「ごめんね……でも……私、他に頼れる人がいなくて」
西陽が当たる放課後のガランとした教室、クラスの連中は早々と帰っていた。
今、この場所には僕と向かい合う大きな瞳を微かに潤ませた市毛まどかさん、そして……僕の隣の財前しかいない。
奇妙な取り合わせだ。
ほんの数日前ならありえない面子だった。
「じゃあ、市毛さん大和田くんに詳しく話してもらえる?」
財前が促すと、市毛さんは頷きぽつぽつと話し初めた。
「うん……最初はね、気の所為だと思ったんだ」
ソレ━━
が、初めて彼女の前に姿を見せたのは今から三ヶ月ほど前だという。
その時の彼女はまだアイドルとして活動しており、その日は一人スタジオに残ってダンスの自主練をしていたそうだ。
時刻は22時を回ったあたりだったという。
最初の違和感は『視線』だった……
自分しかいないスタジオ。
ジッと誰かから見られている気がしてならない。
ふと、目の前にある大きな鏡が気になった。
彼女がダンスをしていると、視界の隅にチラチラと何か黒い影の様なモノが見えたのだ。
気になって音楽を止め、周囲を見渡す。
だが、何もない。
気の所為かと思い、再び音楽をかけてダンスを始めるとやはり鏡の中に何かはわからないがハッキリと蠢く影のようなものが見えた。
彼女はなんだか気味が悪くなり、音楽を止め荷物を掴むとすぐに着替えてスタジオから出たという。
「スタジオとかってよく幽霊とかの噂があるから、たまたま怖い体験をしたんだって……怖かったけどその時はそれで納得したんだ、寧ろどこかで話しのネタに使えるかもくらいに思ってた……」
さすがというかなんというか、そんな事があっても寧ろオイシイとか思えてしまうのは、やはり彼女は生粋の芸能人なんだろう。
「でも……」
しかし、彼女の表情はそう呟いたあと陰りを見せた。
それから2、3日が過ぎ……
今度はマネージャーとタクシーで移動中にそれは起きた。
その日は一人でバラエティ番組の収録があり、深夜までかかってしまったそうだ。
連日の過密スケジュールから睡魔に襲われ車内でうとうとしていると、不意に何かの視線を感じ背筋に冷たい感覚が走っていった。
その時、彼女は思ったそうだ。
『コレはこの前の視線と同じだ━━』と
周囲を見まわす、狭い車内の中で視界にあるものは少ない。
明日のスケジュール確認の作業をノートパソコンで打ち込むマネージャー。
運転席には初老のドライバーの後ろ姿。
車窓からは追い越してゆく車のテールランプと並走するトラックの車体。
どれも自分に視線を送ってきてはいない。
気のせい……?
そう思い、ふと見たバックミラー
ぼんやりと見つめていると、やがてミラーの端には黒いモヤの様なモノが写っている。
(アレは……何?)
(影……?)
(それとも……)
彼女は混乱しつつも、ジッとただ黒いモヤを見つめていた。
モヤはまるで生き物のようにゆっくりとだが確かに何かの形を作り上げてゆき、そこから視線を逸らす事が出来なくなる。
そうして
そこに
映ったのは大きく見開かれた目だった━━
声をあげそうになるのを必死に両の手で押さえ、隣にいるマネージャーの様子を伺うが、全くそれに気づいてはいない、運転席のドライバーにも視線を向けるが特段変わった様子はない。
躊躇いながらももう一度、バックミラーを確認したがそこには先程の事が幻の様に何も映ってはいなかった。
けれど、この日からその『視線』を度々感じる様になったという。
それは、街中を歩いている時の路地からだったり、自宅の部屋の薄く開いた扉の隙間からだったり……
ともかく数えだしたらきりがなく、気がつけばそれを感じない日が無いほどになっていった、
そんな事が続いていた
ある日━━
視線を感じていたのと同じタイミングで、彼女に脅迫文が送られて来るようになった。
事務所やテレビ局、ライブの上演予定の劇場、至るところに
『アイドルを辞めろ! さもないと命はない』
同じ様な内容の手紙やらメールが複数、彼女宛に送られて来たのだ。
「コレ……なんだけど」
市毛さんは四角く折り畳まれた白い紙を広げて僕らに見せた。
そこには
血みたいな赤い文字で
『市毛まどかに天罰がくだる』
と殴り書きがされていた。
脅迫文の事はネットのニュースにもなっていたから僕も知ってはいたが、改めて本人からそれ自体を見せられるのは僅かながらに動揺してしまう。
「ま、待って! コレは明らかに人間のやった事だよね? 幽霊とかの話しじゃないんじゃ……」
「コレはね……でもさ、かるまっちだって見えるでしょ? 市毛まどかさんの後ろのそれ……」
僕は、財前から促されて眼鏡を外し指をさしているその先をジッと見つめてみた。
確かに黒いモヤの様なモノが見える。
それは市毛さんの足から蛇の様にぐるぐると巻きついており、背中の辺りで大きなコブ状に膨らんでいる。
どう見ても良いモノとは思えない。
「えっ!? まっ、待って、今何か私の後ろにいるの?」
市毛さんにはやはりアレは見えない様だ。
左右に何度も振り返っては確認している。
「アレはね……【生霊】だよ」
「生霊……?」
「そう、生きてる人間はカナリ手強いよ? 死んでる人間と違って、エネルギーが枯渇しないからね」
市毛さんに憑いているのが財前の指摘する通り生霊なんだとしたら、生きてる人間が原因という事になる。
つまり、脅迫文の送り主が生霊の本体という事だろうか?
