幼夫は吸血鬼 〜屑拾い令嬢は、育った夫に愛される〜

日本國(にほんこく)の歴史は、悪霊と式神遣(しきがみつが)いの歴史でもある。

地場の影響か、日本國では死霊や生霊──いわゆる悪霊が発生し、それに取り憑かれるという現象が古くからみられていた。悪霊に取り憑かれた人は、理性を失い暴れだす。

真に恐ろしいのは知性のある悪霊で、自身にとって一番利益のある人物を選んで取り憑くのだ。長きに渡る戦国時代は、時の権力者たちに取り憑いた悪霊によって引き起こされたと語られてきた。

式神遣いは悪霊たちに対抗してきた人々で、式札と呼ばれる紙を用いて式神を呼び悪霊を祓う。製紙の技術が上がるたび、悪霊への威力も増していった。やっと悪霊の数が減り、平和だといえるようになったのは江戸時代のこと。

数百年続いた平定は、黒船来航とともに再び乱されることとなる。
西洋諸国の人々に混ざり、吸血鬼も来日するようになってしまったからだ。
彼らは人間との混血をくり返した雑種で、ほぼ人間と変わらないが、吸血鬼の本能である吸血衝動が発現すると人を襲う。吸血鬼に式神の力は及ばず、日本國は危機に陥った。
しかし同じく西洋から訪れたより上位の──純血の吸血鬼によって、吸血鬼の暴動は収まった。政府は純血の吸血鬼の功績を称え、式神遣いよりも高い地位を授けたのだった。



4人分の荷物が重くて、三椏(みあ)華燐(かりん)の呼びかけに気がつかなかった。

「ねぇ、聞いてるの!」

しびれをきらせた大声に、驚いた三椏は足をもつれさせて転んでしまった。
夜の山道はただでさえ視界が悪く、舗装されていない獣道は着物では歩きにくい。
しかも朝から家事に追われ、三椏はほとんど食事を取らないまま「悪霊祓いに行く」と言われて一時間も山道を歩き続けているのだ。
集中力が切れても当然だった。しかし華燐は決して三椏を許さない。

「うっわ最悪。泥ついてんじゃない? ちょっと、私の鞄返して!」
「ごめんなさい」

月明かりでも輝く長い黒髪を揺らした華燐は、三椏に近づいた。気の強そうな猫目が細められている。
華燐は巫女装束がよく似合う、名前通り華やかな少女だ。来年女学校を卒業予定の16歳で、三椏のひとつ下の義妹でもある。

やっと立ち上がった三椏は、華燐の義姉とは思えないくらいみすぼらしい身なりだった。
手入れの行き届いていない黒髪はボサボサで艶もなく、寝不足の目には隈が浮いている。黄色く色褪せた着物はつぎはぎだらけだった。

まるで臭いものでも見たように眉を寄せた華燐は、三椏の肩にかけてある鞄をひったくるように取った。
ここのところ晴れ間が続いていたため鞄はほとんど汚れていないはずだ。しかし華燐はブツブツと文句を言いながら、少し先で待つ二人の男の間に入り、歩き出した。

「それで? 土岐田(ときた)は家庭教師を始めたんだっけ」

気を取り直して、とでも言うように、明るい声で華燐は右隣の男に話しかけた。男性としては華奢な体つきだが背は高い、丸い眼鏡の印象的な男が頷いた。

「そう。歴史とか懐かしいよ。日本國の歴史は、悪霊と式神遣いの歴史でもある──ってね」

数歩後ろで土岐田の話を聞き、懐かしいなと三椏も思う。

つい先日卒業した女学校で学んだ覚えがある。家では次から次へと用事を言いつけられる三椏にとって、授業中は自分のためだけに使える貴重な時間であった。

「その生徒さんは歴史が好きなの?」
「ああ。その視点が面白いんだ。『権力者たちは自身が悪霊に取り憑かれないよう、優秀な式神遣いをそばに置き重宝した。……って書いてあるけど、式神遣いが今も偉いのはなんで? 悪霊なんていないのに』とか言うんだ」
「まぁ、日々の平和は私たちが守ってあげているのにね」
「本当だぜ。ガキがぐーすか寝てる間、俺達がお掃除してやってるっていうのによ」

