幼夫は吸血鬼 〜屑拾い令嬢は、育った夫に愛される〜

璃臣やエヴァンはいつも和装で過ごしているが、政府からの要請があると、軍服のように装飾豊かな洋装で家を出る。それがとても似合っていて、見るたびに三椏はうっとりしてしまう。
今夜もそうだ。2人が玄関に立つだけで、その場がとても高貴な空間になり、ずっと眺めていたいと思うのだ。

「三椏、終わり次第すぐに帰るから」
「はい。気をつけて行ってらっしゃい」

璃臣は何度も三椏を振り返り、彼らが乗り込んだ漆黒の車が見えなくなるまで続いた。
見送りを終えた三椏は邸の一階にあるサンルームを訪れた。半円型の部屋が庭に迫り出してる。庭が一望できるよう、そこは窓も壁もガラス張りになっている。

サンルームの分厚い遮光カーテンを開けると、月明かりが惜しみなく入ってきた。満月の今夜はとくに明るい。
璃臣たちは陽の光が苦手で、曇りの日でないと昼は外に出られない。月明かりも得意でないらしく、満月の日は家中のカーテンが閉まる。三椏のような式神遣いたちにとって、満月は力が倍増するありがたい日のため、少し不思議な気分だ。

「久しぶりのお月見ね」
「クゥー!」

先ほど呼び出した式神のクウが三椏の肩に乗り、頬ずりしてくる。今夜も一人で過ごそうとした三椏に、璃臣は自分の目の前でクウを呼び出すまで、出かけようとしなかった。
和紙を勿体ないと感じた三椏だったが、結果的には璃臣感謝していた。一人で物思いにふけると、大抵は気が沈んでいく。けれどクウがいる今夜は、悩んでも余計なことを考えずに済みそうだ。

「クウちゃん、今悩んでることがあるの」
「ホ?」
「このお守り……ううん、私が勝手にお守りにしている折り鶴、ご供養に出そうかなって」
「クゥ?」
「なんでだろう。璃臣さんのことを知るたびに、なんだか胸がきゅってなるし、同時に申し訳ない気になるの」
「クー……」
「昔、特別だった人と璃臣さんを勝手に重ねているような気がして。でも、それって璃臣さんのことを見ているってことになるのかな。代理みたいに思っていないかなって不安なの」

「ホゥ……」

相槌を打つようにフクロウが鳴く。

「璃臣さんと向き合うなら、これは無い方がいいんじゃないかって」
「クゥ!」

くるりとクウの首が回る。

「どちらにせよ自分勝手よね……」

自嘲気味に三椏は微笑む。その様子を、クウはフクロウ特有の丸い目でじっと見つめている。

「話を聞いてくれてありがとう。なんだか気持ちが楽になったよ」
「……クゥ」

クウと言葉を交わせるわけではないが、聞いてもらうだけでもずいぶん違うものなのだと三椏は最近知った。璃臣とも短い期間に様々な話をした。璃臣は、三椏の言葉を漏らさないように、じっと目を見つめながら聞く。それが最初は気恥ずかしかった三椏だったが、最近はそれに心地よさと安心感を覚えている。

(早く帰ってこないかな)

サンルームの窓から外を眺める。

ふと、木々の合間を蠢く影が見えた。人の形に見えるが、動きが不自然だ。お辞儀をするように頭を下げたまま、一歩ずつ踏みしめるようにゆっくりと歩いている。足を踏み出すたびに下を向いた頭がぐわんと不気味に揺れる。

三椏が目を凝らすと、月明かりに照らされたその肌がいやに青白く、また髪も色素が極端に薄いようだと分かった。日本人でこのような特徴を持つ人は珍しい。西洋からやってきた人か……もしかしたら、吸血鬼かもしれない。

(吸血鬼は入ってこないはずなのに……璃臣さんやエヴァンさんがいないから?)