確かに彼女の様な仕事をしているとファンから一方的な感情を抱かれたり、同業者から嫉妬をされたりする可能性は高いだろう。
けれど……
僕が今見ているこの黒い存在は、そんな生半可な思いではない。
もっと……心の奥からの……どす黒い……強い思念。
「あ、あのさ、普通こんな生霊を飛ばしてくる事を考えると誰かの個人的な恨みだと思うんだけど……心当たりはあるの?」
僕の問いかけに市毛さんは一瞬だけハッとしてから、左右に首を振った。
「ホントに~? 身に覚えない?」
財前は市毛さんの顔を覗き込んだ。
2人の距離が近すぎて若干イライラしてしまう。
「ない……よ……わからない」
市毛さんは困った顔をしてそれだけ言うと俯いてしまった。
「ふーん……じゃあ、とりあえずは生霊を送ってるヤツは不明って事ね」
「うん……」
財前は訝しげな表情をしていたが、とりあえずは納得したようだ。
「ち、ちなみになんだけど……脅迫文を送ってるヤツには心当たりはあったりするの?」
脅迫文の送り主は単純に行き過ぎたファンや、愉快犯の可能性もあるが、やはり生霊とは無関係とは思えない。
「それも……わからない……マネージャーや事務所の人達もファンの逆恨みとかじゃないかって言ってたし、私もそうなんじゃないかって思ってるくらい……」
「そっか……あ、あのさ、もしかして市毛さんがアイドルを休業したのって……その脅迫文が原因だったり?」
「うん……脅迫文がどこの誰の仕業かもわからないし、コレ以上犯人を刺激して、私以外の他のメンバーに何かあっても嫌だから、表向きは学業に専念って形で活動を休業させてもらったの……」
「そうだったんだ」
市毛さんに憑いているのが財前の指摘する通り生霊なんだとしたら、生きてる人間が原因という事になる。
つまり、脅迫文の送り主が生霊の本体という事だろうか?
「でも市毛まどかさんに心当たりが今のとこ無いっていう事なら、とりあえずそこからかな……」
「特定出来るのか?」
「まあ、まだわからないけど……じゃあ、予定通り
おうちに行こうか」
「うん……」
市毛さんは頷き、当たり前の様に財前もそれに付いて歩き出す。
「えっ……? どういう事だよ!?」
僕はコソッと財前に耳打ちした。
「これから市毛まどかさんの一人暮らししてる部屋に入れてもらう約束してんの」
「へ、部屋にっ!!?」
い、いいのかそんな?
一人暮らししてる超人気アイドルの部屋に?
僕みたいな陰キャが入るなんて事が許されるんだろうか?
