うさぎに弱い虎山くん

あんこときなこは、今日も元気そうだった。餌もちゃんと減ってるし、うんちも綺麗なころころ。何より、僕が小屋の中に入ると、ぴょんぴょんと飛び跳ねて寄ってきてくれた。
「うわっ、もう。あんこってば。もうちょっと優しくしてよ」
足元に擦り寄ってきたあんこを抱っこして、小屋に置いてあるブラシで撫でてあげる。気持ちよさそうに目を閉じる姿が、かわいくてたまらなかった。
しばらくそうしていると、きなこものろのろとやってくる。きなこはあんこに比べて動きが遅い。
「じゃあ次は、きなこの番ね」
そう言って今度はきなこを抱き上げる。あんこよりも動かないから、きなこはちょっと太ってる。なんなら今日も、昨日より大きくなってる気がする。
そんな感じで、いつものようにきなことあんこを優しくなでなでしていた。突然声をかけられる前までは。
「宇佐美?こんな朝早くから何してんの」
「うわっ」
後ろから急に名前を呼ばれて、びっくりして後ろにしりもちをついてしまう。その拍子に、膝に乗せていたきなこもびっくりして、飛び降りた。
「ごめんきなこ……」
きなこに怪我がないかを確認してから、そういえば声をかけられたんだったと思い出して後ろを振り返る。
「なんかごめん。お取り込み中?」
「ううん、全然。どうしたの?」
そこに立っていたのは、同じクラスの虎山くんだった。
仲が悪いわけではなかったけど、クラスでは全然違うグループに属しているから、ちゃんと話したことはなかった。
虎山くんはいわゆる陽キャで、クラスの真ん中にいる人だった。声も大きくて、明るくて、いつもみんなに囲まれてる。教室でも1人でうさぎの本を読んでて、何か言ったら聞こえなかったって言われちゃう僕とは真逆の人。
「俺さ、今年飼育委員になったんだけど、今日当番って書いてあって。何すればいい?」
飼育委員は、ひとつのクラスから2人ずつ選ばれる。僕は当然毎年立候補しているけれど、そういえば今年はもう1人が誰になったのか全然気にしていなかった。
飼育委員は、委員会の中で1番と言っていいほど人気がなかった。僕にとってはいつでも小屋に入ってうさぎと遊べるなんて天国以外の何物でもないんだけど、当番の日は朝早く来なきゃいけないし、小屋の匂いが苦手な人は苦手みたいだ。
だから、じゃんけんで負けて飼育委員になる人も多い。そしてそういう人はだいたい、当番をサボる。僕は毎日いるからうさぎたちが困ることはないけど、こんなにかわいいのにどうして来てくれないんだろう?と僕は思っていた。
だから、虎山くんが来てくれたのは僕の中ではちょっと意外だった。うさぎの世話とか、面倒くさいって言いそうなタイプなのに。
「じゃあさ、お水替えに行こう!」
「これ?」
そう言って虎山くんは水の入れてある浅い皿を指差す。
「そうそう。水道の場所、わかる?」
「わかんない」
「じゃあ一緒に行こ」
そう言うと、虎山くんはすぐに扉を開けようとする。
「ちょっと待って!」
虎山くんに声をかけてから、あんこを抱き上げて小屋の奥の方に誘導する。
「あんこはね、足が速いから、扉開けるとすぐに脱走しちゃうの。捕まえるのも大変だから、気をつけないと」
「そうなんだ」
何を話したらいいかわからなくて、水道まで行く間、沈黙が走る。
さっき話したの、ちゃんと伝わったかな。偉そうだって思われてないだろうか。というか、そもそも声ちゃんと聞こえたかな。そんなふうに不安に思っていると、虎山くんが口を開いた。
「宇佐美って、ほんとにうさぎ好きなんだね」
「え?うん」
「なんか、うさぎに話しかけたりしてたからさ。おもしろいなって」
「えっ、見てたの?!」