華燐と、その左隣にいる大柄な男──荒熊(あらくま)が肩をすくめた。

「あとこんなことも言ってたな。『吸血鬼が倒せないなら意味ないよね』って」
「痛いとこついてくるガキだな……」
「黒船が悪いのよ。吸血鬼なんて専門外だもの。仕方ないわよ」
「だよな。外からやってきたんだから、外の奴が成敗する。今の形が正しいぜ」
「ただ、なんか腑に落ちないのよね」
「何が?」
「吸血鬼を倒せるのは純血の吸血鬼だけ、なんて。本当にそうなのかしら」
「たしかに、他の方法が……僕らにも使える方法があるといいんだけどね」
「そしたら政府も純血に特権を与えなくて済むしな。けどさぁ……退治方法が共食いとか言うじゃねえか。気味悪ぃ」
「お姉様はどう思う?」

華燐が振り返り、三椏に声をかけた。

「……えっと」
「聞いてなかったの?」
「人の話はちゃんと聞けよ……歩くのもトロいしよ」
「改めて、姉妹でこうも違うとはね」

言いたい放題の三人に、三椏は言い返したいのをぐっと堪える。
発言したらしたで「三椏の意見は聞いてない」「分かったようなことを言うな」と言われてしまうからだ。

「まったく、お姉様はいつまで経っても(くず)拾いしかできない、役立たずなんだから」

華燐がまた、高い声で笑った。



山の中腹にあったのは大きめの池だった。
池とその周囲は木々が植わっておらず、開けた空間になっている。

「さあ、悪霊はどこにいるかしら」

華燐の声に答えるように、水面に写っていた月が大きく揺れ、水の中から黒い影が無数に現れた。

「すぐに出てくるなんて、元気なやつだな」
「本当ね。さあ、式神遣いの力を見せてやるわ! 行くわよ式神。その姿を示せ!」

手を広げた人の形に切った紙──式札(しきふだ)を影に向かって華燐は何枚も投げた。その数は10をゆうにこえている。
札はそれぞれ白く鋭い光を発し、大きな翼を持つ鳥の形になった。光の鳥は影の間を縫うように飛び回る。その軌跡が光の縄となり影を封じていく。

「滅せよ!」

華燐の叫びに光の縄が輝きを増し、池の周囲だけ昼間のように明るくなった。次の瞬間、光とともに影も弾け、周囲には静寂が訪れる。

「さすが華燐。俺らの出番なかったな」
「あ、ごめーん」
「いつもながらお見事だよ。さすが月齢三位だね」

月齢とは、政府から与えられている式神遣いの官位である。月齢一位から月齢十五位まであり、数字が小さいほど力を持つ家とみなされる。
男たちと勝利を喜んだ華燐は、少し離れた草陰にいる三椏を見つけて片眉を上げた。

「早く片付けてよ。屑拾いしか能が無いんだから」

じゃあね、と言い残し、華燐たちは帰ってしまった。

「早く拾わなきゃ」

草陰から出た三椏は、池全体を見渡した。
式神を呼んだあとの式札は残滓(ざんし)と呼ばれ、粉々になって周囲に散る。これが悪霊の餌となり、強化させてしまうのだ。

古来より式札には和紙が使われていた。だから、水に落ちたり雨に濡れたりした残滓は溶けて自然に返っていた。大きな残滓をちょっと拾えば、屑拾いなんてしなくてもいいくらいだったのだ。
けれど、機械で作った安価な紙が出回るようになってから、屑拾いはとても面倒で大変な作業になった。和紙とは異なり、何日も地面に残ってしまうからだ。

陸地なら風の強さと向きに気をつければいいが、今日は池にばらまかれてしまった。網なんて便利なものを三椏は持っていない。月明かりを頼りに目を凝らし、残滓をひとつずつ拾い上げる。

そのうち水の中でホタルが生まれるように、小さな光がポツポツと灯り始めた。月明かりのような優しさはない。一番熱い炎のような、青色が怪しく揺らめくのだ。和紙の式札には見られない現象で、これが悪霊を呼び寄せる。

だから、三椏にはこの光が神々の怒りに思えてしまう。こんな粗末な紙で呼び出されるような、程度の低いものになってはいないと。

その証拠に、機械で作られた紙の残滓に触ると怪我をする。今日も拾うたびに細かな切り傷が指にできている。
けれど、放っておけば何の罪もない誰かが傷ついてしまうため、三椏は拾い続けた。