焦りまくる僕に財前は微笑みながら言った。
「……良かったね」
「はっ!? 何がだよっ!?」
「好きな人の部屋に入れるんだよ?」
「えっ!? なっ、ナニ言って……いや、つか、何で僕が好きだって事知って……」
「そりゃあ……見てたから」
急に財前の声はワントーン落ちて、僕の耳の辺りがゾワっとしてしまう。
「見て……た?」
「うん……オレは、かるまっちの事をずっと見てたから何でも知ってるよ……」
「はっ? 何で……」
「好きな人だから……」
耳に吐息がかかり、僕の背中にザワザワと何かが走っていった。
またか……
僕は本当にコイツがわからない。
財前が僕を好きになる理由なんて無いし、ずっとからかって来てるんだろうが陽キャの冗談はホントに面白くない。
休業中とはいえ、現役アイドルが男子生徒二人と帰宅はさすがにマズイと思い、僕達は市毛さんから少し距離を空けて、小声で会話をしながら彼女の後を歩いていた。
「あのさ、本当に僕をからかうのも大概にしろよな」
「からかう?」
「その……好きだとかなんだとか……」
「……もしかして、まだ嘘だと思ってる?」
「当たり前だろ? 」
「じゃあ、かるまっちはどうしたら信じてくれる?」
「だから、信じるも何もお前が僕を好きになるワケないだろ?」
「どうして?」
「どうしてって……」
そんな事……
言わなくたって誰にでもわかる。
財前が男で僕も男だからとか、そんな話ではない。
正直、誰かが
僕を好きになるなんて……
有り得ないんだ━━
そんなヤツこの世にいるワケがない。
「………………はっ?」
気がつけば僕は小綺麗なマンションの一室にいた。
僕は、自分の今置かれている状況がなかなか飲み込めず、ひたすら狼狽していた。
だがキョロキョロと女性の部屋を見るのも失礼だと思い、じっと眼鏡ごしに映る、ぼんやりとした板張りの床の模様ばかりに目を落としてしまう。
昨日までの僕がこんな事になるなんて、誰も予想出来るはずがない。
ジメジメとして暗く、恐らく全国にいる男子高校生の中でもダントツにどう転んでもついてない僕に、ある日突然こんな事があるなんて……
憧れのアイドルの部屋に、僕は今いる。
「何か飲む?」
そう言って市毛さんは冷蔵庫からお茶を出して、僕らの目の前で小さな透かしガラスのグラスに注いで渡してくれた。
憧れのアイドルにお茶まで出してもらった。
いや、そもそもこんなふうに気にかけてもらってお気遣い頂いているというそれだけで……
……もうコレ以上のお気持ち表明は、さすがに自分でも気持ち悪いと思うので控えようと思う。
少しでも自分を落ち着かせようと、僕は足元から少しだけ視線を上げた。
数冊の本が置かれた少し低めの白い机、その上に飾られたコルクボード。
ピンで留められてる1枚の写真が気になった。
写真の中ではおそろいの髪留めをした女の子が二人、仲睦まじく並んでこちらを向いて微笑んでいる。
左の女子には見覚えがない。
右は市毛さんだ、見た事ない制服を着ている事からおそらく中学の時のだろう。
ジッとそれを見つめていると僕のその視線に気づいた市毛さんが、コルクボードをサッと裏返してしまった。
「ゴメン昔の写真だから……」
あまり見られたくなかったようだ。
「ごっ……ごめんっ!」
僕は慌てて目線を逸らした。
「……やっぱり、家とは関係ないみたいだね~」
一通り家の中を見回して財前は言った。
「生霊ならそもそもそれはないんじゃないのか?」
僕は少しだけ眼鏡をズラして、クリアな視界の中での市毛さんを見た。
黒く禍々しいモヤが彼女全体を包み込み、もう僕にはそれが市毛さんなのかどうかすらこの視界の中だとわからない。
「そっ、生霊にも色々あるからね、確かに人に執着するのは多いけど、土地や建物、部屋に執着するやつだっているし……念の為見たの……」
『ま、人に執着するやつが一番厄介だけど』
と、最後にボソリと呟く。
「もしかしたら土地や、それに付随する何かかとも思ったけど、市毛まどかさんの後ろのそれは、あくまでキミ自身に憑いてるものみたい……」
「私に……? どうして?」
「身に覚え……ないんだよね?」
「………………あるとしたら、例のストーカーくらいだよ」
なんだ?
