ローコントラストの日常


「患者さんには異常なしです!」


「203の患者さんお部屋すぐに移動して!」


「念の為先生呼んでください」


バタバタと忙しない様子で、僕のすぐ横を走り抜けて行く人達の会話が聞こえた。




騒ぎを聞きつけて、看護師さん達がすぐに集まって来たのだ。




堀田さんにケガが無い事を確認した僕は、誰かが来る前にすぐ病室を出たのだけれど……



先に病室を出た財前と市毛さんを、見つける事が出来無かった。




『今、どこにいる?』




財前にはメッセージを送ってもみたが、既読すら付かない。




電話もかけてみたが、無機質なコール音が虚しく繰り返されるだけだった。






二人は一体どこへ行ったというのだろう?




まさか、二人で僕を騙してたとか?



やはりアレは手の込んだドッキリで、僕の様子を隠れて見ていて、あとからスマホのカメラを持った財前を中心にした陽キャグループが「ドッキリでした~」とかってヘラヘラ笑いながら出てくるとか……



いう展開は、もうおそらく無いのだろう……。



今のこの状況なら逆にあって欲しいところだが、生憎そんな事にはならない。




それだけは今の僕でもわかる。




「はぁぁっ……何なんだよ一体……」




第一、財前だけならともかくとして、市毛さんまでいなくなるなんて……




まさか、何か二人にあったのか?




嫌な予感がする。



僕はかけていたメガネを外し、シャツのポケットに入れた。




まさか自分からこんな場所でコレをかけない選択肢をとる事があるなんて、人生は何が起こるかわからない。




視界は一気に明瞭になる。



白いモヤは様々な形になって、至るところで蠢いていた。



怖いという感覚は今はない。




それよりも、僕は二人を見つけなければならないという感情のが上回っていた。




「アレは……」





じっと目を凝らすと、白いモヤの中に明らかにそれらとは違う強い思念を感じる黒いモノが点々と続いているのが見えた。





間違いない、市毛さんに纏わりついていたやつだ。



入院病棟から中庭を抜け、一般病棟の方へと続くその痕跡を辿っていく。




やがて、それは病院を出て前の一般道で途切れた。
どこか他に行きそうな場所は無いかと周りを見回したが、結局二人の姿を見つける事は出来なかった。




来る時晴れていた空がいつの間にかどんよりと厚い雲に覆われている。




今にも雨が降り出しそうだ。




『ピコン!』



ちょうどその時、スマホから軽快な音が鳴り響いた。
それはメッセージアプリの通知音だった。



財前か?
やっと連絡して来たか!?



僕はすぐにスマホの画面をタップしてみた。



メッセージアプリには確かに"財前"からのメッセージが届いていた。




けれど、それは僕が待ち望んでいた財前からではなく、財前兄からのメッセージ通知だった……




「何だよこんな時に……」



思わずポロっと口からぼやきが出てしまった。



しかし、内容を読んだ僕はその場で一瞬立ち止まった。




『大和田氏に折り入って早急にお願いがあるのですが……』





お願い━━




確か、昨日会った時もそんな様な事を言っていた。





しかし、今のこのタイミングで急ぎと言われても、こっちも財前と市毛さんを早く見つけなければならない。



すると……突然僕のスマホが、画面に着信を示す表示を出しながら振動し始めた。




【着信 財前 兄】




「……はい、もしもし」




『あーっ大和田氏~メッセージは見てくださいましたかな~?』




昨日と同じテンションの財前兄の声が電話越しに聞こえた。



「えっ……あっ、はい……でも、今ちょっとその……」




と、僕が返答に困っているところで……




キキッ━━!




一台のタクシーが僕の目の前で停まった。



「へっ……?」



後部座席の窓が開いたと思うと、中からスマホのスピーカーと同じ声が聞こえてくる。




「大和田氏~とりあえず、乗ってください」



「えっ? お兄さん? なんで……」



「いーからいーから、説明は車の中で致しますので、ささっ!」



突如現れた財前兄に促されて、僕はそのタクシーに乗り込んだ。



車は僕を乗せるとすぐに走り出した。



病院の前の道を走り抜け、そのまま大きな幹線道路を進む。




「あのっ……! 財前が市毛さんと……」




僕はまず今の状況を財前兄に説明しようとした。




「消えたと……」




「へっ……どうして?」




説明する前に答えられてしまい、僕は動揺を隠せない。




「それを説明する前に、大和田氏に俺君は伝えないといけない事があるんですよ」




「伝えないといけない事……?」



「司は多分、俺君は司より沢山霊を見てるとか言っていたのでは?」




「えっ……? はい……」




「俺君……ホントは見えないんですよ」




「えっ……? ど、どういう事ですか?」




「物心ついた時から……司には普通の人が見えないモノが見えてました……」



それがどういうモノなので、何故見えているのかは幼い財前には説明出来ず、両親も子供の時にある一過性のものだと思っていたそうだ。





「小学校に司が上がってすぐの事でした、母が倒れたんです……。末期の血液の病気でね、どの道長くは無かったと思います……ウチは父が子供にあまり関心を示す人では無かったので、司は母にべったりでしてね……そんな母がずっと病院にいる様になって司は毎日の様に寂しがっていました……」