エヴァンと璃臣の邸は、小高い山の山頂にある。この山に純血の吸血鬼であるエヴァンが住んでいるというのは、吸血鬼の間では有名な話らしい。だからあえて近づくような物好きはいないのだと、璃臣は言っていた。

──もし侵入してきたら、吸血衝動が出て我を失っている可能性がある。三椏は対応しないでくれ。もし家へ侵入されそうになったら、この中身を吸血鬼にかけるんだ。

そう言って渡されたのが、吸血鬼専用の眠り薬だ。

(もしもの時は、クウちゃんと協力して防がなきゃ)

透明な液体の入ったガラスの小瓶を見つめ、両手のひらで祈るように包みこんだ。同時に目を閉じて感覚が鋭くなったのか、三椏は吸血鬼と思われる人間から、悪霊の気配を感じとった。

(どうして? 吸血鬼と悪霊の気配を同時に感じるなんて……まさか、悪霊が吸血鬼にとりついたの?)

普通、悪霊は人間や動物に取り憑く。吸血鬼に取り憑いたなんて聞いたことがない。けれど、前例がなかっただけで、ありえないとは言えなかった。

吸血鬼のほとんどは、かなり人間との混血がすすんでいる。何代も遡らなければ、純血の先祖にたどり着けないような者。太陽の光を苦手とせず、人と同じ物を食し夜に眠る者たち。悪霊に取り憑かれても不自然ではない。

(そう考えると、前例がなかったのは不思議だわ。それにしても悪霊に憑かれた吸血鬼は……どうやって倒したらいいの……?)

吸血鬼の吸血衝動を抑えるには、上位の吸血鬼――つまりエヴァンか璃臣が首筋を噛んで吸血する必要があるらしい。
人でも吸血鬼でも、首から血を吸われれば眷属(けんぞく)となり、自分の血を吸った相手に従うようになる。つまりエヴァンや璃臣が吸血するなと命じれば、吸血衝動も抑えられるようになるのだ。

悪霊に取り憑かれた吸血鬼についての話は……聞いたことがない。だから倒し方も分からない。

クウを呼べるようになり、三椏も悪霊祓いができるようになった。しかし、悪霊を祓えば吸血鬼は大人しくなるのだろうか。それとも、吸血衝動が収まらずに暴れ出すのだろうか。

「もし、町へ向かうようなら大変だわ……」

この山は朔月家の所有であるため、他の式神遣いは入ってこない。つまり、璃臣やエヴァンが不在の今、三椏が対処しない限り、あの吸血鬼たちがいなくなることはない。今のところは邸に向かって来ているが、もし引き返すようなら大変だ。

(一般の人たちに被害が出ないようにしないと……!)

そんな時だった。玄関のチャイムが鳴り、しかも「ごめんくださーい」とやけに明るい声が聞こえたのは。

「華燐?」

こんな時間に、しかも璃臣たちの不在を狙ったようなタイミングの来客に、三椏は体を強張らせた。なるべく気配を消して玄関に近づくと「お姉様〜」と呼ぶ声が聞こえた。それを聞き、やはり華燐の声だと三椏は確信する。

「いるんでしょ? 居留守なんて卑怯だわ。開けてよ」
「……何をしにきたの?」

扉を開けずに答えたことが癪に障ったらしい。ありえない! と華燐は騒いだ。

「こんなところで話をするの? 三椏は私たちを見殺しにするつもり?」
「私たち?」
「僕もいるよ」
「何で土岐田さんが……」
「土岐田はね、お姉様に話があるんだって。ほら、早く入れて。お茶ぐらい出しなさいよ」
「そんな……」

ここは三椏の家ではない。いや、璃臣の妻なのだから三椏の家でもあるものの、気分はまだ居候だった。勝手に、しかも華燐を入れるのは抵抗があった。けれど、たしかにこのまま外にいては、向かってくる吸血鬼と華燐たちが鉢合わせてしまう。

(それなら……)

