幼い頃は、幸せでした。
永守という特殊な家に生まれましたが、母も兄も優しくて。
すべてが壊れてしまったのは、私が七つの頃でした。
眠っていた霊力が開花したのです。
それは家族をがっかりさせました。
父は「お前が男だったなら」とため息をつきました。
母は「女のくせにそんなにも霊力を持って生まれてくるだなんて!」と泣きました。
兄は「霊力の量で男に恥をかかせる気か」と頬を打ちました。
私の霊力が多すぎるせいで、家族は私を嫌いになったようでした。
父に微笑んでほしい。もとの優しい母に戻ってほしい。また兄に遊んでもらいたい。
その一心で、私は霊力が小さくなるよう祈りました。
そして。
「お母様、みてください!」
「霊力が……?」
「霊力をぎゅっと小さくしました!」
私は溢れ出る霊力を、ぐっと圧縮したのです。自分の奥底へと隠すように、小さく、硬く。
体表に漂う霊力も、一般人以下に抑えました。これで誰も自分を「生意気」だと言わないだろう。そう信じて。
しかし、返ってきたのは平手打ちでした。
「えっ……」
「人を馬鹿にして!」
「お、お母様……」
「その年で霊力の制御ができたって?!なんて生意気なんだろう!」
私はそのまま土間に引き摺りだされ、使用人以下の扱いをされるようになりました。
「霊力が並以下の娘」として、使用人にはよく打たれました。しかし、霊力を解放すれば家族や術師たちにより酷い仕打ちを受けました。
だから私はずっとこの霊力を隠して生きてきたのです。
十年の歳月が経つうちに、誰もが私の霊力を忘れたようでした。
家族ですら、自分の娘を「まともに霊力を持たないから捨てた」のだと思うようになりました。
しかし私にはどうでもよいことです。
毎日が地獄であることは変わらない。
期待しない。
夢を見ない。
すべてを諦めてしまえば、感情も波立ちません。霊力の制御も簡単です。
それなのに──あなたが現れて──。
咲子は最初、何をされているのか分からなかった。
輝久雄の唇が、自分のそれを貪っている。
胸が、息が苦しい。
頭が沸騰しそうなほどに、熱い。
身体の奥で、何かが弾ける。
「ああ……」
世話係を任命されて、驚いた。どんな地獄が待っているのだろうかと思ったけど、あなたはただただ優しかった。
外ではあんなにも冷酷なのに、二人っきりになると甘えん坊で。強引でぶっきらぼうだけど、私を幸せな気持ちにしてくれた。
だけど、いつかあなたが去ってしまうと考えると私は怖くって。ずっとすべてを諦めて生きてきたはずなのに、私の感情はすっかり色を取り戻してしまった。
そして今──あなたの口付けに──かつてないほど、心がふるえている──。
咲子の身体の奥。金剛石よりも硬く圧縮された霊力が解ける。感情が揺れ動き、霊力の制御ができなくなったからだ。
霊力の奔流は、出口を求めるように暴れ──咲子の唇を経て、輝久雄のなかへと注がれていった。
まるで滝に打たれているかのような、霊力の重み。呑まれそうになる。屈服してしまいそうになる。今、ここで抵抗するのをやめてしまったら、どれほど気持ちいいだろう。
それでも輝久雄は己を手放すことはしなかった。精神を統一。自分のかたちを意識して、そこに咲子の力を流し込む。空っぽになっていた身体が満たされていく。
(熱い。これがお前なのだな)
最初に触れたとき、まるで春の若葉のような霊力だと思った。柔らかく、儚く、守ってやらねば消えてしまいそうだとも思った。
(しかし本当のお前は──これほどまでに熱い)
咲子は自分のもののはずなのに、もっと欲しい。このまま一つになってしまいたい。
輝久雄はそう思ったが、咲子の身体からフッと力が抜けて、我に帰った。
「さ……咲子!」
「はぁ、はぁ……わ、わたし……」
「すまない。無理をさせた」
酸欠になった咲子を、木の根元に横たわらせる。
そのとき、背後から札が輝久雄をめがけて飛んできた。止める間もなく、札が発火する。火柱が二人を囲んで渦を巻きた。ぱちぱちと、木が焼ける音がする。
咲子が「いやっ……」と小さく悲鳴を上げる。
ゆるりと振り返れば、権一郎がすぐそこへと迫っていた。燃え盛る炎の向こうで、歪んだ笑みを浮かべている。
「札を避ける力さえないとはな!大人しく死ね」
「ハッ……。そう見えるか?」
炎に囲まれながらも、輝久雄は自信たっぷりに笑う。そしてふわりと咲子の手に触れると、そっと耳元で囁いた。