今、一瞬だけど……
市毛さんは確かに見た。
僕に見られる事を拒んだコルクボードを。
「そう、じゃあそいつの恋心がやがて執着と恨みに変わったって事かな~」
「うん……」
「……まっ、そういう事にしとこうか?」
「どういう意味?」
市毛さんは訝しげに財前を見た。
「いや、別に深い意味はナイよ~」
「それで? どうやってそのお祓いみたいなのをしてくれるの?」
「ああ、えっとね、かるま先生お願いします!」
僕は急に背中を押されて、市毛さんの目の前へと押しやられた。
「えっ……おいっ……! だから僕はそんな事……」
僕の小声の抗議は、財前にまるで聞こえていないみたいだ。
僕と市毛さんの距離は触れ合うかどうかまで接近していた。
憧れのアイドルを目の前に、僕の心臓は……
心臓は高鳴ら無かった。
それよりも僕は、僕と市毛さんの距離をせばめようと背後にいる財前の方が気になった。
チラっと見えた財前の表情が、微かに曇っていたからだ。
「はい! コレで大丈夫」
背後からはいつもの財前のアホみたいな明るい声が聞こえた。
「えっ……?」
「い、いや……僕は……」
突然のお祓い完了宣言に、市毛さんは鳩が豆鉄砲食らったみたいな表情をしてワケもわからず戸惑っている。
「さすが、かるまっち先生、お見事でしたよ」
「ホントに? もういいの?」
市毛さんは僕と財前の顔を不安気に交互に見ている。
「大丈夫大丈夫っ! あっ、ちょっと待って」
財前は市毛さんの肩を軽く2回ほど叩いた。
「肩にゴミ付いてたよ~」
「ありがとう……」
その後僕らは、早々と市毛さんの部屋をあとにした。
「お疲れ様~かるまっち、今日はありがとう! 遅くなっちゃったね」
「僕は何もしてない……」
「またまた~、ちゃんと見て確認してくれたでしょ?」
薄闇がじわりとアスファルトに滲みはじめた。
もうすぐ、この辺りに夜が来る。
「バス、来るまでまだ時間あるね~」
バス停には僕ら二人だけ。
街灯がぽつぽと灯りだす。
僕には今、財前に確かめておきたい事が二つあった。
一つは、市毛さんはもうこれで大丈夫なのかという事だ。
もし、もうコレで彼女が大丈夫なら、財前とのこの冗談みたいな関係も短い間ではあるがココで終わりという事になる。
ようやく僕に平穏な時間が戻ってくるのだ。
そして、もう一つは……
何よりも僕が確かめたかった事 ━━
「おい、お前、アレは何なんだ?」
「アレ?」
「さっき……市毛さんの肩を叩いただろ……」
「えっ? あーっ、ゴミ払ったヤツ? もーかるまっちってばそんなとこにヤキモチ~? 大丈夫だって、オレは市毛まどかさんの事はなんとも……」
茶化す財前の手首を僕は掴んだ。
「……コレ、何だ?って聞いてんだよ」
制服の袖の隙間から見える、黒い痣。
この前も、さっきも、財前は手首をさすっていた。
僕を叩いた時は僅かに見えていた痣。
その黒い痣は、明らかにさっきより濃く広がってきている。
「…………それ、聞いちゃう?」
苦笑いをして財前は僕から目を逸らし、僕の手を振りほどいた。
「あはは、かるまっちオレにそんな興味あんの?」
そしていつもの軽口を叩いてはいるが、カナリ動揺しているようだった。
「茶化すな、いいから何なのか答えろ」
僕はじっと財前を見た。
眼鏡越しではなく、自分の目でしっかりとその目を見つめた。
財前は観念したのか、大きくため息を吐く。
「はぁ~っ……しゃーない、他人に話すのは初めてなんだけど……」
明らかにいつもの財前とは違う、どこか怯えたようなそんな表情。
僕はせかす事はせずに、財前から話し始めるのを待った。
「……小さい時からオレには少し変わった事が出来てね、なんて言ったらいいか……悪いモノを吸収する事が出来るんだよ」
「吸収…………悪いモノってなんだよ? 霊とかそういう類のモノか?」
「ううん、ちょっと違うかな……思念みたいなもの、恨みや妬み……良くない感情、それは生死に関係なく人が生み出して色んな形になる……呪いとか霊とか禍(まが)なんて言い方もする」
財前は自分の痣を撫でながら答えた。
「……最初は、兄貴に憑いてたヤツだった、まだオレが幼稚園くらいの時……兄貴の肩に黒い影みたいな手が見えて、それでその手を振り払おうとして肩を叩いたら、そいつが……オレの体の中に入っていった……」