それは想定外だった。あの時間は基本誰もいないから、安心してうさぎたちと会話してたのに。しかもあんまり話したことないクラスメイトに見られるなんて、最悪だ。気持ち悪い奴だと思われたに違いない。
そう思って虎山くんのほうを見ると、これまた意外なことに、楽しそうに笑っていた。
虎山くんって、こんな顔するんだ。教室にいるとき、遠目には見たことがあったけど、近くでちゃんと見たのは初めてだった。
僕よりも20センチくらい背が高いから、勝手に怖い人だと思っていたけれど、案外そんなことなさそうで、ちょっと安心した。
「ここで、薄く水をはるの。あんまり入れすぎると、あんこが入って水浴びしちゃうから、薄めにね」
「宇佐美ってうさぎのこと、なんでも知ってるのな」
「なんでも?そんなことないよ。うさぎ好きになったのも、高校入ってからだし」
「え、そうなの?てっきり小さい頃から好きなのかと思ってた」
「去年、たまたま飼育委員が決まらなくて、それならと思って立候補したの。そしたらうさぎがもうかわいすぎて!!」
強く語りすぎてしまったから、虎山くんはびっくりしたように笑った。
「ごめん……」
わかってる。男子高校生がうさぎが大好きなんて世間からしたら変だ。だから、できるだけ言わないようにしてきた。
だけど、虎山くんなら、なぜかわかってくれる気がしたんだ。だからついつい、うさぎの魅力を伝えたくて、熱く語りすぎてしまった。
「俺も飼育委員続けてたら、宇佐美みたいになれるかな」
だから、虎山くんの優しい言葉にびっくりした。気を遣って言ってくれてるのかもしれないけど、絶対に引かれたと思ったから。
「なれるよ!」
僕がそう返すと、虎山くんはまたにこっと笑って言った。
「なんか宇佐美って、うさぎよりもうさぎみたい」
「え?」
そう聞き返したところで、
「あれ、虎じゃん。おはよー、朝から何してるの?」
と横から声がした。
その声の主は、虎山くんとよく一緒にいる木崎くんだった。
「飼育委員の当番!」
「えー、だるそう。サボってサッカーしようぜー」
「いや……えっ」
虎山くんが何か言う前に、僕は虎山くんの手にあった水の入った皿を奪うようにして持った。
「行ってきなよ」
本当は、さっきの発言の意味、聞きたかった。うさぎの話、もっと聞いてほしかった。
だけど、やっぱり虎山くんと僕では生きてる世界が違うんだ。虎山くんの生きてる世界では、飼育当番なんてサボってサッカーするほうが楽しいとされてるんだ。
「宇佐美もそう言ってるしさ」
「え……」
虎山くんはまだ僕の方を見ていたけれど、僕は1人で皿を抱えてもう一度水道へ向かう。虎山くんから取ったときに、ほとんど水がこぼれてしまっていた。
これできっと、虎山くんは次から当番には来ない。自分で選んだことなはずなのに、今日出会ったばかりなのに、なぜか寂しい気がした。

お皿に水を入れ直しながら、虎山くんの発言の意図を考える。うさぎみたい。
うさぎの特徴……出っ歯なところ?でも僕は出っ歯じゃないし。
ちっちゃいところ?これは言えてる。クラスの中で1番背が小さいし。
もう虎山くんのことなんて考えないようにしようと思ったのに、なぜかさっきの発言が頭にこびりついて離れない。
「うさぎちゃん、なにしてるの?」
だからその声が聞こえたとき、幻聴だと思った。虎山くんのこと考えすぎて、幻聴が聞こえてるんだと。
「うさぎちゃーん。聞こえてる?」
そう言って肩を叩かれて初めて、自分に話しかけられていることに気づく。
「え、虎山くん?」
「うさぎちゃんって呼んでもいーい?」
「いい、けど。サッカーは?」
さっき、木崎くんとサッカーをしに行ったはずなのに。
「え、だって今日は当番の日じゃん?さすがに当番はちゃんとやらないとでしょ。うさぎちゃんのうさぎトークも、もうちょっと聞きたかったし」