パラパラという音が聞こえ出す、いつの間にか車窓に激しく雨粒が当たっている。



降り出した雨は外の景色をぼんやりと見せて、今眼鏡をかけていない事を忘れさせた。




「いつも、病院に行くと必ず司は黒い人がいるって言ってたんです……その人が母を苦しめてるって……」




「黒い人……?」



市毛さんに取り巻いていたアノ存在が、僕の頭の中に浮かんだ。




それが同じモノなのか、それとも違う存在なのかはわからない。




ただ、財前にも僕と同じ様に、他の人には見えない何かが見えていたのだろう。







「アレは……母の見舞いに祖母に連れられて行った日の事でした━━」











「おばあちゃん! オレ、トイレ行きたい」



「はいはい、司も行こうか?」



「……ボク……お母さんのとこ……行く」



「一人で行けるかい?」



「……うん……」


時間にして数分だったという、二人が病室へ向かおうとしたその時━━




「司っ!? 司ぁぁぁぁっ!!」




叫び声に近い母親の声が廊下に響いて来た。




急いで二人が母親の病室に戻ると……




何故か、母親の顔色は見た目にわかるほど良くなっており、変わりに母親の手を握りしめていた財前がその場でぐったりと倒れ込んでいた。



その時、財前兄は弟の手首に大きな赤黒い痣があるのを見たという。



財前はそのまま入院となってしまい、代わりに奇跡的な回復を見せた財前の母親が一人残って財前の側にはいたそうだ。




そして━━




そんな事があってから数日経ったある日。




母親は奇跡的に容態が一時的ではあったが良くなって、退院出来るかもしれないという事にまでなった。




しかし、それと引き換えの様に、財前は意識が戻らず依然として生死の境を彷徨っていたそうだ。




暗い病室の中眠り続ける小さな弟の手首には、やはりアノ痣が前見た時よりも大きくなっている様に感じたという。




「時也……」


「何、お母さん……」


「あのね……お願いがあるの……」


「お願い?」



ベッドで眠る司を見つめていた母親が、財前兄に言った。




「司はね、お母さんの悪いモノ代わりに吸い取ってくれてこうなったの……だからね、お母さん……司に悪いモノ返してもらおうと思うんだ……」



「おかあ……さん……」



うわ言の様に弟は母を呼んでいた。


「返してもらったら……お母さんはどうなるの……?」




母親は答え無かった。
ただ、困った顔をしていた。




「時也、司がもう悪いモノを吸わない様に……守ってあげてくれる?」




「……なんで……お母さんが……お母さんが司に言えばいいじゃんか!? もうそんな事しちゃダメだって……」



「…………お願い」


涙を必死に堪え頷くと、母親は二人だけにして欲しいと財前兄を病室の外へ促し、扉を閉じてしまったそうだ。








「━━……それで、どうなったんですか?」



「……母はそのまま帰らぬ人になってしまいました、代わりに司が嘘みたいにまた元気になって……その時、思ったんです、本当に司が悪いモノを吸ってたんだって……」



「財前は……その後……」




「父は他所に女を作っていましたので、母が亡くなったと同時に二人で祖母に引き取られました……司は見えないモノが見える事はこの頃から人にあまり言わなくなりましたが、その代わり誰とも話さなくなってしまいましてね」



今の財前からは想像も出来ない内容に、僕は戸惑ったがたまに見せる含みのある感じ、アレがもしかしたら財前の素顔だったのかもしれないと妙に納得する部分もあった。



「そんなだったので、司はなかなか友達も出来ず……それで思ったんですよ……俺君も司みたいに【見えないモノが見える】ってそう言ったら、司は安心するんじゃないかって……」



「安心?」



「見えないモノが見えるのは自分だけじゃないって……お前一人じゃないんだって……そうすれば、司にちゃんとアノ力を使う事も止めさせられるんじゃないかと……そう思ったんです」




財前兄は、兄なりに財前の事を思っていたのだろう。



自分が司よりもそういった力があると言う事で、確かに財前は少しだけ気持ちがラクになったかもしれない。



ずっと孤独の中にいた財前を、救いたいが為についた嘘。


「母との約束を守る為です……俺君には見えませんが、もしかしたら怒って出て来てしまうかもしれませんから」



財前兄は苦笑いした。



「業氏……司がアノ力をもう使わないようにして頂けませんか?」



「それが……お兄さんのお願いですか?」



「頼めるのは、業氏以外にいないものでして」



「僕なんかで出来る事なんですか……」



「業氏以外出来ないと思っていますよ」



僕にはイマイチ確証が無い。



財前はただのクラスメイトだ。



正確にはだった……だけど。



ほんの数日前に接点を持っただけで、今は……一応……恋人? なのか?



