冷酷当主はすべてを諦めた令嬢を逃さない

 屋敷に戻った咲子たちを見て、術師たちは一斉に平伏した。未だかつてこれほどに濃く、膨大な霊力を見たことはなかった。先代、先先代をも凌ぐ霊力に、彼らはただ圧倒されるしかなかった。
 しかし、咲子はそれを見て唇を噛んだ。
「女が大きな霊力を持つことは……恥ずべきことではないのですか……?!」
 術師の一人が慌てたように言い訳をする。
「いえっ……それは……御母堂の方針で……」
「母の方針だから、あなたも私を打ったのですか?『生意気だ』と私を嗤いながら?!」
 皆が頭を垂れるのは、今代の当主が自分を庇護してくれているから。もし輝久雄が守ってくれなければ、こうして霊力を解放しても打たれていたかもしれない。どれだけ力が大きくても、咲子はそれを戦いに使う訓練をしてこなかったからだ。
 当主の顔色を見て、簡単に掌を返すだなんて。そもそも、霊力の量を見て人に暴力を振るうだなんて。人として、恥ずかしい。
 咲子のそんな言葉に、誰も彼もが黙り込んだ。
 そこに、ドタバタと足音を立てて母の寛子が顔を出す。
「騒がしいと思ったら……あ、あなた……」
 咲子の霊力に気圧され、へたり込む。そして引きずられてボロボロになった権一郎を見て、ぐにゃりと顔を歪めた。そんな寛子に、輝久雄は淡々と告げた。
「当主への造反行為を受け、権一郎氏を以後、一介の術師と同等に扱うものとする」
「そ、そんな……」
 それは今後、権一郎を本家令息として特別に扱うことはしない、という宣言だった。私室に引きこもることも許されない。これからは輝久雄のために働いて生きるのだ。
 可愛い息子は負けてしまった。しかも、分家の男に。それが受け入れられないのか、寛子は縋るように咲子を見る。
「咲子さん!何か言って頂戴……!そ、そんなのおかしいわよね……?」
 咲子が返した視線は、冷ややかなものだった。
「どうして私が手を差し伸べると、思ったのですか?」
「えっ……」
 寛子の顔が凍りつく。
「殴り返される覚悟もなく、私を打っていたのですか」
「そっ……そんな恐ろしいこと言わないで頂戴。私たち、家族でしょう?!」
「家族なら……娘なら打っても許されると思っていたのですか」
「いえっ、そのっ、それは……」
 まさか、相手に殴り返す力があるとは思わなかったから。……とは、さすがに答えることができなかった。
 寛子は「でもでも」と繰り返す。そんな彼女に、輝久雄は静かに命を下した。
「永守寛子氏においては、本家先代夫人としての権限を一切、剥奪する。術師としての実力がない以上は、この屋敷に住むことも許さない。早々に実家に戻られよ」
「そんな……!さっ、咲子さん!咲子さん!」
 なんてひどい仕打ちなの。私はとても傷ついているわ。そう訴える寛子に、咲子は静かに言った。
「……私は、お母様を打つことができます。この、有り余る霊力で」
 寛子が「ひっ」と悲鳴をあげる。
「でも、そんなことはしません。私はつまらない人間になりたくないのです。でも、他の人たちはどうでしょうか」
 寛子はこの家でもっとも弱い立場に転がり落ちた。それでも自分を「奥様」と持ち上げてくれる人間はここにいるだろうか。使用人も術師も、輝久雄が現れてから掌を返したのに。
 むしろ、今まで咲子に向けられていた悪意は──自分にぶつけられるのではないか──。
 咲子に伸ばしていた手が、力なく落ちる。
「そ、そんな……そんな……」
「……ご実家でも、どうぞお健やかにお過ごしください」
 地面に伏して泣く母親を、咲子が振り返ることはなかった。