当番はちゃんとやらなきゃ?もっとうさぎの話が聞きたい?偏見かもしれないけど虎山くんみたいな陽キャから出てくる言葉とは思えなくて、びっくりしてしまう。
「なにびっくりしてんの。水、あげにいこ?あんこときなこも待ってるでしょ」
「……うん」
水の交換が終わると、なぜか虎山くんはうさぎから絶妙に遠い位置にいた。せっかくだから、虎山くんにも飼育当番の醍醐味であるうさぎを撫でるのをやらせてあげようと思って、
「虎山くんもこっちおいでよ。うさぎなでよ?」
と言うと、
「あ、いや、えっと」
となぜか虎山くんは突然たじたじになる。
そういえば、最初小屋に入った時もうさぎから遠い位置にいた気がする……。
「あれ、もしかして虎山くんってさ、うさぎ苦手?」
「いや、まぁ、えっと、うん」
「え、そうなの?ごめんね……」
じゃあさっき、僕がうさぎのかわいさについて語ってたときも、あんまりわかってなかったのだろうか。てっきりうさぎが好きだからこんなに聞いてくれるのかと思って、いっぱい話しすぎてしまったから申し訳ない。
「でも、普通に見るのは好きだから!近づいたり触ったりするのは、ちょっと怖いかな、くらいで!」
怖い、という言葉に思わず笑ってしまう。うさぎの何倍も背の高い虎山くんが、うさぎが怖い。なんだか不思議な感じがした。
「虎なのに、うさぎ怖いんだ?」
「うさぎだけじゃなくて、小動物全般苦手なんだけど、見るのは好きだからさ。ちょっとでも触れるようになれたらいいなって思って、飼育委員、立候補してみたんだ」
「え、立候補だったの?」
虎山くんが立候補で飼育委員になったなんて、驚きだった。
だけど、怖くてもうさぎのことをちゃんとかわいいと思ってくれてるのはやっぱり嬉しい。うさぎと、虎。天敵どうし、仲良くなれるだろうか。
——キーンコーンカーンコーン
予鈴が鳴って、虎山くんと目を合わせる。
「うさぎちゃんって、毎朝この時間に来てるの?」
「うん、そうだけど」
「じゃあ明日も来ちゃおうかな」
「え、嬉しい!」
思わず心の声が漏れてしまって、慌てて手で口を塞ぐ。
社交辞令かもしれないのに。虎山くんには僕と違ってたくさん友だちがいるんだから、やることだっていっぱいあるはずだ。今日だってサッカーに誘われてたし。
「だってうさぎが3匹もいるんだもんね」
まただ。またうさぎ。
僕はうさぎと違って、かわいくもなんともないのに、なんで虎山くんはうさぎみたい、なんて言ってくれたんだろう。
「急ご!ホームルーム始まっちゃうよ!」
そう言われて腕時計を見ると、あと2分で本鈴が鳴ってしまう。走り出す虎山くんを、必死に追いかけた。

授業が始まってからも、虎山くんの言葉が頭にこびりついて離れなかった。
——宇佐美ってさ、うさぎよりもうさぎみたいだよね。
僕が、うさぎみたい?僕はそもそもうさぎみたいにかわいくないし。そんなこと言ったらうさぎに失礼だ。
虎山くんの席は、僕の席から見るとちょうど左斜め前あたりにあった。昨日までは1クラスメイトで、ちゃんと気にしたことなんてなかったのに、今日はついつい凝視してしまう。
虎山くんは、授業中、ずっと寝ていた。こっち側からだと、綺麗な後頭部が見える。さらさらの栗色の髪。窓から入ってきた春の柔らかい光が当たって、きらきらと煌めいていた。
綺麗。そんな言葉がふと頭に浮かぶ。
かわいいって思うことは、よくあった。うさぎもそうだし、テレビに映ってる女優さんとかも、かわいいとは思う。だけど、こんなふうに人に対して、ましてや同性に対して綺麗だと思ったのは人生で初めてだった。
名前からも、勝手に怖い人だと思っていた。だけど今日話した感じだと、思ったよりも優しそうだった。
——声が小さくて、聞こえない
——なんて言ってるのー?