「恐れる必要はない。力を外に流すんだ」
「わ、わた……」
「ゆっくりでいい」
咲子が強く握りしめた拳を、輝久雄がゆっくりと開いていく。恐怖に凝り固まった心をほぐすように、優しく、静かに。
咲子の浅い呼吸が、深く穏やかになっていく。同時に、水紋が広がるように、咲子から霊力が広がっていった。それに触れた途端、渦巻いていた炎は音もなく散って消えた。
「なっ、なんだっ……。なんの術だっ……」
札を使ったようには見えない。詠唱も聞こえなかった。得体の知れない事態に、権一郎はたじろぐ。
「ただ咲子が霊力を解放しただけだ」
「咲子が……霊力だとぉ?」
何を莫迦なことを。笑いながら、権一郎は目をすがめた。
そして── この場にとんでもない霊力が満ちていることを悟り、腰を抜かす。
「な、なんだっ!なんだこれはぁっ!」
「お前にも、一族の誰にも見る目というものがない。これが咲子だ。咲子の霊力だ」
権一郎は目を見開いた。清らかで重い力に当てられ、思わず後ずさる。
「そっ、そいつはっ!カスほどの霊力しか持たなかったはずだっ!どうして……!」
「隠していたんだ。ずっと、ずっと」
「隠して……?ひ、卑怯な……!」
「卑怯……?」
輝久雄のこめかみに血管が浮かぶ。怒りを代弁するかのように、無数の雷が輝久雄の身体を這う。
輝久雄も霊力を回復している。権一郎は否が応にも理解せざるを得なかった。
「ひっ……ひぃ……!」
負けは明らかだ。ここは一旦引いて、立て直すしかない。権一郎は背中を向けて逃げ出した。しかし。
「にゃあーん」
「あひっ?!」
目の前に現れたのは巨大な化け猫だった。大きな肉球で権一郎の身体を押さえ込む。
その猫の姿を見て、咲子は驚いたように声を上げた。
「梅吉……?」
「よく分かったな」
もともと、梅吉は輝久雄が調伏した化け猫だった。力も強いので、式神として便利に使っていた。だけど、咲子が猫が好きだと言うから与えてしまった。
今だって、梅吉はここぞというときのために隠しておいたのだ。咲子に命の危険が迫ったときには、何がなんでも助けるようにと命じてある。名を与えてくれた恩に報いよ、と。
地に這いつくばる権一郎を見下ろし、輝久雄は冷ややかに言った。
「咲子はずっとあの膨大な霊力を隠していた。そして俺はこの化け猫を仔猫に化けさせて飼っていた。お前は、そのどちらかでも看破できたか?」
権一郎は何も答えなかった。答えるべき言葉を持っていなかった。
ただ、「ずっと隠していた」という言葉に、チリチリと胸が灼ける。
ずっと?いつからだ?あいつのことはずっと嫌いだった。一般人以下の存在だから。そう思っていたから。じゃあ、ずっと……ずっと昔から霊力を隠していた……?
「ああっ……?!」
権一郎は父の言葉を思い出す。父は咲子に「お前が男だったなら」と言った。
──長男は俺なのに!俺が次期当主だとおっしゃったではないですか!俺では足りないというのですか?!
あのときの感情が蘇る。狂おしいほどの嫉妬、悲しみ、絶望。苦しくて苦しくて苦しくて、妹を打つことで蓋をした。そして、忘れてしまった。咲子に膨大な力があるという事実さえも。
「お前には見る目がない。俺と戦っても勝てない。化け猫すら振り払えない。当主の器ではないのだ」
「それでもっ……!俺には霊力がある!正しい血筋だって……!」
「ならば、諦められるようにしてやろう」
輝久雄は昏く微笑んだ。権一郎はその恐ろしさに、抵抗することも忘れたようだった。
「梅吉、食え」
輝久雄の指示と共に、梅吉は権一郎に喰らいついた。肉を食べるのではない。もっと奥底にある本質──人間の根っこを齧られ、権一郎は悲鳴をあげた。
「霊力を食われるのは初めてか?」
「ひぎゃ、ぎゃあああ、やめて、やめてくれぇ」
「根っこを齧られる気分はどうだ?」
輝久雄は不自然なまでに口角を上げた。それでいて瞳には一切の光が宿っていない。その異質な表情に、権一郎はさらに恐怖した。
「己の本質をずっと奥に秘めておかねばならなかった咲子は、どんな気持ちだったかな」
「ごべっ……ごべんなざいっ……!あやまる、から……!」
「そうかそうか。まあ、それはさて置き。本家の坊ちゃんにも、妖退治の現場に出る気分をもっと味わってもらわんとなぁ」
「あっ……ああああ……!」
権一郎の悲鳴は、山の向こうまで響き渡った。輝久雄はただただその様子を微笑みながら眺めていた。