◻︎◻︎◻︎◻︎◻︎

 権一郎が失踪したのは、その翌日のことだった。永守家の金品には手がつけられておらず、その身一つで家を出たようだ。
 咲子は兄が霊力を悪用しないかどうかが心配だった。しかし、輝久雄は「悪用できるほどの実力があれば、術師として生きていけただろう」と笑うだけだ。
 寛子は権一郎が姿を消したと聞き、大人しく実家へと帰っていった。もう会うことはないだろうと思う。愛はなく、「家族」という鎖で繋がっていただけの人だった。
 咲子に家族はいなくなった。
 しかし、鎖よりも重たいもので結ばれた男性がいる。それだけで、咲子は今日という日を乗り越えられる気がした。

 今日、永守家では花見の会が開かれる。
 庭に設られた座敷。そこには酒やご馳走が並び、分家の代表者たちが居並んでいた。
 彼らは輝久雄のお披露目会で派手に怒鳴られていた面々だ。
 彼らはそろってため息をつく。
 今日の主催は、実力はあるが、分家出身の当主。しかもこちらの問題点を臆面もなく突いてくる、生意気な若者。これ以上に面倒くさい相手はいない。
 分家としての義理で出席してはいるが、誰もがここから早く退散したがっていた。
 しかし。
「待たせたな」
 輝久雄の涼やかな声に、皆々が背筋をぴっと伸ばし、静かに頭を下げた。油断をすれば彼の雷が飛ぶから──なんて下らない理由ではない。
 空気、いや、この場を覆うほどの霊気に、すべての人間が圧倒されていた。
 輝久雄のものではない。彼の霊力はもっと荒々しく、攻撃的だ。
 これはもっと清らかで、慈しみ深く、それでいて厳かな──そう、まさしく本家の──。
 輝久雄が上座に、女性をエスコートしている。
まるで宝石を扱うかのような、恭しい手つきだった。
(あの冷酷な男が、一人の女に入れ込んだだと?)
 皆の心がざわついた。
(戦いにしか興味がないような顔をしておいて、早速本家に女を連れ込むなど。さあ、どこからつけ入ってやろうか)
 しかしそんな思いは、頭を上げると同時に霧散する。
(この霊力は、まさかあの女性から──?)
 金細工の髪飾りに、友禅の振袖。美しく着飾った娘が、澄んだ瞳でこちらを見渡していた。
(間違いない。これは本家の人間だけが持ちうる霊力。それをあの娘が放っている。しかしこんな娘、本家にいただろうか)
 戸惑いに揺れる面々を見て、輝久雄は呆れたように言う。
「お前ら……まだ気付かないのか?」
 気付かないのか?その言葉に、分家の者たちはやっと思い出した。新当主のお披露目の場に、見窄らしい娘が現れたことを。しかし彼女には一般人以下の霊力しかなかったはずだ。
「節穴どもめ」
 輝久雄が吐き捨てるように言う。
 そういえば……永守家には咲子という娘がいたはずだ。幼少の頃には何度か挨拶することがあったが、ここ十年ほどは見かけることもなかった。
 この霊力。間違いなく、彼女が咲子様なのだろう。
 隠れていた?隠されていた?分からない。しかし──自分たちが一切、気が付かなかったことは確かだ。
 明らかに機嫌を害した輝久雄を、咲子がそっと嗜める。咲子に見つめられて、輝久雄は咲子の手をそっと取り、優しく撫でた。
(ああ。そういうことか)
 分家の者たちは悟った。
 由緒正しい、本家の姫。圧倒的な力を持ちながら、長らく隠されてきた神秘の娘。
 分家は彼女に逆らうことはできない。権一郎とは違って、彼女の力は本物だから。
 そして輝久雄が咲子のお墨付きを得ている以上──永守の誰も輝久雄に逆らうことはできない。
 当主から離れていた心が、ひとつにまとまった瞬間だった。人々は咲子を讃え、輝久雄の未来を祝福し、花見の会を終えたのだった。

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 その翌日。輝久雄は術師たちに休みを取らせ、使用人らに酒を振る舞った。自身も「肩が凝って疲れた」と休日を満喫する気のようだ。
 花見の会では、輝久雄が咲子を尊重するという姿勢を、分家の者たちにも示してくれた。現状に不満はない。でも、自分が失っていた立場を、輝久雄が取り戻そうとしてくれている。咲子はそう思うと嬉しかった。
 当主の意向。丁寧なエスコート。実際に、それだけで分家の人たちの態度は変わった。今までは彼らの視界にすら入っていなかったのに。