幼い頃から、何度も言われてきた言葉。もう人にわかってもらわなくていい、自分が自分のことをわかっていればいいし。人生を積み重ねていく中で、いつしかそんなふうに諦めていた。
だから今日、虎山くんがちゃんと僕の声に耳を澄ませて聞いてくれたことが、嬉しくてたまらなくて。もしかしたら。もしかしたら、虎山くんなら、わかってくれるかもしれない。そんなふうに思ってしまうのは、僕のわがままかな。

うさぎ小屋は、校舎からは少し離れた場所にある。日当たりもそこまでよくないから、わざわざお弁当を食べるためにここに来ているようなもの好きは僕くらいだった。
「虎山くん、なんだか不思議な人だったね」
僕はあんこときなこを撫でながら、そう話しかける。
僕はいつも、ここで今日あったことをうさぎたちに話す。嫌なことがあったときも、嬉しいことがあったときも。当然だけど、うさぎたちには何を言っても、何の反応も得られない。だけど、僕にはそれが心地よかった。
うさぎはきっと、なんにも考えてないんだろうな。いつも餌を食べて、のんびり生きてるだけで、きっと悩んだり不安になったりすることなんてないんだろう。生まれ変わったらうさぎになりたいな、なんて僕は思う。
一通り撫で終わったら、小屋の外のベンチに座ってお弁当箱を開ける。おにぎりと、茹でたにんじん、ブロッコリー、それから今日はかぼちゃ。朝はバタバタしてて時間がないから、家にあった野菜を適当に茹でて詰め込んできただけだった。
「うさぎみたいなご飯だ」
急に後ろからそんな声がして、ベンチから転がり落ちそうになる。
「虎山くん?!」
「なんでそんなに驚くかなあ。俺が話しかけるたびに転けてない?」
そういえば、たしかに朝から虎山くんに話しかけられたときはびっくりしてばっかりだ。意図してるわけじゃないんだけど、そもそも学校で人に話しかけられることがなさすぎてどうしてもびっくりしてしまっていたのかも。
「なんでここにいるの……?今、お昼休み中だよ」
朝出会った木崎くんを含め、虎山くんの周りにいる人たちはみんな、休み時間はグラウンドに出て遊んだり、スマホゲームで対戦したりしていた。今までは注目してなかったからわからないけど、虎山くんもきっとそうなんだろうなと思っていた。
暗くて、静かで。明るく賑やかなグラウンドとは、真逆の場所。それがうさぎ小屋だっていうのに。
「昼休みなんだから、別にここにいたっていいじゃん」
「そうだけど……」
虎山くんは僕の隣に座って、包みからお弁当箱を取り出す。
「ここで食っていい?」
「いいよ」
やっぱり、虎山くんは不思議な人だ。
わざわざここでご飯を食べようとしてるなんて、もしかして何か裏があるんじゃないかとすら思えてくる。仲良くなったら、高い壺を売りつけてくるとか?それとも、パシリにするとか?
いろいろ考えてみたけど、虎山くんがそんな人には思えなかった。
わかってる。そんなに簡単に人を信じちゃいけないって。今までだって仲良くなれそうだと思っても、なれなかったことなんて何回もある。
だけど。だけどさ。うさぎをかわいいって言ってくれる人に、悪い人なんていないと信じたい。
「いただきまーす」
そう言いながら、虎山くんはお弁当箱を開く——
「おいしそう……!!」
右側にはごはん、左側には鶏肉と野菜の炒め物、それから卵焼き、そしてトマト。色鮮やかで、匂いも見た目も、何もかもがおいしそうだった。
自分の適当に作った情けない弁当を見ながら、匂いだけでももらおうと鼻をくんくんする。
「その弁当さ、自分で作ったの?」
「うん」
「うさぎちゃんって食べるものもうさぎと一緒なんだね。でももうちょっと栄養のあるもの食べなよ。大きくなれないよー?」
たしかに言われてみれば、今日の弁当には肉がほとんど入っていなかった。
うさぎ小屋に一刻も早く行きたくて、朝の準備をとにかく時短しようとしてたら、こんな簡素な弁当になってしまった。
「虎山くんはそれ、自分で作ったの?」
「一応、ね。大したものじゃないけどさ」
「めっちゃすごいよ!料理上手なんだね」
虎山くんの弁当が大したことないなら、僕の弁当は何になると言うんだろう。
「ねえ、ちょっと口開けて?」
「え?」
とりあえず、言われるがままに口を開けてみる。
「はい、どーぞ」
「ほへっ」
虎山くんが自分の箸で摘んだ鶏肉を、僕の口の中に入れたのだ。
「ごめん、苦手だったら出してもいいよ?」
ちゃんと噛んで、味わって飲み込んでから言う。
「おいしすぎる!」
口の中でほろほろと身が崩れて、染み込んだ醤油味が口の中を満たす。身体中が幸せに包まれるみたいな味だった。
そこまで凝ったレシピではなさそうなのに、自分が作ってもこの味にはならないだろうな、と思うほどにおいしかった。
「あはは、うさぎちゃんめっちゃいい顔するじゃん」
「だって美味しいんだもん!」
「嬉しいな、人に自分の料理食べてもらったの、初めてだからさ」
そう言って虎山くんはにこっと白い歯を出して笑う。
初めて、という言葉を、頭の中で繰り返す。初めて。僕が、初めて?