永守という特殊な家に生まれましたが、母も兄も優しくて。
すべてが壊れてしまったのは、私が七つの頃でした。
眠っていた霊力が開花したのです。
それは家族をがっかりさせました。
父は「お前が男だったなら」とため息をつきました。
母は「女のくせにそんなにも霊力を持って生まれてくるだなんて!」と泣きました。
兄は「霊力の量で男に恥をかかせる気か」と頬を打ちました。
私の霊力が多すぎるせいで、家族は私を嫌いになったようでした。
父に微笑んでほしい。もとの優しい母に戻ってほしい。また兄に遊んでもらいたい。
その一心で、私は霊力が小さくなるよう祈りました。
そして。
「お母様、みてください!」
「霊力が……?」
「霊力をぎゅっと小さくしました!」
私は溢れ出る霊力を、ぐっと圧縮したのです。自分の奥底へと隠すように、小さく、硬く。
体表に漂う霊力も、一般人以下に抑えました。これで誰も自分を「生意気」だと言わないだろう。そう信じて。
しかし、返ってきたのは平手打ちでした。
「えっ……」
「人を馬鹿にして!」
「お、お母様……」
「その年で霊力の制御ができたって?!なんて生意気なんだろう!」
私はそのまま土間に引き摺りだされ、使用人以下の扱いをされるようになりました。
「霊力が並以下の娘」として、使用人にはよく打たれました。しかし、霊力を解放すれば家族や術師たちにより酷い仕打ちを受けました。
だから私はずっとこの霊力を隠して生きてきたのです。
十年の歳月が経つうちに、誰もが私の霊力を忘れたようでした。
家族ですら、自分の娘を「まともに霊力を持たないから捨てた」のだと思うようになりました。
しかし私にはどうでもよいことです。
毎日が地獄であることは変わらない。
期待しない。
夢を見ない。
すべてを諦めてしまえば、感情も波立ちません。霊力の制御も簡単です。
それなのに──あなたが現れて──。
咲子は最初、何をされているのか分からなかった。
輝久雄の唇が、自分のそれを貪っている。
胸が、息が苦しい。
頭が沸騰しそうなほどに、熱い。
身体の奥で、何かが弾ける。
「ああ……」
世話係を任命されて、驚いた。どんな地獄が待っているのだろうかと思ったけど、あなたはただただ優しかった。
外ではあんなにも冷酷なのに、二人っきりになると甘えん坊で。強引でぶっきらぼうだけど、私を幸せな気持ちにしてくれた。
だけど、いつかあなたが去ってしまうと考えると私は怖くって。ずっとすべてを諦めて生きてきたはずなのに、私の感情はすっかり色を取り戻してしまった。
そして今──あなたの口付けに──かつてないほど、心がふるえている──。
咲子の身体の奥。金剛石よりも硬く圧縮された霊力が解ける。感情が揺れ動き、霊力の制御ができなくなったからだ。
霊力の奔流は、出口を求めるように暴れ──咲子の唇を経て、輝久雄のなかへと注がれていった。
まるで滝に打たれているかのような、霊力の重み。呑まれそうになる。屈服してしまいそうになる。今、ここで抵抗するのをやめてしまったら、どれほど気持ちいいだろう。
それでも輝久雄は己を手放すことはしなかった。精神を統一。自分のかたちを意識して、そこに咲子の力を流し込む。空っぽになっていた身体が満たされていく。
(熱い。これがお前なのだな)
最初に触れたとき、まるで春の若葉のような霊力だと思った。柔らかく、儚く、守ってやらねば消えてしまいそうだとも思った。
(しかし本当のお前は──これほどまでに熱い)
咲子は自分のもののはずなのに、もっと欲しい。このまま一つになってしまいたい。
輝久雄はそう思ったが、咲子の身体からフッと力が抜けて、我に帰った。
「さ……咲子!」
「はぁ、はぁ……わ、わたし……」
「すまない。無理をさせた」
酸欠になった咲子を、木の根元に横たわらせる。
そのとき、背後から札が輝久雄をめがけて飛んできた。止める間もなく、札が発火する。火柱が二人を囲んで渦を巻きた。ぱちぱちと、木が焼ける音がする。
咲子が「いやっ……」と小さく悲鳴を上げる。
ゆるりと振り返れば、権一郎がすぐそこへと迫っていた。燃え盛る炎の向こうで、歪んだ笑みを浮かべている。
「札を避ける力さえないとはな!大人しく死ね」
「ハッ……。そう見えるか?」
炎に囲まれながらも、輝久雄は自信たっぷりに笑う。そしてふわりと咲子の手に触れると、そっと耳元で囁いた。