光はどんどん増えていく。悪霊が再び現れる前になんとか拾いきらないといけない。三椏は式神遣いの家に生まれながら、式神を呼ぶことができない。正確には、呼べなくなってしまった。華燐たちが帰ってしまった今、悪霊が現れたら対抗する手段がない。

式神を使役できずとも、自分はここにいていいのだという証明が、この屑拾いだった。
それすらできなくなれば、華燐のいう役立たず以下になってしまう。だからこそ、多少のケガに躊躇している暇はなかった。

残滓がまとまって落ちているのか、水の中でひときわ光の強い場所がある。池の縁に座り、水に手を突っ込もうとした三椏の腕を、がしっと誰かが掴んだ。

「何してんの」

自分の腕を摑む、華奢で真っ白な手の主を見上げて、三椏は目を丸くした。
声をかけてきた相手があまりにも美しく──幼かったから。

背丈から予想するに、10歳くらいだろうか。銀髪に赤い瞳。子供特有の高い声。黒いシャツとズボンを履いているから男の子だろうと思われるが、判断にしばらく迷うくらい、顔も体つきも中性的だ。

「紙の破片を集めていて……」
「もうこれは危険だよ。触ると怪我をする」
「知ってる、けど、集めないと他の誰かが怪我をするから……」
「ふうん。じゃあ、こうすればいいってこと?」

少年は三椏の腕を掴んでいない方の手で円を描くようにした。どこからか風が吹き、渦を巻いたそれは水面を揺らし残滓を集めていく。少年が指を鳴らすと、残滓は三椏の持つ麻の巾着袋に収められていった。

「ありがとう! なんてお礼を伝えたらいいか……」
「ねえ、それなら、俺が欲しいものをくれる?」
「え、でも……私が返せる物なんて」

何もないのだ。使用人のような扱いを受けている三椏だが、使用人ではないからと給料をもらっていない。かといって、令嬢扱いをされているわけでもないから、華燐のように小遣いをもらうこともない。

「あなたにしか、頼めないことなんだ」

少年がじっと三椏を見つめる。真剣な瞳は、少年の言葉が嘘偽りないと信じさせる力があった。

(どういう意味だろう)

三椏の隣に少年が腰を下ろした。赤色の瞳と同じ高さで目が合い、三椏は気がついた。
もしかして、彼は吸血鬼ではないだろうか。この国でありふれた黒髪に黒目とは対局にある色合い。魂ごと引き込まれるような美貌。
上位の吸血鬼は美しさで人を惑わし、取引を持ちかけると聞いたことがある。その代償はさまざまで、時には命を求められることも──。

(この子、私の命が欲しいのかしら。私にしか頼めないって、そういうこと?)

「欲しいものってなんですか? 命……とか?」

少年はきょとんと目を丸くしてから、あははと大笑いした。大人びていた表情が年相応に見えて、一気に親近感がわいてくる。

「そこまではしないよ。でも……似ているかもね」
「分かりました。何をすればいいんですか?」

助けてもらったのは事実だ。これで町の人に被害が出ていたら、目も当てられなかった。掴まれたままだった手を引かれ、少年と共に三椏も立ち上がる。やはり少年は細身で、三椏よりも頭ひとつ分は小さい。

「このまま帰宅し、待ってくれたらいい。会いに行くから」

まるで大人のような口ぶりで話すから、三椏は目を瞬いた。そんな三椏を見て少年は意味深に微笑む。

「俺は璃臣(りおん)。覚えておいてくれ」
「私は……三椏です」

三椏はそう答えるのが精一杯だった。



少年が小さく手を振った途端、強い風が吹いて両目を閉じる。風が収まったのを待ち目を開くと、そこは三椏の家の前で、少年の姿は消えていた。狐につままれたような気分になりながら、三椏は裏口から家に入る。

(さっきの子、あの子に似ていたな)

着物の帯からちりめんで作った巾着を取り出した。ここに入っているのは、この10年、三椏を支えたお守りだ。

(あの子もきれいだった。でも黒髪黒目だったし、何より10年前。もう私より背が高いわよね。今頃どうしているんだろう)

懐かしい記憶の箱が空いて、あれこれ考えるのが楽しくなる。布団の中に入った三椏は、久しぶりに安らかな気持ちで眠ることができた。