陽キャの間では、毎日こうやってお弁当の具を交換したりが普通に行われてるのかと思ってたけど、そうでもないみたい。じゃあ、なんで僕にはしてくれたんだ?
「うさぎに餌、あげちゃったー」
そういえば、まだなんで僕のことをうさぎみたいと言ってくれたのか、意図を聞けていなかった。聞くなら今しかない、と決意して言う。
「僕の、どこがうさぎに似てるの?」
「えー?全部、かな」
全部。よくわからなくて首を傾げると、また虎山くんは笑って言う。
「まあでも強いて言うなら、かわいいところだよ」
「かわいい?」
「うん。かわいい」
やっぱり虎山くんは、不思議な人だ。かわいいって言葉は、もしかして陽キャの間では普通に褒め言葉として使うのかな。というか、褒め言葉?それとも貶し言葉?そんなことを考えていたら、太陽の日差しが少しだけベンチまで差し込んできた。虎山くんのほっぺがほんのり赤かったのは、そのせいだ、きっと。

⭐︎

それ以降、虎山くんは毎日のように朝と昼休み、うさぎ小屋に来るようになった。うさぎが苦手な虎山くんは、あんまり小屋の中には入りたくないみたいで、気がつけば僕が小屋の中にいる間はベンチが定位置になっていた。
「待って!あんこ!」
今日は週に一回の、2匹の体重測定の日だった。小屋にある古いはかりに乗せないといけない。
だけど体重を測ろうとしたら、きなこはおとなしくしててくれるのにあんこは嫌がってすぐに逃げてしまうのだ。ちゃんとご飯を食べているかどうか、逆に食べすぎていないかを確認するためにも、体重を記録するのは大事なのに。
そんなに広くない小屋だけど、すばしっこいあんこを捕まえるのは大変だ。捕まえたと思っても、すぐに手からするっと抜けて逃げ出しちゃう。
「うさぎちゃんってさー、結構朝遅いよね」
こっちは必死に格闘しているのに、外にいる虎山くんはのんびりとそんなことを言っている。
たしかに、僕は足が遅い。小学校の運動会でも、いつもビリだったのを覚えている。うさぎと亀、っていう童話があるけど、毎日これを見てるとうさぎは本当に足が速いんだなあと思う。
たしか虎山くんは、運動神経がいい。体育の授業でも、いつも先生に褒められているイメージがある。本来ならば手伝って欲しいところだが、うさぎが苦手というのならしかたない。
「捕まえたっ」
ようやくあんこを小屋の端に追い詰めて、無理やり抱き上げる。まだ足をバタバタさせていたけど、餌で釣ってどうにか少し静止してもらう。きなこの10倍くらいの時間をかけて、どうにか今日も体重を記録することができた。
「お疲れさま、うさぎちゃん」
ため息をつきながら小屋から出ると、虎山くんがそう言って出迎えてくれる。そう言って少し近寄ってきてくれるから、こちらからも近づいてみる。
「待って、ちょっと!それ以上はだめ!」
だけど、ちょっと近づきすぎたところで、両手で静止される。
「無理無理、いくらうさぎちゃんでも無理!」
「慣れるためだから!いけるって、大丈夫だよ」
そう、虎山くんの目標、「うさぎが触れるようになる」を達成するために最近練習を始めたのだ。
虎山くんは、見てる分には全然平気らしい。動物自体は好きだし、小さい頃は動物園にも頻繁に連れて行ってもらっていたそうだ。
だけど、ある一定の距離を越えると突然逃げ出す。虎山くん曰く、「受け付けられない」らしい。
「えー、こんなにかわいいのにな」
「かわいいけど無理なものは無理!怖い!」
「きなこは急に飛びついてきたりしないよ?」
「でも無理なんだって!」
さすがにやりすぎたかな、と思って今日はそこまでにして、きなこを一度撫でてから小屋に返す。ここ数日、毎日朝と昼に試しているけれど、触ることはおろか、まだ触れる距離に入ることもできていなかった。
「虎山くん、ほんとにうさぎ苦手なんだねー」
虎山くんは普段、僕にとっては憧れの存在だ。あんなにおいしいお弁当が作れて、僕みたいな人間の話もちゃんと聞いてくれて、友達もいっぱいいて、足も速くて……いいところをあげていったらキリがない。
