨拶をしようと、部屋から出てきた璃臣が隣室にいた。
「……供養?」
璃臣は、かつて三椏が作った折り鶴を手にしていた。引き出しの一角に大事にしまってあったのを持ってきたのだ。
「どうして……いや、俺のことはどうでもいいじゃないか。三椏を守れたらそれで……」
璃臣のつぶやきは、冷たい朝の空気にとけて消え、三椏には届かなかった。話し終えた三椏がソファから立ち上がる前に、璃臣はその場を後にした。
*
──その頃。
一夜が明けても、華燐と土岐田は、三椏を連れ戻すことをまだ諦めていなかった。
「ねぇ、悪霊の取り憑いた吸血鬼って、かなり使い道がありそうじゃない?」
「僕もそう思う。狙って作ることができて、しかも操れたら……月齢零位どころじゃない。この国を牛耳ることができるよ」
2人は顔を見合わせ、クスクスと笑い合った。