三椏は小瓶を握ったまま、素早く玄関から外に出た。華燐と土岐田は眉をひそめている。

「家に入るのではなく、一緒に対処しましょう」
「対処?」
「はい。私は吸血鬼を眠らせる薬を預かっています。吸血鬼たちを一箇所に集めてこれを投げ入れたら、彼らを眠らせるはずなんです」
「ふぅん? 協力してもいいけど、成功したら私の言う事を聞いてよね」
「……分かったわ」
「決まりね」
「僕も協力しよう」

にこやかに笑う土岐田に、三椏は背筋がぞわりと粟立った。これまで三椏を見ようともしなかった土岐田の変化に違和感を覚えるものの、今は吸血鬼たちへの対処の方が先だった。



悪霊を祓うのは、あっという間に終わった。それでも吸血衝動が収まらないのか、吸血鬼たちの歩みは止まらない。三人でなんとか吸血鬼たちを原っぱの一部へ誘導し、クウが上空から眠り薬を撒くことで事なきを得た。

(眠った……!)

ひとまずこれで安心だ。薬の効果は数時間ほどと聞いている。それだけあれば璃臣やエヴァンが戻ってくるだろう。ほっと息をついた三椏に、華燐はことさら穏やかで優しい声を出した。

「お姉様、式神が呼べるようになったのね」
「え、えぇ」

おめでとうと手を叩く華燐の反応が、これまでならありえなくて三椏の頭に警報が鳴る。土岐田の態度といい、なにか、変だ。

「それじゃあ、今度は私の願いを叶えてもらう番だわ」
「何かしら」
「離婚して戻ってきて、お姉様」

予想外の願いに、三椏は目を丸くした。

「それは無理よ」
「でもどうせ、まだお手つきではないんでしょう?」
「?」
「夜の営みはないんでしょう? って聞いてるの!」
「な!」
「だから……ねぇ? 土岐田」
「そうだね。三椏、僕と結婚しようよ」

華燐の隣に立つ土岐田へ視線を移すと、まだ不自然な笑顔を浮かべたままだった。

「どうして?」
「頭の回転が遅いのは相変わらずだね。華燐が言っただろう? 滞りなく離婚できるように僕が来た。多少順番が逆になっても仕方ないよね」
「順番って……」
「乙女でなくなれば、離婚できるのよ」
「嫌よ」

逃げなきゃ、と三椏は走り出した。早く邸に入り、戸締まりをして、華燐たちをやり過ごすのだ。

なんとか邸まで三椏は逃げた。けれど、手加減されていただけかもしれない。ドアを閉じる前に、土岐田はするりと玄関のに入ってきてしまったからだ。短い悲鳴をあげて、三椏は家の中へ逃げる。

「やめて! 来ないで!」
「つれないな。ついこの間まで悪霊祓いに同行した仲じゃないか」

嘘だ、と三椏は心のなかで叫ぶ。土岐田はただ、月齢三位の娘がほしいだけだ。後継ぎである華燐の婚約者が荒熊に決まってしまったため、せめて三椏を手に入れようとしているのだ。
後継ぎではない三椏と結ばれても、いきなり月齢三位とまではいかないだろう。しかし土岐田の実家である月齢十日位よりは高くなる可能性がある。つまり、出世の道具としてしか三椏を見ていない。

ゆっくりと気持ちを通わせようとしてくれる璃臣とは大違いだ。

どこかの部屋で立てこもろうとした三椏だったが、男女の体格差は残酷で、すぐに腕を取られてしまった。
そのまま引きづられるようにして、玄関からほど近いサンルームまで連れてこられた。土岐田はサンルームのカーテンを引いた。そして三人は優に座れるソファへ、三椏を投げるようにして手を離した。仰向けに倒れ込んだ三椏の両腕を、土岐田は上からかぶさるようにして押さえ込む。