いやそう言えば……



「あの、財前は前にお兄さんに僕の話しをしていたって言ってましたよね?」



「ええ、聞いてますよ……昔、司の初恋の相手を教えてくれなかった腹いせに俺君が大暴れした事がありましてね」



何をやらかしたのかは気になるが、今は聞かないでおこう。



「財前は僕の事をなんて言ってたんですか?」



「そうですね……確かアレは一年程前ですかね、学校の最寄り駅のホームで運命の人に会ったって言ってましたよ」



「駅のホームで?」




一年前だと同じクラスにはまだなっていない、駅で会った? 財前と僕が……いつだ?




「なんでも母からもらったお守りを拾って頂いたとか……」



「お守り……? あっ……!」



思い出した!


そうだ、朝のラッシュの時間。



電車の中で誰かが落とした小さなマスコット、けれどそれには人を大事に思う気持ちが沢山入っていて、余程大切なモノなんだろうと、その時ばかりは眼鏡を外して微かな持ち主との欠片を探し、そうしてホームで持ち主の背後から声をかけた。




「コレ……落としましたか?」


制服から自分と同じ学校の男子生徒だと思った。


正直言うと関わり合いたく無かった。


「あっ……」



相手が答える間も与えずに、顔も見ないで僕はそれを彼に手渡しすぐにその場を立ち去った。



思い出した……!


アノ落し物の主が財前だったのか?



「随分探し回って、なかなか見つからず困り果てていた時に業氏が見つけてくださったとかで……」



そんな事……。



確かに、財前にとっては大事なモノだったのかもしれないが、そんな落し物を拾ってもらっただけで……



「人はどこでどんな事で人を好きになるのかはわかりませんから……ともかく、司にとって業氏は今兄である俺君よりも影響力がある人であるのは間違いありません」



「そんな事……」



僕には無理だ……。




僕はいつも逃げてるばかりで、自分の【見える】という現実にすら立ち向かって来ていないのに。




でも……




少なくとも財前にとって、僕のこの【見える】が役に立った事があるのなら……





もしかしたら、また財前を僕は助ける事が出来るのかもしれない。






タクシーが停車する。




「ここに今二人はいるはずですよ」



たどり着いたのは繁華街の外れにある無機質なそこまで大きくはないビルだった。



オフィスというよりもマンションに近い建物、テナント募集という看板が大きく玄関前には出ていた。




雨はもう、いつの間にか止んでいるようだ。




「昨日の話……覚えてますかな? MADOKA氏が俺君に相談して来た話です」




「えっ……はい、市毛さんが怪現象にあってるのをどうにかして欲しいと頼まれたって……」




「俺君は、ああいった類の相談は初めてだったとあの時言いました」



「……はい、アレ……? でも、お兄さんは……見えないんですよね?」




数々のそういった現象を見て来たのだからわかる、あの時はそう思っていたけれど、そうでないのだとしたら……




何故、お兄さんは市毛さんの依頼を断ったんだ?




「そうです、なのであの時は司の手前ハッキリ言え無かったのですMADOKA氏の依頼がおかしかった事を……」




「おかしい?」




「MADOKA氏はこう言ったんです、自分の周りの怪現象をどうにかして欲しい……と、そして
"もう出てこない様にして欲しい"と……」


合点がイマイチいってない僕の様子を察して、お兄さんは続けた。


「普通、そういうモノに悩んでる方は同じ様なご相談をされるのですよ【自分に憑いたモノを取って欲しい】と……何かに外界から取り憑かれていると思ったら、そう頼むのが一般的です、けれど彼女は違ったのです【出てこない様にして欲しい】もちろん、幽霊が出るのを止めて欲しいともとれますが、自分の中から何かが出て来るのを止めて欲しいともとれます」



僕は市毛さんに纏わり付いていた黒いモノを思い返していた。



彼女の足首にとぐろを巻いて巻き付くアレ。




アレは……市毛さんから出ていた……という事なのか?