「入っていった……って?」
「体の中に何か異物が入ってくる感覚があって……それで……」
財前は制服のジャケットを脱ぎ、シャツの腕をまくった。
「…………オレの腕に痣が出来た」
夜の帳が降りたこの薄暗い闇の中でも、それは禍々しいほどにまるで蛇みたいに財前の左右の腕に痣となって絡みついている。
「……たまに、ズキズキ痛みもあるけど……それ以外は特に支障ないから」
そう言って笑う財前は酷く痛々しい。
「でも……ごめん……今回の市毛まどかさんのはやっぱり一度では取りきれなかった」
「やっぱり?」
「言った通りアレは生霊由来のモノだからね……エネルギー量が違うし死んでる人間のと違うから……何度かやらなきゃ……だからあともう少しだけ付き合ってね」
財前は微かに笑って自分の手首をギュッと掴んだ。
その付き合うが、今のこの財前が言う恋人関係というものの事を指すのか、単純に市毛さんを助ける事なのかはわからなかったが、何故だか僕はそれに安堵してしまっていた。
財前はしきりに手首をさすっている。
僕は無言で頷きそしてその痣にそっと触れた。
僕の指先が痣をなぞると財前の体がビクリと反応する。
「ごめん……痛かったか?」
「ううん……違う……」
ふるふると財前は首を横に振る。
「痛くはないけど、たまに吸ったモノの感情は感じるよ……」
「感情?」
「どういう気持ちでこんな念を残したのか、残した人が何を思っていたのか……そういうの、それくらいかな」
そんなもの、僕だったら受け止めたくない。
人を恨んだり妬んだりした負の感情、そんなものを受け止めていたら精神が参ってしまいそうだ。
けれど、財前は特に気にしていないのか?
「それ以外は……本当に、体に支障はないんだな?」
「…………うん……何? もしかして、心配してくれてる?」
「……ああ」
「えっ? えっ? ほ、ホントに??」
嫌に嬉しそうな反応だ。
コイツが犬なら多分、今しっぽをちぎれんばかりに振っている事だろう。
「当たり前だろ……少なからず僕のせいでもあるんだし」
「責任感じてるって事?」
「一応……」
「へへっ、じゃあ責任取ってオレと生涯のパートナーになってくれる?」
呆れてモノが言えないとはこの事か。
僕にはこういう冗談の面白さはよくわからない。
だけど、一定数の需要があるのは確かなんだろう……
「…………お前……まさかとは思うけど、本気で言ってる?」
「ずーっと本気で言ってる」
「あんまり面白くない冗談なんだけど……」
「だ~か~ら~……冗談じゃないってば」
「お前が僕を好きになるなんて、冗談以外ないだろ?」
「え~っ……失礼しちゃうな! こう見えてオレは恋愛に対しては一途だし真面目なんだよ?」
財前は僕をじっと見つめた。
その瞳は嘘を言ったり、からかったりしている様なヤツのではなく……
とても真剣な眼差しで……
気を取られないように僕は、財前の長い睫毛やら通った鼻筋やら、男のくせにイヤにキメの細かい肌とかに視線を泳がせた。
「あっそ……」
そう言うのが精一杯だ。
急になんだか気恥ずかしくなって僕から視線を逸らしてしまう。
あるわけが無いとどんなに思っても、心臓の鼓動が早くなる。
「それに、さっきから気になってんだけど、お前とかいう呼び方やめて、司って呼んで」
「何で……?」
「だって今は、オレ達恋人同士なんだよ? 名前で呼んでくれても良くない?」
「……無理」
「何でっ!?」
そんなに親しくも無い相手を呼び捨て、しかも名前でなんて出来るワケがない。
「えーっ! いいじゃん、つ・か・さって呼んでみて」
「絶対に嫌だ……」
財前はその後もぶつくさ文句を言っていたが、僕は聞こえないフリをしてやり過ごした。
「ねぇ、かるまっちは何で冗談だと思うの?」
「はぁ? そんなん当たり前だろ」
「何が当たり前なの? オレが男でかるまっちも男だからとか?」
「……そういうんじゃない」
「じゃあ、なんで?」
「僕は……人に好意を抱かれるような人間じゃない」
そう。
僕は……
昔からずっと、見たくないモノが見えてきた。
「なんかいる……」
「もう、またそんな事言って!?」
最初にそれが見えたのは、多分幼稚園くらいの頃だった。
母はとても嫌がった。
僕を見る母親の目から、拒絶を強く感じた。