「恐れる必要はない。力を外に流すんだ」
「わ、わた……」
「ゆっくりでいい」
咲子が強く握りしめた拳を、輝久雄がゆっくりと開いていく。恐怖に凝り固まった心をほぐすように、優しく、静かに。
咲子の浅い呼吸が、深く穏やかになっていく。同時に、水紋が広がるように、咲子から霊力が広がっていった。それに触れた途端、渦巻いていた炎は音もなく散って消えた。
「なっ、なんだっ……。なんの術だっ……」
札を使ったようには見えない。詠唱も聞こえなかった。得体の知れない事態に、権一郎はたじろぐ。
「ただ咲子が霊力を解放しただけだ」
「咲子が……霊力だとぉ?」
何を莫迦なことを。笑いながら、権一郎は目をすがめた。
そして── この場にとんでもない霊力が満ちていることを悟り、腰を抜かす。
「な、なんだっ!なんだこれはぁっ!」
「お前にも、一族の誰にも見る目というものがない。これが咲子だ。咲子の霊力だ」
権一郎は目を見開いた。清らかで重い力に当てられ、思わず後ずさる。
「そっ、そいつはっ!カスほどの霊力しか持たなかったはずだっ!どうして……!」
「隠していたんだ。ずっと、ずっと」
「隠して……?ひ、卑怯な……!」
「卑怯……?」
輝久雄のこめかみに血管が浮かぶ。怒りを代弁するかのように、無数の雷が輝久雄の身体を這う。
輝久雄も霊力を回復している。権一郎は否が応にも理解せざるを得なかった。
「ひっ……ひぃ……!」
負けは明らかだ。ここは一旦引いて、立て直すしかない。権一郎は背中を向けて逃げ出した。しかし。
「にゃあーん」
「あひっ?!」
目の前に現れたのは巨大な化け猫だった。大きな肉球で権一郎の身体を押さえ込む。
その猫の姿を見て、咲子は驚いたように声を上げた。
「梅吉……?」
「よく分かったな」
もともと、梅吉は輝久雄が調伏した化け猫だった。力も強いので、式神として便利に使っていた。だけど、咲子が猫が好きだと言うから与えてしまった。
今だって、梅吉はここぞというときのために隠しておいたのだ。咲子に命の危険が迫ったときには、何がなんでも助けるようにと命じてある。名を与えてくれた恩に報いよ、と。
地に這いつくばる権一郎を見下ろし、輝久雄は冷ややかに言った。
「咲子はずっとあの膨大な霊力を隠していた。そして俺はこの化け猫を仔猫に化けさせて飼っていた。お前は、そのどちらかでも看破できたか?」
権一郎は何も答えなかった。答えるべき言葉を持っていなかった。
ただ、「ずっと隠していた」という言葉に、チリチリと胸が灼ける。
ずっと?いつからだ?あいつのことはずっと嫌いだった。一般人以下の存在だから。そう思っていたから。じゃあ、ずっと……ずっと昔から霊力を隠していた……?
「ああっ……?!」
権一郎は父の言葉を思い出す。父は咲子に「お前が男だったなら」と言った。
──長男は俺なのに!俺が次期当主だとおっしゃったではないですか!俺では足りないというのですか?!
あのときの感情が蘇る。狂おしいほどの嫉妬、悲しみ、絶望。苦しくて苦しくて苦しくて、妹を打つことで蓋をした。そして、忘れてしまった。咲子に膨大な力があるという事実さえも。
「お前には見る目がない。俺と戦っても勝てない。化け猫すら振り払えない。当主の器ではないのだ」
「それでもっ……!俺には霊力がある!正しい血筋だって……!」
「ならば、諦められるようにしてやろう」
輝久雄は昏く微笑んだ。権一郎はその恐ろしさに、抵抗することも忘れたようだった。
「梅吉、食え」
輝久雄の指示と共に、梅吉は権一郎に喰らいついた。肉を食べるのではない。もっと奥底にある本質──人間の根っこを齧られ、権一郎は悲鳴をあげた。
「霊力を食われるのは初めてか?」
「ひぎゃ、ぎゃあああ、やめて、やめてくれぇ」
「根っこを齧られる気分はどうだ?」
輝久雄は不自然なまでに口角を上げた。それでいて瞳には一切の光が宿っていない。その異質な表情に、権一郎はさらに恐怖した。
「己の本質をずっと奥に秘めておかねばならなかった咲子は、どんな気持ちだったかな」
「ごべっ……ごべんなざいっ……!あやまる、から……!」
「そうかそうか。まあ、それはさて置き。本家の坊ちゃんにも、妖退治の現場に出る気分をもっと味わってもらわんとなぁ」
「あっ……ああああ……!」
権一郎の悲鳴は、山の向こうまで響き渡った。輝久雄はただただその様子を微笑みながら眺めていた。
