二人は車の後部座席で揺られていた。今日は珍しく、輝久雄が妖退治の現場に出ることになったのだ。久々の大物だとかで、門下の術師では対応が難しいらしい。
咲子はずっとソワソワしていた。幼い頃から、永守の屋敷から出たことがない。だから家の外で見るものすべてが新しい。
「少しは落ち着け」
輝久雄が咲子の口に飴玉を放り込む。
咲子は何か答えようとしたけれど、飴玉のせいで「もごもご」としか喋ることができず、諦めて静かになる。
咲子はずいぶん、健康的になった。痩けていた頬に肉がつき、青白かった肌は血色を帯びるようになった。
彼女自身も、身だしなみに気をつけるようになった。髪は椿油で手入れをしているし、荒れた肌には自分から薬を塗るようになったのだ。
良いことだと輝久雄は思う。
自分を粗末に扱う人間は、他人にも粗末にされる。
(咲子は俺の世話係だ。俺のそばに置いている以上、侮られるのは気に食わん)
艶やかな咲子の黒髪を見て、輝久雄はそんなことを思う。
車は市街地を抜け、田舎道へ。舗装されて道に、車はがたがた揺れる。
「きゃ……」
倒れかけた咲子の肩を、輝久雄が柔らかく抱く。咲子は自分の頬が紅潮していくのを感じた。
(毎日のように膝枕をしているのに……触れられることには、まだ……慣れないわ……)
輝久雄は「大丈夫か」とも、「しっかり座れ」とも言わない。視線を前方に向け、ただただ無言で肩を抱くだけ。
いたたまれなくなった咲子が、口を開きかけた、そのときだった。
がごんっ。
車が一段と大きく揺れて、停止する。
運転手が慌てて確認すると、どうやらタイヤが地面の穴にはまってしまったようだった。
「こらあ、動かすのに道具がいりますな。ちょっとお待ちになっていてくだせぇ」
だいぶ人里から離れた場所まで来たようで、辺りには鬱蒼と木々が茂っている。こんな場所で道具が調達できるのかしら。そう思いながらも咲子は運転手を見送る。
それより気になるのは、この体勢だ。車は停まったのに、輝久雄は咲子の肩を抱いたままだった。
「あの……ありがとう、存じます……。その……今はもう……手を……離していただいても……」
咲子の言葉に、輝久雄は意地悪そうに笑った。
そして咲子の身体をさらにぐっと引き寄せる。
「あっ……」
顔が、あつい。こんな自分を見られるのが、恥ずかしい。
咲子は思わず顔を逸らした。
「嫌か?」
輝久雄は揶揄うように聞いた。嫌と答えられても、離す気はないくせに。
「嫌……などでは……」
咲子は観念して輝久雄の目を見た。猫のような、爛々とした輝きがそこにある。
二人きりになると、いつもこうだ。他の人がいる場所では虎のように冷酷なのに、咲子と二人のときはやんちゃな猫になる。猫のようにいたずらをして、甘えてみせ──咲子を翻弄する。
嫌なはずがない。
むしろ。
でも。
「……あまり、揶揄わないでくださいませ」
「なぜ」
「勘違いして、しまいます」
自分にちゃんとご飯を食べさせ、薬を塗ってくれた。ちゃんと名前で呼んでくれた。それだけで、己の存在を許された気がした。
でもこうして触れられると、それ以上を期待してしまう。自分が愛されているんじゃないかって、夢見てしまう。
そんな訳、ないのに。
輝久雄にとって、これは気まぐれでしかないはずだ。
(そうよ。令嬢らしくない私が、物珍しかっただけだわ。本家を尊重するついでに、拾い上げてくれただけ……)
それだけで、十分だったはずなのに。
でも、輝久雄に飽きられる日が来ると思うと、胸が張り裂けそうになる。この温かい手が、他の誰かを求めることを想像しただけで、心が引き千切れそうになる。
期待しない。
夢を見ない。
そう心に言い聞かせていた頃の自分は、今思えば強かったのかもしれない。どんな恐ろしいことが起こっても、受け流すことができていた。
私は駄目な娘なのだから、仕方ない。どんな苦しい目に遭っても仕方ない。
そうやって諦めてこれたのに。
咲子はなんだか自分が情けなくなった。じわりと目尻に涙が浮かんでいく。輝久雄はそれを見て、ひどく狼狽した。
「なんだ。泣かせるようなことはしていないぞ。……もしや肩を掴んだ手が強かったか」
咲子は首を振ると、勇気を絞り出して言った。
「輝久雄さまは……私のことを、どう……」
「どう、とは」
「どう……思って……」
「お前は、俺のものだ。世話係だ」
「どうして……ですか……」
「どうして、とは……」
一目見て、欲しいと思った。ずっと眺めていたいと思った。だからずっと側にいさせた。
この娘が時折みせるゆらぎ。揺蕩い。春の若葉のように揺れる霊力。
(そうだ。俺はもっと──奥が見たい──)
輝久雄は両手で咲子の両の肩を掴むと、涙に濡れる瞳を覗き込んだ。
「お前のすべてを、俺に──」
そのとき、世界が白く弾けた。
突き刺すような閃光が二人を包む。何百本もの雷光が落ちてきたかのような、烈しい光。