「司は生霊だと言っていた、確かに生きている人間のモノではあります……ただ……」



「自分自身……のという事ですか?」



「その通りです」





僕は一人降車すると、一つ先程からずっと気になっていた事をお兄さんに質問した。



「そういえば、どうして財前と市毛さんのいる場所がわかったんです?」



お兄さんはどうやら最強の霊能者とかでは無かったみたいだし、何故突然あの時僕の前に現れたのか不思議で仕方なかった。



「俺君……霊感は無いけど、第六感が鋭いのですよ……」


お兄さんはフフっと笑ってから訝しげな顔をしている僕に自分のスマホの画面を見せて来た。



「な~んて……現代科学のおかげです」


画面に地図の様なモノと赤い矢印が映っている。




「えっ? コレって……もしかしてGPS!? 監視してたって事ですか?」



「監視だなんて人聞きが悪いな~……見守っていたという事にしておいてください」




ニコっと微笑みを浮かべて悪びれる様子もなく、お兄さんはスマホをしまう。
おそらく、この事は財前は知らなさそうだ。



「あっ、司にこの件はどうかご内密に」




そう言ってまた、お決まりの口元に人差し指をあてる例のポーズをとる。




この人、小さな事から大きな事までどれだけ財前に秘密を持っているんだろうか……




そんな事を思いつつも、僕はお兄さんに軽くお辞儀をしてビルの入り口へと向かった。





財前のお兄さんは最後にまたもう一度「司の事をお願いします」と言って僕に微笑んだ。









【七王子レジデンス】ビルのエントランスにはそう表記してあった。



並んでいるポストを見ると、住んでいる人以外にもオフィスやサロン、スタジオとして使っている部屋もあるみたいだ。


財前と市毛さんはどこにいるんだろう?



GPSでもこのマンションの場所まではわかっても、何階のどの部屋にいるかまではわからない。


とりあえず、さっきの病院の時の様に僕は眼鏡をかけずにじっとエントランスから中へ続く廊下を見つめた。



黒い痕跡……微かだがまた、アノ黒い欠片が点々と中へ続いている。




それは奥にあるエレベーターへと伸びていた。


とりあえず一人乗ってはみるが、何階に行けばいいのだろうか。




14階まである階数のボタンが配置されたパネルの前で考えあぐね、それを押す事が出来ずただ見つめる。




さすがにそこには痕跡も無い。




一つ一つの階で降りて痕跡を探すか?




他に方法はないか?




頭の中で逡巡していると━━━━



『14階へ……』




いきなり背後から声が聞こえた。




エレベーターの窓に映る僕の後ろには、もちろん誰もいない。




だが気のせい……ではなさそうだ。




再び声が聞こえた。





『14階へ……行って……』




僕は、言われるがままに14階のボタンを押した。





エレベーターはゆっくりと上昇を始める。




階数を示す数字が一つずつ増えてゆくのを、僕は黙って見つめていた。




やがて目的の14階に着くと、扉はスーッと開いた。



僕は後ろを思い切って振り返った。




しかし……誰もそこにはいない。



気のせい……? とは、思えないが……




僕は再びエレベーターから降りようと前を向いた。



「…………っ!!?」




目の前にいは、いつの間にか俯いた顔の見えない少女が立っていた。





少女は何故か頭から水を被った様にずぶ濡れで、長い髪からぽたぽたと水滴が垂れている。


そして、何も言葉を発する事なく右手を垂直に上げた。




人差し指がまっすぐに何かを指し示す。




「そっちへ行けって事?」




見た目の雰囲気とは逆に、この存在に僕はまったく恐怖を感じなかった。



指さす方を見ると、奥に非常階段の入り口が見える。





僕は誘われるままに緑色の誘導灯の下に向かい、ドアノブに手をかけた。




鍵はかかっていない。



重い鉄扉に体重をかけ、中へ入ると打ちっぱなしのコンクリートの壁に囲まれてぼんやりとした蛍光灯に照らされた踊り場へ出た。




上へ続く階段と下へ続く階段を交互に見る。



すると━━




ふっと、また目の前に先程の少女が現れた。





少女は上へ昇る階段の方へ立ち、右手を上げて上を指し示す。



「……上……屋上か」


僕は階段を駆け上がった。



と、同時に少女の姿は煙のように掻き消えてしまった。




上の階に続く階段の蛍光灯は明滅を繰り返している。




昇りきったそこにはレバーの付いた扉があり、僕はそれを下げながら押し開けた。



扉の向こうには夕闇が広がっていた。



囲まれた高い柵の間から少し遠くのビル群が見える。



僕は辺りを見回した。




「━━……っ!?」



屋上の隅の方、オレンジ色の陽光に照らされ2人の人影が見えた。



「大和田君……?」



市毛さんの声が聞こえる。



「……ごめんなさい……」



わっと泣き出す市毛さん、その背後には━━





市毛さんの肩に手を置く財前の姿があった。




「かるまっち……」



そうして、財前はそのまま肩に置いていた手を下ろす事なく、ゆっくりとそのまま後ろへ倒れてゆく。



「……っ!? 司っ!!」




どういう事だ?




遅かった!?




何をした?



僕は財前に駆け寄った。