だけど、こうやってうさぎを目の前にした瞬間だけは、虎山くんの弱い部分を見られた気がして嬉しかった。
きっと木崎くんたちは、こんな虎山くんの姿、知らないんだろうな。そう思うと、なんだか特別感があって嬉しかった。
「馬鹿にしてるでしょ」
そう言って虎山くんはこっちを睨むようにして見てくる。
「馬鹿にしてるならお弁当わけてあげないよ」
「え、それはやだ!」
あれ以来、相変わらず虎山くんのお弁当は毎日美味しそうで、僕は毎日のようにちょっとだけおかずを分けてもらっていた。最近は、もらうだけなのは申し訳なくて、全然おいしくもなんともない茹でただけの野菜を虎山くんにお返しとしてあげている。
虎山くんは笑いながらも、お弁当箱の蓋を開けてから、蓋に少しおかずをのせて差し出してくれる。今日は豚肉の炒め物だった。冷めているはずなのに、出来立てぐらいおいしそうに見える。
「うさぎちゃんはもっとお肉食べないと。ただでさえ細いのに、そんな食事とってたらいつかもやしになっちゃうよ?」
「細くないよ!」
よく少食だね、なんて言われるけど、家に帰ってから最近はお菓子をつまみ食いしてしまう。だから全然細くないし、なんなら最近ちょっと太ったところなのに。
「えー、細いけどなあ」
そう言いながら、虎山くんはお弁当を頬張り始める。僕も虎山くんにもらった炒め物を口に入れた。
「ねえ、お弁当交換してみない?」
しばらく2人でご飯を食べていたら、虎山くんが突然そんなことを言った。
「え?」
「最近毎日、お弁当のおかず交換してるじゃん?」
交換してる、と言っても、僕が一方的に虎山くんからもらってるに等しいのに。
「無理だよ、そんな。虎山くんみたいにおいしいお弁当、作れないもん」
あれから虎山くんみたいなおいしい弁当が作りたくて、自分でもいろいろ調べてみた。だけど、何度練習しても焦げて食べられないような失敗作を生み出してしまうだけで、あんなにおいしいのはおろか、食べられるものすらできないのだ。
そんな僕の弁当を、虎山くんに食べさせるわけにはいかない。そう思った。
「全部じゃなくてさ。肉と野菜で分担するの」
「肉と野菜?」
「そう。俺は虎だから、肉食。うさぎちゃんはうさぎだから、草食。それぞれ肉と野菜を持ち寄ったら、ちょうどいいと思わない?」
虎山くんに、うさぎみたいだと言われた弁当箱を見る。今日も結局面倒くさくて、野菜ばっかりになってしまった。
毎日虎山くんのつくった、あのおいしいお肉が食べられるなら、ぜひ交換したい。だけど……。
「凝ったものとか作れないよ?」
「俺だって凝ったものは作れないよ。だけど俺は逆についつい肉ばっかり入れちゃいがちだから、半分ずつ交換したら栄養バランスもよくなるんじゃないかなって思って」
「やってみたい!」
気がつけば、思わずそう返していた。予想以上に大きな声が出て、自分でもびっくりする。
毎日虎山くんのご飯をわけてもらっちゃうのは、どうしても申し訳なさがあった。だけど、交換を前提にするなら少しだけその罪悪感も減るかもしれない、そう思ったんだ。
「そんなにおいしいものじゃないけど……」
僕も虎山くんを真似して、お弁当箱の蓋に野菜を何個か乗せて渡す。
「そう?おいしそうだけどな。いただきます」
そう言って虎山くんが、僕のゆでた人参を口に入れる。別にそんなに手をかけたわけでもないのに、自分の作った物が虎山くんの口に入るんだと思ったら、なぜか緊張した。
じっと黙って、虎山くんが野菜を飲み込むのを見守る。
「え、おいしい……」
「ほんと?」
お世辞かもしれないけど、虎山くんは次はブロッコリーを口に入れた。自分の作った物を褒めてもらったのなんて初めてで、嬉しくてたまらなかった。
ちょうどそこでチャイムが鳴って、虎山くんが教室に戻っていく。僕もうさぎたちに別れを告げて、その後ろ姿を追いかけた。