咄嗟に輝久雄は、咲子の身体を抱きしめた。
咲子はずっとソワソワしていた。幼い頃から、永守の屋敷から出たことがない。だから家の外で見るものすべてが新しい。
「少しは落ち着け」
輝久雄が咲子の口に飴玉を放り込む。
咲子は何か答えようとしたけれど、飴玉のせいで「もごもご」としか喋ることができず、諦めて静かになる。
咲子はずいぶん、健康的になった。痩けていた頬に肉がつき、青白かった肌は血色を帯びるようになった。
彼女自身も、身だしなみに気をつけるようになった。髪は椿油で手入れをしているし、荒れた肌には自分から薬を塗るようになったのだ。
良いことだと輝久雄は思う。
自分を粗末に扱う人間は、他人にも粗末にされる。
(咲子は俺の世話係だ。俺のそばに置いている以上、侮られるのは気に食わん)
艶やかな咲子の黒髪を見て、輝久雄はそんなことを思う。
車は市街地を抜け、田舎道へ。舗装されて道に、車はがたがた揺れる。
「きゃ……」
倒れかけた咲子の肩を、輝久雄が柔らかく抱く。咲子は自分の頬が紅潮していくのを感じた。
(毎日のように膝枕をしているのに……触れられることには、まだ……慣れないわ……)
輝久雄は「大丈夫か」とも、「しっかり座れ」とも言わない。視線を前方に向け、ただただ無言で肩を抱くだけ。
いたたまれなくなった咲子が、口を開きかけた、そのときだった。
がごんっ。
車が一段と大きく揺れて、停止する。
運転手が慌てて確認すると、どうやらタイヤが地面の穴にはまってしまったようだった。
「こらあ、動かすのに道具がいりますな。ちょっとお待ちになっていてくだせぇ」
だいぶ人里から離れた場所まで来たようで、辺りには鬱蒼と木々が茂っている。こんな場所で道具が調達できるのかしら。そう思いながらも咲子は運転手を見送る。
それより気になるのは、この体勢だ。車は停まったのに、輝久雄は咲子の肩を抱いたままだった。
「あの……ありがとう、存じます……。その……今はもう……手を……離していただいても……」
咲子の言葉に、輝久雄は意地悪そうに笑った。
そして咲子の身体をさらにぐっと引き寄せる。
「あっ……」
顔が、あつい。こんな自分を見られるのが、恥ずかしい。
咲子は思わず顔を逸らした。
「嫌か?」
輝久雄は揶揄うように聞いた。嫌と答えられても、離す気はないくせに。
「嫌……などでは……」
咲子は観念して輝久雄の目を見た。猫のような、爛々とした輝きがそこにある。
二人きりになると、いつもこうだ。他の人がいる場所では虎のように冷酷なのに、咲子と二人のときはやんちゃな猫になる。猫のようにいたずらをして、甘えてみせ──咲子を翻弄する。
嫌なはずがない。
むしろ。
でも。
「……あまり、揶揄わないでくださいませ」
「なぜ」
「勘違いして、しまいます」
自分にちゃんとご飯を食べさせ、薬を塗ってくれた。ちゃんと名前で呼んでくれた。それだけで、己の存在を許された気がした。
でもこうして触れられると、それ以上を期待してしまう。自分が愛されているんじゃないかって、夢見てしまう。
そんな訳、ないのに。
輝久雄にとって、これは気まぐれでしかないはずだ。
(そうよ。令嬢らしくない私が、物珍しかっただけだわ。本家を尊重するついでに、拾い上げてくれただけ……)
それだけで、十分だったはずなのに。
でも、輝久雄に飽きられる日が来ると思うと、胸が張り裂けそうになる。この温かい手が、他の誰かを求めることを想像しただけで、心が引き千切れそうになる。
期待しない。
夢を見ない。
そう心に言い聞かせていた頃の自分は、今思えば強かったのかもしれない。どんな恐ろしいことが起こっても、受け流すことができていた。
私は駄目な娘なのだから、仕方ない。どんな苦しい目に遭っても仕方ない。
そうやって諦めてこれたのに。
咲子はなんだか自分が情けなくなった。じわりと目尻に涙が浮かんでいく。輝久雄はそれを見て、ひどく狼狽した。
「なんだ。泣かせるようなことはしていないぞ。……もしや肩を掴んだ手が強かったか」
咲子は首を振ると、勇気を絞り出して言った。
「輝久雄さまは……私のことを、どう……」
「どう、とは」
「どう……思って……」
「お前は、俺のものだ。世話係だ」
「どうして……ですか……」
「どうして、とは……」
一目見て、欲しいと思った。ずっと眺めていたいと思った。だからずっと側にいさせた。
この娘が時折みせるゆらぎ。揺蕩い。春の若葉のように揺れる霊力。
(そうだ。俺はもっと──奥が見たい──)
輝久雄は両手で咲子の両の肩を掴むと、涙に濡れる瞳を覗き込んだ。
「お前のすべてを、俺に──」
そのとき、世界が白く弾けた。
突き刺すような閃光が二人を包む。何百本もの雷光が落ちてきたかのような、烈しい光。
咄嗟に輝久雄は、咲子の身体を抱きしめた。