「また、あの子何も無いとこに誰かいるとか言うのよ?」
「親の気を引きたいだけだろ?」
夜、たまたまトイレに起きて、居間で両親が話しているのをコッソリ覗き見た事がある。
「だとしても……気味が悪いのよ」
その時、僕をいつも見る母親の目が僕をどう思い見ていたのか、なんだか全てが繋がって悲しいとか寂しいとかそういう感情よりも、
僕は『ああ、だからなのか』と変に納得してしまった。
そうして、その数週間後に母親は家を出た。
僕も父も知らない男と、新しい家庭を築く為に。
それからは、みんなが見えないモノが見えている事は話さない様にした。
それでも、小学生の時にいた親友と呼べる存在には話しても良いかと思い打ち明けた。
結果は……
ある日の放課後。
いつも一緒に帰る親友は、その日は掃除当番で残っていて僕は先に帰ったが、忘れ物をして教室に取りに戻った。
教室の手前の廊下で、僕は自分の名前が聞こえて来て、身が硬くなるのを感じ、その先へと踏み出せなくなった。
「えーっ!? ウソ? 大和田君ってそんな事言うんだ」
息を殺して、教室の扉の前で聞き耳を立てた。
僕が親友だと思っていたやつは他のクラスメイトと談笑しているようだ。
「アイツ幽霊が見えるんだってさー」
「えーっ!? ナニソレー怖ーい」
「ウソに決まってんだろ!?」
「業君のおウチ、だからお母さんいなくなっちゃったんじゃない?」
クラスメイトの笑い声が聞こえ、僕は忘れ物を取りに戻る事もせずに走って帰った。
何となく、心のどこかではわかっていたし。
でも、どこかで期待もしてしまっていたんだ。
それからは、嫌なモノを見ないようにひたすら逃げた。
逃げ続けた。
誰かから愛されるような事も自分には無縁で、誰かから好意的に見られる事も無縁で……
自分が良好だと思っていた関係だって、そんなもの独りよがりにしか過ぎないんだって……
そう思わなきゃいけないんだ━━
「かるまっちってさ、自分の事嫌いでしょ?」
「……自分の事、胸を張って好きとかいうやつと僕は仲良くならない」
特にお前みたいな……
と付け足そうとしたが面倒になりやめた。
「良かった~、じゃあオレとは仲良く出来るね」
「はぁ!? 何でだよっ!?」
「オレも自分の事あんま好きじゃないから」
どう転んでも自分の事を大好きそうな人種だろ!?
自分の事大好き! を具現化したような存在だろ!?
お前が自分を嫌いだとかいったら、大勢の敵を作る事になるぞ?
「何が不服なんだよ? 顔良くて、背高くて、性格も良いし、明るくて、運動出来て女子から人気あって……悪いとこないだろ?」
「えっ……?」
財前はキョトンとした顔で僕を見た。
そして、何故か少し照れた様に目を伏せる。
「いや、だからお前に悪いとこなんて無いだろ? って……」
あっ……
そこまで言って、僕は自分の言ってる事がカナリ恥ずかしい事に思えて来た。
バス停に明かりが灯り、辺りが少しだけ明るさを取り戻す。
微かなその光でもわかるほど、財前は顔を赤らめて動揺している。
「オレの事、そんな風に思ってくれてたんだ」
今にも泣き出しそうな顔で、いつもの様に微笑んでくる。
僕は、何故か
心臓の鼓動が高鳴った。
「あっ、いやいやいや、待て待て待て! そういうんじゃない! 今のはそういうんじゃ……」
財前はニコっとまたいつもの屈託の無い笑顔になると、ベンチから立ち上がる。
「……好きな人に褒めてもらえるのって嬉しいね」
「だから、褒めたワケじゃなくて……ただ、僕は思っただけの事を……」
アレ?
これって、余計まずくないか?
ただのお世辞だとか適当に言って流せば良かったのに、余計な事を言ってややこしくしてしまった。
「いや……えっと……だからっ……」
しどろもどろになっている僕の横顔を、滑り込む様にやって来たバスのライトが照らした。
「あのさ、好きじゃないヤツに褒められても、かるまっちは嬉しくないかもだけど、オレ、沢山知ってるよ
かるまっちの良いとこ!」
「えっ……」
「好きになるには十分な程に……」
「……あ、ありがとう」
かき消えそうな声量で、そう返すのがやっとだった。
そこからは、何を話したかあまり覚えていない。
ただ、財前が僕を好きなのが、冗談ではないかもしれないと微かに思い始めた。