 胡座の輝久雄が咲子を呼ぶ。
 膝の上に座るのは、まだ恥ずかしい。でも後ろから抱きしめられると嬉しくて、くすぐったくて。逃げたいような気持ちもあるのに、ついつい応じてしまう。そして自分がうっかり逃げださないように、強く抱きしめていてほしいとも思ったりする。
 輝久雄はそんな咲子の心を読み取ったかのように、両腕で咲子を抱き寄せた。
「西洋の術師に聞いたことがある。あちらには『結婚指輪』なるものがあると」
「けっこん……ゆびわ?」
「ああ。左手の薬指は心臓と繋がっている。指輪を交わして薬指に嵌めることで、心を永遠に交わし合う──簡易的な契約の術だ」
「まあ……」
 心を永遠に交わし合う。なんて素敵な響きなのだろう。
 咲子は結婚を夢見たことがなかった。この家で使い潰されるのだろうと思っていたし、もし結婚することになっても、永守家の駒としてひどいところに嫁がされるのだろうと思っていたから。
 でも、いまは──。
「俺たちも結婚指輪を作ろう」
 輝久雄が簡単に言うものだから、咲子は素っ頓狂な声を上げた。
「なんだ、嫌か」
「えっ、その、嫌ではなくて。あの、結婚……?」
「お前は俺のものだろう?」
「そう……ですけど……」
 まさか輝久雄が、自分のことをちゃんと想っていてくれていただなんて。気持ちが分からなくて、ずっと不安だった。口付けを交わした後も、ずっと。
 だから、泣いてしまいそうになるのを堪えて、そっぽを向く。
「わ、私……!輝久雄さまのお気持ちを存じませんもの……!」
「気持ちだぁ?」
「そうです!輝久雄さまは……私のこと……どう、どう……思って……」
 勇気を出してみたけれど、言葉が尻すぼみになる。でも、輝久雄の言葉がほしい。たった一言でいい。
 輝久雄は咲子を膝から下ろすと、咳払いをした。難しい顔で頭を掻き、ぱんっと己の頬を叩く。
 そして、しばらく凍りついたように動かなくなった後──毅然とした声で「好きだ」と言った。詰まっていた言葉をようやく吐き出して、輝久雄の顔は赤く染まっていた。
 咲子は輝久雄の顔も赤くなったり青くなったりするのだと、妙なことに感心してしまった。
「お前のことをずっと見ていたいし、触れていたい。他の人間には触らせたくない。だから全部……戸籍も名も、俺の隣に置きたい」
 咲子の呼吸が震える。
 正式なプロポーズだった。流行りの洒落た言い回しもない、率直な気持ち。だけれどどんな美しい言葉よりも、咲子の心を強く打った。
「この家は嫌いだ。お前を煩わせる奴が多すぎる。だから式ではなく指輪を交わしたいと……おい、なんだ。お前が聞いたことなのに、なぜ泣く」
 輝久雄が珍しく慌てている。そんな彼を見て、咲子の心が愛おしさでいっぱいになる。
「おい、おい。金平糖を食え。泣き止め」
「……ふふ。これは嬉しい涙なので、少しはお許しくださいませ」
「嬉しい……涙?」
「はい。……私も、輝久雄さまをお慕いしておりますゆえ」
「お前も、俺を」
「はい」
「……ははっ」
 輝久雄が咲子に飛びかかり、ぎゅうっと抱きしめた。バランスを崩しかけて咲子が「きゃあ」と小さく叫ぶ。
「お前が俺のものであることには変わりないから……気持ちなど関係ないと思っていた」
 輝久雄の瞳に、爛爛とした光が宿る。
 ああ、やはり猫みたいだと咲子は思う。
「しかし……お前が俺を好きと言ってくれるのは……存外に良いものだ!」
 二人はどちらともなく微笑み合うと、優しく口付けを交わした。午後の柔らかい日差しが、行く先を祝福しているかのようだった。
咲子はもう、すべてを諦めて生きることはない。
彼の隣で、生きていく未来を選んだのだから。