「やめて、嫌です!」

三椏の声に呼応するように、クウが土岐田の頭を突いた。

「痛え!」

腕の力がゆるんだ隙に三椏は逃げ出そうとするが、土岐田の方が一瞬早かった。再び押さえ込まれてしまい、絶望的な状態に三椏の目から涙がこぼれた。

──三椏がつらい時、呼ばれるような存在に俺はなりたいんだ。

もう駄目だと諦める気持ちとともに、璃臣の優しい声と眼差しが思い出される。どうして自分に触れているのが璃臣でないのだろう、と強く思った。

「……璃臣、さん!」

ガシャアァン、と派手な音を立ててサンルームのガラスが割れた。カーテンを引いていなければ、三椏も土岐田も破片でケガをしていただろう。それくらい一気に、大量に窓が割れ、重たい遮光カーテンを翻すほどの強い風が入り込んでくる。はためく布の合間から、小柄な影が見えた。

「璃臣さん!」

三椏の呼ぶ声が合図だったように、璃臣は一瞬で土岐田に詰め寄り、その脇腹を殴った。ソファの下に土岐田は転がっていく。起き上がろうとした土岐田の首筋に、璃臣が短剣を当てた。

「三椏に触れるな。下衆が」
「……お早いお戻りで」

ズレた眼鏡を直し笑顔を取り繕った土岐田だが、璃臣には通用しなかった。

「不法侵入に婦女暴行。立派な犯罪だ。憲兵に突き出してやる」
「私たちは、お姉様の様子を伺いにきただけです!」

庭の方から華燐の声がする。璃臣が指を鳴らした途端、コウモリたちが集まり始めた。華燐と土岐田の顔面から血の気が引いていく。

「招かざる客のくせに、言い訳だけは立派だな。使い魔の力で政府の高官にお前らの悪行は筒抜けだ。それぞれの当主たちへの弁解を考えた方がいいんじゃないか?」
「なんだって?」
「わ、私たちは悪くないわ!」

大量のコウモリに追われ、二人は一目散に逃げていった。



「三椏! 遅くなってごめん」
「大丈夫……。それより、迷惑をかけてごめんなさい」

璃臣はソファに横たわっている三椏を横抱きにして歩き出した。この細腕のどこにそんな力が備わっているのだろう。三椏は驚きのあまり、全身をびくりと揺らした。

「おろして。歩けるわ」

自分より背の低い璃臣には負担だろう。そう思うのに、思いのほか強い力でがっしりと抱えられてる。もう、このまま身を任せてしまおうか、と体の力が抜けてきた時だった。

「璃臣さん! 後ろ!」

割れた窓ガラスの前で大きくカーテンがたなびき、黒い影が複数あるのが見えた。赤く光るのは吸血鬼の瞳だった。

(覚醒が早すぎる! 吸血鬼の人数が多くて薬が足りなかったの?)

振り向いて状況を理解した璃臣は、その場にゆっくりと三椏を下ろし、大きなため息をついた。

「次から次へと……三椏と過ごす時間が減って俺は機嫌が悪いのに」
「璃臣! 特攻は任せろ!」

使い魔のコンパスの指示でコウモリたちが襲いかかる。動きを止めた吸血鬼たちの首筋に璃臣は噛みついていった。

(さっき悪霊を祓ったから、普通の吸血鬼に戻ったのかしら。これなら璃臣さんの圧勝よね)

三椏が胸を撫でおろした瞬間、みぞおちのあたりを大きな手で握られるような、不快感を覚える。
悪霊の気配だ。

(一人だけ……また悪霊に取り憑かれている……!)

コンパスも異変に気づいたのか、コウモリたちが反応し、その吸血鬼に群がる。

「クウちゃんお願い!」

三椏も式札を取り出し、クウを呼び出した。
吸血鬼であれば璃臣に任せるしかないが、悪霊相手なら話は別だ。むしろ、璃臣は悪霊に対しての対抗策は持っていない。

(私がなんとかしなきゃ!)

群がったコウモリたちにクウが追従する。けれど吸血鬼のほうが早かった。コウモリたちに囲まれて視界が悪いにもかかわらず、璃臣の背後に立ち、鋭く伸ばした両腕の爪をその背中に突き立てた。